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悪服す時、義を掲ぐ  作者: 羽田トモ
第三章
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第10話 獣人×第一歩

「それじゃあ、しゅっぱーつ!」


 エノが天に向けて腕を突き上げ、元気よく掛け声を発する。すると、馬がゆっくりと歩き出し、濃い灰色のタイヤが回り出す。


「ふっふふ~ん」


 生まれて初めての馬車に、エノは興奮しっぱなしだった。馬の頭に乗り、楽しそうに景色を眺めている。そんな彼女から、視線を馬車に移す。


 馬車は、木製ではなく竹製。レオガルドでは安易に森へ入れないため、木材は高級品として扱われている。そのため、変わりに竹が普及した。“嘘つ木”という名前のこの竹は、一日に三メートルという驚異的な速度で成長し、針葉樹のような形に成長する。放置しているだけで育ち、丈夫で加工しやすい万能素材。


「ぱっと見、ただの木だな」


 指の背で軽く叩くと、木材のような堅さと澄んだ音が鳴る。


「でも、匂いは木っぽくないな。独特な……清々しい匂い? なあ? 日本の竹もこんな匂いだっけ?」


 視線を横にいるダイへ向ける。すると、ダイは緊張した面持ちで御者台ぎょしゃだいに座り、手綱を握り締めて微動だにしない。そのあまりの緊張ぶりに、俺は思わず笑いを吹き出してしまう。


「んな、緊張するなって。周りを見てみろよ? ぶつかってマズい物はないんだ、気楽に行けって」

「そう言うなら、変わってくれ」

「俺は教わってないから無理」


 ダイの隣に座る俺は、両手を挙げ、あっけらかんと答える。そして、エノに倣うように景色を眺めた。


「今、めっちゃファンタジーしてるな。それに、“粘液サスペンション”だっけ? すげぇな、座ってても全然ケツが痛くならない」


 馬車の座り心地に感心していると、ダイが難しい顔をしていることに気付いた。


「どうした?」

「いや、地球だと、確か十七世紀に発明されたんだっけなって思ってな。しかも最初はバネ式だったのに、この世界の人たちはスライムの粘液っていう別の物で生み出した」

「そりゃあ、自分たちで無から生み出すより、日本人の知識を参考にした方が早いだろ? 日本人の知識を疑う人なんて、この世界にはいないだろうし」


 事実、ダイは皇国の料理人にレシピを教えた際、光栄に思われたと語っていた。


「確かにな。けど、試行錯誤の中で得るモノだってある」

「まあ、確かに……」


 ダイの言わんとすることも、分からないではない。


「ゼロから一を生み出すんじゃなくて、四から十にしてる。この世界の人たちは、出来上がってる枠の中を綺麗に色を塗ってるだけだ」

「楽してるって言いたいのか?」


 俺が尋ねると、ダイは一拍の間を置いた後、自身の見解を口にする。


「いや、そんな偉そうなことは言わない。ただ、文明レベルの成長スピードに、文化が追い付いてないって思うだけだ」

「そうなのか?」


 俺が首を傾げると、ダイはさらに言葉を続ける。


「文明を推し進めようとしてる帝国と、信仰を守ろうとする教国。この二つの国家は、かなり険悪らしい。特に近年は、帝国が属国になった都市国家の教会を取り壊してるせいで関係がより悪化してる。教国は神への冒涜だとか言って激しく非難してるらしいけど、商人組合の実権を帝国が握ってるせいで報復はできてない」


 一定のリズムで刻まれる車輪の音を背景音楽に、ダイは国家間の情勢を語る。ふとなぜそこまで詳しいのかダイに訊くと、「逃げる先を吟味してたからだ」という答えに納得した。


「帝国の生み出す技術は、地球で起こった産業革命に相当する。産業革命は神の存在を、触れることすら禁忌とされていた“パンドラの箱”を開けた。その後に待っていたのは、信徒と資本家との災厄(血の争い)。箱の中が空っぽだった地球はまだマシだ。でも、神の使いとされる勇者に救われたこの世界の箱は空だと思うか? 金色に彩られた箱を開けた人類に、神は天罰を下すんじゃないか?」


 天道の先に煌々と輝く太陽を見つめ、ダイが真剣な声音で問うてくる。


 俺は、純白の管理者と漆黒の管理者を思い浮かべた。ただそれは一瞬だけで、すぐに頭から消し去る。


「いるかもしれない神に、人の命を救わない神に気を遣うより、救える命があるなら俺は箱を開くね。それに技術革新の恩恵を受けてる時点で、信仰してる人たちも神に砂をかけてる。けど、どうだ? 何も起こってないどころか、教国は人身売買に加担して、のうのうと三大国家に名を連ねてる。これが現実だ」


 こうしてダイと議論をしながら、獣の民を送るべく天道を東へ進んでいた。


 ルナンさんと別れた後、俺たちも動き出そうとした。だが、すぐにある問題に直面した。それは、獣の民の住処が分からないということ。獣の民は相変わらず敵対心を露わにし、会話にならない。それにだ。仮に協力的だったとしても、彼らは自分たちの住処を答えられないだろう。


 最悪、レオガルドをしらみ潰しに回るしかないと思ったその時、意外な人物が口を開いた。


『キルト、そいつ等の住処なら知っている』

『え? ヴァルグさん、知ってるんですか?』

『ああ。確か、猪人族は――』


 ヴァルグさんによれば、森の集落で暮らしていた際、交流があった別の獣人から猪人族の話を聞いたとのことだった。地図で場所を確認すると、帝国の東にある森に猪人族の集落はあるという。


 ちょうど国人たちも東の都市国家群の出身であり、俺一人で走り回れば、三日もかからずに全員を送り届ける。


 だが、ここでさらなる問題が起こった。


 獣の民たちが、黒い穴へ入ることを拒んだのだ。いくら説得しても、警戒して入ろうとしない。力づくで屋敷に入れることも考えたが、屋敷を壊されるのは目に見えていた。


「ならさ、馬車で行こうよ。私、乗ってみたかったんだよね」


 エノのこの一言で、獣の民を馬車で送り届けることに決まった。


「そう言えば、キルト。ラルフさんたちはどこ行ったんだ? 馬車の操作を手短に喋って、どこかに行ったけど?」

「ああ、ちょっと、()()()を探しに行ってもらってる」

「候補地?」

「ラルのおっちゃんもヴァルグも、すっごいはしゃいでたよね」


 ダイと話していると、満足したのか、エノが戻ってきた。


「屋敷の中じゃ、体を動かすのも限界があるからな」

「ラルのおっちゃん、ヴァルグにどっちが速く走れるか勝負しかけてたもんね」

「言ってたな、ヴァルグさんも乗り気だったし。まあ、アルシェと小夜ちゃんの影も一緒だし、ちゃんと探してくれるだろ」

「なあ? その候補地って――」


 再びダイが俺に尋ねようとした瞬間、荷台から「ドンッ」という物音が鳴った。音に釣られて視線を向けると、俺のことを睨む目が暗闇に浮かんでいた。


『おい、人族。腹が減った、食い物を用意しろ』


 僅かな沈黙が流れた後、エノが口を開く。


「生意気~」

「だな」


 エノが半目で荷台を見つめ、俺も思わず苦笑いを浮かべる。


「なんだって?」


 獣の民の言葉が分からないダイが、不思議そうに訊いてきた。


「腹が減ったから、飯を用意しろだってさ」

「いいご身分だな……」

「暴れられても面倒だし、飯にすっか」






 ◇◇◇◇◇






 昼食を終えると、獣人の子らは何も言わずに平原の奥へ走って行った。


 まるで嵐が去った後に訪れる物静けさに包まれる中、俺は遠ざかっていく獣人の子らの背中を見つめる。


 彼らは逃げたわけではない。おそらく、長い期間馬車に乗せられて鈍った体を動かしたいのだろう。


「ん? どうした、エノ?」


 深いため息を吐きつつ視線を戻すと、エノが獣人の子らが食事をしていた場所をじっと見つめていた。


「食べ方、汚いッ! 稲荷と伊勢だって、もっと綺麗に食べるよ」

「いや、それは……躾……じゃなくて 、文化の違いだ……たぶん……」


 エノの遠慮のない言葉に、咄嗟に獣人の子どもを庇おうとしたが、本音では俺も汚いと思っているせいであまり強くは言えなかった。


「キルト」


 ふと、ダイに名前を呼ばれる。顔を向けると、ダイは顎である方向を指し示す。言われるがまま視線を辿ると、そこには一人の獣人が立っていた。


『どうかしたか?』


 立っていた獣人の子どもは、四人の中で一番大人しく、他の獣人の子からこき使われていた子どもだった。手には四人分のコップを持っており、どこか落ち着かない様子で立っている。


(住処には帰りたいから、この子一人に片付けを押し付けたな。ったく、人間とやってること同じじゃねぇか)


 地位の高い者が、低い者へ命令を出す。忌み嫌っている人間とまったく同じ行動を取る獣人。ただその上下関係は、人間よりもシビアに思えた。


 俺が気絶させた獣人の子どもは、無様な姿を晒したからかリーダーの座から降ろされていた。変わりに二番目の子どもがリーダーの座に就き、三人を仕切っている。


 個の強さで上下関係が決まっているのだろうが、敗北した獣の子どもはすぐに三番目に上がっていた。


(見るからに、気弱って感じの子だもんな)


 弱肉強食という価値観を引き継いだ獣人の世界では、気弱な子どもはさぞ生きづらいだろう。同情はするが、俺が口を出すべきことではない。むしろ、安易に口を挟むと獣人たちの関係がより悪化する。


 それに薄情かもしれないが、彼らとは短い間だけの付き合いであり、さすがに仲を取り持つまで面倒は見切れない。


 申し訳ないと思いつつ言葉を待っていると、目を伏せていた獣人の子どもが意を決して口を開いた。


『あの、ご飯美味しかったです』


 恐る恐る、だが、ハッキリと想いを言葉にして伝えてくれた。


 無垢な言葉が心に響いた直後、自分がステレオタイプな考え方をしていたことに気付き、恥ずかしさで体が熱くなる。


『そっか、口に合ったならよかった。なら晩飯も期待しとけ、もっと美味いモン食わしてやるからよ』


 俺は静かに羞恥心を飲み込み、さっと笑みを浮かべて答えた。


『ほんとッ?』


 獣人の子どもは俺の言葉に、目を輝かせ、体を弾ませる。


『ああ、約束だ』

『うん! あ、みんなが呼んでる。僕もう行くね』


 平原の奥から猪の鳴き声が木霊し、獣人の子どもが表情を曇らせる。そして、踵を返して走り去ろうとした。


『ちょっと待った』


 俺は咄嗟に、獣人の子どもを呼び止めた。獣人の子どもは動きを止め、不思議そうに俺の顔を見つめてくる。


 勝手に決めつけたのは、俺が彼らのことを何も知らないからだ。このままなら、後悔しただけで終わる。歩み寄るためには、互いを知るしかない。その第一歩は――。


『俺は、キルトって言うんだ。君の名前を教えてくれないか?』


 手を差し出し、俺は名前を名乗る。


『僕は、グン。キルト、僕が名前を教えたこと、みんなには内緒にしてね?』

『ああ、分かった』


 俺が差し出した手を、グンは嬉しそうに握った。小さくも、人間と変わらない温かさが伝わってくる。


 互いに笑顔を浮かべ、俺たちは第一歩を踏み出した。

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