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082:酒仙の大虎(side:イルザ)

 ガヤガヤと騒がしい酒場……“だったが、今は違う”。


 ハガードを連れ戻そうと言うギルバートを引き留めて。

 件の貴族の男を探す事に専念するように説得し。

 結局、何も収穫は無いまま夜を迎えて。

 我々は手ごろな酒場に入り、夕餉にありつくことにした。


 料理を注文し、飯を食べながらよく冷えた水を飲んでいた。

 そうして、運ばれてきた料理を食していた時に……“あの方はやって来た”。


 店の扉を開けた瞬間に酒場の空気は一変した。

 誰しもが一瞬だけ扉に視線を向けて、すぐに顔を元に戻していた。

 そうして、小声で話をしながら誰しもが行儀よく飯を食べて酒を飲んでいた。


 入って来た人物は周りを見渡して、私たちの姿を見つけると真っすぐに此方にやって来た。

 店主が恐る恐る近寄れば、彼女は無言で酒を要求した。

 それも一杯や二杯ではなく、あるだけの酒を持ってくるように言っていた。


『あ、あの。ですが、お客様はお一人で』

『――持ってこい』

『はははははいぃぃ!』


 店主は彼女の威圧感に負けてガタガタと震えながらも急いで酒を用意していた。

 そうして、私たちの席にどかりと座ったかと思えば。

 無言で私たちが食べていた料理に手をつけて食べ始めた。

 ギルバートは目を丸くして呆気に取られていて、レーラも言葉をなくしていた。

 私は目の前の“大物”に異論を挟む勇気が無かった。


 そのまま彼女は運ばれて来る酒を水のように飲んでいった。

 何杯も何杯も飲み続けて……気が付けば、運ばれてきた料理も皿だけになってしまう。


 山のように積み重なっ皿と器。

 そして、カウンターの奥の部屋から店主との給仕の悲鳴が聞こえてくる。

 およそ、常人が飲み干す事が出来ない量の酒を飲んでいた。

 食事を取るペースも異様に早い上に、まるで勢いが衰えていない。

 今は食事をやめて酒に集中しているが……その分、酒を飲むペースも上がっていた。


 何処まで飲むのか。

 いや、そもそも飲んだ酒は何処に消えているのか。

 そんな事を考えながら、チラリと周りを見る。


 店主の様子からして、この店に来たのは初めてだろう。

 だが、客たちは彼女の事をよく知ってそうだ。

 何名かは不思議そうに彼女を眺めて楽しそうに酒を飲んでいたが。

 仲間から警告のようなジェスチャーをされて静かにするように説教されていた。


 思っていた以上に、彼女はこの街で恐れられているようだった。

 その理由を私は何となくだか理解できていた。

 だからこそ、ギルバートやレーラほどにこの方に対して失礼な態度はとれない。

 如何に相手がどれだけ無礼な行いをしたとしても、注意するなどと言った命知らずな行動は出来なかった。


 彼女は豪快に酒を呷っていた。

 

「ん、ん、んん――かあぁぁ!」

「……おい、何時まで飲んでいるんだ?」

「も、もうこれで……多分、大樽三つ分くらいは、飲んだと思いますけど……ひぃぃ」


 目の前で美味そうにエールを飲む女傑。

 よく冷えたラガーもあるが、彼女は何故か温かなエールを好んで飲んでいた。

 酒飲みとだけあって中々に拘りがあるんだと的外れな事を思ってしまう。

 エルフの装束となる緑衣を脱ぎ、今は酒場で豪快に酒を飲んでいた。

 

 

 間違いない。

 このエルフは……いや、この方は“酒仙の大虎”だ。


 

 刃物のように鋭き青い瞳に、獣のような鋭い歯。

 酒を飲んでいる状態であろうともまるで隙が無い。

 革の鎧の下は肌が見えないようになっているが。

 細身ながら引き締まった肉体から、かなり鍛え上げられた体であると分かる。

 殺気は無くとも、人を委縮させるような空気を放っていた。


「……やはり、間違いではなかった……大虎と呼ばれ恐れられていた貴方が、このような場所にいるとは……何故ですか」

「あぁ? 何がだ、小娘」

「……貴方は現役時代は金級の実力者で、噂では白金級への昇格の話も上がっていたと聞きます……それほどの名のあるお方が、何故、有望な人材もいないような僻地にいるのですか」

「……ふ、そりゃ簡単さ……左遷されたってだけだ」

「……左遷? 何故……っ!」


 大虎は私に鋭い視線を向ける。

 それを受けた事で私は強制的に発言をやめた。

 緊張が走る中で、ギルバートとレーラは私たちに交互に視線を向ける。


「……チッ……行き過ぎた指導って言われたよ……貴族のぼんぼんをちっとばかし愛を込めて指導してやっただけさ……けっ温室育ちは嫌いだ」

「……その……ハガードは今、何処に?」

「あぁ? アイツなら私の家で寝てるよ。拳の語り合いをしてな! 顔面が二倍になっちまって治すのも手間だったぜ! そんで今は疲れ切ってぐうすかでよ、ガァガァいびき掻いてたぜ。ぎゃははは!」

「……そ、そうですか」


 彼女は得意げにハガードを痛めつけた事を語る。

 ちょいちょいと袖を引かれて視線を向ける。

 すると、ギルバートがジト目で私を見つめながら小声で話しかけて来た。

 

「……おい、こいつはダメだ。絶望的に指導者の器じゃない。俺には分かる」

「へぇ言うねぇ。なんなら、坊やにも教育してやろうか? 今、此処で」


 大虎は椅子から立ち上がる。

 ジョッキを机に置いてから、ギルバートに歩み寄っていった。

 そうして、ギルバートの傍に立ち彼を見下ろしながら、彼の頭に手を伸ばし――レーラが彼女の腕を掴む。


「……それ以上は許しません」

「……へぇ、それなら……“この次は何だ?”」


 大虎はレーラを挑発する。

 すると、レーラは手に力を込めて――瞬時に大虎は彼女の手を掴む。


「――え?」


 彼女が間の抜けた声を出す。

 私も呆気に取られて目の前の光景を見ていた。

 私たちの中で恐らくは一番身体能力が高い筈のレーラが――“宙を舞っていた”。


 赤子の手を捻るように。

 目の前の女傑はレーラの体を一回転させる。

 彼女はそのまま机に叩きつけられた。

 

 バキバキと音を立てて机が破壊される。

 そこにあった皿や器も破壊されて破片が飛び散った。

 すると、周りで静かに酒を飲んでいた人間たちが距離を離した。


「レーラ!」

「お、お客様ぁぁ」

 

 ギルバートがレーラに声を掛ける。

 店主らしき人間も慌てて駆け寄って来る。

 そうして、恐る恐る大虎に注意をするが。

 彼女がぎろりと睨めば、店主は脱兎の如くカウンターの奥に逃げ隠れた。


「そんな、どうやって……っ!」


 大虎はレーラの髪を掴む。

 ギルバートはレーラを助けようとするが。

 大虎が僅かに出した殺気で動きを強制的に止められた。

 

 大虎は強引に彼女の頭を持ち上げながら自らの顔を近づける。


「お嬢ちゃんよぉ。よぉく覚えておきな。馬鹿力振り回すだけなら獣でも出来らぁ……頭、使えや。てめぇは牛か?」

「……ッ!!」


 レーラは腕を勢いよく振る。

 が、大虎は一瞬でバックステップにより距離を取った。


 近くのテーブルに置いてあった木のジョッキを掴み。

 彼女はその中身を豪快に呷りながらけらけらと笑う。


「どうしたぁ? ムカついてんだろ。相手してやる……来なよ」

「……ッ!!」


 レーラは歯をむき出しにし怒りの形相を浮かべていた。

 今にも飛び掛かりそうな雰囲気の彼女の前に私は立ち塞がり止める。

 彼女は止めるなと私に言うが……。


「冷静になれ……此処は何処だ?」

「……っ。分かり、ました」


 レーラはハッとして周りを見る。

 酒場にいる人間たちは遠巻きに私たちを見ている。

 自分たちの所にも被害が出るんじゃないかとひやひやしていた。

 その空気をレーラは察して頭を冷やす……さて。


 人の酒を飲み続ける女傑。

 私は一歩前に出てから、転がっていた椅子を拾う。

 そうして、自らの分を置き、彼女の分を前に置く。


「座ってください」

「……それは命令か?」

「……いえ、頼みです」

「……なら、座ってやるよ」

 

 大虎は私に促されるままに椅子にどかりと座る。

 そうして、カウンターから様子を伺う店主に注文をしていた。

 彼は怯え切った表情のまま樽を開けて中身を注いでいた。

 私はそれを見てからゆっくりと大虎に視線を戻す。

 暫くの間、互いに無言のまま時が過ぎていく。

 彼女は変わらずがぶがぶと酒を飲んでいて、それを見ていたギルバートは私に質問をしてきた。


「……お前はこの人を知っているのか? 一体、このエルフは何者なんだ」

「……この人は冒険者だ。それも生きる伝説と謳われるほどの存在……“酒仙の大虎”を知らないのか?」

「酒仙の大虎……っ!! まさか、単独で上位の危険種の討伐を行ってきた、あの……?」

「そうだ……現役時代は金級の冒険者で終わっているが。その実力は間違いなく白金級であると言われていた。世界の秩序を狂わせるとされる名のある魔物に単身で戦いを挑んでは全て討伐し。特級に属する魔物との戦闘経験もあるお方だ……パーティに属していた経験もあり、そこでは指南役をしていたらしいが……兎に角、私が記憶している中で言えば、彼女は間違いなく――“最強”だろう」

「「……っ!」」


 ギルバートはようやく目の前のエルフの実力を認識した。

 レーラ自身も先ほどあしらわれた事もあり理解できたようだった。

 彼女は私が言った事を聞いていないような顔をしていた。

 ジョッキが空になり、彼女は視線を別のテーブルに向けた。

 そうして、ジッと彼女がテーブルに置かれている瓶を見つめていれば――それが勝手に動いた。


「……!」

「もぉらい」


 誰も触れていないのに勝手に瓶が飛んできた。

 彼女はそれをパシリとキャッチし、コルク事口の部分を指で弾き飛ばす。

 そうして、瓶を逆にして変わらぬ様子で飲み始める……流石だな。


 今のは恐らく、“超常”の魔術だ。

 ハガードに聞いた話では、あの闘技場でも魔術を使っていたらしい。

 それは頭の中に声を届ける……所謂、念波だが……なるほどな。


 超常の魔術が出来るのであれば、念波も可能だろう。

 幾らかの応用は必要であるが、出来ない事は無い。

 噂通り、魔術の才はかなり高く。

 それ以上に保有している魔力量も桁違いに感じる……だが、何だ?


 彼女から漂う魔力は強大だ。

 だが、私の心はそれを偽りであるように感じていた。

 まるで、漏れ出す魔力は彼女の一部で。

 本来の彼女の魔力はそれ以上に高いと言わんばかりだ……いや、それは当たっている。


 あの時の光景を思い出す。

 ハガードに対して行った事だ。

 彼はまだまだ未熟ではあるが、それでも魔力の探知に関しては並みの冒険者以上だ。

 そんな彼が一瞬だけ視線を逸らしただけで間合いを詰められた。

 あの一瞬の内に、彼女の中から溢れ出していた魔力が――“ゼロ”になった。


 どんな熟練の魔術師であろうとも。

 己の体から溢れる魔力を全て消す事は出来ない。

 それが出来るのであれば、最早その人間は死んでいるのと同じだ。

 死体同然と言ってもいいほどに魔力を消せば、気配を断つことも容易だが……彼女はそれを瞬きのまに成し遂げた。


 

 格が違う――踏んできた場数が桁違いだ。


 

 どんな経験をすれば、これほどまでの強者になれるのか。

 魔力を完全に断ち、己の意のままに操る術。

 自らの肉体を完全に掌握し、己の限界を破った者のみが辿りつける境地……敵う筈がない。


 今、こうして相対している間にも。

 私は百を超えるイメージによって彼女に勝負を挑んだが。

 その全てが悉く失敗に終わり、一瞬にして殺されるヴィジョンしか見えなかった。

 イメージでこれであるのなら、実際に戦えばどうなるかは火を見るより明らかだ。

 私は表情を強張らせながら、たらりと汗を流す。

 そんな私を警戒する事も無く、彼女はリラックスした状態で酒を楽しんでいた。


 私はゆっくりと口を動かし、彼女に対して質問をした。


「……何故、ハガードを連れて行ったんですか」


 私が質問をすれば、彼女はようやく私に視線を向けて来た。

 殺気も放っていないのに、見つめられただけで体が震えそうだった。

 まるで、目の前に特級の魔物が立っているようで……彼女は答えてくれた。

 

「……別に、最初は気に食わねぇ野郎だって思っただけさ。ちっとばかし気合を入れてやろうと思ってなぁ……だが、思っていたよりも面白ぇ野郎だった。気に入ったから、私直々に鍛えてやる事にした」

「……理由になってませんよ……もしかして、ハガードの事を」

「――知らねぇよ。会った事も無いね」

「…………そう、ですか」


 彼女は酒を飲みながら答える。

 その瞳は揺れ動いておらず。

 呼吸も一定であり、嘘をついていないように感じる。

 が、何かを隠している気がするが……いや、今は良い。


 私は姿勢を正す。

 そうして、深々と頭を下げた。

 彼女はそんな私を見ながら「何のつもりだ」と聞いて来る。


「……ハガードの事、よろしくお願いします」

「……へぇ、止めねぇのか。自分で言って何だが……私は加減を知らないぜ?」

「アイツにはそれくらいが丁度いい……アイツは強くなる事を望んでいた。此処に来るまでに多くの経験をし、何とか生き残っては来ましたが……今のままでは、アイツは保たないでしょう。体も心も……貴方ほどのお方がアイツを鍛えてくれるのなら、これほど良い巡りあわせはありません」


 私はゆっくりと顔を上げて笑う。

 心からの言葉であり、この人の事は信用できる。

 エルフとしての彼女は知っていて、冒険者としての彼女の功績も耳にしているからだ。

 私がそう伝えれば大虎は目を細めて私を訝しむように見る。

 何か気に障ったのかと少しだけ恐れていれば、彼女はびしっと指を向けて来た。


「お前……アードルングだろう?」

「……そうですが?」

「はは、やっぱりか……“アレクシア”は元気にしてっか? 堅苦しさと律儀なところはアイツにそっくりだぜ。ははは!」

「……! 母を知っているんですか?」

「あぁあぁ、勿論さ……と言っても、アイツと最後に会ったのは百年以上も前だがな……アイツ、私が家を勝手に出ていったってのに結婚式に呼びつけやがって……“叔母様が見てくださらなければ結婚など出来ませんから!”だってよぉ……本当にクソ真面目な奴だったよ」

「……ふふ、母上なら言いそうですね……そうですか。母と……という事は、我々は親戚にあたるのでしょうか?」

「んあ? あぁ……さぁな。そういうのは知らねぇよ。お前も聞いてねぇのか?」

「…………私も訳あって家を飛び出したので」


 私は濁すように言う。

 恐る恐る大虎を見れば――彼女はニッと笑う。


 椅子から立ち上がり、私の傍に立ち肩を組む。

 そうして、ゲラゲラと笑っていた。


「んだよぉ! お前もかぁ!? ははは!! よりにもよって、あのアレクシアの娘がねぇ! こりゃ傑作だ! 気に入った! お前、名は何だ?」

「……イルザです。イルザ・アードルングです」

「イルザ! イルザだな……うし、覚えた。任せろ任せろ! あのへにゃちん野郎は私が責任もって強くしてやる。そうだな、ざっと計算して――“一月”だ!」

「……! たった一月で、強くなれるのですか?」

「あぁ二言はねぇよ。一月もありゃ、アイツを銀級……いや、金級にも負けないほどに強くしてやらぁ! 大船に乗った気でいな! はははは!」


 大虎は大きな声で笑っていた。

 豪快に空になった酒瓶を放り捨てる。

 そうして、店主がびくびくしながら運んできたジョッキを奪い取り私に差し出す。


「酒だ! 樽ごと持ってこい!」

「え、いや、そ、そのぉ」

「――行け」

「は、はいぃぃただいまぁぁぁ!!」


 店主は敬礼してから走っていく。

 大虎は私に視線を向けてぐいっと行くように促す。

 私は言われるがままに、貰った酒に口をつけた……美味い。


「はは、良い飲みっぷりだ……改めてだ。私はディアナ・アンカー。元冒険者で、今は若手冒険者の指南役だ……ま、今は受け持っている生徒はお前の相方だけだけどな! ははは!」

「よろしくお願いします……お前たちも挨拶をしろ」

「あ、あぁ……ギルバートだ。こっちはレーラだ」

「よ、よろしくお願いします」

「おうおう! よろしくー……で、だ。私もちっとばかし聞きてぇんだが……何で、サボイアに来たんだ? ん?」


 彼女は再び対面の椅子に座り質問する。

 そんな中で店主が台車に載せて酒樽を持ってきた。

 彼女は無言で酒樽の蓋を叩き割り、転がっていたジョッキで中身を掬い飲む。


「……天空庭園をご存じですか?」

「……あぁ、知ってるぜ……まぁ、だろうと思ったけどな」

「……?」

「あ、わりぃ。こっちの話だ……で、天空庭園に関係する何かがあるからサボイアに来たって事だな? 話してみろよ」


 私は念の為、ちらりとギルバートを見た。

 彼は静かに頷いていた。


「……天空庭園に関係する書物が此処にあると聞きました。が、それは既に売却済みで、この地に住む軟派な貴族風の男が買ったという情報だけで……それと、探求者と呼ばれた伝説の冒険者エイブラハム・ミューアが書き残した記録書にてこの地で天空庭園に繋がるものを発見したと記載があったので……どうかされましたか?」


 私が説明をすれば、アンカーさんは少し目を細めた。

 が、一瞬だったのでどんな感情だったかは分からない。


 「……いや、何でもねぇよ……大方、その何かってのは分かってねぇんだろ? 悪いが、私もそんなもんに見当はねぇからよ……ただ」

「……ただ?」


 アンカーさんは酒を一気に飲む。

 そうして、豪快に息を吐いてから口元を拭う。


「……軟派な貴族で、変わったものが大好きな変人だったら知ってるぜ? そいつ、本を集めるのも趣味だって抜かしてたからよ」

「それは本当ですか? 何処に行けばその人物に会えますか?」

「……まぁ何処にって言ったら……マルケッテだったら、丁度明後日に来るだろうな。夜に西側にある高級クラブ“銀の蝶”に行け。そこで、“カミロ・エスピノ”って男を探せ……ほら、これ持ってけよ」

「……これは?」


 アンカーさんはポケットから何かを出す。

 それは変わった形をしたアクセサリーだった。

 上から見れば、見た目は蝶のようにも見えるが、角度を変えれば人が微笑んでいるようにも見える。


「それはそのクラブでの会員証みてぇなもんだ……昔、助けてやった奴がもういらねぇからってそいつを渡してきたんだが……私は出禁にされちまっていけねぇからやるよ。どっかで高値で売れねぇかと持ってたが。イルザが必要ならくれてやる。泣いて喜びな!! ぎゃははは!」

「…………ありがとうございます」


 間を開けて礼を言う。

 思わず気になって出入り禁止になった理由を聞きそうになってしまったが。

 絶対に碌な話ではないのでぐっと堪えた。


「ま、テメェらはテメェらでその空中庭園の事を探しておけよ。あの男は私が責任を持って預かってやっからよ」

「……殺すなよ?」

「ははは! ……ぎゃははは!」

「「「……」」」


 ギルバートが釘を刺すが。

 彼女は笑うだけで否定も肯定もしない。

 私たちは急に不安になったように黙る。

 彼女は空気が一変したのも無視して酒を飲み続ける。

 

「……あ、あの……かなり飲んでいますけどぉ」

「あぁ? 心配ねぇよ。このくらい水みてぇなもんだ」

「い、いえ、そうじゃなくて……お金、持ってるんですか?」

「レーラ、失礼だぞ。仮にもこの方は「あぁ? ねぇよ?」……え?」


 私は思わず間抜けな声を出してしまう。

 彼女はケラケラと笑いながら「ツケだ!」と言い放つ。


 私はゆっくりと店主の方に視線を向ける。

 彼は血の涙を流しながらジョッキを洗っていた……う、うぅ。


「……俺が払おうか?」

「……気持ちだけ受け取っておく……ハガードを強くしてもらうんだ……このくらい、払うさ」

「……な、何だか。すごい形相でそろばんを弾いてますけど?」

「…………」


 鬼の形相でそろばんを弾く店主。

 恐らくは、飲み干した酒代に加えて店の修繕費も入っているんだろう。

 今まで冒険者として蓄えていた金はあるが。

 それが一気に減る予感がして胃がキリキリと痛みを発していた。

 腹を摩る私など見えていないアンカーさんは追加の酒を店主に要求する。


 私は益々胃を痛くしながら。

 此処にはいないハガードが強くなってくれる事を……“心から”願った。

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