070:人の尊厳
一度宿屋へと戻り、必要になる金を持って宿屋を出た。
アードルングは武器を持って行こうとしていたが。
それは危険であると伝えて、俺たちは戦闘具は一切持たずに出発した。
治癒師のおっさんから渡された地図を頼りに歩く。
示された座標はマルケッテの中心地に近い場所を示していた。
俺たちはまだ此処には詳しくはなく。
近くまで来て歩いている人間にこの場所について聞けば、彼らは皆一様に不安げな顔をしていた。
中には足早に逃げていく人もいて、それだけマレファルという人物は恐れられているんだろう。
暫く歩き続ければ嫌でも目に入る建物が見えて来た。
恐らくはそこであり、俺たちは門の前に立ちながらその大きな建物を見つめた。
「……此処か」
「……だが、すんなりと入れるか」
マルケッテの中心地に近い場所にある屋敷。
他の家屋とは違うのは明らかにこれは金を掛けて作られている事だろう。
立派な庭に鉄柵の門に白塗りのお屋敷で。
明らかに貴族のような人間が住む場所であると分かる。
俺たちはその前に立ちながらジッと俺たちを睨んでいる門番を警戒していた。
来たのは良い。
だが、俺たちはマレファルとは何の約束もしていない。
いや、それどころか場合によれば奴の逆鱗に触れる恐れもある。
部外者をすんなりと入れるとは思えない上に、俺たちは冒険者だ。
もしも一目で戦闘経験のある人間であると知られればそれだけで警戒心を与えてしまう。
……なるべく穏便に、なるべく波風を立てないようにだな。
戦いに来た訳じゃない。
話をして金を返し、奴らの元から爺さんを救い出すんだ。
そうして、ヘザーたちも自由にして……ただ、それだけだ。
「……よし」
俺は気を引き締める。
そうして、俺たちを睨んでいた槍を持つ門番の一人に声を掛けた。
すると、奴は悩む間もなく槍を俺たちに向けて来た。
「おいおい! 俺たちは敵じゃねぇよ! 金をマレファルさんに返しに来たんだ!」
「……名前は」
「……俺はハガード、こいつはアードルング……俺たちは代理だ。ヘザーとコリーとバリーのな」
門番は俺たちの名を聞き考えていた。
そうして、構えを解いてから何もしないように俺たちに言う。
俺は静かに頷いてからその場で立っていた。
奴は門の近くにあった縦長の箱状の建物の中に入る。
中から何か音が聞こえて……話し声か?
中に誰かがいるのか。
いや、あんな狭い空間で二人もいたら窮屈だ。
考えられるとすれば、あの組合支部で見た魔石を使った道具だが……やっぱり只者じゃねぇな。
裏社会に生きるだけはある。
悪事を働いて稼いだ金でこんなデカい屋敷を立てたんだ。
魔道具だってそりゃ持っているだろうさ……けど、何でそんな大物がたった一人の爺さんなんかを……。
ジッと待っていれば、建物から門番が出て来た。
奴は槍を再び持ってから顎を動かして中に入るように促す。
すると、それと同時に門が独りでに開き始めた。
案内はしてくれないようだが……まぁいいさ。
「行こう」
「……あぁ」
俺とアードルングは屋敷へと向かって歩き出す。
庭の中へと入れば、門はまた勝手に閉まっていった。
見れば、門の両側には屈強な男たちが立っていた。
その首には首輪が嵌められていて、こんな炎天下の中で奴らは単純な作業をする為にこき使われていた。
無駄のように思える事でも奴隷を使うのは富を表す為なのか。
それとも、単純に人をこき使う事に喜びでも見出しているのか……何方にせよ碌でもねぇな。
俺たちは足を再び動かす。
庭はそれなり広い。
中心からは噴水のようなものまである。
布を羽織った女性がかめから水を流している彫像であり。
此処では水は貴重なように感じたが、こんなところでも贅を尽くしている。
庭に生えている植物だってそうだ。
こんな猛暑の中で普通の植物を育てるだけでも難しい筈なのに。
此処では色とりどりの花が育っていて、そこらじゅうで奴隷たちが庭の手入れをしていた。
水を定期的にやり、雑草を抜き。
土を調べて、害虫を駆除し。
今歩いている石畳を磨いて、小石だけを取り除いて……どれだけ奴隷がいるんだ?
「なぁ、アードルング……気づいたか?」
「あぁ……奴隷が多いな……流石は奴隷市に関わっているだけはある」
これだけの奴隷を何処で調達しているのか。
攫ってきたのか、それとも何かしらの理由で彼らを“買い取った”のか。
俺たちが今から会う男は俺の想像よりも遥かに危険な存在かもしれない。
武器を持ってこなかったのが正解だと思っていたが……どうなる事か。
屋敷の前に立つ。
大きな両開きの扉が目の前にある。
大きさは二メーテラほどの茶色の扉だ。
俺はゆっくりと扉をノックしようとして――扉が開かれた。
「……え」
「……初めまして、使用人のベルと申します。主人がお待ちです。私の後についていただけますか?」
「あ、はい」
扉を開けてくれたのは小さな女の子だった。
が、ヒューマンではない。
その頭には獣の耳が生えていた。
純粋なファーリーではなく、ヒューマンの特徴もある事から混血種だろう。
彼女も首に首輪をつけており、その服装は使用人としての格好だった。
黒髪に浅黒い肌で。
猫のような耳と尻尾があり、目も猫のように縦長の瞳孔になっていた。
小柄であり、身長は俺のへそ当たりませしかない。
恐らくは十代前半であり……こんな子供まで奴隷か……。
俺はギュッと拳を握りしめる。
が、此処で感情的になっても何も変わらない。
俺は彼女に言われるがままについていく。
広い一階の中を歩いていき、扉を開けて廊下を歩いていく。
廊下には統一感のあるものが飾られていた。
壺であったり、絵画であったり。
そのどれもが白などをイメージしているのか。
絵画自体も白い布を纏った天使や天女のようなものが多い。
悪魔と呼ばれた男の趣味なのか……益々、不気味だな。
「……」
隣を歩くアードルングを見れば。
彼女も異様な趣味に少しだけ眉を顰めていた。
得体の知れない不気味さは俺も感じるが。
魔物では味わえない気味の悪さであり、少しだけ足が重くなりそうだった。
「……此方になります」
「「……」」
ベルと名乗った使用人の少女は軽くノックをする。
すると、中から若そうな男の声が返って来た。
彼女は断りを入れてから中へと入り、俺たちも彼女についていく。
中に入れば、革張りの椅子に座る細身の男がいた。
肌は病的なまでに白く、着ている服は街の住人のような白いローブではない。
白いスーツであり、そのネクタイは赤色をしていた。
綺麗に整えられた短い金髪は前髪が分けられていた。
猫のように細い目はほとんど見えていないのではないかと思う。
何も話していないのに笑みを浮かべていて、彼はすっと立ち上がると手を差し出してきた。
「初めまして、私はこの屋敷の主人……名をマレファルと申します。以後、お見知りおきを」
「……ルーク・ハガードです。こっちは仲間のイルザ・アードルングです」
「……」
俺はその手を握り握手をする。
嫌に手が冷たい男だった。
彼は悪手をし終えればアードルングにも握手を求める。
彼女は断るかと思ったが、あっさりと握手に応じていた。
俺たちと握手をした彼はそのまま俺たちに座るように促す。
使用人であるベルは命令を受けずに勝手に後ろでカチャカチャと何かを始めていた。
俺は周りの状況を確認する。
外へと繋がる道は今しがた入って来た扉が一つと外が見える大きな窓が一つ。
ガラス張りであり、逃げようと思えば破壊は簡単だろう。
置かれているものはよく分からないものもあるが。
大体が絵であったり、横長の箪笥くらいだろうか。
上には色々なものが置かれており、それも天使や天女に関する置物だと分かる。
下には赤い絨毯が敷かれており、相手は武器らしきものは携帯していない。
傍には人の気配は感じられない事から私兵を忍ばせている可能性は低いだろう。
……本当に自分一人で、俺たちを客人としてもてなすしたのか?
俺は少しだけ目の前の男を不審に思う。
裏社会の大物であれば、おいそれと自らの姿を晒すとは思えない。
客人と会うとしても、護衛をつけないなんて事はあり得るのか。
分からない。
この不気味さは会えたとしても拭えるものじゃなかった。
此処から先はどうなるかは分からない……慎重に言葉は選ぼう。
「それで……借金の返済でしたか? ホレスさんのですよね」
「……はい。確か、聖金貨二枚だと聞いているんですが。可能でしたらその金を今すぐに返済したいです」
「……」
アードルングが一瞬此方に視線を向けた気がした……言いたい事は分かる。
聖金貨二枚ともなればかなりの大金だ。
俺たちが今まで稼いだ金では到底払えない。
アードルングであれば稼いでいるかもしれないが、俺一人の稼ぎでは絶対に払えない額だろう。
しかし、俺には師匠から譲り受けた金がある。
本当ならこんな簡単に使うのはダメだが、此処で使わなければ俺は一生後悔する気がする。
偽善だろうと何でも構わねぇ。
助けを求めていて、助ける事が出来る命があるのなら……俺は助けたいんだよ。
マルファルをジッと見つめる。
彼は何かを思い出したような顔をしていた。
そうして、笑みを浮かべながら驚く事を告げる。
「それは“最初の”金額ですね。今は確か……“聖金貨四枚”ですね、はい」
「……! それは明らかにおかしい。利子が掛かったとしても、数年程度で金額が何故、二倍に!」
「ん? そう言われましても、ホレスさんはそれでいいと了承委してくれましたから……これがその時の契約書になります」
マルファルはそう言って傍に置いてあった鞄から紙を取り出す。
アードルングがその紙を受け取って見ていた。
彼女の表情はどんどん険しくなっていく。
「……こんな契約書……理不尽過ぎる……これでは、一生かかっても返せない」
「えぇ、そうでしょう。少なくとも真っ当な方法では……彼らは元気ですか? ご迷惑をおかけしたのであれば、私から補償金も出しますが……ん?」
俺はポケットから袋を出す。
そうして、それを机の上に置いた。
この袋の中には師匠から貰った金が入っている。
俺は心の中で師匠に謝りながらも、それを全てやる事を伝えた。
「腹の探り合いは苦手でな……この中に聖金貨十枚分入っている。これでホレスの爺さんとヘザーたちを自由にしてやってくれ」
「……ほぉ」
俺は頭を下げる。
アードルングは何も言わないが。
その視線で俺の行動を止めようとしているのが分かる。
聖金貨四枚だけでも大金なのに、その二倍以上の金を渡すんだ。
普通の人間が見れば常軌を逸していると思うだろう。
でも、こいつにはこれくらいの金を差し出さなければダメな気がした。
中途半端な誠意では、悪魔の心を動かすことは出来ない。
俺は奴が承諾するまで頭を下げる。
暫くの間、沈黙が場を支配し……奴がくすりと笑う。
「……気に入りましたよ、ルーク・ハガードさん……何の躊躇いもなく聖金貨十枚を差し出すとは……何が貴方をそこまで駆り立てるんですか? ホレスさんに恩義があったんですか? それとも、あの子供たちに何かを吹き込まれましたか? 彼らの自由を買い取って、貴方にはどんな素敵な報酬があるんですか? 私はそれがとても知りたいです。是非、教えていただけませんか?」
彼はニコニコと笑いながら聞く。
俺は頭を上げてから彼をまっすぐに見つめる。
「報酬何て要らない――俺がそうしたいからだ」
「……ふ、ふふふ……面白い。とても面白いです。私は今まで生きてきて貴方のような……“愚か者”に会った事はありませんよ」
奴は小さく目を見開く。
その目は赤く光っているように見えた。
まるで、魔力を帯びたかのような瞳だった。
それに見つめられるだけで、俺はまるで心を覗かれているような感覚に陥る。
暫く間、奴はジッと俺を見つめていて……奴はまたくすりと笑う。
「おやおや、本当に何の報酬も無いのですか……うーん、困りましたねぇ。私は貴方のような人間が一番苦手なのですが」
「……何で困るんですか? この金を受け取ってくれたらそれでいいんじゃないですか。俺は絶対にこの取引対して後で文句をつけたりは」
「――あぁいえ、金の問題では無いんですよ。正直、貴方から金を奪っても私には何のメリットもありませんから」
奴はきっぱりと言う……金が要らないだと?
なら、何故、ホレスの爺さんの借金をさせて奴隷にした。
俺たちが借金を返すと言って、何故、会うと決めたんだ。
意味不明であり、その行動の原動力が何か分からない。
不気味さが更に増していき、俺の表情が強張りそうになる。
奴は何かを考えていて……何かを思いついたように手を叩く。
「こうしましょう。貴方には私が取り仕切る闘技場にて戦ってもらいます。そこで勝つ事が出来れば、ホレスさんとの奴隷契約は白紙にし、今後一切あの子供たちにも手を出さないと約束します……どうですか?」
「……待て。それはおかしいだろう。何故、借金を返せば済む話が、そこまで大きくなる」
「ん? それはホレスさんの借金がただの借金では無いからですよ……子供たちにも聞いたでしょうが。彼らが壊してしまった壺は王へと献上する為のものだったんですよ。それを彼らが誤って壊したせいで、我々は大きな損失を被った……ハッキリ言えば死人が出たんですよ?」
「……本当にヘザーたちのせいだったんですか」
俺は思わす質問してしまう。
すると、彼は笑みを浮かべながら「さぁ?」と言う。
雲のように掴めない男で。
その言動全てが人を苛立たせようと仕向けられている。
まるで、自分自身に殺意が向くように仕向けているようで……吐き気がする。
何が楽しい、何が面白い。
人の命を金で買い、それを弄んで何か愉快だと言うんだ。
まだ、働かせているだけだったら俺は何も言わなかった。
奴隷であっても労働によって自由を得る事は出来る。
てめぇの人生で負ってしまった負債をてめぇの力で返すだけだから。
それを同情する事も手を貸す事も本来なら絶対にしねぇよ。
だが、明らかに見世物としてこき使われているホレスの爺さんについてだけは許せない。
どんな人間であろうとも尊厳がある。
それを人が踏みにじるのは誰であろうとも許されない。
罪人であれ、何かしらの理由があって落ちぶれた人間であろうともだ。
子供たちもそうだ、一度のミスで殴る蹴るの暴行によって制裁を加えるなんて正しい教育じゃない。
それは労働者でも奴隷でもなく、ただの道具や玩具と何ら変わりない。
例え王様であろうとも、人が人の尊厳を踏みにじれば碌な死に方はしない。
こいつはそれを知っているのか。
知っていてやっているのであれば……こいつはクソにも劣るゴミ野郎だ。
俺はこいつを許さない。
ホレスの爺さんの尊厳を踏みにじり。
子供たちの人生を金で買い、汚れ仕事をさせるような外道は絶対に許さない。
「――分かりました。その申し出を受けます」
「ハガード……っ!」
「おぉ、そうですかそうですか。いやぁ良かったです。元々参加する闘技者が“自殺”したので困っていたんですよ。いやぁ良かった良かった。きっとハガードさんほどの方でしたら……良い殺し合いが見れるでしょうからね」
奴は弧を描くように笑う。
その笑みを見れば背筋がぞくりとする。
心から喜んでいる人間の表情で。
子供のように純粋向くな喜びを表している顔で……怖いよ。
心からこのマレファルという男が怖い。
戦闘経験は無さそうで、明らかに戦いを知っているような顔つきでもない。
此処で戦えば十中八九が俺が勝てると分かる。
力を隠しているのならそれまでだが、こいつは明らかに隙を晒していた。
素人同然のこの男の底知れない何かが。
俺の心に冷たい恐怖を植え付けようとする。
俺は必死に体の震えを抑える。
すると、使用人のベルが俺たちの前にティーカップを置く。
彼はベルに「ありがとうごさいます」と言っていた。
「闘技場についてご説明はしますが……どうぞ、飲みながら聞いてください。オベリッシュで作られた新品種の豆から抽出したものです。ほどよい苦みと酸味で、私の言葉もするすると記憶できますよ」
「「……」」
奴は飲み物を勧める。
黒い色をした液体で、これはアーリンが淹れてくれたコーヒーと同じだ。
が、目の前の男が出すものには何が入っているかは分からない。
……いや、考え過ぎれば自滅するだけだな。
俺はカップを持って静かに飲む。
舌で転がしてから飲めば……美味しい。
苦みと酸味で頭がすぅっとする。
さきほどまで感じていた恐怖も少しだけ和らいだ気がした。
アードルングも飲んでいるが、問題ないと俺に目で伝えて来る。
奴はくすりと笑いながら自分も一口飲んでいた。
「では、闘技場のルールについてですが――」
俺は奴の話に集中する。
その闘技場とやらがどういったものかは分からないが。
そこで強者と戦う事になるのは明らかだ。
殺し合いならばどちらかが死ぬまでであり、殺すまで試合は終わらない。
山賊だったり略奪者であれば、幾分かは気が楽だが。
もしも、相手が何の罪もない人間であればどうなるか。
俺はそんな不安を抱えながらも、奴に悟られないように話を聞く。
奴はそんな俺を小さく開いた赤い瞳を通してジッと見つめていた。




