第12話 乖離×解放
魔術は、想像によって生み出され、魔力によって創造される。
ヴァルグさんの全身が、刹那の光に包まれた。
想像と創造の交境。
集約されていた火光は体外へ放出され、魔力となってヴァルグさんの想像を創造すべく形を変えていく。
――それは、巨大な狼の頭だった。
形成された狼は、月光のように輝き、霊魂のごとく朧げに揺らいでいる。
大きい。
俺を容易に丸呑みできるほどに。
そして、圧倒的な殺意。
半透明にもかかわらず、体を圧し潰すような威圧感を放っている。
逃げられない。
必ず、弱腰の俺を追いかけてくるだろう。
防げない。
あの牙は、ヴァルグさんの意思そのものだ。
決して、折れないだろう。
具現化を終えた巨大な狼の頭部は、一度唸りを上げると、俺の命を噛み砕かんと大口を開けて向かってきた。
俺を食いやすいよう、狼の頭部は横向きに倒れる。
咢が迫ってくる中、本能が脳を無視して反射的に避けようと体を動かす。
だが、体は痺れて動かない。
剥き出しになっている牙が地面に触れる。その瞬間、地面が鋭く削り取られた。
牙の威力を目にして、身と心が冷え、命が縮む。
唯一許されているのは、思考のみ。
生き残るべく、高速で思考を巡らす。しかし――、
回避不能、死。
防御不能、死。
外傷と再生許容範囲、死。
貴重な数秒を使って導き出した答えは、すべて死だった。
『壊せ――』
心の奥底から響く黒い声。
破滅を齎しかけない声。
しかし、選択肢はもう残ってなかった。
「うぉおおおお!」
黒紫色の筋繊維を肥大化させる。
皮膚が破け、衣服すらも破けて尚、上半身の筋繊維を肥大化させた。
次の瞬間、狼の頭部が俺の体に噛みつく。
左右から挟まれるような強い圧がかかり、「グチュッ」肉が食い千切られる音が体の内側に響く。
「うッ」
圧迫され、息が出来ない。
それでも黒紫色の筋繊維を肥大化させ続け、肉の鎧で命を守る。
毛ほどでも気を緩ませたら、牙は俺の命を貫く。
生死を分かつ数秒。
やがて、狼の頭部は煙のように消え、訓練場に静寂が訪れる。
「フッ、まさか食い千切れない肉があるとはな……」
僅かに疲弊した様子のヴァルグさんが、一言呟く。
体を解放され、地面に落ちる。
「ハァ……ハァ……」
地面に手を付き、乱れた呼吸を整えながら、不要になった黒紫色の筋繊維を体から切り離す。
『壊せ――』
また、黒い声が響く。
しかもだ。黒い声は先ほどよりも力強く、全身に響く波紋のようだった。
直後、声に呼応するかのように体の奥底から力が漲ってくる。
激しく巡る血流。
頭の先から足の先まで、焼けるように熱い。
壊したい。
俺を邪魔する存在を。
「ッ!?」
片隅に追いやられた理性が、破壊衝動を抑制する。
(ダメだッ!)
委ねてはいけない。
この高揚感に似た感覚は、まやかし。
待っているのは、殺戮だ。
理性と激情の狭間の中で心を鎮めようとしていると、駆け寄ってくる足音が聞こえた。
視線を向けると、ヴァルグさんが追撃をしかけようと迫って来ていた。
『壊せ――』
再び黒い声が響いた直後、意識が離脱し、体が独りでに動いた。
地面の上にしゃがみ込んだ姿勢のまま、大腿筋が急速に膨れ上がる。
そしてヴァルグさんの攻撃範囲に入る直前、足が地面を蹴った。
「ッ!?」
虚を突かれたヴァルグさんは、目を見張り、減速する。その隙に、俺の方からヴァルグさんに接敵した。
俺が眼前に降り立つと、ヴァルグさんが反射的に動き出す。だが、もう遅い。跳躍した勢いを乗せた左拳を、無防備を晒したヴァルグさんの腹部に叩き込む。
硬く、それでいて毛皮の柔らかい感触が拳に伝わる。この毛皮は、鎧。左拳はその奥、本体にダメージを与えるべく抉るように腕を振り抜いた。
「カハッ」
ヴァルグさんは吐血し、体をくの字に曲げて吹き飛ぶ。そのまま壁に激突したヴァルグさんだったが、倒れることなく地面の上に立つ。
「そうだ! それでいい! 私と殺り合えッ!」
大口を開けて叫ぶヴァルグさんは、全身から闘志を滾らせ、全身の毛を逆立たせる。
「ラルフ! 私ひとりでやる! 邪魔するなッ!」
ヴァルグさんがそう叫んだ後、俺に向かって疾走してきた。
俺の体も、迎え撃つべく駆け出す。
訓練場の中央、両者がぶつかり合う。
「ガァアアア!」
先に仕掛けたのは、ヴァルグさんの方だった。
両の拳を固め、連打を繰り出して来る。
白い毛皮を纏った剛腕が、風切り音を鳴らしながら幾重の軌跡を描く。
俺の体は、回避を選択しなかった。
瞬時に、両腕を肥大化させる。そして、白い連打に対抗するべく黒い猛打を繰り出す。
白と黒の拳が、 訓練場に飛び交う。
ヴァルグさんも俺も、一切避けず、防御もしない。足の裏を地面に密着させ、殴られればそれ以上の威力で殴り返す。
急所や技術、駆引きなどは存在しない。
ただただ、拳の応戦。
「アァアアアア!」
ヴァルグさんが、雄叫びを上げる。
右わき腹、左胸、左太腿、右肩、顔面。俺の体の至る所に衝撃が走り、どこを殴られたのか理解が追いつかなくなっていく。
衝撃が体に走る度に、骨が軋み、視界が点滅し、息が止まる。
手数は、ヴァルグさんに軍配が上がった。だが、俺は痛みを感じず、超速再生がある。一方で、ヴァルグさんは強靭な肉体を持ってはいるが確実にダメージは蓄積していた。
「ちッ」
数百、数千を超える拳を打ち込まれたヴァルグさんは、舌打ちを鳴らすと後方へ飛び退いた。
諦めた――わけではない。
退いたヴァルグさんは、天井に向かって跳躍した。
天井には、水の膜が張ってある。
空中で身を翻したヴァルグさんは、今度は水の膜を蹴った。跳躍に次ぐ跳躍。地面、水の膜、さらには壁すらも蹴る。
ついには、ヴァルグさんの姿が残像になった。
縦横無尽に跳ね回り、爆発に似た着地音が俺を取り囲む。
ヴァルグさんの速度に翻弄されていると、突然、危機感知が全身に駆け巡る。
すぐに体は防御姿勢を取ろうとしたが、研ぐような鋭い風切り音が聞こえ、背中に鋭い衝撃が走った。
反射的に後ろを振り返るが、そこには誰も居ない。
また危機感知が発動し、風切り音が聞こえた。と同時、今度は右足が斬られる。膝から下が両断され、バランスを崩して倒れ込む。
かまいたちのような飛ぶ斬撃――この技は、ヴァルグさんの攻撃。しかも以前より、斬撃は鋭く、威力や速度も増している。
先ほどから常時発動している危機感知を、意識の外へ除く。
危機感知は正常に発動している。だが、攻撃地点の正確な位置は把握できず、高速で移動するヴァルグさんに対しては役に立たないからだ。
体は極めて冷静だった。
呆けることなく、地面との間に空間を作るようにうつ伏せになる。
その後、思い切り空気を吸込み始めた。
斬撃が俺の命を狩ろうと絶えず降ってくるが、頭部だけを手で防御し、それ以外の部分は黒紫色の筋繊維を硬化させて防ぐ。
「挽肉にしてやる!」
頭上から、ヴァルグさんの勇ましい声が聞こえた。
空気を吸い込み続けながら、斬撃の雨の攻撃感覚を計る。
斬撃は四方から飛んで来る。その鋭利な斬撃を亀のように耐え、計測した時間は約四秒。反撃するには十分な時間だった。
限界まで空気を吸い込み終えると、タイミングを見計らって素早く上体を起こし、大声を張り上げた。
「あぁああああああああああああああッ!!!」
水の膜に覆われた訓練所に、耳を劈くような金切り声が鳴り響く。
声の振動で水の膜全体が小刻みに震え、逃げ場のない閉ざされた空間内で轟音が反響する。
その後に襲ってくるのは、水の中に潜ったかのような鈍った世界。うるさいくらいの耳鳴りが頭の中で響き、一時的に感覚が鈍る。
「ぐぅ」
後方から呻き声が聞こえた。振り返ると、苦悶した表情を浮かべたヴァルグさんが地面に片膝を着いていた。平衡感覚を失っているのか、片手も地面に着き、頭をフラつかせながら俺を睨んでいる。
今度は、ヴァルグさんが致命的な隙を見せた。
止めを刺すべく、体が動き出す。だが――、
「させっかよ!」
ヴァルグさんと俺の間に、一筋の雷が落ちる。
轟くような稲光が走った後、濛々と土煙が立ち込める中心にラルフさんが立っていた。
「ヴァルグ、交代だ」
ラルフさんは顔を向けずにそう言うと、俺に槍先を向けた。
「おい、キルト。今度は俺だ」
ラルフさんの言葉を聞き、意識が揺らいだ。




