072:最期の嘘(side:ギュンター)
今日の空は……少しどんよりとしている。
服越しに感じるほのかな熱。
夜であってもこの国は温かい。
日が出でいれば肌を焦がすほどの灼熱で。
夜になれば体を温めるほどの熱を感じる。
この国は平和だ。
魔物は人を襲わず、人は人を飼っている。
全ての事が金で解決し、全ての理不尽が金で作られて行く。
誰かの命を奪っても、金があれば罪にはならない。
金が無ければ、何もしていなくとも罪になる。
この国は至ってシンプルだ。
弱肉強食ではない。
財の無いものがすべからく食われるだけだ。
弱さも強さも関係なく……ある意味で美しくは思う。
人々は富を求めるんだ。
自らが食われない為に多くの財を成そうとする。
その結果、この国では善悪の判断が曖昧になってしまった。
法律も無力であり、自然と金を多く集めた者が支配者となってしまった。
王もそうだ。
金のある者を第一と考えて。
利益にもならない者は奴隷以下であると考えているんだろう。
命すらも金として換算し、自国で蓄えられる金に頬を綻ばせる。
金だ……金、金、金……もう、うんざりだよ。
金なんていらない。
金なんて多くあっても意味が無いんだ。
金は何の為にある。
金は何を守る為に存在するんだ。
家庭や愛する人、大切な品に思い出の場所。
人々が大切に思う何かを守る為に金はある。
守りたい物の為にお金を使うからこそ価値があるんだ。
この国の人間たちはその本質を見失ってしまっている。
何とかしたかった。
彼らの心を変えたかった。
でも、結局は僕もそちら側の人間だったんだ。
愛する二人の為に、僕は悪魔と契約した。
多くの金を受け取り、その金で僕は二人を幸せにしようとしてしまった。
きっと二人は気づいていた筈だ。
その金がしてはいけない事で稼いだ汚れたものであると。
……それは僕の罪だ。二人に真実を明かす事無く……大切な二人の心を欺いた僕の罪だ。
彼には契約した事は後悔していないと言ったが。
アレは嘘であり、本当は悔やんでいた。
ずっと後悔していた。
ずっとずっと心で泣き叫んでいた。
すぐに首を切り、命を断とうともした。
けど、僕は命を絶つ勇気すら無かった。
……でも、それも終わりだ……彼のお陰で僕はやっと“目覚めた”。
僕が出来なかった事を彼はしたんだ。
きっと彼も薄々は気づいていた筈なんだ。
それでも彼は子供たちを助けて、真実を打ち明けても止まらなかった。
この広い世界にもいたんだ。
僕を救ってくれた人たちのように、高潔な魂を持つ人が。
僕は憧れていた。
誰かを救い、誰かの笑顔を見られる存在に。
今まで多くの人の怪我や病を治した。
彼らは僕に感謝してくれていた。
でも、裏でマレファルたちへと協力をしていた僕はそんな笑顔を直視できなかった。
感謝の言葉は自らを責める声に聞こえていたんだ。
……ありがとう、ハガード君……君のお陰で、僕はようやく恩人たちに報いる事が出来る。
もう二度と嘘をつかない。
彼への言葉が最後だ。
此処から先は僕だけの道で――“最期の反撃”だ。
「……」
風が優しく吹く。
飛ばされそうになるフードを抑えながら、僕は迷う事無く足を進める。
皆が寝静まった時間。
僕は一人で外を出歩いている。
こんな時間にマルケッテで出歩くのは危険だが。
慣れている人間であれば、近寄ってはいけない場所くらいは分かる。
そこを避けながら、僕は道を進んでいく。
歩いて、歩いて、歩いて……僕はゆっくりと足を止めた。
視線を向ければ、僕の診療所のように木材で作られたそれなりの広さの家が建っていた。
周りからは浮いており、探す時に迷う事が無いのが木造のメリットの一つだ。
僕は扉へと近づいて軽くノックをする。
が、返事は返ってこない……はぁ。
ノブに手を当てて回す。
すると、扉は何の抵抗も無く開く。
彼女は鍵を掛けるという習慣がない。
だからこそ、此処へと移り住んできた時はよく泥棒に入られていた。
が、彼女は引退したとはいえ元冒険者で。
泥棒に負けるような柔な鍛え方はしていない上に、彼女の家は色々な仕掛けがある。
家の中に入れば、中から音が聞こえる。
いびきのようであり、恐らく彼女は眠っているのだろう。
自分は高貴な生まれであるなんてよく言っていたが、このいびきのせいで彼女の話は全く信用できなかった。
僕は小さくため息を吐いて、扉を閉めて念のために鍵を掛ける。
そうして、奥へと進もうとして、足を壁沿いの方に向けた。
中心の床板はスイッチのようになっている。
もしも、それを踏んでしまえば仕掛けが作動し。
侵入者はそのまま魔術によって体を石化させられる。
「……」
壁沿いを数歩歩く。
そうして、壁に立てかけてある子供の落書きのような絵に触れる。
人の顔の面部分に指を入れればかちゃりと音がした。
すると、見えない探知用の結界魔術が切れたのが分かった。
これを気づかずに作動させれば、壺や置物の中に仕込んだ毒ガスが一気にこの部屋に充満する。
逃げようとしても、これが発動した時点で扉は自動的にロックが掛かり。
奥の部屋に逃げ込もうとしても、その扉自体もロックが掛けられてしまう。
何処にも逃げ場は無くなり、そのまま毒ガスを吸い込んでしまえばその人間は狂ったように笑い続ける事になる。
死にはしないけど十時間以上も笑い続ければ流石に拷問だと思う。
彼女はそんな盗人を私の診療所へと運んでは置いていって後は任せたと言う事もしない……本当に困った人だよ。
彼女との付き合いは長い。
初めて会った時から彼女は酒瓶を片手に持っていた。
何時も何時もお酒ばかり飲んでいて。
喧嘩ばかりの毎日だった気がする。
そんな彼女ではあるが、引退しながらも冒険者としての自分を活かす職についている。
組合で若い冒険者たちの指導などを担当しており。
彼女の地獄のようなしごきを耐えた冒険者たちは今ではそれなりに名の通った存在になっているようだった。
彼女はそんな自慢話はしないけど、ちょくちょく彼女の教え子が彼女を尋ねているのは知っていた。
少し気になって調べてみれば、銀級の冒険者であったりして……ちょっと驚いたね。
トラップを避けて奥の部屋に続く扉の前に立つ。
僕はゆっくりとノブへと手を伸ばし――そのままその横の壁に手をつく。
手を少し強く押せば、壁の一部が奥へと入る。
そうして、ガチャリと音がしたと思えば反対の壁が回転した。
僕はその回転に合わせるように体を滑り込ませた。
そのまま回転を待てば、ようやくいびきの発生源である部屋の中へとたどり着く。
「がぁぁぁ……がぁぁぁ……がぁ!」
「……はぁ」
やれやれと頭を振りつつ、僕は足を動かす。
部屋の中はそれなりに広いが。
そこら中に空の瓶や樽が転がっていた。
この部屋の中からはアルコールの臭いが充満していて。
此処にいるだけでも酔ってしまいそうな気分だった。
ソファーの上で酒瓶を抱えながら横たわる女性が一人。
元々は綺麗な金髪だったであろうそれは寝ぐせによってぐちゃぐちゃになっていた。
長い耳はエルフの特徴であり、彼女は自分自身が高貴な生まれなどとほざいていた。
肉付きは良く、酒やら食事やらを漢にも負けないほどに喰らうはずなのに。
彼女のプロポーションは完璧であり、黙っていればナンパされるほどらしい。
身長は百七十ほどだったか、今の仕事を辞めたらモデルになろうとも言っていた気がする……はぁ。
今の格好は仕事の服装だろうか。
動きやすい革の防具を纏っている。
胸当てや腰巻であり、腕当てやグリーブはつけておらず無造作に床に転がされていた。
衣服が乱れておりへそが見えていて、見ようによっては煽情的な格好なのだろう。
でも、自分自身が男であろうとも彼女に対してだけは邪な感情は芽生えない。
僕はただただ目の前の残念なエルフを可哀そうなものを見る目で見つめる。
「……いや、今日はそんなのは良いんだ……ディアナさん、ディアナさん」
「がぁぁ……ふがぁ! あ、あぁ……あぁ? 何でいんだよ」
「用があるから尋ねたんですよ……そんな事よりも、身だしなみを整えてくださいよ」
「あぁ? いきなり押しかけて身だしなみだぁ……ふん、別に私は何処を見られたって恥ずべきものはねぇんだよ」
「……いや、少しは恥じらってくださいよ……はぁ」
彼女は僕の手を軽く払う。
そうして、どかりとソファーの上で胡坐を掻きながら持っていた瓶のコルクを歯で抜き取り。
それを口で吹き飛ばし、瓶を傾けて中身を飲んでいた。
男よりも男らしい飲みっぷりに恐れおののきながらも、僕はハッとして用件を伝える。
「頼みごとがあるんです。依頼と言ってもいいです。お金は今払うので」
「――断る」
「……まだ何も言っていないんですが……理由を聞いても?」
僕は恐る恐る彼女に理由を聞く。
すると、彼女は口元を拭ってから目を細めて僕を見つめる。
「何となく、だな」
「……何となくって……気分で決めないでくださいよ。僕はそれなりに誠意を見せるつもりで此処に来たのに」
「甘いな。冒険者の気分ってのはいろんな事に関わる。気分が乗らねぇのに仕事なんざ出来やしねぇよ。絶不調で敵と戦って百パーセントの力が発揮できるか? 私はそんなリスクは冒したくないね」
「……貴方の言う事なら、本当にそれは正しい事なんでしょう……でも、今回だけは僕は引きません」
「へぇ、坊やが私に歯向かうのか……まぁ話くらいなら聞いてやるよ。そこまでして、私に何をさせたいんだ?」
彼女は少しだけ気分を良くしたようで僕に話すように促す。
促してはいるけど、酒はずっと飲んでいるのはどういう事なのか……いや、今はいいか。
「……明日、闘技場にて戦う青年……彼の手助けをして欲しいんです」
「……そいつはお前の何なんだ」
「何でもありませんよ。今日会ったばかりなのでね。無理に言うのであれば、僕が彼に“責任を押し付けた”という事ですね」
「……お前、もしかして……はっ、なるほどな。覚悟を決めたって事かよ……尚更、受けたくねぇな」
彼女はごろりと体を横たわらせる。
此方に顔を向ける事無くそのまま寝ようとしていた。
元金級の冒険者であれば、短い会話のやり取りでも大体の状況を察せるのか。
彼女は僕の覚悟を確認し、この依頼を受ずに僕を帰らせようとしていた。
こうなってしまえば本来であれば彼女はてこでも動こうとしなくなる。
だからこそ、僕は彼女が動いてくれるように誘導する。
「……もしも、貴方がのこの依頼を受けてくれなければ……彼は死にます」
「はっ、関係ないね。私は会ってもいないガキが死んで悲しむような繊細な女じゃないんでね」
「そうですね。貴方はそういう人だ……でも、彼が死んだら貴方は悲しむでしょうね」
「……あぁ? どういう意味だ」
彼女は少し興味が引かれたようで此方を見ようとしていた。
僕は小さく笑いながら、彼女が昔聞かせてくれた話を聞かせる。
「貴方と共に戦っていたという冒険者の男……名は確か、“ジョン・カーバー”でしたか」
「……あのクソ野郎が何だ。まさか、アイツが此処に来たって言うのか? はっ! アイツはとっくに死んでるよ。最後の手紙で一方的に私との縁を切りやがったんだ。それとも何かい? アイツと瓜二つの男だったなんて陳腐な」
「――ルーク・ハガード。彼はそう名乗っていました」
「………………嘘、じゃねぇな」
彼女はぴくりと耳を揺らす。
そうして、ゆっくりと体を起き上がらせた。
殺気を静かに放ちながら僕を見つめる彼女は歴戦の猛者の目をしていた。
嘘を言えば幾ら知り合いと言っても殺されていたかもしれない。
それほどまでに、ジョン・カーバーに関わる人間の名前は気安く言えるものじゃない。
彼女は暫く僕を見つめていた。
そして、軽く舌を鳴らしてから頭を掻く。
「どうして、アイツに関わる奴は碌な生き方をしねぇんだ……クソ、あの世でアイツに会ったらこの借りを請求してやる」
「では、受けてくれるんですね?」
「……受けてやるよ。どうせ、此処で私が断わっても……アンタの“運命”は変わらねぇんだろう」
「……そこまで理解しているなんて……やっぱり、貴方を頼って正解でした」
「けっ、まだ結果がどうなるかも分かってねぇのに……飲めよ。私からの餞別だ」
彼女は飲みかけの瓶を僕に渡す。
僕は苦笑しながら、選別が飲みくさしなのはどうかと伝えた。
彼女はにやりと笑いながら「美女との間接キスだ。泣いて喜べや」と言う……本当に、変わらないな。
僕はそれを受け取って一気に飲む。
中身をぐいっと飲み干して熱い吐息を零す。
口元を拭ってから、心の中から沸き上がる高揚感に頬を緩める。
彼女に礼を言って瓶を返せば、彼女はジト目で「全部飲むなよ」と呟く……餞別?
僕がジッと彼女を見つめていれば、彼女は立ち上がる。
そうして、転がしていたグリーブなどを取って装着していた。
ばさりと樽に掛けていたローブを取って羽織る。
さっきまではただだらしなく、酔っぱらいにしか見えなかった彼女が。
今では一流の冒険者の風格を出している。
彼女は腰に愛用の剣を装備し、他の装備なども軽く確認していた。
そんな彼女の背を見つめながら、僕は「もう行くんですか」と問いかける。
「あぁ明日だったら、今の内に潜り込んでおかねぇんとな……安心しな。一度受けた依頼は死んでも成し遂げる……それが私のポリシーだ」
「……ふふ、そうでしたね……ありがとう。“最期に”貴方と話が出来て良かった」
「……私もさ。アンタの手はどうしようもなく汚れちまっていたが……アンタのその誠実さは、結構、気に入ってたぜ」
彼女は此方に振り返ってにかりと笑う。
そうして、彼女は何も言う事無く窓を開けてそこから出ていった。
僕は立ち上がり、窓へと近寄って外を見る。
彼女は風となり夜の街を駆けていく……これで、安心した。
彼に押し付けてしまった“責任”。
これから僕が行う“贖罪”。
彼だけは絶対に死なせてはいけない。
僕は覚悟を決めた。
迷いはない、後悔も無い。
僕は十分なほどに生きられた。
愛する人を見つけて、そんな人たちが幸せに旅立っていく姿を見られた。
彼らの優しさを裏切り、悪事に手を貸すの事はもうしたくない。
これ以上、彼らとの思い出の場所を穢したくはない。
これ以上、彼らの想いに背く事はしたく無い。
窓を自然に閉じられた。
風は止んで、音は何も聞こえない。
ただ自分の心臓の鼓動が激しく高鳴っている音が伝わっていて――
「ごめんなさい……もしも、会えたら……先ずは謝りたいな」
夜空に浮かぶ月は雲に隠れていた。
そんな月を見つめながら僕は微笑んでいた。




