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071:過去の罪、未来の裏切り

 マレファルからルールの説明を受けた。

 その後にすんなりと別れた俺たちはすぐにギルバートの元へと戻った。

 彼らを連れて一度宿屋へと戻り、俺たちは必要な準備を進めた。

 約束の日は明日であり、これから出来るような事はほとんどないが。

 それでも何もしないよりはマシだった。


 剣を研ぎ、鎧を見てもらい小さな傷であっても直し。

 当日に使う事になるであろう身体強化用のポーションも調合した。

 そして、あらかたの準備を終えれば時刻は既に夜になっていた。

 俺はアードルングに二人の事を任せて別れて……また、診療所へと戻って来た。


 バリーとコリーは眠っていた。

 ヘザーだけが起きていて、俺は彼女に会って説明する。

 彼女は俺の説明を聞くにつれて目を大きく見開いていった。

 

「――という事で、俺は明日、闘技場に出る事になった」

「……お前、何、言ってんだ? ……ふざけているのか、おい」


 ベッドに横たわるヘザーに報告する。

 彼女は信じられないと言った様子で俺を見ていた。

 俺は言う事は言ったからと席を立つ。

 すると、ヘザーは必死に俺を呼び止めて来た。


「……つぅ!」

「動くなよ。大丈夫だ。俺は死なねぇよ……それよりも、爺さんが帰って来るまでに何をしたいか考えておけよ」

「勝手に、決めやがって……それで、私たちが、感謝するとでも……っ」

「要らねぇよ。感謝されたくてやる事じゃねぇ。これは俺の我が儘だ……だから、何があってもお前たちは関係ねぇ」


 俺はそう言って部屋から出る。

 扉を閉めれば中で啜り泣くような声が聞こえていた。

 それは嬉しいから流す涙が。それとも、自分たちの無力を呪う涙か。

 

 視線を横に向ける。そうして、俺は笑みを浮かべながら感謝を伝えた。


「……ありがとよ。おっさ……いや、先生」

「……入ってください」


 治癒師の先生は奥の扉を開けて待っていた。

 俺は言われるがままに中へと入る。

 そこは診察室であり、棚には薬品が入った瓶や分厚い本などが入れられてあった。

 彼は俺に座るように促し、俺は彼の対面に座る。

 横の机を見れば、コップが置かれていて中には水が入っていた。


「すまないね。水しか無いんだ」

「あ、いや、ありがとう……で、何か言いたい事があるんだろ?」

「……盗み聞きする趣味は無いんだが……本当に君は闘技場に出るのかい?」


 彼は不安げな表情で質問してきた。

 俺はその質問に対してただ静かに頷いた。

 彼は小さくため息を零してから、くいっと眼鏡を上げる。


「……あそこは、君が想像するような生易しい場所じゃない……あそこには罪人も殺人鬼もいない。ただ理由があって戦わざるを得ない人間たちが集まるんだ……最近ではもっと悪趣味な催しを始めてね。恐らく、君をそれに参加させるつもりなんだろう」

「悪趣味な催しって……人同士の殺し合いよりもおぞましい事があるのかよ」

「……人間の欲には際限がない。彼らは人同士の殺し合いでは満足できなくなった。だからこそ――魔物を使う様になったんだ」


 先生はコップを両手で持ち重い口調で語る。

 人が調教して手懐けた魔物を使って闘技場内にて戦わせる。

 彼らは一方的に闘技者が殺される様を見る事を楽しみにしていた。

 手足を食いちぎられて、生きたまま食われる様が見たいらしい……狂っていやがる。


「……狂っていると思うだろ? でも、彼らは至って正常だ……安全な場所で、人が必死に足掻くさまが見たいだけなんだ。人間と言うのは本来、そういった残忍な一面を隠し持っている……僕はそんな人たちとは関わりたいとは思わないけどね」


 先生はぐいっと水を飲む。

 そうして叩きつけるようにコップを机に置いた。

 彼は空のコップを見つめながら、静かに言葉を発する。


「……トーマス」

「え?」

「僕の名前だよ……トーマス・ギュンターだ。もしかしたら、このまま僕たちは一生会えなくなるかもしれないからね」


 彼は寂しそうに笑う。

 その言葉の意味は分かっている。

 が、彼は決してそれを諦めのように口にした訳じゃない。


「……ルーク。ルーク・ハガードだ。俺は死なねぇよ、ギュンターさん」

「分かっているよ……僕にも責任があるからね。このまま君をむざむざ殺させはしない……僕に考えがある」

「……それは一体……?」


 彼は掌を俺に向ける。

 何も喋るなと言いたいんだろう。

 彼は薄く笑みを浮かべながら静かに頷く。


「今は何も言えない……でも、その時になれば分かると思う。絶対に諦めないで、僕から言えるのはそれだけだ」

「そっか……分かった。信じてるぜ」


 俺はそう言ってコップを取り一気に水を飲む。

 水はぬるかったが、とても美味しく感じた。

 俺がギュンターさんに礼を言えば、もう帰るのかと聞いてきた。


「……そうだな。三人には宿屋に帰ってもらって明日までに準備を進めてもらうけど……わりぃけど。今日は此処に泊っても良いか?」

「……彼らの事だね。勿論、良いよ……それなら、アレを振舞わざるをえないかな」

「……? アレって?」


 ギュンターさんは立ち上がる。

 そうして、薬品の入った棚の方に行く。

 そこにある中で一番危険そうな印が入れられた瓶を手に取ったギュンターさん。

 彼はあろうことかそれを持って来て栓を取り、コトコトと空のコップに注ぎ始めた。


「え、いや、待て待て待て――お、おぃ!?」


 ギュンターさんは注がれた薬品を一気に呷る。

 俺は彼が自暴自棄になったのかと大いに焦った。

 が、彼の表情を見てそれが喜びに満ちている事と少し頬が赤かったのが分かって……まさか。


「……ふあぁ。やっぱり、こういう時にはこれが良いね……あぁごめんごめん。これはお酒だよ。盗まれないように誰も取らないような劇薬の瓶に偽装していただけだよ」

「……治癒師ってとんでもねぇ事を考えるんだな。間違ったら死ぬぞ?」

「はは、幾ら何でも僕たちはそんな初歩的なミスはしないよ。もし、間違ったとしても臭いですぐに分かるしね……君も飲むかい?」

「いや、俺は……」


 俺は飲むのは控えようとした。

 もしかしたら、マレファルの部下が襲撃してくるかもしれない。

 そうなれば酔った状態で全力で戦える筈もない。

 今日泊まるのは彼らの安全を守る為で――彼は俺のコップに酒を注ぐ。


「身構えなくたっていいい。あの悪魔は残忍非道ではあるが……契約を破るような事は絶対にしない」

「……何で分かるんだ?」

「……そうだね。僕もあの男と昔、契約をした事があったからね」


 ギュンターさんはそう言って悲し気に笑う。

 俺はそれが何の契約なのか知りたかった。

 が、聞いていい事なのかと躊躇ってしまう。

 すると、彼は俺の心を感じ取ってくすりと笑う。


「……簡単な契約だよ。此処で診療所を開かせて貰う代わりに、彼に協力する契約さ」

「診療所を開く事を契約にしたのか? でも、何でそんな事を」

「……僕はね。元々は奴隷だったんだ。それもひどい主の下で碌な賃金も無しに働かされていた……飯も腐ったパンが一切れと濁った水で、体だって満足に洗わせてはくれない……最悪な毎日だった。ミスをすれば鞭で仕置きをされて、仲間が逃げ出そうとすればそんな仲間に鞭を打たされて……そんな毎日が嫌でね……僕は“主人を殺した”」

「――え?」


 ギュンターさんは思いもしない事を言った。

 彼は俺に視線を向けて「軽蔑したかな」と聞いて来る……っ。


「……それ以来、僕はお尋ね者さ。元々はオベリッシュで暮らしていたけど。何とか此処まで逃げてきて、何でもいいからと雇ってもらった場所が年配の老夫婦が営んでいた小さな診療所だった……そこで僕は必死に勉強して、治癒師に必要な技術と魔術を学んだ。幸いにも才能はあったみたいなんだけど……でも、過去っていうものはそう簡単には変えられない」

「……国への登録か。誤魔化せなかったんだな」

「……そう、僕は人殺しでお尋ね者だ。そんな人間が資格を得ようとすれば、嫌が応にも調べられてしまう。そこで僕の過去が知られてしまえば、僕はすぐに捕まりオベリッシュに戻されて、そのまま裁判をして……最悪、死刑だ」


 彼はことことと酒を注ぐ。

 そうして、それをちびちびと飲んでいた。

 俺はそれをジッと見つめる事しか出来ない。


「……でも、そんな事はどうでもいい。僕はただ……恩返しがしたかったんだ」

「……その雇い主にか?」

「あぁそうだ……彼らは本当に優しかった。明らかに真っ当な道を歩んでこなかったような僕を診療所に迎え入れて、本当の子供のように接してくれた。服を買い与えて、生きる為に必要な知識を教えて、誕生日を祝ってくれて……彼らへと恩を返すまでは死ねないと思ったんだ。だからこそ、僕は藁にも縋る思いであの悪魔と契約をした」

「……どうして……治癒師じゃなくても、他の道だって……」

「……それしかなかったんだ。彼らは診療所を僕に継いで欲しいと心から願っていた。親の代から受け継いできたものだからこそ、子宝に恵まれなかった彼らは僕だけが希望だったんだよ……奴隷ではダメで、養子縁組をしようにもこの国ではそうなるような子は奴隷にされてしまう……仕方なかった、それだけさ」


 彼は笑う。

 だが、それは喜んでいるから笑っている訳じゃない。

 悲しみに満ちた笑みだった。

 俺はその表情を見て思わず口に出してしまう。


「――二人は、今は?」

「……亡くなったよ。二人共、同じ年にね……僕が治癒師の資格を得て診療所を引き付いだ三年後にね……嬉しそうだったなぁ。本当に、もう悔いはないって顔をしてさ……あんな顔、今までされた事無かったよ」


 彼は笑う。

 その笑みは先ほどのような悲しみに満ちたものじゃない。

 心から嬉しかった事を語っている時の笑みだった。


「……契約を結んだ事は後悔していないよ……そのお陰で、僕は二人に恩を返せたから……でも、これ以上は自分の心に嘘はつけない。僕と同じ境遇の子供たちを、これ以上不幸にさせる事を見過ごす事はしたくない……ハガード君、僕からもお願いする。どうか、生きて帰ってきてくれ。そして、彼らだけでも幸せにして欲しい」

「……ギュンターさん」


 彼は頭を深々と下げる。

 俺はそれをジッと見つめて――にかりと笑う。


 胸をどんと叩き俺は宣言した。


「任せてくれ! 俺は生きる事は大得意だからよ! 必ず帰って来て、アイツらと爺さん再会させてやる!」

「……そうか。うん、それなら安心だ……僕も君を信じているよ。君ならきっと……さぁ飲もう!」

「え、いや、だから俺は……あぁもう!」


 俺はギュンターさんに勧められるままに酒を呷る。

 彼は嬉しそうに笑っていて、もっと飲むように俺に促す。

 俺は彼からの酌を受け入れて更に酒を飲む。


「後悔が無いように、“最期を楽しむ”ように……かな」

「……? 何か言ったか?」

「ん? いや、何も言ってないよ……さぁさぁどんど飲もう。勿論、明日に差し支えない程度にね」

「……治癒師ってのは酔いの具合も精確に分かるのか?」

「ふふ、そうだよ。何せ、人体を知り尽くしているからね……君の場合は、一瓶飲んだって問題なさそうだけどね」


 彼はそう言って笑っていた。

 俺もつられて笑い、二人で楽しく酒を飲む。

 明日は恐ろしい魔物と戦わされるかもしれないのに、だ。


 イカれているのか、諦めているのか――いや、違う。


 俺は生きて帰ると彼に約束した。

 そして、彼は俺を心から信じてくれていた。

 だからこそ、不安も恐怖も無く彼は俺を送り出そうとしてくれていた。

 治癒師だから分かるんだ。

 此処で気を引き締めさせたとしてもいい結果を齎さないと。

 俺なんかよりもずっと年上で、俺なんかよりも苦労をしてきた大人だ。

 彼にとっては俺は子供であり……だからこそ、辛いんだ。


 自分の手ではヘザーたちを救えない。

 俺なんかを頼らなければいけない。

 自分自身の不甲斐なさが堪らなく辛いんだ。


 俺は何も言わない。

 彼は自分が出来る事をしようとしてくれている。

 このまま何もせずに闘技場に行けば、十中八九俺は殺されるだろう。

 そうならない為に、彼は手を打とうとしてくれていた。

 それだけで十分であり、俺も彼を信じている。


「……あのさ! もしも、帰ったらさ……その二人の事、教えてくれないか?」

「……今じゃなくていいのかい?」

「今はダメだ。依頼を果たした後の――報酬だからな!」

「……ふふ、あぁ。勿論、いいよ。君が飽きるまで、彼らの事を話そう……約束だ」


 彼は笑う。

 その黒い瞳には俺が映っていた。

 が、何故だろうか。

 彼は俺ではない“誰か”を見ているような気がした。

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