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悪服す時、義を掲ぐ  作者: 羽田トモ
第四章
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第9話 人外×道

「――ん……朝か……」


 結局、昨夜もほとんど眠れなかった。


 ベッドから抜け出て、風に煽られて「ガタガタ」と小刻みに震える窓に近づく。


 今朝の空は分厚い雲が太陽を隠していて、薄暗く、微かに雨が降っていた。


 着替えてリビングに向かうと、すでにアカリの姿があった。


(アカリ)


 ソファーに一人で腰かけているアカリの後ろ姿は、普段よりも小さく、頼りなく見えた。


「おはよう」


 驚かさないよう声量を抑えて挨拶すると、アカリが勢いよく振り返る。


「ッ、おはよう」


 目元に深い隈ができているアカリ。一目で、寝てないのが見て取れた。


「ダイ君、キルト君からの連絡は……?」


 見開かれたアカリの瞳が、俺を射抜く。


「ない」


 返事を聞いた瞬間、アカリの全身が沈み、瞳が潤む。


 だがアカリは、咄嗟に口を強く結み、涙を堪えようとした。


「アカリ」


 そんな彼女を見て、俺は思わず駆け寄り、包み込むように抱きしめる。


「溜め込むな」


 そう呟き、アカリのことだけを想いながら優しく頭を撫でる。


「…………」


 アカリは何も言わなかったが、俺の胸に額を擦り付けると、声を殺して泣き出した。 


 俺の服を握り締めながら、アカリは静かに泣き続ける。静まり返った部屋だからか、小さな声で呟く「織ちゃん……」という言葉が聞こえた。


 アカリが憔悴している原因は、言ノ葉。彼女の身を案じてのことだった。


 それだけじゃない。あの都市での出来事も、精神的な負荷になっている。


 五分ほどして、アカリは俺から離れた。そして、気恥ずかしそうにハンカチで顔を拭いた後、俺の目を見ながら口を開く。


「ありがとね」


 腫れた瞼で、アカリは無理して笑った。


「気にするな。それより、少し横になってきな」

「でも」

「体調を崩したら、言ノ葉が戻って来た時に責任を感じるかもしれないぞ?」


 俺が優しい口調で諭すと、アカリは僅かな沈黙の後、小さく頷いた。


 部屋まで送って行こうとすると、アカリは 「一人で平気。ダイ君もちゃんと休んでね? 顔色悪いよ?」と言い、一人で自室に戻っていく。


 そんなアカリの背中を見つめながら、俺は思考に耽る。


 言ノ葉を屋敷に残す選択をしたのは、アルシェさんだ。


 アカリは自分も残りたいと懇願したが、アルシェさんは表情一つ変えず、「言ノ葉様を守るためです」と言い、その提案を断った。


「俺らを信用してない……いや、違う」 


 アルシェさんの思惑は明白。俺ら三人の天賜は貴重なのだ。万が一にも、皇国に奪われるのは避けたいのだろう。


 問題は、その方法。


 ふと窓の外に目を向けると、高い断崖が見えた。


 ここは、四方を断崖で囲まれた絶海の孤島。皇国から俺らを守りたいのなら、この島に閉じ込めるだけでいい。


 だがアルシェは、より確実な手を選んだ。


 人質。アカリと言ノ葉を引き離せば、俺らはキルトのもとから離れない。


 強かな判断力。躊躇わない実行力。


 胸がざわつき、腹の底が燻るように熱くなる。


 何より、アカリの友達を想う純粋な想いを利用していることに対し、嫌悪感を抱いてしまう。


 だが同時に、頭ではその有効性を理解できる。


「全部、キルトのために」


 皇国の間者から襲撃を受けたあの日、俺はキルトの変貌した姿を目にした。


「俺がキルトの秘密を知ったから、だから、逃げられないよう楔を打った」 


 アルシェさんは、命に明確な線引きが出来る人。アルシェさんの場合、その線引きはキルトに利があるかどうかその一点のみ。


「もし逃げようとしたら……」


 自分が想像した最悪の未来に、全身の産毛が総毛立つ。


「何、おっかねぇ顔してんだ?」


 時間を忘れて物思いに耽っていると、ふい声をかけられた。


 途端に意識が現実に引き戻され、俺は反射的に声がした方に顔を向ける。


「ラルフさん」


 開かれた玄関の中央、鎧の体をしたラルフさんが立っていた。


 俺の知らない魔術だと思っていた。


 いや、違う。


 皇国から逃れたいあまり、現実逃避していたのだ。


「んだよ、ジッと見てきて?」

「あッ、す、すみません」


 慌てて平謝りすると、ラルフさんは部屋の中に入ってくる。


「今日は早いですね?」

「ヴァルグがいねぇからよ、つまんねぇから帰ってきた」


 確かに、ヴァルグさんの姿をここ最近見かけていない。記憶を遡ってみると、居なくなった日の前日、ヴァルグさんはマルシェさんに声をかけられていた。


 俺が直接アルシェさんに尋ねても、きっと話してくれないだろう。


 今はどんな些細な情報でも得ておくべきだと考え、ラルフさんに探りを入れることにした。


「ラルフさん、ヴァルグさんはどこに行ったんですか?」

「聞いてねぇのか? ヴァルグは、お嬢の遣いに出てんだ」

「遣い?」

「ああ、“一ツ目”と“野人”に会いに行ってる」


 ラルフさんは一切俺に隠す気が無いのか、簡単に話してくれた。


 “一ツ目”と“野人”。


 野人については何も知らないが、一ツ目については本で読んだことがある。


 ――曰く、太陽を忌み嫌うように洞窟の奥深くで生息し、人間に強い憎悪を抱いている魔物。


 何故、このタイミングで一ツ目と接触するのか。


 答えた簡単、戦力の増強。 


 頭が理解したと同時、心臓が縮み上がった。


(キルトとアルシェさんは、皇国と戦争しようと考えているのか?)


 日本に居る時も、字面やニュース、歴史などで幾度となく触れた言葉。


 だが今回は、受ける印象がまったく違った。


 どこからともなく、気配が漂ってくるのだ。


 砲撃音や、大勢の雄叫び。


 地面を埋め尽くす、無数の死体。


「ダメだ……」


 うるさいくらいに血管が脈打つのに、体は冷たくなって感覚を失っていく。


 頭の中に浮かんだアカリの笑顔。愛おしく、守りたい大切な人。そんな彼女が、血の海に沈む姿を想像をしてしまう。


 途端に、体の奥底から力が漲ってくる。


 冷え切っていた体は焼き戻され、頭が冴え渡っていく。


 拳を命一杯握り締め、足の裏で地面を強く掴む。


 思考を放棄した瞬間、神に縋った瞬間、アカリが死ぬ。


(ハッ、俺も一緒だな)


 アルシェさんのことを嫌悪していた。なのに、いざ自分の大切な人が危機に瀕すると、他人を利用する算段を思考し始めた。


 姿勢を正し、ラルフさんを真っ直ぐ見つめる。


「ラルフさん」

「ん? なんだ?」

「キルトは、今のままで大丈夫なんですか?」


 アルシェさんを止められるのは、キルトしかいない。どうにかキルトと接触し、説得する。


「ああ、キルトな」

「あの日以来、ヤケになってるって言うか、精神的に追い込まれて良くない方向に進んでると思うんです。ここ最近は、ホリィちゃんにも会ってないですし」


 俺の言葉に、ラルフさんは腕を組む。


「確かにな。アイツが今進んでのは、“修羅の道”だ」

「……その、止めないんですか?」


 ラルフさんの物言いに、違和感を覚える。修羅の道を進んでいることを理解しているのに、ラルフさんは止めようという思いが微塵も感じられないのだ。


「まあ、お前の言いたいことは分かる」

「なら――」


 食い下がろうとした瞬間、ラルフさんが俺の目を見つめた。


 空洞の兜。その奥には、瞳はおろか肉体もない。にもかかわらず、眼光鋭い眼差しに晒されていると直感で悟る。


「けどよ、キルトは人間じゃねぇ」


 決して大きくも、力強い声でもなかった。だが、芯に喰らったような衝撃を受け、俺は固まってしまう。


「人間にとっては外れた道でも、キルトなら正道かもしれねぇ。そもそも、誰も端まで行ったことがねぇんだ。なら、間違いだって言えねぇだろ?」


 そう言いうと、ラルフさんが俺に歩み寄ってくる。


 俺は何も答えられず、呆然とラルフさんを見つめた。


「んで、お前はどうするんだ?」

「え?」


 突然の問いかけ。混迷から抜け切れていない状態では、その意図に思考が辿り着けない。


「お前らは人間だ。このまま俺らと一緒に居ると、巻き添えを喰らうかもしれねぇぞ?」

「あ……」

「お前にも、守りたいヤツが居んだろ。これからのこと、しっかり考えろよ。ホリィのことは、キルトに伝えとく」


 ラルフさんは俺の肩を叩き、自室へ戻った。


 再び静寂が訪れた部屋に、細かい雨音が響く。 






 ◇◇◇◇◇






 瞬間移動ワープ地点の設置がほとんど終えられたその日の深夜、久しぶりに島に戻った。


 この島では雨が降っていたのか、地面にはいくつか水溜まりが出来ていた。


 明かりが消えたログハウスに向かって歩き出す。


 昼頃、「たまには顔出してやれ。ホリィが寂しがってんぞ」と、ラルフさんに言われた。


 静かに玄関の扉を開けると、静寂に包まれた部屋に開閉音が響き渡る。


 物音を立てないように歩き、まずは自室へ戻った。


 何日も大陸を走り続けた体は、あちこちが汚れている。


 衣服を脱ぎ捨て、体を綺麗に拭く。


 そうして体を清めた後、ホリィの部屋へ向かう。


 月明かりが射し込み廊下を進んでいると、並んだ部屋の中から寝息が聞こえ、この島がまだ平和であることを実感できた。


 部屋に辿り着くと、静かにドアノブを回す。


 ホリィの部屋。


 数えきれない人形が棚の上に並べられており、貴族の子ども用のおままごとセットも壁際に片付けられていた。


 そんな部屋の窓際、大きなベッドに寝ている二人の姿。


 一人はマーレイさん。そしてもう一人がホリィだ。


 小さな寝息を立てて眠るホリィは、マーレイさんに抱き付いて眠っている。


 安らかな寝顔。


 守ると誓いを立てた命。


「…………ママ、パパ……」


 粛然とした部屋、ホリィの口から空気のような寝言が零れ、瞬く間に闇へと溶ける。 


 息を呑んだ。


 直後、視界が歪む。


 ぼやける視界のまま固まっていると、月が雲に隠れ、ホリィの顔だけに影が射した。


「あ……」


 呼吸が浅くなっていく。


 胸の奥が下がり、声を出してしまいそうになるのを咄嗟に我慢する。


 だが、我慢はそう長くは続かない。


 黒穴を出現させ、逃げるように飛び込んだ。


 降り立ったのは、島から一番遠い瞬間移動ワープ地点。


 ここなら、あの島に声は届かない。


 辛うじて保ってていた精神が、一気に決壊する。


「あぁあ―――!!!」


 月に向かって慟哭した。



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