第6話 生命×価値
屋敷を出て路地裏に降り立つとすぐに、ラルフさんが声をかけてくる。その声音は低く真剣なものであり、普段以上の声量だった。
『キルト、よく聞け。ケリヨトのヤツ等なら、天道を進むはずだ。都市を出たら、天道を目指せ』
ラルフさんの助言を受け、頭にレオガルドの地図と都市内を思い浮かべる。
(この都市なら正門から出るより北西の壁から出た方が、早い!)
幸か不幸か、路地裏は北側。壁際の建物へ昇り、屋根の上から壁に向かって跳躍する。巡回通路に降り立つと、逆時計回りに走り、東の方角に設けられている正門を目安にだいたいのところで壁から飛び降りた。
夜の平野を突き進む。
都市の喧騒は夜の静寂へと一変し、営みの明かりは闇に塗り潰され、呼吸音と鼓動だけが闇夜に溶け込む。
月明かりに照らされ、背中を押す夜風を感じながら走ること一時間、とうとう天道に辿り着いた。
天道は、最古の街道である。平和になったレオガルドの物流を円滑に行うべく敷かれた街道であり、教国正門から皇国の横を通って西の都市国家群まで真っ直ぐ伸びている。
暗闇の中を進む馬車はいない。人との遭遇するリスクがないため、天道を全速力で走る。
「なんで、天道を走れるんだ?」
走り続けたことで感情が落ち着き、多少冷静さを取り戻した。すると、ふとした疑問を抱く。
どうして、ケリヨトの者たちが天道を進めるのか。
天道には勇者の伝承がある。曰く、勇者が大地を斬り裂いたというものだ。その跡を教国が整備し、大司教が天道と名付けた。それ以降、通行する際は教国へ通行料を支払わなければならなくなった。仮に無断で通行した場合、必ず教国の使者が現れ、制裁を受けると言われている。
「まさか」
思考を巡らす中、ある一つの可能性に思い至った。
『アルシェ』
ラルフさんではなくアルシェに声をかけたのは、彼女がそこまで信心深くないからだ。信仰心がないとは言わないが、何事においてもしがらみを切り離して考えることができる。
『どうかされましたか?』
『教国とケリヨトは繋がってるのか?』
俺は、思い至った考えを口にする。だが間を置かずに返ってきたアルシェの返答は、予想の斜め上だった。
『いえ、教国だけでなく、帝国……そしておそらくは皇国も繋がっています』
その答えに衝撃を受けるも、心のどこかで納得する自分もいた。
この世界には、外民が存在するのだ。
『そうか。皇国のおそらくってのは?』
『私がまだ皇国に居た時は、ケリヨトとの取引は行われていませんでした。ですが、エノディアさんの話によれば多くの人間が実験の犠牲になっていたとのこと。魔族が自力でそれだけの人数を捕獲したとは考えにくく、おそらくメレオパトリシアがケリヨトと取引して調達していたのだと思われます』
確かに、魔族が人を攫っていれば騒ぎになるはず。だが、レオガルドを横断していた際、どの都市国家でも魔族を目撃したなどという情報は耳にしなかった。
「世界が違っても、人間は一緒ってことか」
生まれた場所で人生が左右されてしまう理不尽さ。努力する機会すら与えられない環境。弱者を見捨てず、救い上げることを選んだ人間社会だけで生まれた価値観――生命の価値。
ただ一点、地球とは異なる点がる。外民の存在だ。その存在が、生命の価値を“時価”にしている。
レオガルドの人間社会は、上人、平人、下人、外民という階級に別れている。王族は上人。一般人に当たる国人は平人。そして、下人。下人に当たる者は、先天的な病人、病弱な者、無能な者、親のいない子どもが該当する。
住居や物資に上限がある都市国家は、命に明確な線引きをしなければならない。
外民のように扱いつつも、“人”という枠組みの中で管理する。
下人という存在は、都市国家を維持するために必要な余白に位置する者たちなのだ。
平人から下人に落とされた者は、隔離された居住区内での生活を強制され、都市国家内の汚い仕事に従事しなければならない。さらには、外民の中で奇形児が生まれてくるのを防ぐための種馬となり、上人や力ある者の玩具にもなる。
非人道的に管理される下人は、二度と平人には戻れない。いや、戻ることが出来ない。たとえ、秀でた才能を持っていたとしてもだ。
原因は、与える食事に混ぜられる薬物の副作用。薬物を混ぜるのは、反乱を未然に防ぐため、そしていらぬ希望を抱かせないためだ。「平人へ這い上がれるかもしれない」という叶わぬ希望を抱いてしまった場合、希望は絶望へと裏返り、絶望は共感を呼び、やがて反旗を翻しかねない。
一の逸材が現れたところで、全が崩れては意味がない。都市国家内では、“平等”ではなく“維持”が優先。その共通意識を持ち、全員が生き残るため、下人の境遇を知っていながらも見殺すをする。
平人が悪いわけではない。みんな必死なのだ。物心ついた頃から教育を受ける平人は、日々の研鑽と神への感謝を怠らない。“命は価値、生は力”を心に刻み、価値無き者は必死に力を求める。
己の生命の価値を高めることだけが、真っ当な人として――人間社会から淘汰されない唯一の方法なのだ。
「けど、俺には関係ない!」
ホリィは、俺のせいで下人に落ちてしまった。
都市国家どころか、レオガルドを敵に回してもホリィを助け出す。
絶対に救い出すという強い想いを抱きながら走り続けること数時間、東の空が白んできた頃、野営している馬車を見つけた。




