第8話 夜×夢
アエリアナ・ユニヴァス宮殿。
誰もが夢に耽る夜更け、静まり返った宮殿内に静かな靴音が二つ鳴り響く。
「残念でしたね」
小さな明かりを手に持ち、私の前を歩くレフがふと口を開いた。
「ええ」
魔族が生み出した改造人間は、予想以上の力を有していた。だがその反面、抑制されていた我が芽吹き、命令を無視することが分かった。
「やはり、人体を作り変えるのは無謀でしたね」
「そうね」
腕の一振りで大地を抉り、体に負った深手でさえも瞬く間に完治してしまう。
まさに、戦うための存在。
戦力として申し分ない上、あの異形な姿は適任だった。
しかし、実戦に投じたあの男は己の力を過信し、死んだ。
レフが木製の重厚な扉を開くと、冷気を帯びた夜風が顔を撫でる。
風になびく髪を手で抑えながら外に出た後、ふいに空を見上げた。
闇の帳が降りた空。黒い天蓋には、世界を照らす満月と煌めく星々。それはさながら、自然が織りなす交響楽団のよう。
――だが、雲の流れが速い。
吹き止むことのない風は、山脈に木霊して気味の悪い音を鳴らしている。
月明かりが届かぬ闇の中からは、不気味な葉音が心音の調和を乱す。
「パトリシア様?」
空を見上げたまま固まっていると、レフが声をかけてきた。
レフの方へ顔を向ける。
明かり一つ無い闇夜に浮かぶ、小さな光。
あの青年を引き渡した場も、似た明かりが灯っていた。
「……あの男のおかげで生存を確認できた」
魔族に引き渡した日本の青年。
勇者と同郷の青年を手に入れた魔族は、狂ったように歓喜した。
そんな魔族が、半端な改造を施すわけがない。
流れる雲を見つめながら、間者の報告を思い出す。
◇◇◇◇◇
私の前で跪いた間者は、頭を垂れたまま小刻みに震える。
この間者だけが、標的の姿を目にした。
暫しの沈黙の後、間者は言葉を詰まらせてからようやく口を開く。
「標的の……濃い霧が都市を覆い隠す間際、姿が見えました」
頼りなく、吹けば倒れてしまいそうなほど、間者の声はか細い。
その声音を聞き、私の血が冷たくなる。
「あれは……あれは、人ではありません……」
間者が、ゆっくりと顔を上げた。
私を見つめる瞳。
その瞳は、生気が無かった。
「あれは――受肉した“殺意”です」
小さく息を呑む。
直後、心臓が縮こまり、胸の奥に熱い痛みが走った。
◇◇◇◇◇
死線を幾度も越えた間者は、声を震わせながらそう告げた。
一目見た途端、生命は生きることを諦め、ただただ黒紫色の筋繊維が放つ殺意に溺れてしまったという。
あの場から生還できたのは、殺意に指向性があったから。
誰に向けての殺意だったのか……?
込み上がってくる感情に、身体が本能的に震えた。
「大丈夫でございます。私もおります」
気遣うような、それでいて深い忠誠が込められた声。
声量は決して大きくはない。だが、レフの声は夜音を止めた。
「パトリシア様は、神託を賜れる稀有なお方。間違ってはおりません」
レフは、毅然とした態度で地面に立ち、芯のある強い眼差しで私を見つめている。
レフの瞳を見据えると、世界の音が戻った。
「……ありがとう」
私の呟きに、レフは微笑みを浮かべて再び歩き出した。
向かうのは、石造りの古びた尖塔。
この塔は、陛下に与えられた私の管理物。
レフが扉を開くと、塔の内部が小さな明かりに照らされる。
塔内には何も置いておらず、上階と階下へと伸びる螺旋階段があるだけ。
歩く度に軋む木製の床。平らな石段は深く、降りていく度に湿った石の匂いが鼻孔を刺激する。
やがて、階下に淡い光が見えた。
淡い光を見つめ、足を止める。
私の夢。
どんなに困難な道のりであろうと、立ち止まらない。
私は私の願いを叶えるため、目覚めたまま夢を見続ける。




