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悪服す時、義を掲ぐ  作者: 羽田トモ
第二章
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第17話 舞台×道化

 森林奥地へ足を踏み入れた途端、立て続けに魔獣に襲われた。本来なら、俺の存在に気圧され、魔獣の方から逃げていくはずなのにだ。


「コイツもか……」


 魔獣の亡骸、その腹部には五本の爪痕が刻まれていた。一撃で肉を裂き、骨すらも綺麗に断ち切っている。


「この傷……食うためじゃない。この魔獣を弄んだのか?」


 爪痕から見て、魔獣か魔物の仕業。だが、狙う個所が不自然だった。仮に獲物として襲ったのならば、急所である喉元を狙うはず。


 妙な胸騒ぎがした。何かが起こりそうな、不穏さを孕んだ予感。俺は、肩に座るエノディアさんに声をかけた。


「エノディアさん。念のため、屋敷に居てください」


 俺の声音が真剣だったからか、エノディアさんは深く聞かずに頷く。


「うん、分かった」


 黒穴の中へ入いる間際、エノディアさんが心配そうな顔を俺に向けてくる。


「キルト、気を付けてね」

「はい、ありがとうございます」


 俺はエノディアさんの不安を払拭させるべく、微笑んだ見せた。彼女が穴の中へ行った後、俺は一人で森の奥へと進んでいく。


『キルト。何も馬鹿正直に進まなくても、遠回りすればいいんじゃねぇか?』


 森を中を駆けていると、ラルフさんがそんなことを言ってきた。確かにその通りだ。危険だと分かっているのに、火中に飛び込むのは非合理過ぎる。だが、頭にチラつくのは漆黒の管理者の存在。


『いえ、このまま行きます』


 アイツのことだ。きっと、この先にも心を抉るような苦難が待ち構えているのだろう。アイツの目的は、俺が苦しむこと。精神的に追い込み、絶望の淵で慟哭する姿を見たいのだ。俺は、アイツを楽しませるための道化。


「クソがッ」


 舌打ちと共に、罵声を漏らす。ただ、苛立ったまま接敵するのはマズい。意識的に思考を止め、心を無にする。


 やがて、風上から獣臭と血の匂いが漂ってくる。密集する木々のせいでまだ姿は視認できないが、間違いなく()()がにいる。


「気付いたな」


 遠くで、野生動物の悲鳴のような鳴き声が木霊した。途端に、鳥たちが一斉に空へ逃げ、葉がざわつくように揺れ動く。まるで、森が怯えているようだった。


「俺を殺る気満々か」


 脇目もくれず、真っ直ぐ俺に近づいてくる何か。俺も気配がする方へ走っていると、数メートル前方に開けた空き地が見えた。


 あそこが、決闘の場だ。


 俺は、()()()()()()()()()()。前方から、駆ける足音と動物特有の荒い息遣いが聞こえ出す。どちらの音もリズムは一定で、俺に臆している気配はない。そして俺が空き地の中心に辿り着いた瞬間、茂みから“殺意の化身”が飛び出てきた。


「狼……」


 深緑色の体毛をした、体長二メートルほどの巨大な狼。


「ガァアアアアアアアア――!!!」


 狼は血走った目で俺を一瞥するなり、弾丸の如き速度で体当たりをしてきた。だが――俺は笑みを零す。


 コイツは、予想通り無策に飛び掛かって来た。その不用心さを身を以って教えるべく、攻撃が当たる直前、俺は後ろへ倒れ込む。


 虚を突かれた狼は、無防備に腹を晒す。俺はその腹に、オーバーヘッドシュートの要領で蹴りを叩き込む。足先に柔らかい感触が伝わった直後、狼が弾け飛ぶ。着地した俺は、素早く体の向きを変え、蹴飛ばした狼に視線を向ける。


「丈夫だな……」


 受け身もせず、木に頭から激突した狼。しかし、狼は何事も無かったかのように立ち上がる。その耐久力は、闘技場で相対した魔物並みだった。


「グルルルル」


 おまけに、知能も高い。一度の攻防で俺の強さを感じ取り、迂闊に飛び込んでこなくなった。狼は牙を剥き出しにしながら低い唸り声を発し、機を窺っている。


「赤色か」


 魔物は、魔石を体内に生成するからか火が青へと変貌する。一方で魔獣は、瘴気を体内に取り込んではいるが火は赤いまま。目の前の狼は、赤々とした大火を燃え上がらせていた。


「いや、違う……」


 だが何故か、狼を魔獣だとは判断するのは早計だと思った。直感に近い。後は、懐疑心。作為的な邂逅、只ならぬ雰囲気の狼、おわつらえ向きの空き地。すべてが仕組まれてるとしか思えない。


「ガァア!」


 膠着状態に痺れを切らした狼は、吠えると同時に仕掛けてきた。俺は思考を止め、身構えた。


 周囲の木々を足場として利用し、狼が縦横無尽に飛び跳ねる。木や地面を蹴る度に速度が上がり、俺を取り囲むように緑の軌跡を描く。


「グルガァァァ!」


 俺の後方へ移動した狼は、その場で腕を振るった。すると、鋭利な爪による斬撃が、俺を五つに切り裂かんと飛翔してくる。


「なッ!?」


 予想外の攻撃に、俺は思わずその場から飛び退く。斬撃は高音の風切り音を鳴らしながら俺の横を通り過ぎ、重々しい音を立てて木々を切り倒す。


「やっぱり、ただの狼じゃないか」


 狼の火は斬撃を飛ばした後、明らかに小さくなっている。つまり、今の攻撃は魔術によるもの。火の大きさから推察するに、あと二回は斬撃を飛ばせる。


『ダイ、聞こえるか?』


 狼を警戒しつつ俺は、ダイにだけ念話を送った。その目的は、狼が人かどうかを判別するため。ダイは、「数秒、動きを止めてくれ」と言ってきた。ダイから指示を受けた俺は、狼と目を合わせると真正面から突っ込んだ。


 狼は俺を迎撃するべく、限界まで腕を振りかぶる。そして、俺の頭部を吹き飛ばす勢いでその剛腕を振り抜いた。


「ガァ?」


 狼が驚きの感情を見せる。渾身の力で殴ったにもかかわらず、俺がよろけることなく腕を盾にして防いだからだ。あまりに予想外だったのか、狼は一瞬動きを止める。俺はそんな狼の腕を掴むと、力任せに一本背負いをする。


 固い地面に強く叩きつけられた狼は、「ガハッ」と息を吐き出し悶絶した。俺は素早くマウントポジションを取ると、狼が動かないよう抑えつける。数秒後、ダイが結果を述べた。


『その狼は、人だ』


 その結果を聞き、驚きよりも「やっぱりな」という感想を抱く。ここまではいい。問題は、その他の秘め事だ。


『他には、何が見えた?』


 やや硬い口調になりながら、ダイに尋ねる。その間も、狼は大口を開けて暴れる。その人とは思え姿を眺めつつ、俺はダイの言葉を待った。するとダイは、見えた心を頭で整理しながら口にしていく。


『その人は……体を乗っ取られてる。体を乗っ取った()()に対して、必死に「止まれ!」って叫んでる』


「ッ!?」


 周囲の音が消え、心が凍り付く。


 無音の世界の中で、心臓が「トクン」と鼓動を刻む。直後、“あの時”の情景が見に浮かんだ。


「あ……」


 闇に包まれた闘技場、物静かな空間、血と薬品の匂い、立ち尽くす五人の姿。すべてがあの時と同じ。俺は、あの場所に立っている。


「あ……」


 全身から血の気が引き、力が抜ける。体は小刻みに震え出し、冷や汗が背中を伝う。


「ガウッ!」


 拘束する力が弱まったことに気付いた狼は、俺を地面に横転させた。立場が逆転し、狼は深い笑みを浮かべながら俺に覆い被さる。


「ワォオオオオオオオオオオオオオン――!」


 狼が俺に跨りながら遠吠えをする。そして――、


「ガァアアアアアアア!」


 雄叫びを上げながら、狼は俺の顔面を殴り出した。重く、それでいて石のように硬い拳。俺は殺意が込められた拳の暴雨を浴び、全身に衝撃が走る。だが、息もつかせぬ怒涛の暴力を受ける中、俺はある感情に支配されていた。



 ――この人は、俺と同じだ。



 体の自由を失い、抗えない状況下での殺戮。それはまるで、闘技場での俺とまったく同じ状況だった。


「ガァアア!」


 狼は両手を組み、天高く振りかぶった。そして一拍の間を置いた後、満身の力を込めて俺の顔面めがけて振り下ろした。その威力は凄まじく、寝そべっている地面が砕け、木々を越えるほどの土煙が昇る。


『キルトッ!』


 ダイの悲鳴が、どこか他人事のように聞こえる。


 暫くして土煙が晴れると、肩で息をする狼と目が合う。狼は再生する俺を目の当たりにして、目を見開く。この反応も同じ。


 この舞台は、俺のトラウマを再現しているのだ。


 役者は、俺と狼人。配役は同じ、人外の狂人。



 この人も殺したくないのか……。



 ふと、抱いた疑問。疑問は頭の中を駆け巡り、やがて魔獣の爪痕に辿り着く。傷は、急所を避けて付けられた。



 この人は、殺したくないのだ。



「ざけんな……」


 俺の中で、沸々とした怒りが込み上がる。漆黒の管理者の舞台。悪辣で、悪趣味。身体が怒りで震え、抑え切れない激情で心が熱くなっていく。だが、心は黒く染まらない。色鮮やかで、滾るような人としての怒りに突き動かされる。


「ガア!」


 狼の火光が輝く。そして狼は爪を立て、俺に飛ぶ斬撃を放とうとした。


「させっかよッ!」


 斬撃を放つ刹那、狼が息をついた。その瞬間、俺は臀部でんぶを持ち上げて狼人の体勢を崩し、足を絡めて地面に倒す。


 力強く立ち上がると俺は、狼に向かって吠えた。


「来いよ、圧倒的な力ってヤツを見せてやるッ!」

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