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悪服す時、義を掲ぐ  作者: 羽田トモ
第三章
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第17話 存在×尊厳

 小さい頃の思い出は、窓の外の景色と消毒液の匂い。 


 お父さんとお母さんが買ってくれたランドセルは、背負うよりも眺めていることの方が多かった。


 その時はスマホがなかったから、ベッドの上でやれることは読書か勉強だけ。でも、私はどっちも好きじゃなかった。


 そんな私が唯一心惹かれたのが、森の図鑑。


 長い時間をかけて生み出した美しさに、写真でも伝わる壮大さ。


 憧れた。


 何よりも、その圧倒的な生命力に。


 中学生になる直前で退院することが出来て、激しい運動は禁止されたけど、学校には通えるようになった。


 ただ、小学校をほとんど通ってなかった私は友達をつくることができなかった。


 楽しそうにしているクラスメイトの輪に入れず、眺めることしかできない日々。勝手に疎外感を感じて、そんな自分が嫌になってた。


 そんな私に、笑いながら声をかけてくれたのがアカリだった。


 初めてできた友達。


 私の親友。


 良くないとは思いつつ、私はアカリと同じ高校へ進学を決めた。


 アカリのおかげで、私は楽しい学校生活を送れるようになった。 


 そんな学校生活は、眩い光と共に終わりを告げた。


 突然迷い込んだ異世界。


 来たばかりの頃、アカリは酷く怯えてた。


 普通の反応だと思う。


 だけど、私は違った。


 日本人が授かる特別な力――天賜。その天賜のおかげで、私の体調は信じられないほどに回復したのだ。


「体が軽い……息も苦しくない」


 生まれて初めて、全力で走った。


 生まれて初めて、高鳴る鼓動を感じた。


 生まれて初めて、生を実感した。


「ここに来れて良かった」


 私は、完全に浮かれてた。皇国の人たちを信用し切ってた。


「言ノ葉様、こちらです」


 通された部屋に入った瞬間、突然意識を失い、目を覚ますとベッドの上にいた。


「私、どうし……ッ!?」


 すぐ、異変に気付いた。


 目隠しをされていて、手足も縛られてるのだ。


「お目覚めになられましたか。まず、言ノ葉様。このような御無礼、誠に申し訳ございません。その状態では、何かとご不便がございます。私は、言ノ葉様の御世話をさせていただくシレネと申します」


 ベッドの横から聞こえる女性の声。



 私はまた、ベッドの上に戻った――。 



「アカリ……助けて……」


 狂っていく時間間隔と共に、精神も少しずつおかしくなっていく。だからか、日に日に体調が日本にいた時の状態に戻っている気がした。


 そんなある日、突然手足の枷を外された。


「歩け」


 聞き慣れない男性の声。 


 目隠しはされたまま歩くこと、そして、逃げられないよう私の周囲を取り囲んでいる気配に怯えながら一歩ずつ慎重に歩く。


 暫く歩くと、屋外に出たのを感じ取る。


 肌を撫でる風、暖かな日差し。


 心は依然として沈んでるのに、体の内側から力が湧き出す。


 シレネさんに介助されながら慎重に階段を降り、湿った空気の中を歩くこと数分、目隠しを外された。


「ここは……」


 霞む視界の中、何度も瞬きをしながら周囲を見渡す。すると、この世界に初めて降り立った空間だということに気付いた。 


 放心状態のまま視線を彷徨わせていると、()()()に目が留まった。 


 一瞬頭が真っ白になった後、血の気が引き、心臓が縮み上がる。


「どうされましたか、言ノ葉様?」


 後ろから、老齢の男性に声をかけられた。


 薄暗い空間に響き渡る老人の落ち着き払った声。だけど、凍り付いてしまったかのように私は目を離せなかった。


「ああ、()()ですか」 


 私の異変に気付いた老人は、声調を変えずに平然と答える。


「それは、魔道具です。少々見た目は不格好ですが、性能は良い物です」


 氷のように冷たくなった体を抱きしめながら、私は悟る。


(私……)


 指先が小刻みに震え、涙が溢れて止まらない。


 涙で滲む視界の中、か細い声で呟く。


「嫌、助けて……」



 ――その時だった。



 突然、私の隣に黒い塊が現れたのだ。


 精神が限界だった私は、崩れるように意識を失った。






 ◇◇◇◇◇






 言ノ葉が倒れ込む数十分前――。


 屋敷の玄関ホールから黒穴を通り、俺たちは不気味なほど静まり返った暗い洞窟に立つ。


 ここは、レオガルド中に設けている瞬間移動(ワープ)地点の一つ。


 ホリィを探す際、一度立ち寄った都市国家に現れる可能性があった。それだけでなく、保護した後も自由に都市間を行き来できた方が便利である。


 そのため、ルートを辿りながら渦を描くように瞬間移動(ワープ)地点を設けていた。


 渦を描いた理由は、エノの力を使って独自の情報網を築くため。


 エノは死者の魂と会話し、生前の罪を聞き出すことができる。罪人だった場合は、円環に還すことを条件にエノの間者として働かせる。


 レオガルド中の異変(うわさ)を聞き逃さないことから、エノは「私の耳は地獄耳!」とはしゃいでいた。


「アカリ」


 隣に立つアカリに声をかけると、彼女は手探りで俺の背に乗り、しがみ付く。


「いいよ、天賜もかけた」


 その声を聞き、俺は駆け出す。


「アカリ、最後にもう一度確認だ」

「うん。キルト君が合図したら、天賜を解く。その後は、フードが脱げないよう気を付けながら私は何もしない」


 アカリが言い終えると、俺は頷く。


「絶対に守ってくれ。目の前に言ノ葉が居たとしてもだ。言ノ葉は俺が助ける」

「うん」


 アカリの天賜が発動している最中、魔術は発動できない。


 正確には発動することは可能だが、その瞬間アカリの天賜が解けてしまうのだ。


 アカリを守りつつ言ノ葉を救出するには、手の届く距離まで近づいて天賜を解くしかない。


 天賜を解くのは一瞬だ。すぐに黒穴を出現させ、言ノ葉と共に屋敷へ帰還する。だが一瞬とは言え、皇国の者たちの前に姿を晒すことには変わりない。


 その僅かな時間でも、人物を判別することが可能なのが天賜だ。


 俺だけならいい。


 魔族の実験施設が壊滅したことは、すでに皇女も把握済みのはず。それならばむしろ、俺という存在は牽制になる。


 しかし、アカリは別。


 アカリとダイは共に皇国を逃げ出した。そのアカリと俺が共に行動しているということは、必然的にダイも一緒ということになる。さらに言ノ葉も仲間になったとなれば、皇国――皇女も黙ってはいないだろう。


 必ず属国や教国と連携し、レオガルド中で追われる身になる。


 それを防ぐため、俺もアカリも黒いマントを羽織っていた。


 このマントは、魔族が実験に必要な人間を攫うために使用していた物。このマントを羽織り、フードを被ると存在が朧になる。


 アカリの天賜の劣化版とも言える魔道具。


(対策はした。あとは誤魔化せるかだ)


 そんなことを思いながら森の中を駆けていると、目的地である山が見えた。 


「エノ」

「まだ大丈夫」


 間を置かぬ返事。


「一夜さん、お願いします」

「はッ!」


 影の中を高速で移動し、一夜さんは入口の門へ向かう。


 山を繰り抜いて作られたあの空間へ行くには、分厚い頑強な門を通るしかない。


 今は一分一秒を争う状況であり、門に施錠がされていた場合は破壊して突入する。


 その場合は、自動的に皇国と一戦交えることになるだろう。


 ただ幸いなことに、召喚魔術の準備で人の出入りが多いためか入口は開いた状態だった。


 厳重に見張りはされているが、今の俺らには問題ない。


 見張りの横を通り過ぎ、広々とした階段を落下する勢いで駆け降りると、薄暗い廊下を突き進む。


 そしてついに、言ノ葉がいる空間の前にある広場に辿り着いた。


(皇女はいないか……)


 慌ただしく魔術の準備に追われている皇国の魔術師たち。その中に、皇女の姿はなかった。おそらく、召喚魔術が失敗した場合を考慮し、結界内にいるのだろう。 


(今は余計なことを考えるな!)


 無意識に皇女を探してしまったことに気付き、言ノ葉の救出に集中する。


 最終段階なのか、門は硬く閉ざされていた。ただ門の両側に、空間の方へ昇っていく階段が備え付けられていた。


 階段の行先は不明だが、一先ず右側の階段を駆け上る。


「……そういうことだったのか」


 目の前の光景を前にして、思わず呟く。


 空間の構造は、まるで体育館のようだった。何もないと思っていた空間だが、実際には明かりが届かない高さに高所用通路があったのだ。通路は空間を囲んでおり、魔術師が等間隔に並んでいる。


(初めてここに来た時に気付いた視線は、魔術師だったのか)


 高所用通路から下を覗き込むと、空間には人が三人おり、巨大な術式の中心には言ノ葉がへたり込んでいた。


「アカリ、いくぞ」

「うん」


 俺にしがみ付く力が強まった後、高く跳躍した。そして、言ノ葉の隣に降り立つと合図を送る。


「いいぞ」


 声は張り上げない。天賜が解けた後、声が反響してしまう可能性があったからだ。


 アカリの天賜が解けたのを察知したと同時、俺は言ノ葉の近くに立っていた老人を突き飛ばす。


 すかさず、黒穴を出現させた。


 頭上から、複数の驚愕する声が漏れ聞こえる。


「止め――」


 状況を理解したであろう皇国の者が、血相を変えて叫ぶ。


 ただ、数秒遅い。


 叫び声は途中で途切れ、無事、言ノ葉を連れて屋敷へ帰還することができた。


「アカリ!」


 玄関ホールに降り立つと、ずっと待っていたであろうダイが不安そうな表情を浮かべながら駆け寄ってくる。


 だがアカリは、俺の背から飛び降りると、床の上に寝そべる言ノ葉へ向かう。


「安心しろ。アカリは傷一つ負ってない」


 そう声をかけると、ダイは俺の前で足を止め、安堵の表情を浮かべる。


「そうか……良かった」

「ダイ、言ノ葉を空き部屋……アカリの隣の部屋に運んでやってくれ」

「分かった。言ノ葉は?」

「気絶してるだけだと思う」


 会話を終えると、ダイは言ノ葉を抱きかかえ、空き部屋へと向かう。


 三人の後ろ姿を静かに眺めていると、エノが口を開く。


()()はどうするの?」

「出来る限りの介抱するつもりだ」


 エノが口にしたのは、言ノ葉ではない。


 俺は、咄嗟に別の空間に別けた。


 その姿を誰にも見せないためだ。


 それは同情心であり、皇国への復讐心。その二つがまだらに混ざり合い、刹那の逡巡の末、彼女も連れて来た。


「酷過ぎる」


 エノが絞り出すように呟く。


「ああ」


 彼女は両手と両足を切り落とされており、両目と口には魔力を吸い出すための管が突き刺さっていた。


 一目見て分かった。


 尖った長い耳、白磁のような白い肌、燦々と燃える大きな赤い火。千年前、その美貌で勇者を誑かし、森の奥へ連れ去ったと言い伝えられている魔女。


「森の民……」


 言ノ葉の傍にいたのは、森の民だった。

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