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悪服す時、義を掲ぐ  作者: 羽田トモ
第二章
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第21話 腹を割る×一

 屋敷の広間。俺とエノディアさんは壁際で、ヴァルグさんとラルフさんの組み手を眺めていた。


 堕天を終えた後、ヴァルグさんが体の調子を確認したいと言ってきた。その発言を聞いたラルフさんが「なら、手合わせしようぜ」とヴァルグさんを誘い、今に至る。


 本気を出すことはもちろん、戦人化も武器の使用も禁止。それでも、二人の力量が相まって激しい攻防を繰り広げる。


 二人がぶつかり合う度に衝撃波が発生し、シャンデリアが揺れ、窓ガラスが音を鳴らす。


「よく飽きないね」


 組み手を始めてから一時間が経過した頃、肩に座るエノディアさんがあくびをしながら呟いた。


「二人とも、武芸者ですからね」


 荒々しく、躍動感のある動きをするヴァルグさん。一方ラルフさんは、最低限な動きで、動作の随所に理があるように思えた。流儀の違う戦い方に、俺は目を奪われる。ただ――、


「さすがに、もう時間か」


 個人的にはもう少し眺めていたい気持ちもあるが、この後の予定もある。


 俺は、中央にいる二人に歩み寄りながら声をかけた。


「ラルフさん、ヴァルグさん。今日はもう終わりにしましょう」


 俺の声が聞こえたのか、二人は同時に動きを止めた。


「んだよ、まだいいだろ? キルト」

「ああ。やっと体が温まってきたところだ」

「でも、もう一時間は経ってますよ?」


 その言葉に、ヴァルグさんは驚いたように目を見開き、ラルフさんは咄嗟に壁掛けの時計へ目を向ける。


「マジか……ちっと、夢中になり過ぎたな」

「明日もありますし、今日はこの辺で。で、体の調子はどうでした?」


 ヴァルグさんに顔を向けて尋ねると、ストレッチをしていた彼女が俺に顔を向けた。


「いいな」


 たった一言の返答だったが、その声音には嬉々とした感情が込められていた。


「良かったです。ただ、すいません。毛の色まで変わるとは思ってませんでした」


 堕天の影響で、深緑だったイクスの毛皮は真っ白に変わってしまった。


 完全に想定外であり、俺は素直に謝罪を口にする。


「気にしてない。だろ、イクス?」


 ヴァルグさんは優しい表情を浮かべ、新しい首飾りの魔石を指で撫でる。


「うん、すっごいおしゃれ。良い匂いになったし、手触りもフサフサで気持ちいし」

「おう。俺の鎧には劣るが、その毛皮も中々いいぞ」

「また言ってるし」


 エノディアさんは呆れた表情を浮かべた後、俺の肩から飛び立ち、ヴァルグさんの毛皮にくっ付いて顔を埋める。


「気持ち~」


 イクスの毛は、毛足が長い。そのため、エノディアさんの体がほとんど毛の中に埋まっていた。


(すっげぇ、大変だったんだよな……)


 毛皮を洗ったのは俺。ヴァルグさんに入れ墨を彫っている間、手持ち無沙汰になったため、一人で毛皮を手洗いしたのだ。毛の根元まで汚れが付着しており、その上、コートのように長い着丈の毛皮を手洗いするのは大変な作業だった。


 ただその甲斐もあり、白色の毛の一本一本が光を反射して輝き、ほのかな石鹸の香りが漂うほど綺麗になった。


 汚れたままで構わないと言っていたヴァルグさんも、綺麗になった毛皮が気に入っているのか、頬を緩ませながら手で撫でている。


「キルトは、もう外に行くの?」


 エノディアさんが羽ばたくと、空中で走るジェスチャーをしながら尋ねてきた。


「いえ、今日はもう進みません」

「え? まだ明るいよ?」


 現在の時刻は正午を少し過ぎたくらいで、普段ならまだ外を駆けている時間だ。ただ、俺にはやりたいことがあった。


 ヴァルグさんを救い出した時に、俺は本当のことをみんなに話すと決めた。


 こぶしを握りしめ、真っ直ぐに皆を見つめながら口を開く。


「走るより、話さなきゃいけないことがあるんです」


 俺の雰囲気を察してか、エノディアさんもラルフさんも何も聞かずに頷く。


「ヴァルグさんも」

「いいのか?」

「はい」


 談話室――皆が席に着き、俺を見つめている。アカリは、少女を看ているため不在。話し合いの後、ダイが伝える予定になっていた。


 俺は目を閉じ、この世界に来てからのことを振り返る。


 突然の異世界に混乱し、天賜を授からなかった。だから、皇女から贄に選ばれ、魔族たちに体を改造された。そして、五人も人を殺めた。


 その後、日本の記憶を心の奥底に仕舞った。それは、未練からくる自己防衛本能。俺は、心のどこかで日本へ帰れると思っていたのだ。罪を償い、いつの日か――。


(けど、そうじゃないんだ)


 血に塗れた俺でも、暴虐な力でも、誰かを助け出すことが出来ると知った。なら、俺はこの力で誰かを救う。何に置いても、ホリィが最優先なのは変わらない。だが、目の届く範囲、手の届く範囲で人を助ける。



 ――これが、俺の贖罪。



 目を開けると共に、俺は皆の顔を確認する。そして、重々しく口を開いた。


「皆さんに、言っていなかったことがあります。俺の本当の名前は、土雲切。勇者と同じ日本人です」






 ◇◇◇◇◇






「――……そして、俺は皆さんに出会ったんです」


 長い語りを終えた俺は、皆の顔を見渡す。エノディアさん、一夜んさん、小夜ちゃんの三人は、いまいちピンと来ていないのか平静。ただ、談話室に漂う雰囲気を察し、困惑しいる。


 ラルフさんは鎧のせいで表情が読めないが、指一本も動かさずに固まっていた。


 意外だったのが、ヴァルグさん。森の奥地で暮らしていた彼女は反応を示さないと思っていたのだが、表情を落とし、天を仰いでいるのだ。


 最後に、アルシェさん。彼女の反応は顕著で、血の気が引いた顔で、硬直したまま静かに視線を落とす。


「なんかあるとは思ってたがよ、まっさか、キルトが日本人だったとはな。こいつぁ驚いた、ガッハッハ」


 数分の沈黙の後、ラルフさんが豪快に笑い声を上げた。気取らず、感情をそのまま言葉にするあたりがラルフさんらしい。


「黙っていて、すいません」

「いや、簡単に話せることじゃねぇ。お前の判断は、正しいぞ」


 手を挙げ、黙っていたことを咎めずに肯定してくれたラルフさん。


 俺はフッと笑みを浮かべた後、口を噤んだまま固まっているアルシェさんに顔を向ける。


「アルシェさん」


 声をかけるが、彼女からの反応はない。 


 皆が不審に思い、一斉に視線を向ける。すると――、


「申し訳ございません」


 椅子から滑り落ちるように、アルシェさんは床の上で土下座をした。


 予想外の行動に、俺以外が目を丸くしながらアルシェさんを凝視する。そして、唯一動揺していない俺に視線を移し、目で問いかけてきた。


「アルシェさん」


 俺は何も答えず、もう一度声をかけた。出来るだけ、穏やかな声で。その気遣いが功を奏したのか、小刻みに震えていた彼女の肩がピタリと止まる。


「…………私も、皆様に隠していたことがあります」


 顔は上げず、額を床に擦り付けたまま、アルシェさんは絞り出すような声で告白を始める。


「私の本当の名は、アルシェヌート・エル・サクラ・サンランデッド。サンランデッド皇国第二皇女であり、キルト様を魔族に引き渡した第一皇女の実の妹です」


 談話室に沈黙が流れる中、誰かの息を呑む音が聞こえた。息を呑む音さえも響く静けさの中、全員が俺の言葉を待っている。


 俺は口を結んだまま、震えるアルシェさんを見つめた。


 彼女の震えの源泉は、罪悪感。俺に対し、罪の意識を抱いているのだろう。合理的な判断を下す彼女だが、決して心がないわけじゃない。どちらかと言えば、その心を律するために合理的な思考をしているように思える。


(けど、違うんだよな)


 もし完璧に合理的な思考をしていたなら、俺は彼女を信用しなかっただろう。だが、違うのだ。


 俺は笑顔を浮かべ、口を開く。


「知ってましたよ」


 先ほどまでの張り詰めた沈黙が一変し、今度は時が止まったかのような静寂が訪れる。


 アルシェさんが、おもむろに顔を上げる。彼女は、目も口も見開き、困惑と驚愕が入り混じった表情で俺を見つめてきた。


 俺は彼女を見つめながら、穏やかな口調で語る。


「俺がこの世界に来て、忘れられない顔が二つあります。一つは、魔族。あの醜悪な嗤い顔は、消したくても消せない不愉快な顔です。そしてもう一つが、俺を魔族に引き渡す際に見せた皇女の顔です」


 あの時、皇女が浮かべた表情の真意は未だに分からない。だからこそ、記憶に刻み込まれていた。


「初めてアルシェさんと対面した時、すぐに似てるって気付きました。皇女に似てて、皇女は魔族と繋がってる。なら、誰でも姉妹の可能性を疑いますよね?」


 だから、俺はずっとアルシェさんを疑っていた。ただ、それは間違いだった。


「実は、俺はずっとアルシェさんは皇女が仕向けた手先なんじゃないかって疑ってました。すいません」


 俺は間違いを認め、謝罪を口にしながら頭を下げた。すると――、


「土雲様、頭をお上げください!」


 アルシェさんの悲痛な叫びが談話室に響き渡る。


 顔を上げると、彼女は彫刻のように美しい顔を歪ませ、青みがかった銀色の瞳が揺らいでいた。


「キルト様は悪くありません。そのような目に遭わされたのならば、疑うのは当然です。日本人であられる土雲様に、何たる無礼を……。皇族の血を受け継ぐ者として、命を以て償わせ――」

「俺はそんなこと望んでいませんよ」


 早口で捲し立てるアルシェさんの言葉を、俺は優しく遮る。


 瞳を潤ませながら、アルシェさんは口を噤む。その姿は、皇女なのではなく、年相応の女の子にしか見えなかった。いや――、


(これが本当の彼女なんだ)


 ふと、実験施設でのエノディアさんの言葉を思い返す。


 エノディアさんは、『アルシェさんは、大切な人に裏切られた』と言った。その大切な人こそ、血の繋がった皇女()のことなのだろう。


 アルシェさんが他人に弱さや甘えることができないのも、それが原因なのかもしれない。他人を信じるのが怖いのかもしれない。もしかしたら、この考えも見当違いかもしれない。


 俺は何も知らないのだ。


 アルシェさんのことも、皆のことも。


 ホリィを優先するあまり、深く知ろうとしなかった。


(ほんっと、ダメだな……)


 思考を止め、意識をアルシェさんに向ける。


 彼女は萎れる花のように頭を垂らしながら、自らの命を差し出そうとした。


「俺はアルシェさんを恨んでませんよ」


 これは、紛れもない本心だ。


「それにです。自ら命を絶つのは、赦しを得るためだけじゃなくて、罪から逃げる行為とも捉えられるって俺は思うんです」


 俺もそうだった。死に追われ、死に囚われた。囚われたら最後、死こそが正常だと信じ込んでしまう。


 死を身近に感じ、大口を開けた死に飛び込んでいしまいそうになる。


 だが、それではダメなのだ。


 罪を償う方法――死から抜け出す方法は、考え続けること。死という行き止まりで思考を放棄するのではなく、悩み、どうすればいいか最善を模索する。


 生きるということは、思考と実行の繰り返しなのだ。


 頭は一つ。そして朧気な魂でさえも、二つが混ざり合うことはない。


 純然たる一。


 そんな小さな一で、(困難)を越えなければならない。


(けど……)


 助け合い、支え合うことは出来る。


 一人で思い悩んだ時、知恵を貸すことができる。


 不安な時、傍にいてあげられる。


 そのためには、皆と絆を育まなければいけない。


 俺は微笑みを浮かべながら、放心状態のアルシェさんに手を伸ばす。


「もし、アルシェさんが罪の意識を抱いているというなら、俺に力を貸してください。俺には、あなたの力が必要なんです」


 アルシェさんは、口を閉じ、俺のことを見つめる。


「はい」 


 長い沈黙の後、アルシェさんは一縷の涙を流しながら、花咲くように笑った。


 その返事を受け、俺は彼女の手を取る。細く、軽いアルシェさんを立ち上がらせると、皆に向き合い、口を開く。


「俺は、ホリィを保護することを最優先してました。だから、皆のことを知ろうとしなかった。……あの、今更ですが、皆さんのことも教えてくれませんか? 話したくないことなら話さなくていいです。でも、俺は皆さんの話を聞きたいです」






 ◇◇◇◇◇






 次の日――。


 雲一つない空を見上げる。


「いい天気だね」


 肩に座るエノディアさんが、背伸びをしながら呟く。


「だな。んじゃ、行くか、()()

「うん」


 俺は、朝日に向かって新たな一歩を踏み出した。

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