鷲に在り方を問う
テオドールの視線が一度リーベへと注がれ、彼は短い瞑目を挟んで顎を引いた。
「最初は私の見間違えか、さもなければ亡霊だと思いましたが……生きておられたのですね」
「死んでた方が、都合がよかった?」
口調こそ丁寧だが、低く牽制するような声色に、どこまでも軽やかな返答が、部屋の中で妙な波紋を広げた。
テオドールは言葉を返さず、代わりに、再びこちらの面々を視線だけで辿る。。
「俺らが偽物だって疑ってる?」
「いいえ、私を本気で欺こうとするのなら、人選を誤っているというべきでしょう」
「それはそうだ」
二度乾いた笑いが上がる。シュトルツは、更に半歩前に出た。
「自己紹介をしている時間はないよね、お互いに。お前に話があってきたんだ、テオ」
おもむろにテオドールの体が揺れた。不快そうな眼差しが向けられる。
「話? 今更、私たちの間に交わす言葉はありません。ヴァルハイド卿にどう取り入ったのかは知りませんが、よくここに足を踏み入れようと思ったものだ」
「俺は弟に会いに、自分の家に帰ってきただけだけど?」
おかしなことを聞いたように、シュトルツが首を傾げた。テオドールの眼差しが、軽蔑のような色を帯びる。
「私の兄は五年前、廃嫡後しばらくして死んだと聞かされています。その事実が違っていたというのは、正直受け入れがたいですが……この際、認めてもいい」
テオドールが静かに立ち上がり、丁寧なまでの動作で椅子を直した。彼は背にかかった家門を一度見上げ、再びシュトルツに視線を戻す。
「だが、今、私の前にいるのは兄だった人というだけで、今は反逆者だ。その事実は変わらない。
国賊がこの屋敷へ踏み入れ、引いては、この国で息をしていることは許されない。私がこうして譲歩しているうちに、立ち去るのが賢明です」
鷲の紋章を背負った彼は、断固として拒絶を示した。
シュトルツが、どんな表情をしているのかはわからない。
ただルシウスには、その背が見たことのない怒りを宿しているように見えた。
両者の間に、ただならぬものを残したまま、沈黙の幕が下りる。
その内で、テオドールが再び一瞥した視線を追って、ルシウスはリーベを見た。
彼はただ静かにテオドールを注視しているだけで、その瞳は何も語られていない。
反逆者。ルシウスは口の中で呟く。
それでも鷲の家門を背負う当主は、牽制と拒絶を示すだけで、僅かな距離に剣を立てようとする気配はなかった。
部屋に入った時から感じていた。
少しずつ形を変えていく妙な違和感の正体を探るため、いくらテオドールを見つめても、固い表情からは何も読み取れない。
沈黙の中、不意にシュトルツが右へと足を向け、部屋を眺めるようにぐるりと首を回す。
何かを探すようなその仕草の末、彼がたどり着いたのは右側の天井付近だった。
そこだけ壁の色が不自然に違う長方形がある。かつて掲げられていたものが、綺麗に取り払われた痕跡であることに、ルシウスは気づいた。
シュトルツが四つ並んだ空白を見上げて、何か呟くが、静寂に濁った音だけを残した。
「じゃあ、聞くけどさ」 おもむろに体を翻して、テオドールを捉えた瞳は細められていた。
「どうしてお前は、そこに座っているわけ?」
テオドールの眉が、真意を量るように寄せられる。シュトルツは、小さな息と僅かな瞑目を挟み、続けた。
「兄は死んだってことになってる。そのあと内乱で父と母も死んだ。なのに、どうしてお前ひとり、そこにいるのかって聞いてるんだよ」
数瞬の沈黙の先、吐き捨てるような嘆息が返された。ルシウスはシュトルツと同じ問いを探して、テオドールを注視する。
「何を言うのかと思えば……
国を滅ぼそうと目論んだ貴方たちとは違い、私は初めから今ここに至るまで、陛下に――あの方に剣を捧げてきた」
当然の結果に、何を問おうとしているのか。テオドールは苦笑と共に首を振る。
数学の理論を淡々と語るよう、事実から導き出された結果を並べたようなそれに、ルシウスは頭を叩かれるような痛みを感じた。
「グライフェンは、王家の剣――」
シュトルツが間髪入れず、芯のある声を両者の間に置くと、彼は一度、そこに掛けられてあっただろう何かを仰いでは、すぐに瞳を伏せた。
「たしかに、現国王も王家のひとりだ。でも、俺らが剣を捧げたのは違っただろ?
前陛下の嫡子、アレクシオン殿下。あの人の剣は、誰だったって言うんだよ」
悲しみに唸るような言葉に、テオドールが一歩そちらへ踏み出す。その瞳は、シュトルツが腰に下げた剣を捉えていた。
「……この五年で、貴方の記憶には齟齬が生じてしまったとようだ。
アレクシオン前王太子。剣だった貴方が、主を守ることが出来なかったのだから、それも仕方ないのかもしれない」
シュトルツの眉がピクリと跳ねた。
アレクシオン。ルシウスはその名前を口にした瞬間のテオドールを、しっかりと見ていた。
そこには、僅かな揺れもなかった。
冷淡で、泰然とした様子を崩さない彼が続ける。
「同じ血を引き、一時は同じ紋章を背負ったものとして、痛ましく不甲斐ない。ある意味では、同情を感じなくはありませんが……
貴方が何を問おうとも、私がここにいるということが、この忠誠の揺るがない証左だ」
凛と響いた言葉の余韻を濁らせる、長く掠れたため息が、その場を覆った。天井を仰いだシュトルツのものだった。
「命を惜しまずここへやってきて、私を前に、何を疑い、何を問おうとしているのか……私には皆目見当がつきませんが、納得は出来ましたか?
貴方がたが、今更何を企もうと覆ることは何ひとつ――」
「黙って」
畳みかけられようとした言葉が、そこで途切れた。シュトルツのその一言は、静かに深く刺さる怒りだった。
「もういい、聞きたくない」
言葉とは相反して、一歩前へ踏み出した彼に、テオドールは嘲笑を吐き出す。
「言葉が通じたようで何より。私ももう、これ以上交わす言葉は――」
「情けない」
再び遮った言葉の先で、相いれない両者の視線が交差した。
「ちゃんとわかってたはずなのに……
俺にしては珍しく、頭の中で事前に練習してきたんだよね。こうなろうな、ああだろうな。いや、こうかもしれないなって」
指を空で三度、小さく振ったシュトルツは、乾いた笑いが上げる。
「お前にも、自分の甘さにも反吐が出る」
その瞳は深淵を覗くような深い色を帯びて、テオドールを射抜いた。
刹那、視線を受けた彼の手が、テーブルに立てかけた剣へと伸びる。
空気が一変する。いつしか二人の間に、先ほどとは違った緊張が滲みだしていた。
シュトルツが、空の手で悠然と歩を前に進ませる。
「状況が仕方なかった。あの人たちは優しいから、陛下も父上もそう言ってくれるだろうな。自分たちがそうさせた。だから、テオドールは悪くないって」
更に一歩踏み出す彼に、テオドールが剣を取った。
「主を裏切っただけじゃ飽き足らず、主を忘れる……?
ああ、支配魔法……そんなもの、何の免罪符にもならない」
三歩目、シュトルツの眼前には、剣先が向けられていた。
眉間に突き付けられた剣を素手で掴んだ彼は、視界から引きはがし、テオドールを鋭く見据える。
手から滴る鮮血が床へ落ち、音のない波紋を立てた。
「お前の剣の軽さには失望した」
「黙って聞いていれば、支離滅裂な言葉を並べて――」
素早く横凪ぎにされた剣が、シュトルツの右手を深く斬り払う。
「一時でも、情に流された私が甘かった。誰に何を吹き込まれたのかは知らないが、今の言葉は聞き捨てならない」
血に濡れた剣が、次はシュトルツの首筋に当てられる。
剣身に刻まれた大鷲が、兄弟の間で静かに羽を広げている。
やけに鮮明に映った歪さの影は、鈍い光にかき消された。
「グライフェンを侮辱した罪は重い。贖ってもらおう」
怒りを孕み、重く沈んでいく断罪を掬い上げ返したシュトルツの言葉は、また違った重さを秘め、静かに突きつけられる。
「王家の剣としての在り方を忘れた罪、その身をもって償ってもらう」




