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調和の王〜影から継がれたもの〜  作者: 俐月
3章

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想いを継ぐ人の子へ

 



 どれほど見上げても、終わりが見えない大木。


 その正面――精密な模様が彫られた観音扉がルシウスたちを迎えた。



「カラン。ここまでで良い」



 足を止めたゼファが先頭の少女へと呼びかける。



「いえ、ゼファ様。老様のところへご案内するまでが、私のお役目です」



 扉に手をかけた少女を見て、「わかった」と返答した彼女は、素早くこちらへと身を翻す。



「エーレとルシウスだけ通れ」


「え、俺らは?」



 すぐに警戒心を隠そうとしないシュトルツが一歩踏み出した。



「老の部屋にこの人数は厳しいと言っているのだ」



 反駁した彼女の言葉にルシウスは今一度、大木を見上げた。



 ――扉の先は大木の中だろう。たしかに広くないはずだ。



「二人はここで待機してろ。何が起きるかわかったもんじゃねぇしな」



 ゼファの意向に従ったエーレにシュトルツは「それはこっちのセリフなんだけど」と、不本意そうな声を上げながらも数歩引き下がる。




 シュトルツとリーベを外に残して、ルシウスたちは扉を潜った。

 その中はくり抜かれていて、外からでは想像できないほど快適な住居として整えられていた。


 やはり1面のスペースは広くない。それが二階、三階、四階と階段と、上に上に続いていた。




 五階まで案内された先に、その人物はいた。



 大木の側面を切り抜き、嵌められた窓から差し込む光を背に座るその姿は、大木と永い時を共にした岩のように見えた。

 ところどころ銀に輝く白髪は顔を覆い隠していて、表情は伺えない。



 ここまで先導した少女と変わらない小さな体躯を包んでいるのは、身に合わない綺麗な金糸の装飾の入った緑の衣装だった。

 その衣装はゼファが来ているものとよく似ていた。



 彼らがやってきても、その人物はぴくりとも動かなかった。

 その中で少女だけが額に両手を翳して、膝を小さく折るような独特な礼をする。



「カラン。ご苦労だった」



 ゼファのその言葉を聞いた少女は、彼女にも同じ礼をすると、ルシウスたちの間を縫って階段を下りて行った。



 その足音が聞こえなくなるまでの僅かな沈黙。


 少女を追った視線を再び前へと向けると、帯を成して差し込む陽が三つへと増えていた。

 それはそれぞれ交差して、なんともいえない静かな幻想感を醸し出している。


 光の帯はあまりにも儚く、前で岩のように動かない人物の不思議さを一層引き立てていた。



 その帯を遮ったゼファが音もなく、その前に胡坐をかいた。



「アルノ老。聞こえてらっしゃるか?」



 顔を寄せて少し声を張ってはいたが、その声色はどこまでも柔らかい。

 アルノ老と呼ばれた人は動かない。



 ゼファは「客人を連れてきた。老が会いたがっていた人の子だ」と続けた。



 その時、僅かに老と呼ばれた人物の髪先が揺れたような気がした。

 それは風化した岩が風に攫われて、ほんの少し欠片を落としたくらいの微細な動きだった。



 会いたがっていた?

 ゼファの言葉をなぞったとき――



≪人の子よ、よくきてくれた≫



 頭の芯に反響するような声が聞こえた。

 注視していた老が口を開いた様子はない。思わず、部屋をそっと見渡したとき、


「器用なことをするもんだな」とエーレが無感動に呟いた。



≪儂じゃ、儂の声じゃ。坊≫


「貴方の声なんですか」



 頭の中に直接響いてくる言葉。

 同調とは似ていて全く違う。こんな鮮明に言葉が頭に伝わってくるなんて。



≪其方か。アメリアがルシウスの名前を与えた人の子は。嬉しく思う。

 あの子がずっと温めていた名を継いだ子に、どうしても相見(あいまみ)えたかった≫



 アメリア。リクサをあの子と呼ぶこの人は……



 ルシウスが口を開きかけた時、正面で座っていたゼファがその場を開けるように座った姿勢のまま移動した。

 言葉はなかったが、彼女がこちらを見る視線で、アルノ老の前へ来いということを察したルシウスはおずおずと一歩踏み出す。



≪顔をよく見せておくれ≫



 その言葉にルシウスは自然と後ろに振り返りそうになった首を正面に留めたまま、アルノ老の前へと腰を下ろした。


 すぐ近くまできたその人物の体躯はやはり彼よりも随分小さかったが、身にまとう雰囲気はこの場の誰よりも異様なものを帯びていた。

 だがルシウスはそれを恐ろしいとは思わなかった。



 左側から二人の間に差し込んだ儚い光の帯の輝きの中。そこに混じった室内の埃が天上へと緩やかに上昇していく様子が見えた。


 正面のアルノ老の顔は伸びきった白髪に覆い隠されて、全く見えないままだった。


 ぴくりとも動かず、声も聞こえない。

 何かの余韻を噛み締めるような、そんな短くて長い沈黙。



 それに終止符を打ったのは「老」と隣から呼びかけるゼファの声だった。

 姿勢を正し、真摯な眼差しでアルノ老を見つめる彼女。



「老。時間があまりない」


≪わかっておる≫


「私は今から、この島の者を僑胞きょうほうのところへ送る準備をする」


≪この島の守りは儂が受け持とう。最後までこの島とともにあろうと決めておった≫



 沈黙の余韻の全てを打ち消すような、淡々とした二人のやり取りを聞いたルシウスは「え」と言葉を漏らした。


 最後まで島とともにある、ということはつまり――


 その困惑を遮るように、老の笑い声がルシウスの脳内に響いてきた。

 更に呆気に取られた彼へと老が言う。



≪なんじゃ、坊。心配してしておるのか。この儂のことを≫



 愉快そうな声は変わらず頭に響いてくるのに、前のその姿はピクリとも動かない。



≪エルフとは自然と共に生きる種。世界が淘汰を望んでおるのならば、儂はそれに抗いはせん≫



 言葉が出てこなかった。言っていることがわからない。

 でもこの人はこの島と最期を共にすると言っている。



≪大勢の人の子がこの島へ向かっておる。儂が守りを固める。

 ゼファや。お前にはまだ荷が重かろう。しかし長としてやらねばならん≫


「承知している」



 その短いやりとりを聞いて、ルシウスはこの部屋に入って初めてエーレを見た。

 その眉は僅かに寄せられている。



「ここから遠くに移動させるなら、魔法発動までに随分時間がかかりそうだな」



 彼が懸念の色を隠さずに伝えた時、視界の端でアルノ老の体が小さく揺れたような気がした。



≪そのために儂が全力を持って、守りを固めると言っておる。

 危なくなったら逃げなされ。我らよりも先に己の命を大切にしなさい≫



 優しい祖母のような声、それにエーレが短く瞑目した。



「心遣い感謝する。だが、俺たちはやるべきことをやるまでだ」



 彼はそれだけ残して、さっさと一人部屋を退室してしまった。

 ルシウスは傾けていた姿勢を整え、もう一度正面の老エルフへを見つめる。


 光の帯を受けた荘厳なまでの佇まい。そこに揺らぐことのない意志を感じ取って、喉まで上がってきた言葉を飲み込んだ。



≪ゼファや、アメリアに伝えておくれ。約束の刻ときを待たずして先に逝く儂を許してほしいと≫


「承知した」



 ゼファはたった一言だけ答えて、少女と同じ礼を老へと残すと踵を返した。

 彼女が部屋を去ったあと、もうそこに会話はなかった。

 アルノ老も何も言わない。

 結局、この人物が誰なのかもわからないまま立ち上がったルシウスは、敬意をこめて深く一礼をし、背を向けることにした。









 先に出たものばかりだと思っていたエーレは階段の途中で待っていた。

 四階にはゼファもいた。



「私はすぐに準備に取り掛かる。老はああいっていたが、やってくる軍勢に勢いで叩かれれば、結界はそう長くは持たないだろう」



 先頭で階段を下りていくゼファが告げる。



「見りゃわかる。あの状態で生きてるほうがおかしい」



 ルシウスの前を歩くエーレの言葉に、ゼファが忌々しいと言わんばかりに鼻で笑った。



「どういうことですか?」



 口を閉じていられず、ルシウスは割って入るように尋ねる。



「あのエルフの体はもう死んでるも同然ってことだ、自我を体から切り離しておかないと穢れに意識を保っていられない」



 それが出来るところがさすがエルフだがな、とエーレは淡々と説明する。


 その言葉を聞いて彼の脳裏に、あの部屋と老の姿が鮮明に蘇った。

 身に合わない衣装で体を包み、伸びきった髪で顔は見えなかった。


 あ・え・て・そ・う・し・て・い・た・の・だ・。・



 続いて先ほどまでの短いやりとりが、頭の中に想起される。


 沈黙の中でいつの間にか一階にたどり着くと、外へつながる扉はすでに開かれており、



「ルシウス」



 扉の先で半身を逸らしたエーレが強くこちらを見ていた。

 もう聞き慣れたはずの自らの名前。それは老エルフの言葉を思い出せた。



 アルノ老と呼ばれた老エルフが、アメリアリクサが想いを託した名前――

 彼はそれに応えるように、一つ強く頷いた。


 エーレはそれ以上何を言うこともなく、外へと足を踏み出す。

 そこには待ちくたびれた様子のシュトルツとリーベの姿があった。







「あ~、荷物どっかに置いてくるべきだったよねぇ」



 島の外へと向かっているとき、短双剣を腰から外したシュトルツが言った。



「置いてくる場所なんてなかっただろ」


「そうだけどさー、これ回収する暇あると思う?」



 エーレの言葉に、短双剣を鞄に仕舞い、代わりに背負っていた剣袋から両手剣を出し始めた彼。

 ルシウスはそれを見ながら、リーベに促されるまま首から下げていた魔鉱石のペンダントを渡した。



「買いなおせばいい物ばかりだろう。潔く諦めるんだな」



 魔鉱石に生命力を込め直しているリーベの冷たい声色に、不満げな声を漏らして睨んだシュトルツ。


 こうしているといつもの変わりないやりとり。

 すぐそこまで帝国と聖国の連合軍が迫ってきているという事実の現実感が沸いてこない。



「ルシウス」



 隣から呼ばれて、目の前にペンダントが差し出されていることに気づいた。

 礼と共に受け取って、翡翠の魔鉱石へと目を落とそうとしたとき、



「今更だが、本当に大丈夫か?」



 心配そうに首を傾げるリーベに、ルシウスは手の中のペンダントをジッと見つめる。



 ――大丈夫? 大丈夫なんかじゃない。



 先頭を歩くエーレの足がピタリと止まり、二人が立ち止まったことに気づいたルシウスは少し遅れて歩を止めた。

 エーレの手は何もない空間に当てられている。結界の境目だった。



「準備はいいな? おおよその数は五千。

 この入り口が一番脆い。だが、敵がこの島の位置が特定している可能性は低い。

 隠蔽をかけて、こちらから先に仕掛ける」



 戦いながら四人分の隠蔽をかけ続ける余裕はないので、島に近づいてくれば正面突破に切り替える。

 そして数は少ないだろうが、海からの接近も推測される。その場合は三人の中で水の適性が一番高いリーベが即座に片付ける。


 正面突破時の防衛位置はエーレが適宜、’’感応’’の魔鉱石で指示を出す。

 そういう算段になった。



 彼は言い終えると、一度こちらを見てきた。



「やるって決めたんなら腹くくれ。いくぞ」



 それだけ残して、一足先に結界の外へと出ていった。

 続いたに人を見て、ルシウスはペンダントを首にかけ、ぐっと足を踏み出す。



 ――その先は広い砂浜と広がる陸地、先には緩やかな丘陵。

 空には、全てを覆うほどの雨雲が押し寄せていた。



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