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悪服す時、義を掲ぐ  作者: 羽田トモ
第二章
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第20話 暴走×真相

 太陽が僅かに顔を覗かせた早朝、空は眩い金色に染まっていた。良い朝だ。ただ、清々しい朝とは裏腹に私の心は陰っている。階段を降り、高床式の床下へ向かう。そこには数頭の狼がおり、私はその中の一頭の元へ静かに歩み寄った。


「イクス」 


 名を呼ぶと、もう体を動かせないほど衰弱したイクスが微かに鳴いた。一瞬、心が揺ぐ。しかし、私は頭を振るう。イクスの白濁した目は、ほとんど何も見えていない。だが、匂いで私の居場所をちゃんと把握していた。


「ああ、おはよう」


 笑みを浮かべると、イクスの隣に腰かける。半生記を共に過ごした心友イクス。やせ細った心友を優しく撫でながら、穏やかな口調で語り掛けた。


「今朝は、お前と出会った時の夢を見たんだ。憶えているか? 会うなり、いきなり私の手に噛みついたんだぞ?」


 その頃の私は、「父から大勇傑(ゆうけつ)を継ぐ者」として振る舞っていた。今振り返ると、身の程知らずな子どもだと失笑してしまう。


「きっと、お前は気付いていたんだろうな。だから、私を拒んだ」


 そっぽを向かれ、あまつさえ、噛まれる始末。


「当時は、本当に焦ったものだ。それに、周囲の者たちから向けられる失望の眼差しも居心地が悪かった。『大勇傑()の娘なのに』と、言外に言われているようだった。事実、陰口も叩かれたしな」


 イクスの体が、少しずつ冷たくなっていく。それだけでなく、手を通して鼓動が弱まっているのも伝わってきた。


 きっと、私のために朝まで持ちこたえてくれたのだ。


 私はおもむろに、自分の左足に視線を移す。


「ただ、あの日だ。今でもハッキリと憶えてる。初めての狩りで、私はお前を庇って負傷した。それをキッカケに、お前は私を認めてくれたんだ」


 その狩りを経て、信頼を築くことができた。強敵を倒し、試練を越える度に周囲の者たちの評価も変わっていた。


 やがて、私とイクスは勇傑からも一目置かれるようになった。


「お前のおかげで、私は皆から認められるために必要な心構えと姿勢を学べた。ありがとう。私を成長させてくれて……心友になってくれて」


 姿勢を正し、心友に感謝を告げる。


 イクスは最後、私の手をひと嗅ぎした後、眠るように息を引き取った。


 私たちにとって、死は終わりではなく始まり。胸中に芽生えた喪失感を押し殺し、誓いを口にする。


「必ず、偉大な勇傑になろう」


 日が完全に昇るまで黙祷を捧げた後、私は丁寧にイクスの毛皮を剥いだ。そして、イクスの毛皮で作った衣が完成した日、父から戦人の儀を執り行うと告げられた。






 ◇◇◇◇◇






 夜天を照らす満月の日、戦人の儀が粛々と執り行われる。


 私は緊張をしつつも、それ以上に気が昂っていた。冷静になるため息を吐く。気持ちを冷やすのに、冷えた夜風がちょうどよかった。


 集落の広場に高く積まれた焚火がパチパチと渇いた音を鳴らし、黒煙を上げながら火の粉を散らしている。


 焚火の前に設置された石の台。その平らな石台に立ち、戦人化するのだ。


「さあ、始めよ」


 厳かな空気が漂う中、父が静寂を破った。


 私を取り囲むように、勇傑たちが立っている。彼らの役目は、新たな勇傑の誕生を見届けるため。そして、もし失敗した場合に力づくで止めるため。


 皆が見つめてくる中、私は確かな足取りで石の台に立つ。


 ようやく、この時が来た。最後もう一度、私はイクスと過ごした記憶を思い返す。


 私たちの絆は、深い。


 吸った空気を一気に吐き切ると、イクスの頭部を被る。


 戦人化は、生前に狼と絆を育んでいた場合にのみ可能な御業。呼び声に呼応し、死を越えて魂は舞い戻り、共に戦ってくれるのだ。


(いくぞ、イクス)


 心の中で魂を受け入れると、途端に毛皮が逆立つ。次は熱気。まるで湯気に包まれるような熱さを感じると、指先や足先、頭まで完全に毛皮に覆われていく。五感が普段以上に冴え、私の中にイクスの気配()が宿ると戦人化は完了となる。



 ――だが、すぐ異変に気付いた。



 意識に膜が張ったような感覚。大火に照らされていたはずなのに、夜の森よりも暗く、悍ましい黒紫色の闇に包まれているのだ。


 それだけではない。私の中に黒紫色の闇が混入し、生皮を剥ぐような筆舌に尽くしがたい激痛に襲われたのだ。


 ただ、悶えることは出来なかった。意志に反して体がいうことを聞かないからだ。


 私が呆然と立ち尽くしていると、一人の勇傑が傍へ歩み寄ってきた。


(ダメだッ!)


 痛みで意識が朦朧とする中、咄嗟に叫んだ。しかし、私の叫びは声になってはいなかった。 


「おい、ヴ――」


 私の肩に手を置き、声をかけてくる勇傑。しかし、彼は最後まで言葉を発せられなかった。


 私の手刀が、彼の心臓を貫いたからだ。直後、周囲の勇傑が一斉に戦人化する。皆が血相を変え、私を取り押さえようとした。


 しかし、誰も私を止められなかった。


 私が腕を振るう度に血が舞い散り、勇傑が倒れていく。赤々と燃え上がる焚火に照らされた、鮮やかな血の海。湿った空気は、生暖かく濃い血臭へ変わった。


 集落は一瞬にして、赤に染まった。


 勇傑の亡骸の原に立ち、私は月に向かって咆哮を上げる。それは奇しくも、戦人化が成功したことを告げる咆哮のように――。


「その後も殺戮衝動が抑えられず、森の中で生き物を見境なく襲っていた。そんな時、お前に出会ったんだ。これがすべてだ」


 語り終えると、ヴァルグさんは血が滲むほど強く握っていた拳を解く。そして、放心したように力のない声で独白する。


「私は、イクスとの誓いを守れなかった。勇傑たちを殺し、父をこの手で殺めた。今際の際、父が言った“化け物”という言葉。ピッタリだ。私は偉大な勇傑ではなく、ただの化け物……」


 掌から流れる一筋の血を見つめ、ヴァルグさんは固まってしまう。 


 重苦しい空気が流れる中、俺は話を聞き、心の中で呆れを通り越して感心してしまった。「ここまで同じ境遇の人物を用意するか」と。


「ヴァルグさん」


 声をかけるが、彼女は黙ったまま身動ぎ一つしない。


 きっと罪に沈み、絶望の底で蹲っているのだろう。俺もそうだった。貝のように内に籠り、自己嫌悪を繰り返す。易い同情に意味はない。それでは、浮き上がれない。浮き上がるただ一つ方法は、自らの意志で必死に足掻く以外にないのだ。


(けど……)


 手助けはできる。優しい言葉をかけてくれたホリィの両親のように。罪を咎めなかったラルフさんのように。謝罪の場を設けてくれたエノディアさんのように。


「ヴァルグさんが暴走した原因は、イクスタロウが魔物へ進化したからです」


 俺の言葉にヴァルグさんは依然として反応しないが、構わず話し続ける。


「ですが、その入れ墨は、魔物の魂を憑依できるようには設計されていないんです」


 ――ここで、エノディアさんが口を挟む。


「今は、ものすっごい細い糸で操り人形を動かしてる感じなの」


 ただやはり、ヴァルグさんは何の反応も示さなかった。


 ヴァルグさんは、親や仲間を殺したことよりも、誓いを破ったことを悔いている。正直、俺には理解できない。だがヴァルグさんにとっては、最も重要なことなのだろう。そこに、手助けできる足掛かりがある。


「ヴァルグさんとイクスタロウは、更なる高みへ昇ろうとしたんです。ただ、一度目は失敗した。もう諦めますか? それとも、もう一度挑んでみますか? もし挑むっていうなら、俺たちが協力します」


 俺のその一言に、銅像のように固まっていたヴァルグさんの指先が僅かに動いた。さらに、光を失った瞳に小さな希望が灯る。そして、俺の顔を見つめながらヴァルグさんが口を開く。


「挑めるのか?」

「はい」

「どうやって……?」


 その問いかけに、俺は口を紡ぐ。


 この提案は、安易に行うべきではないもの――人道から外れる行為なのだ。


 せがむようなヴァルグさんの眼差しを受け、俺は覚悟を決めてその方法を口にする。


「ヴァルグさんには、魔族になってもらいます」

「魔族?」


 魔族がどういう存在なのかを知っているのか、ヴァルグさんの表情が険しい物へ変わった。


「どういう意味だ?」


 ヴァルグさんの硬い声音が、俺に牙をむく。その声に怯むことなく、俺はヴァルグさんの入れ墨を指差す。


「その入れ墨――術式を、新しいものに書き換えます」

「術式?」

「術式っていうのは、魔術……ヴァルグさんたちの言葉で言えば御業ですね。その御業を、文字や絵図を用いて発動するためのものが術式です」


 本来、魔術を常時発動しながら戦闘を行うのは不可能。例えるなら、上を見ながら同時に下を見るようなもの。だが、戦人化は魂を二つ宿すことでそれを可能にした。


「ヴァルグさんの場合、首飾りの魔石に宿ったイクスタロウの魂が、ヴァルグさんの魔力を使って術式を発動してるんです」


 ただここで、ある問題に直面する。


「入れ墨として彫られているため、このままでは書き換えができない。それを解決するために、魔族……」


 説明している中、ふと嫌悪感を抱いてしまった。魔族になるという説明に、間違いはない。だが、その説明を心が拒絶した。


(魔族化なんて言いたくないよな? どうする?)


 瞬間的に思考を巡らせると、ある言葉を思いつく。


「説明の途中ですいません。ヴァルグさんには“堕天”してもらい、瘴気の耐性を得てもらいます」


 そうすれば、魔族の回復薬が使える。


「堕天すれば、挑めるんだな? 分かった、やってくれ」


 俺の話を聞き終えたと同時、ヴァルグさんが力強く答えた。その顔は、先ほどまでの弱弱しい雰囲気は微塵も感じられず、既に前を向いていた。


「俺が尋ねるのもおかしいですが、本当にいいんですか? 一度堕天したら、もう二度と人には戻れません」

「構わん、頼む」


 ヴァルグさんは悩む素振りも見せず、俺の目を真っ直ぐに見つめてそう言った。俺は彼女の目を見る。


 もうその瞳には、陰りは無かった。


「分かりました」


 さすがに二人では人手が足りず、アルシェさんにも助力を頼んだ。


 ヴァルグさんを仮死状態にした後、黒穴の中で瘴気に浸す。魔族が残した実験の記録を頼りに、変異は滞りなく進んだ。日に焼けは褐色の肌は黒紫色に変化し、鈍色だった髪色も白髪に変わった。


 体が瘴気に順応したことを確認した後、ヴァルグさんの皮膚を削ぎ、回復薬をかける。皮膚の再生に伴い、入れ墨は跡形も無く消えた。すべての入れ墨を除去した後は、エノディアさんの指示に従いながらアルシェさんが新たな術式を刻む。


 ヴァルグさんは「気にしない」と言っていたが、俺は離れておいた。


 不完全ながらも、元の入れ墨には明確な意図があるエノディアさんは言う。そのため、狼を模したデザインは踏襲しつつ、入れ墨を彫っていく。


 最後に、生成型の魔石にイクスタロウの魂を宿し、ヴァルグさんは堕天をした。

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