第1話 ローズ×ブラック
ダイは、慣れた手つきで手綱を操り馬車の速度を落とす。
晴れた昼下がり。気温はちょうど良く、暖かな日差しと規則的な蹄の音が眠気を誘う。
御者台に座ってるだけの俺は、ぼんやりと周囲の景色を眺める。
左側には、地平を金色に染める稲作が風に撫でられて波打っている。右側には、異世界ならではの凶暴そうな見た目をした家畜が塀の中で放牧されていた。
従事しているのは、全員外民。
老人や子ども関係なく、あくせく働いている。
「着くぞ」
正面を向いたまま、ダイが声をかけてきた。
俺は視線を正面に戻し、姿勢を正す。
門の近くまで進むと、一人の門番が手を掲げて立ちはだかった。
「止まれ」
門番からの呼びかけを受け、ゆっくりと馬車が停止する。
「通行書を」
歩み寄って来た不愛想な門番は、その顔に「早くしろ」という心情をありありと浮かべながら手を差し出してくる。
「こちらです」
ダイは笑顔を浮かべ、予め準備して置いた通行書を差し出す。
「……ふん。どこから来た? 経路は? 荷は何だ?」
通行書に不備がないことを確認した門番は、乱暴な手つきでつき返した後、今度はダイに詰問を行う。
「私たちは――」
鋭い眼差しを向けてくる門番に対し、ダイは堂々と受け答えしていく。
「よし」
返答にも問題なかったため、門番は合図を送った。すると、重厚な木製の落とし格子がゆっくりと上がっていく。
「通れ」
落とし格子が上がり切ると、門番は一言だけ言い放ち、馬車から離れていった。
「ありがとうございます」
ダイは一礼した後、馬車を走らせる。
「相変わらず、愛想悪いな」
門を潜ったのを見計らい、俺は背筋を伸ばしたままぼやく。
「仕方ないだろ。責任の重い仕事なんだし」
「分かるけどさ、あの人と顔合わせるの、今回で三回目だぞ? もう少し俺らに心開いてくれてもいいだろ」
「この世界で生きてく上での心構えなんだろ。ほら、ローズのおじいさんもそうだし」
「ああ、確かに」
石畳が敷かれた主要通路を徐行しながら進むこと十分、目的地である宿屋――“黒薔薇の庭”に辿り着く。
俺は御者台から飛び降り、荷台の後へ回る。
「アルシェ」
俺が手を差し出すと、荷台から顔を出したアルシェが微笑みながら手を取った。
「ありがとうございます」
元王族らしく、スカートの裾を軽く持ち上げ、優雅に荷台から降りるアルシェ。
次に出てきたのは、アカリ。
「ありがとう」
アカリは笑みを浮かべ、俺の手にほとんど触れずに軽やかな足取りで荷台から降りる。
「ほい、オリー」
「う、うん」
最後は、言ノ葉。
オリーは照れくさそうにしながらも、俺の手の上にそっと手を置いた。
荷台の高さはだいたい一メートルほどだが、オリーは長い黒髪を手で抑え、清楚な顔を強張らせながら足場を見つめ、恐る恐る降りる。
全員が降りると、ダイは宿に併設された簡易的な馬小屋に馬車を止めた。
「よし、それじゃあ行こうか」
ダイが先頭に立ち、俺は最後尾に並びながら宿へ入っていく。
薔薇の彫刻が施された木製の扉を開くと、澄んだベルの音が鳴り、かすかに甘い香油の匂いが香る。
「いらっしゃいませ! あ、みんな!」
薔薇が飾られた受付に立つローズは、来客が俺たちだと気付くと嬉しそうに笑顔を浮かべた。
「久しぶり、ローズ。部屋は空いてるかな?」
「二部屋だよね。大丈夫だよ」
ダイが受付で宿泊の手続きをしている間、俺は先に全員分の荷物を部屋へ運んでおくことにした。
「キルト、久しぶり。元気そうだね」
しかし、俺の姿を見つけたローズが、深紅色の長い髪を耳にかけながら弾んだ声音で話しかけてきた。
「久しぶり。ローズも元気そうだな。部屋は、いつもの所でいいんだよな?」
「うん。あ、荷物運ぶよ」
「いいって、こんくらい。ダイ、荷物運んどくぞ。じゃ、後でな」
ローズには申し訳ないが、正直、受付で長居したくない。俺はそうそうに会話を切り、足早にここから去ろうとした。
(ゲ……)
ただ、一足遅かった。
受付の奥から、確かな足取りの老人が顔を出したのだ。
「おぬしら、また来たのか」
老人は俺とダイの存在に気付くや否や、顔を顰めながら鼻を鳴らし、面と向かって悪態を吐いてきた。
「ちょっと、おじいちゃん! キルトたちはお客さんだよ!」
ローズが間髪入れずに咎めると、老人は表情を一変させ、困った表情を浮かべた。
「ローズや、こ奴らは命知らずの変人じゃ。関わっちゃいかん」
「何言ってるの、ここは宿屋だよ」
「それは、あの馬鹿モンが勝手に宿屋にしただけじゃ」
相変わらずの老人の対応に、ダイは苦笑いを浮かべ、俺は呆れてしまう。
「親父、いいかげんにしてくれ」
ローズと老人の会話を聞き付けたのか、奥からローズと同じ髪色をした恰幅の良い男性が姿を現す。
「なんじゃ、お前!」
「うるさい! 邪魔だから、奥に引っ込んでてくれ!」
老人を力づくで奥に押し込むと、恰幅の良い男性は俺とダイに向かって深々と頭を下げてきた。
「ダイさん、それにキルトさん。父が失礼なことを言ってすいません」
「いえ」
ダイは瞬時に仕事用の笑みを張り付け、問題ないことを伝える。
俺は黙って二人を眺めていると、ローズが近づいてきて、眉を下げながら声をかけてきた。
「キルト、気を悪くさせちゃったよね。ごめんね」
「別に気にしてないって」
俺もダイに倣って笑顔を浮かべてみるが、ローズは浮かない顔をしたままだった。
萎れたように俯き、「でも……」と弱弱しい声で呟くローズ。
「あ、ならさ、飯の時に何かサービスしてくれよ。……そうだ、前に来た時に作ってくれたりんご煮。あれ、また作ってくれよ。一回真似して作ってみたんだけどさ、ローズみたいにうまく作れなかったんだ」
元気づける方法を考え込んだ末、俺はローズにお願いをすることにした。
「ッ! うん! 任せて!」
お願いは功を奏し、ローズは花が咲いたような満面の笑みを浮かべた。
「ローズ。母さんと代わって、休憩しておいで」
「いいの?」
ローズの親父さんが、細い目をさらに細めて微笑む。
「ああ」
「ありがとう、お父さん」
ローズは嬉しそうにお礼を言うと、アカリやオリーと喜び合う。
そうして、みんなで部屋に向かっている最中、廊下を掃除しているローズのお袋さんと出くわす。
「ん? あらあら、みんな久しぶりね」
ローズのお袋さんは俺らに気付くと、笑みを浮かべて歩み寄ってくる。
「お久しぶりです」
ダイが代表して挨拶すると、ローズのお袋さんは俺たちの無事を確かめるように、一人一人ゆっくりと顔を見渡す。
「みんな、怪我もなくて良かったわ。疲れたでしょ? ゆっくりしていきない」
「はい、ありがとうございます」
ローズのお袋さんはニコニコとしながら頷いた後、俺を見つめた。
「キルト君も元気そうで……。良かったわね、ローズ」
ローズのお袋さん笑顔を浮かべたまま、唐突にローズに話を振った。直後、ローズ顔が薔薇のように真っ赤に染まる。
「ちょっと、お母さん!?」
「ふふ、私が受付ね」
ローズのお袋さんは驚いた娘の顔を見て満足したのか、そそくさと去って行った。
(相変わらずだな……)
ローズの顔立ちはお袋さんにそっくりだが、性格は穏やかな親父さん似。あの茶目っ気は、唯一無二だった。
男女で部屋に別れると、ダイは椅子に腰かけた。
少し疲れた顔をするダイに、俺は労いの言葉をかける。
「お疲れ」
「ああ。やっぱり、慣れないことをすると疲れるな」
「そうか? 自然に出来てたぞ。っと、それじゃあ、俺は一旦戻るわ」
「分かった。集合は六時だから遅れるなよ」
俺は黒穴を床に出現させ、飛び込む。
「あ、おかえり」
一先ず屋敷へ立ち寄ると、エノが出迎えてくれた。
「ただいま。ま、すぐに出かけるけどな」
「うん、早く行こ」
エノが待ってましたと言わんばかりに、天井近くまで飛び上がり、アクロバティック飛行をしながら肩に舞い降りる。
「秘密基地島へ、しゅっぱーつ!」
「やっぱ、ゴロ悪くないか、それ?」
「え~、いいじゃん」
エノと話ながら黒穴を通り過ぎるとすぐに、木の香気と潮の匂りに包まれる。
黒穴が繋がっているのは、レオガルドでは高級品として扱われている木材だけで建てられた玄関ホール。様々な太さ、形状に切られた褐色の木材が隙間なく組まれている。
まずはリビングに顔を出そうかと思った矢先、外から楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
壁に設けられたロンデル窓から外を眺めると、元気に走り回るアルクと、尻尾を振りながら追いかける伊勢と稲荷の姿が見えた。
大きな両開きの玄関扉を開け、広いウッドデッキに出る。
「やっぱり、変な匂い」
屋外に出たことで潮の香りが強まり、エノは顔を顰める。
「こればっかりは、慣れだな」
ヴァルグさんの意向で、高床式になったログハウス。階段を下りていると、アルクが飛び跳ねながら大きく手を振ってきた。
「キルトにぃー! エノー!」
アルクは笑顔を浮かべ、走ってくる。そして、そのままの勢いで飛びついてきた。
「おかえりー」
俺は、そんなアルクを優しく受け止める。
「ただいま」
足元では、伊勢と稲荷がおすわりした状態で「ブンブン」と尻尾を振っている。
「伊勢も稲荷もただいま」
「「ワンッ!」」
その場で寝転ぶ二匹のお腹を撫で回しながら、影に向かって声をかけた。
「小夜ちゃん、もういいよ」
俺がそう声をかけると、影の中から小夜ちゃんが出てくる。
「小夜もおかえりー!」
アルクは、小夜ちゃんが出てきたと同時に抱きついた。
「ただいま、アルクちゃん」
小夜ちゃんは、少し恥ずかしそうに、だがそれ以上に嬉しそうに微笑む。
「きーと!」
二人を微笑ましく眺めていると、愛おしい声が聞こえた。
声がした方に視線を向けると、マーレイさんと手を繋いだホリィが弾けんばかりの笑みを浮かべて近づいてくる。
俺は片膝を地面に着き、両手を広げた。
ホリィは、俺のことをじっと見つめながら小さな足を懸命に動かす。
「きーと」
「ただいま、ホリィ」
ある程度まで近づくとマーレイさんが手を離し、ホリィは一人で走ってくる。俺はそんなホリィを抱きしめた。そして、両脇を抱きかかえ、勢いよく高い高いする。
「ホリィ、いい子にしてたか?」
高い高いをしたままその場で回ってあげると、ホリィは楽しそうに声を出して笑う。
「いいなー」
「アルクも、後でやってもらえばいいじゃん」
「うん! 楽しみだね、小夜」
「…………うん」
高い高いに満足したホリィを肩車してあげた後、静かに控えていたマーレイさんに声をかける。
「マーレイさん、戻りました」
「おかえりなさいませ、キルトさん」
「リストは出来てますか?」
「こちらです」
マーレイさんから受け取ったリストに目を通す。リストには、消耗品や食料が書き連ねており、横には個数も記載されていた。
「よろしくお願いします」
「了解です。ラルフさんとヴォルグさんは?」
「朝から訓練場に籠っています」
俺は、奥に見えるゴツゴツとした黒い岩肌の壁に目を向ける。
黒い壁の正体は、カルデラ。
この島は、大陸から数十キロ沖合にある外輪山と内輪山で形成された二重カルデラ。島には上陸できる場所はなく、さらに、海には陸とは比べられないほど強い魔物が数多く生息している。
皇国はおろか、帝国や教国ですら侵攻不可能な安住の地。
「きーと、びゅーん」
「ん? よーし、しっかり掴まってろ」
肩に乗っているホリィが、足をバタつかせる。
ホリィの要望を受け、俺は走り出す。
こうして、集合時間まで俺はみんなと遊んだ。




