第13話 本音×涙
また、日が昇った。
訓練場に幽閉されてから、三度目の朝日を浴びる。
雲一つない空は、青色と橙色、そして金色のグラデーションが美しく、訓練場を覆っている水の膜も朝日を反射して輝いている。
清々しい朝――だというのに、俺は息も絶え絶えの状態で地面の上に伏していた。
汗と土汚れが皮膚の上で混ざり、泥水になって肌を伝う。鼓動がうるさく、地面に手をついて鉛のように重い体を支える。
「よお、もう終わりか?」
頭上から、ラルフさんの声が聞こえた。
「早く俺らを倒さねぇと世界を壊せねぇぞ?」
ラルフさんとヴァルグさんは、交代しながら襲いかかってきた。魂を鎧に定着させているラルフさんは、疲労という概念がない。ヴァルグさんが休息を取っている間は、ラルフさんと戦い続けた。
休息や食事はもちろん、睡眠も一切取らない。尋常ならざる力を得た俺もさすがに限界に達し、とうとう地面に倒れ込む。
「ハァ……ハァ……」
ジッとしているのに、呼吸が落ち着かない。
視界が歪み、体が浮つく。
疲労が溜まったから?
違う。言い訳だ。
俺は、現実から目を背けてる。
疲弊した体よりも、吐き気を催すほどの焦燥感に圧し潰されそうなのだ。
俺は、ここで三日も時間を無駄にした。
その事実が、ただただ怖い。
「オラ、立て。さっさと続きをやるぞ」
ラルフさんの普段通りの声音。
「待て、ラルフ。次は私の番だろ?」
「は? 俺だぞ」
「お前は今まで戦ってた。私の番だ」
「それは、お前が休んでたからだろうが。まだ俺の番だ」
ラルフさんとヴァルグさんの何気ない会話。
二人は、この戦闘を楽しんでいる。
声を上げることも動かなくなることもなく、超速で傷は再生し、命を脅かす反撃をする俺は二人に取って絶好の相手だろう。
何も背負わず、何の重責もない二人。だから自分たちの都合を優先し、俺を邪魔しているにもかかわらず楽しめる。
二人の楽しげな会話を聞いていると、沸々とした怒りが込み上がってきた。
「…………なんだよ……」
地面に爪を立て、土を握る。
「……ざけんな……」
ずっと我慢してた。
いや、ラルフさんは俺に問いかけていた。
殺すか、世界を壊すかの二択を。
だが、俺は答えを出さなかった。
悶々とした感情を引き摺り、答えを先延ばしにした。
ホリィの命が掛かっていると分かっているのにだ。
その結果、時間を無駄にしてしまった。
分かっている。
悪いのは俺。
元凶は俺。
すべて俺が悪い。
分かってる。
分かっているが、怒りが収まらず、腹の底が熱くなっていく。
それほど限界だった。だから、込み上がってきた怒りを二人にぶつけてしまう。
「なんだって言うだよッ!」
顔を伏したまま、絶叫する。
力が入った腕が小刻みに震え、激情のままに地面を殴りつけた。
二人の声が止んだ。
それを機に、俺は顔を上げる。
俺のことを見つめてくる二人を睨みながら、力の限り叫ぶ。
「みんなで、俺の邪魔しやがって!」
世界を壊すことを協力して欲しかったのか?
必死に止めて欲しかったのか?
改心させて欲しかったのか?
みんなから「辛いな」だとか、「一緒に考えよう」と言って欲しかったのか?
「ざけんなよ!」
制御できない感情の波が、飛沫を上げて荒れ狂う。
自分でも何を言っているのか、何が言いたいのか分からない。
それでも、喚き散らし続ける。
癇癪、逆切れ。傍目から見たら、無様で、滑稽な姿だろう。だからか、ラルフさんとヴァルグさんは何も言わずに俺を見つめていた。
「おい、キルト」
ふと、ラルフさんが声をかけてきた。
大きくはない声量だったが、よく通る力強い声で、俺は口を閉ざしてしまう。
「まだ声は聞こえてるか?」
唐突な問いかけに、思考が停止する。だが直後、ラルフさんが何について尋ねているのかに気付く。
「あ……」
確かに、ずっと消えなかった黒い声が聞こえなくなっていた。
耳を塞いでも聞こえ続けた、囁くような、闇底から響くような黒い声。
「その面だと、もう聞こえてねぇみてぇだな」
呆気に取られ、口を開いたままの状態でラルフさんに尋ねる。
「どうして……?」
「ん? どうしてって、俺が声のことを知ってるかって意味か? それとも、何で聞えねぇのかって意味か?」
「え……あ……」
「おめぇは一人じゃねぇってことだ」
ラルフさんの言葉を、真っ白になっている頭の中で咀嚼する。ゆっくりと。時間を掛けて意味を理解するように。
「あ」
そうだ。ずっと俺と一緒に居てくれた人がいた。
顔を向けると、彼女と目が合った。
久しぶりに見た彼女の顔は、消え入りそうなほど儚い顔をしていた。
「エノ……」
彼女が、ラルフさんたちに伝えていたんだ。
だから、こんな場を設けた。
胸の奥で滞留していたモノが、ゆっくりと解けていく。
「でも、なんで声が……」
俺のか細い呟きに対し、ラルフさんは力強い声で答えてくれた。
「それは、お前自身が生み出してたんだよ」
「俺が?」
「そうだ。いいか、お前は全部を背負いこんだ。一人で背負いきれもしねぇのに、背負う必要もねぇモンも全部まとめて向き合おうとした。だから、喰われた」
迷いのない言葉。 説得力のある声音。静かになった訓練場に響くその低い語りは、俺の心すらも揺さぶる。
「何に、ですか……?」
ラルフさんは、俺を真っ直ぐ見据えて告げる。
「キルト、お前は“死”に喰われたんだよ」
「死に、喰われた……」
感情を吐き出したからか、心に余裕が生まれていた。そのため、すんなりとラルフさんが教えてくれた答えについて考える。
黒い声は、都市での惨劇から聞こえるようになった。
いや、もっと前だ。
この世界に来てから、死が身近になり過ぎた。
死の気配、死の音、死の温度。死には、いくつもの形がある。
様々な死に触れ、この手で死を齎してそのことを知った。
どうして、死が身近なのか?
それは、俺が人間じゃないから。
漠然と抱いていた想い。
その想いこそが、ラルフさんの『死に喰われた』ということではないのか。
自分が出した現状の答え。これが本当に正しいかどうかは分からず、胸の奥も未だに晴れてはいない。だが、どこか納得している自分もいる。
「……でも、じゃあ、俺はどうすれば……」
しかし、漆黒の管理者は待ってはくれない。
俺の力ではどうすることも出来ない状況なのだ。
「お前なぁ、俺の話聞いてねぇのか?」
深いため息を吐くように、ラルフさんは呆れる。
その意味が分からず、答えを求めるようにラルフさんを見つめた。
「お前は一人じゃねぇって言ったろ」
ラルフさんがそう言うと、足音が聞こえた。静かで、軽く、優雅な足取りが。
「キルトさん」
鈴の音のような綺麗な声。
「アルシェ……」
見上げると、俺の眼前にアルシェが毅然とした態度で立っていた。降り注ぐ日差しを浴び、彼女は後光が差している。
「キルトさん。神のことは忘れて下さい」
琴音のような声に、一瞬だけ聞き入ってしまう。
甘く、魅惑されるような言葉。
何も考えず、その言葉を心が受け入れてしまいそうなる間際、頭が現実を直視する。
「ダメだ。それじゃあ、アイツが赦さない」
アイツは、ずっと俺を見てる。
この世界を、特等席で。
目を見開きアルシェを見つめると、彼女は小さく頭を振った。
「相手は、神。対策の仕様などありません。であれば、思考を割くのは負担にしかなりません」
そう言うと、アルシェが一歩近づいて来る。
「思考を止めるわけでありません。私たちは、神ではないのです。故に、理想を追い求め続ければ、いつかは闇堕してしまいます。ですが、私たちは人間。理想なき世界では、誰も歩めない。私たちは理想を抱き、最善を尽くしながら歩み続けるのです」
「歩み続ける……」
俺が歩む道は、どこに辿り着く道なのだろうか?
眩い未来ではない。
その道を歩むことは、俺にはもう赦されない。
血生臭く、陰惨で、地の底のような場所こそが俺には相応しい。
(………………嫌だ……)
この期に及んで、心がざわつく。
罪という重さ、罰という十字架に蓋をされていた等身大の本音。
――本当に、俺だけが悪かったのか?
突然、異世界に召喚された。
魔族に引き渡され、体を改造された。
そして体を操られ、人を殺した。
俺は抵抗した。
俺は自死を選んだ。
でも、どうすることも出来なかった。
本当に、俺だけが悪かったのか?
奥底に押し込めていた感情の発露。
憤るような心の声が、全身に響き渡る。
罪から目を背ける行為。
地獄の底を歩む恐怖。
自己嫌悪と恐怖で雁字搦めなり、胸が苦しくなる。
そんな時だった。
ふと、肩に暖かな温もりが伝わる。
「大丈夫です」
穏やかな声音が、俺を優しく現実に引き戻す。
「ずっと一人だった私に、キルトさんは手を差し伸べてくださった。それだけではありません。傍に居てほしいと言ってくださいました。その言葉で、私がどれだけ救われたか分かりますか? 私は、キルトさんに救われたのです。ならば、今度は私があなたの力になりたい」
アルシェは地面の上にしゃがみ込むと、俺を優しく抱きしめた。
「キルトさん、一人で抱え込まないでください。思いの丈を吐き出してください」
優しい言葉、アルシェの体温が体を通して心に伝わったからか、無意識に涙ぐんでしまう。
「あッ」
俺は咄嗟に涙を堪えた。
拳を力一杯握り締め、目を見開きながら地面の一点を見つめる。
「我慢しないでください」
耳元で聞こえた声は、力が込められていた体を包み込む。
アルシェはそっと体を離し、優しい眼差しで俺を見つめてくる。
小さく微笑み、目で訴えてくるアルシェ。
「ダメだ。俺にはそんな資格が……」
奥歯を噛みしめ、込み上がってくる熱いモノを必死に飲み込む。だが――、
「涙を流して罪や罰が薄れると言うのなら、私がずっとキルトさんを見ています。キルトさんの行いが、振舞が、言葉が過去を忘れていないかを。だから、安心して泣いてください」
アルシェは、俺の手を包み込んだ。
「俺は……俺は……」
もう、我慢出来なかった。
止めどなく溢れ出てくる熱い涙。
俺は声を押し殺し、アルシェに体を預けて泣き出した。




