第17話 舞台×道化
森林奥地へ足を踏み入れた途端、立て続けに魔獣に襲われた。本来なら、俺の存在に気圧され、魔獣の方から逃げていくはずなのにだ。
「コイツもか……」
魔獣の亡骸、その腹部には五本の爪痕が刻まれていた。一撃で肉を裂き、骨すらも綺麗に断ち切っている。
「この傷……食うためじゃない。この魔獣を弄んだのか?」
爪痕から見て、魔獣か魔物の仕業。だが、狙う個所が不自然だった。仮に獲物として襲ったのならば、急所である喉元を狙うはず。
妙な胸騒ぎがした。何かが起こりそうな、不穏さを孕んだ予感。俺は、肩に座るエノディアさんに声をかけた。
「エノディアさん。念のため、屋敷に居てください」
俺の声音が真剣だったからか、エノディアさんは深く聞かずに頷く。
「うん、分かった」
黒穴の中へ入いる間際、エノディアさんが心配そうな顔を俺に向けてくる。
「キルト、気を付けてね」
「はい、ありがとうございます」
俺はエノディアさんの不安を払拭させるべく、微笑んだ見せた。彼女が穴の中へ行った後、俺は一人で森の奥へと進んでいく。
『キルト。何も馬鹿正直に進まなくても、遠回りすればいいんじゃねぇか?』
森を中を駆けていると、ラルフさんがそんなことを言ってきた。確かにその通りだ。危険だと分かっているのに、火中に飛び込むのは非合理過ぎる。だが、頭にチラつくのは漆黒の管理者の存在。
『いえ、このまま行きます』
アイツのことだ。きっと、この先にも心を抉るような苦難が待ち構えているのだろう。アイツの目的は、俺が苦しむこと。精神的に追い込み、絶望の淵で慟哭する姿を見たいのだ。俺は、アイツを楽しませるための道化。
「クソがッ」
舌打ちと共に、罵声を漏らす。ただ、苛立ったまま接敵するのはマズい。意識的に思考を止め、心を無にする。
やがて、風上から獣臭と血の匂いが漂ってくる。密集する木々のせいでまだ姿は視認できないが、間違いなく何かがにいる。
「気付いたな」
遠くで、野生動物の悲鳴のような鳴き声が木霊した。途端に、鳥たちが一斉に空へ逃げ、葉がざわつくように揺れ動く。まるで、森が怯えているようだった。
「俺を殺る気満々か」
脇目もくれず、真っ直ぐ俺に近づいてくる何か。俺も気配がする方へ走っていると、数メートル前方に開けた空き地が見えた。
あそこが、決闘の場だ。
俺は、あえて速度を落とした。前方から、駆ける足音と動物特有の荒い息遣いが聞こえ出す。どちらの音もリズムは一定で、俺に臆している気配はない。そして俺が空き地の中心に辿り着いた瞬間、茂みから“殺意の化身”が飛び出てきた。
「狼……」
深緑色の体毛をした、体長二メートルほどの巨大な狼。
「ガァアアアアアアアア――!!!」
狼は血走った目で俺を一瞥するなり、弾丸の如き速度で体当たりをしてきた。だが――俺は笑みを零す。
狼は、予想通り無策に飛び掛かって来た。その不用心さを身を以って教えるべく、攻撃が当たる直前、俺は後ろへ倒れ込む。
虚を突かれた狼は、無防備に腹を晒す。俺はその腹に、オーバーヘッドシュートの要領で蹴りを叩き込む。足先に柔らかい感触が伝わった直後、狼が弾け飛ぶ。着地した俺は、素早く体の向きを変え、蹴飛ばした狼に視線を向ける。
「丈夫だな……」
受け身もせず、木に頭から激突した狼。しかし、狼は何事も無かったかのように立ち上がる。その耐久力は、闘技場で相対した魔物並みだった。
「グルルルル」
おまけに、知能も高い。一度の攻防で俺の強さを感じ取り、迂闊に飛び込んでこなくなった。狼は牙を剥き出しにしながら低い唸り声を発し、機を窺っている。
「赤色か」
魔物は、魔石を体内に生成するからか火が青へと変貌する。一方で魔獣は、瘴気を体内に取り込んではいるが火は赤いまま。目の前の狼は、赤々とした大火を燃え上がらせていた。
「いや、違う……」
だが何故か、狼を魔獣だとは判断するのは早計だと思った。直感に近い。後は、懐疑心。作為的な邂逅、只ならぬ雰囲気の狼、おわつらえ向きの空き地。すべてが仕組まれてるとしか思えない。
「ガァア!」
膠着状態に痺れを切らした狼は、吠えると同時に仕掛けてきた。俺は思考を止め、身構えた。
周囲の木々を足場として利用し、狼が縦横無尽に飛び跳ねる。木や地面を蹴る度に速度が上がり、俺を取り囲むように緑の軌跡を描く。
「グルガァァァ!」
俺の後方へ移動した狼は、その場で腕を振るった。すると、鋭利な爪による斬撃が、俺を五つに切り裂かんと飛翔してくる。
「なッ!?」
予想外の攻撃に、俺は思わずその場から飛び退く。斬撃は高音の風切り音を鳴らしながら俺の横を通り過ぎ、重々しい音を立てて木々を切り倒す。
「やっぱり、ただの狼じゃないか」
狼の火は斬撃を飛ばした後、明らかに小さくなっている。つまり、今の攻撃は魔術によるもの。火の大きさから推察するに、あと二回は斬撃を飛ばせる。
『ダイ、聞こえるか?』
狼を警戒しつつ俺は、ダイにだけ念話を送った。その目的は、狼が人かどうかを判別するため。ダイは、「数秒、動きを止めてくれ」と言ってきた。ダイから指示を受けた俺は、狼と目を合わせると真正面から突っ込んだ。
狼は俺を迎撃するべく、限界まで腕を振りかぶる。そして、俺の頭部を吹き飛ばす勢いでその剛腕を振り抜いた。
「ガァ?」
狼が驚きの感情を見せる。渾身の力で殴ったにもかかわらず、俺がよろけることなく腕を盾にして防いだからだ。あまりに予想外だったのか、狼は一瞬動きを止める。俺はそんな狼の腕を掴むと、力任せに一本背負いをする。
固い地面に強く叩きつけられた狼は、「ガハッ」と息を吐き出し悶絶した。俺は素早くマウントポジションを取ると、狼が動かないよう抑えつける。数秒後、ダイが結果を述べた。
『その狼は、人だ』
その結果を聞き、驚きよりも「やっぱりな」という感想を抱く。ここまではいい。問題は、その他の秘め事だ。
『他には、何が見えた?』
やや硬い口調になりながら、ダイに尋ねる。その間も、狼は大口を開けて暴れる。その人とは思え姿を眺めつつ、俺はダイの言葉を待った。するとダイは、見えた心を頭で整理しながら口にしていく。
『その人は……体を乗っ取られてる。体を乗っ取ったモノに対して、必死に「止まれ!」って叫んでる』
「ッ!?」
周囲の音が消え、心が凍り付く。
無音の世界の中で、心臓が「トクン」と鼓動を刻む。直後、“あの時”の情景が見に浮かんだ。
「あ……」
闇に包まれた闘技場、物静かな空間、血と薬品の匂い、立ち尽くす五人の姿。すべてがあの時と同じ。俺は、あの場所に立っている。
「あ……」
全身から血の気が引き、力が抜ける。体は小刻みに震え出し、冷や汗が背中を伝う。
「ガウッ!」
拘束する力が弱まったことに気付いた狼は、俺を地面に横転させた。立場が逆転し、狼は深い笑みを浮かべながら俺に覆い被さる。
「ワォオオオオオオオオオオオオオン――!」
狼が俺に跨りながら遠吠えをする。そして――、
「ガァアアアアアアア!」
雄叫びを上げながら、狼は俺の顔面を殴り出した。重く、それでいて石のように硬い拳。俺は殺意が込められた拳の暴雨を浴び、全身に衝撃が走る。だが、息もつかせぬ怒涛の暴力を受ける中、俺はある感情に支配されていた。
――この人は、俺と同じだ。
体の自由を失い、抗えない状況下での殺戮。それはまるで、闘技場での俺とまったく同じ状況だった。
「ガァアア!」
狼は両手を組み、天高く振りかぶった。そして一拍の間を置いた後、満身の力を込めて俺の顔面めがけて振り下ろした。その威力は凄まじく、寝そべっている地面が砕け、木々を越えるほどの土煙が昇る。
『キルトッ!』
ダイの悲鳴が、どこか他人事のように聞こえる。
暫くして土煙が晴れると、肩で息をする狼と目が合う。狼は再生する俺を目の当たりにして、目を見開く。この反応も同じ。
この舞台は、俺のトラウマを再現しているのだ。
役者は、俺と狼人。配役は同じ、人外の狂人。
この人も殺したくないのか……。
ふと、抱いた疑問。疑問は頭の中を駆け巡り、やがて魔獣の爪痕に辿り着く。傷は、急所を避けて付けられた。
この人は、殺したくないのだ。
「ざけんな……」
俺の中で、沸々とした怒りが込み上がる。漆黒の管理者の舞台。悪辣で、悪趣味。身体が怒りで震え、抑え切れない激情で心が熱くなっていく。だが、心は黒く染まらない。色鮮やかで、滾るような人としての怒りに突き動かされる。
「ガア!」
狼の火光が輝く。そして狼は爪を立て、俺に飛ぶ斬撃を放とうとした。
「させっかよッ!」
斬撃を放つ刹那、狼が息をついた。その瞬間、俺は臀部を持ち上げて狼人の体勢を崩し、足を絡めて地面に倒す。
力強く立ち上がると俺は、狼に向かって吠えた。
「来いよ、圧倒的な力ってヤツを見せてやるッ!」




