第10話 狂乱の赤×リベンジ
ホリィの寝言を聞いた日から、胸の奥に靄がかかった。
禍根を孕んだような黒い靄は、鈍重な鉄のように重い。そして何より、焼けるように熱いのだ。
その黒い靄から声が聞こえる。
「壊せ――」と。
耳を塞いでも無駄だった。
闇の底から響いてくるような低い声は、決して止まない。
何をだと問うても、声はただ「壊せ」と繰り返すだけ。
もう、自分で答えを出すしかない。
そして導き出した答えは、“神託”だった。
白黒だった世界に、血が加わる。
混じりけのない色鮮やかな赤が。
赤が混ざった世界を眺めていると、前方に都市が見えた。
これこそが正しい答えだと確信する。
あとは、実際に赤く染め上げるだけ。
都市を見据えたまま、一歩踏み出そうとした。
だがその間際、エノが声をかけてきた。
◇◇◇◇◇
「ほら、島だぞ。話せよ」
島に降り立ったと同時、肩に座っているエノに話しかける。
エノは、唐突に「島へ行って」と懇願してきた。
何度理由を尋ねても、エノは頑なに島へ行ってから話すとしか言わない。
ここ最近、何故かエノはずっと俯き、口数が減っていた。
そんなエノからの願い。
正直、断ろうと思った。
道草を食えば、また惨劇が起こるかもしれない。
しかしだ。思い詰めたようなエノの瞳。記憶よりも輝きを失っているような瞳を、俺は無視することが出来なかった。
悩んだ末、五分だけだと約束した後、俺は島へ戻ることにした。
「あっち……」
エノは、訓練場を指差す。
「なんで訓練場に?」
「ここだと、ホリィに聞かれるかもしれない」
俺の問いに、エノは小さな声で答える。
俯いているせいで表情は窺えないが、その雰囲気から何を言っても無駄だと悟った。
仕方なく、言われるがままに訓練場へ向かう。
(クソ……)
訓練場へと続く踏み固められた道を歩いていると、嫌な記憶――実験施設の闘技場の記憶が蘇る。
奥歯を噛みしめることに集中し、早歩きで進む。
俺もエノも喋らないまま、丸太を組んで造られた観音開きの門に辿り着く。
この門は、ホリィやアルクが勝手に入れないようにわざと重くしてもらった。
扉に手を置くと、掌にざらつきと微かに湿った感触が伝わる。そのまま片腕だけの力で門を前へ押すと、「ミシッ」と丸太の軋む音が鳴り、扉がゆっくりと開いていく。
扉が開いていくと、少しずつ中の様子が見えてくる。ゴツゴツとした岩壁、慣らされた土の地面、屋根がないため日の光が訓練場内を明るく照らしていた。
「ん?」
そんな訓練場の中央に、ラルフさんが立っていた。
「おお、やっと来たか」
ラルフさんも俺に気付いたのか、片手を上げて挨拶してきた。
「どういうことだ?」
状況が飲み込めず、エノに問いかける。だがエノは、何も答えず、顔すら向けずに肩の上から羽ばたいた。
羽根が風に舞うように、エノは力なく飛んでいく。そして、壁際に立っているアルシェの肩に着地した。
「アルシェまで……」
訓練場に漂う違和感。
それはまるで、罠に嵌められたような感覚に近かった。
「久しぶりだな、キルト。取りあえず、入ってこいよ」
ただそんな違和感とは裏腹に、ラルフさんは普段通りの気さくに招いてくる。
「そう、ですね。久しぶりです。それで、これは一体? 俺、やらないといけないことがあるんです。その、用件を――」
「だから、話すからこっち来いっての」
長居は出来ないため、訓練場には入らずに要件を尋ねようとした。しかし、ラルフさも詳しいことは話ずに手で招いてくる。
僅かに苛立ちを覚えつつも、鼻から空気を吸って頭を冷やした後、ラルフさんへ近づく。
「それで、俺に一体何の用ですか?」
この状況からして、ラルフさんから何かあるということなのだろう。そう判断し、改めてラルフさんに尋ねる。
「おう。リベンジさせてもらうと思ってな」
「リベンジ?」
「そうだ」
ラルフさんは肯定すると、背中に背負っていた槍の柄を握る。
「俺はよ、負けっぱなしは性に合わねぇんだ」
巧みな手さばきで槍を手の中で回転させ、石突き部分を地面に置いた。
「時間がねぇんだろ? おら、さっそく始めっぞ。構えろ」
ラルフさんからの唐突な再戦の申し出。だが――、
「冗談は止してください」
俺はさらに苛立ちを募らせながら、冷ややかな眼差しをラルフさんに向ける。
「失礼します」
軽く頭を下げ、訓練場から去ろうと踵を返す。
「…………何の真似だ、アルシェ?」
低い声を出しながら、アルシェを睨み付ける。
いつの間にか、訓練場の内側に水の膜が張り巡らされていた。
天蓋のような薄い水の膜。透き通っていて、日光が屈折して輝くさまは幻想的だが、暴走した俺を拘束することができるほど強固な水の牢。
今確信に変わった。俺はまんまと誘い出され、捕まったのだと。
「申し訳ございません」
アルシェは、眉尻を下げながら謝罪の言葉を口にした。
全身が、一気に熱くなっていく。
わざわざ時間を作り、出向いた結果がこの仕打ち。
燻っていた苛立ちに引火し、頭に血が上る。
「一体、何な――」
感情の赴くままに、怒声を上げようとした。だがその瞬間、危機感知が全身を駆け巡った。
「なッ!?」
思いも寄らぬ場所での危機感知。冷や水を浴びせられたかのような衝撃に、体温が急速に下がる。
だからか思考が働き、咄嗟に横へ大きく飛び退けた。
湿った土の上を転がっている最中、視界の端に眩い光を捉え、直後、耳を劈くような轟音が鳴り響く。
眩い光、大気を震わす轟音、そして焼け焦げた匂い。すべて覚えがあった。
「上手く避けたな」
大音量を聞いたあと特有の圧迫するような無音に響く、あっけらかんとした声音。
地面の上に片膝を着いたまま、声のした方――ラルフさんに目をやる。
「よお、思い出すな?」
ラルフさんは、槍で肩を叩きながら語る。
「あん時もよ、お前は無抵抗だったな。んで、俺らは一方的に攻撃した」
ラルフさんの話を聞き、その後の結末を鮮明に思い出してしまう。
「けどよ、お前には効かなくて、その後――」
「止めて下さいッ!」
俺は大声を張り上げ、ラルフさんの言葉を遮った。
「一体、何なんですか? 俺は、こんなことしてる暇はないんです!」
膝に手を置いて立ち上がり、大口を開けて叫ぶ。
「俺はやらないといけないことがあるんです!」
「ああ、聞いたぞ。世界をぶっ壊そうとしてんだろ?」
「そうです。だから、邪魔しないでください」
俺がそう言った直後、ラルフさんの纏う空気が変わった。
「……俺はよ、勇者願望も、英雄願望も持ってねぇ。けどな、世界を壊すって聞いて『はいそうですか』って言えるほど部外者でもねぇんだよ」
低い声を発しながら、ラルフさんは槍の切っ先を俺に向ける。
「お前は世界を壊してぇ。俺は世界を壊す気がねぇ。意見が食い違ったぞ、どうする?」
ラルフさんの周囲の空気が揺らぎ出す。
揺らぎは徐々に小刻みな振動へと変化し、ついには「バチンッ」と渇いた音と共に火花を散らした。
「本当に世界を壊してねぇなら、俺一人くらい殺ってみろよ? それが出来ねぇなら、世界なんて壊せるわけがねぇ」
雷と化した殺気を纏うラルフさんが、左腕を振りかぶる。
(……来るッ)
臨戦態勢を取ろうとした刹那、ラルフさんが腕を振るった。
「ッ!?」
辛うじて目で追えた。
ラルフさんの腕から飛来してくる雷の小刀を。
俺は反射的に、体を捻って雷の小刀を躱す。
切っ先鋭い雷の小刀は、雷光の軌跡を描きながら俺の体を通り過ぎる。その数秒後、後方で雷鳴が轟く。
「おら! どんどんいくぞ!」
ラルフさんは大声が発し、次々と雷の小刀を投擲してくる。
俺は、回避するべく外縁を走り出す。
「クソッ、何でこんなことに……」
結局、戦闘は始まってしまった。
戦闘を回避する方法があったのではないか。
漆黒の管理者がまた罰を与えるのではないか。
心が、自省と恐怖で満たされる。
このまま時間を無駄にしていれば、今度はホリィが居るこの島で惨劇が起こるかもしれない。
「ダメだ……」
心が萎縮し、一瞬、足から力が抜けた。
「ボサっとしてんじゃねぇ!」
ラルフさんの怒声が響いた。
頭でそう思った直後、視界が白く染まり、右わき腹に衝撃が走る。
「ぐッ」
全身を駆け巡る痺れ。体が硬直し、雷の小刀が直撃したのだと察する。
「おい、キルト。テメェ、俺を舐めてんのか?」
目だけを向けると、ラルフさんは槍を地面に刺し、全身から怒気を放って立っていた。
「一度殺せた俺なら、適当にやっても殺せるって思ってんのか?」
鎧の顔のため表情に変化は起こらないはずなのに、ラルフさんが俺を睨んでいると錯覚してしまう。それほどまでの濃い殺気。
「ち……違い、ます……。そんなこと思ってません」
「なら、本気でやれ」
そう言いながら、ラルフさんは両腕を振りかぶる。
「待ってください! 俺は、ラルフさんを殺す気なんてッ!」
「世界を壊してぇんだろ?」
ラルフさんのドスの利いた声に、思わず言葉を詰まらせる。
「俺一人殺せねぇヤツが、世界を壊せると思ってんのか?」
「それは……」
「俺を殺せねぇなら、ホリィが死ぬぞッ!」
ラルフさんは声を張り上げた後、今度は両腕で雷の小刀を投擲してきた。
俺を射抜かんと向かってくる稲光。それはさながら、雷の流星群。
俺は再び駆け出し、小刀を躱す。
「オラ!」
ラルフさんはがむしゃらに投擲しているわけでなく、俺の動きを予測し、攻撃してくるのだ。
(強くなってる)
火光の移動速度、小刀の形成速度、火の大きさ。すべてが、あの時よりも遥かに向上している。鎧の体となって、まだ一年にも満たないはずなのに。
「……けど、なんでだ?」
ラルフさんは攻撃し続けてはいるが、俺と距離を詰めようという気配が見られない。
(作戦を立ててる? 俺の動きを把握して、チャンスを窺ってる……?)
確かに雷の小刀の威力は上がっているが、俺を殺せるほどではない。
それは、先ほど直撃した際にラルフさんも把握済み。
なら、どうしてか。
訓練場を縦横無尽に駆けながら、思考を巡らせる。
ラルフさんは大雑把な性格だが、戦闘に関しては合理的に攻めるタイプ。
(今は、俺の動きの癖とか、速度を把握しようとしてる段階か?)
そう考えれば、距離を保って攻撃してくることにも納得がいく。
あの時もそうだった。
(だったら、速度をランダムして混乱させてやる……――ッ!?)
思わず息を呑む。
無意識に、戦闘に対して前向きになっていた。
「ん?」
ふと、ラルフさんが攻撃の手を止めた。
衝撃の余韻を引きずりながら、俺も足を止める。すると――、
「もう始めてるのか?」
突然、どこか不機嫌そうな声が響いた。
釣られて視線を向けると、そこにはヴァルグさんが立っていた。
「ヴァルグさん、どうしてここに?」
俺の問いに対し、ヴァルグさんは何も答えずにラルフさんに歩み寄っていく。
「やっと来たか」
「私を待つんじゃなかったのか?」
「んな、キレるなって。ただ準備運動をしてただけだっての」
状況が飲み込めず、二人のやり取りを呆然と見つめる。
「ホラ、とっととやんぞ」
「貴様が言うのか?」
「オイ、キルト!」
未だに納得していない様子のヴァルグさんを無視し、ラルフさんは俺に声をかけてきた。
「こっからが本番だ。俺とヴァルグ、二人でお前を殺しにいくぞ」
ラルフさんがそう言った直後、再び雷の殺気を纏う。
ヴァルグさんも白い狼の毛皮を被り、戦人化する。
二度目の戦人化は、明らかに違った。
燃え盛る炎のように猛々しく、凶暴な殺気。
「「いくぞ」」
空気を震わす二人の殺気に当てられ、俺の危機感知が明確な命の危機を告げた。




