第8話 運命×外民
大地に聳え立つ山脈。標高は高く、山頂は雲を越えていて見えない。切り立った山肌には薄っすらと雪が積もっていて、その雄大さと相まって圧巻の一言。そして何より、降臨した地としてレオガルドの民から霊峰として崇められていた。陽千穂峰。その山脈に遮られて、上部だけしか見えない結界を見据える。
「…………」
不思議だった。あそこいる筈なのに、怒りが湧かないのだ。きっと、優先度の差だろう。報復よりも、やらなければならないことがあるのだ。ただ、完全に無視することもできない。そんな女々しい心根に自分自身で呆れてしまい、小さく笑ってしまう。
もし今、目の前にアイツが現れたら自分はどうするのかを考える。糾弾するのか、それとも復讐するのか。元を辿れば、全てアイツのせいなのだ。アイツを、この血に染まった手で……計画も矜持も叩き……殺――、
「ッ!」
思考が黒く染まっていっていることに気付き、視線を逸らして息を止める。息苦しさが増していくと共に鼓動も激しくなっていき、暫くすると思考が強制的に止まった。
静かに息を吐く。何とか心が平静を取り戻すと、アイツのことを忘れるべく、都市や結界を観察する。
聳え立つ山脈に囲まれた都市は、まさに天然の要塞。あれほどの山脈ならば、如何に魔族でも容易には越えられない。何より、訪れた際には見えなかった国を囲うように張られた結界。陽光のように輝く結界を見て、全身の産毛が逆立った。結界の源――純白の管理者の力を感じ取ったからだ。
「ちッ」
やはり、純白の管理者の力は規格外過ぎる。だが、アイツとは再び対峙しなければならない。その時に備え、どうすればあの結界を破れるのか考えていると、エノディアさんの火が近づいてくるのを感じ取った。思考を中断し、目の前の洞窟に目を向ける。
岩肌にぽっかりと口を開いた洞窟。奥からは湿った風が吹き、ほのかに腐敗臭がする。今いる場所は、山脈の麓に広がる広大な広葉樹の森の中。大きさが地球の五倍はありそうな巨木が生い茂り、終わりが見えない森林はまるで迷路のようだった。それに加え、魔獣や魔物が生息するこの場所は、人が足を踏み入れることが滅多にない。こちらにとってそれは都合が良く、位置的にも最適だった。そのため、一夜さんに護衛してもらいながらエノディアさんに洞窟内で作業して貰っていた。
「終わったよ~」
明るい声が洞窟内に響いたかと思えば、パタパタと羽ばたきながらエノディアさんが飛び出てきた。
「お疲れ様です」
姿を見せたエノディアさんに向かって労いの言葉をかける。彼女は空中でアクロバティックな飛行をすると、肩の上に綺麗に着地した。
「決まった!」
「記録更新ですね」
「ふふん、私にかかれば朝飯前だよ。でも、私の力はこんなもんじゃないよ? 次はもっと早く済ませてみせるから、見てて」
「楽しみです」
最適な段取りを口ずさんでいるエノディアさんを尻目に、最後にもう一度だけ結界を一瞥した。
「……それじゃあ、行きますか」
視線を切り、エノディアさんに声をかけた後、道なき道を縫うように疾走する。
◇◇◇◇◇
レオガルドは、魔獣や魔物が生息しているため国が少ない。にもかかわらず、また行く手の先に国が現れた。明らかに意図がある。サンバスの時は、自分が人でないことを再認識させられた。ならば、今度はどんな現実を突きつけられるのか。未来を想像し、心がざわつく。だが、どんな未来が待っていようが突き進むしかないのだ。たとえそれが、漆黒の管理者の思惑だったとしても……。
「――……以上となります」
「ありがとうございます、一夜さん。それに、小夜ちゃんも」
アルシェさんの提案により、一夜さんと小夜ちゃんの二人だけが国の中を調べることになった。「素性の不明な者が国内にいると知られれば、騒ぎになります。歯がゆいかもしれませんが、隠密行動が取れる二人だけで探した方が結果的に早い筈です」と、アルシェさんに言われたからだ。
国の近くに黒穴を設置し、この場所を拠点として調査しに向かう。二人の安全を考慮し、調査するのは日が暮れてから夜明けまでの間。二人によると、あと二日もあれば国人全員を調べることが可能とのことだった。
「そういえばさ、壁の外に人たちって危なくない?」
二人の報告を聞き終えたエノディアさんが、ふと呟く。ただその視線は、アルシェさんに真っ直ぐに向けられていた。おそらく、この中で一番博識であり、適任だと判断したのだろう。
「あれは、外民です」
エノディアさんが小首を傾げる。
「何それ?」
「壁の外で生き、家畜や農業を行う民のことです」
「えッ? ちょっと待って! 壁の外で生きるって、ずっと壁の外にいるのッ? そんなの危ないじゃん! 魔獣とか魔物が襲ってきたらどうするのッ?」
先ほどと同じことを尋ねるエノディアさん。しかし、アルシェさんの返答は恐ろしいほど冷淡なものだった。
「問題ありません。仮に死んだとしても、放っておけば増えますから」
二人の会話を黙って聞いていたが、アルシェさんの口ぶりに耳を疑ってしまった。それでも、感情を表に出さないよう気を付けながらそれとなく皆の反応を窺う。すると、反応は二分化していた。
肯定的なアルシェさんと、ラルフさん。反対に、エノディアさん、小夜ちゃん、一夜さんは難色を示していた。この反応の差は明らかに、人間社会の常識の有無が原因であろうことが明白だった。
「それって本気?」
エノディアさんは、眉間に皺をよせ、彼女らしくない鋭い言葉を口にする。
「本気とは、どういう意味でしょうか?」
ただ、アルシェさんはその言葉の意味が理解できていない様子だった。
「ホントに分かんないの? アルシェの言ったことってさ、壁の外の人は死んでもいいってことだよね? それって酷くない?」
彼女の言葉尻に滲む僅かな怒気。目を向けてみれば、普段の朗らかな表情とは打って変わって、エノディアさんの表情は真剣なものに変わっていた。
張り詰めた緊張感が漂い出した中、エノディアさんの言葉を理解したアルシェさんが口を開く。
「そういう意味でしたか。ですが、その心配には及びません」
「どうして?」
「外民は人ではない、ということです。人間社会において外民は、家畜として扱われているのです。さすがに、一度に大量の外民が死ぬことは看過できませんが、外民は繁殖力が強いので、数組でも生き残れば一年で元の数に戻ります」
アルシェさんは、悪びれることなく、ハッキリと言い切る。話を聞いていたラルフさんも、それを肯定するように頷ていた。
これが、レオガルドの常識なのだ。
口を挟まずに話を聞いていた最中、とある経験を思い返す。それは、無差別テロや、通り魔、いじめなどのニュースを見た時に抱いた感情。レオガルドの常識を前にして、まったく同じ感情を抱く。だが、すぐにサンバスでの出来事が蘇る。感情のままに動いてはダメなのだ。歯を食いしばり、感情を押し殺す。
「あのな、エノ。国には人が大勢いる。その分、食料がいるんだよ」
「だからって、壁の外の人たちにだけに任せるのはおかしいよ! 自分たちの食べ物なんなら、自分たちで育てなよッ」
エノディアさんは勢いよく椅子から立ち上がり、語気を荒らげた。
「エ、エノちゃん、落ち着いて……」
興奮した様子のエノディアさんのことを、隣に座る小夜ちゃんは困ったように眉を下げながら宥める。
「エノディア様、一つお尋ねしてもよろしいでしょうか?」
険悪な空気の中、毅然とした態度を崩さないアルシェさんが、エノディアさんに声をかける。
「何?」
「人と家畜の違いは何でしょうか?」
はぐらかすことはせず、本質に切り込むような問い。エノディアさんは一瞬真顔になったかと思えば、アルシェさんを睨み付けるように険しい表情となった。
「……動物は動物、人は人でしょ。もちろん、壁の外の人たちも人だよ」
「確かに外民の容姿は人に似ていますが、身体的特徴は明らかに人とは異なります。まず、体格。外民の背丈は皆、百二十センチほどで、老年期に至っても外見の変化はあまり起こりません。その体格のせいか非力ではありますが、体力は優れています。おまけに環境適応能力も高いです。出産は一年で四回ほど行い、一度に少なくとも四体の子どもを産みます。エノディア様。人と比べるよりも、家畜に似た性質を持っている外民を家畜と扱うのはおかしいことでしょうか?」
淀みなく語られる外民の情報。ただ、アルシェさんの話を聞いても、エノディアさんの表情は変わらなかった。
「だから何? 壁の外の人も、名前があって、同じ言葉を喋るんだよ?」
「意思疎通が出来るか否かは、作業効率に影響するため学ばせているまでです。名前を付けることを許可しているのも、コミュニティを形成させるために必要なものだからです」
アルシェさんに理路整然と言われると、エノディアさんが俯いてしまった。
「…………」
二人の主張を聞き、心が揺れる。正直、エノディアさんに賛同したい。だが、この世界には、人間の脅威が身近に存在する。理想論や感情論だけでは生きていけない世界。そんな世界の中で、適した者がいるのであれば任せるのは合理的だ。そう考えると、アルシェさんの一見冷徹な主張もまた、この世界の現実だと痛感していた。
「…………違う……」
俯きながら、エノディアさんが呟く。
「壁の外の……人だもん……」
両手を握りしめ、徐々に肩が小刻みに震え出す。
「ジニアは人間だもんッ!」
勢いよく顔を上げたエノディアさんの目には、涙が溢れていた。
悲痛な叫びが、談話室に木霊する。
(ジニア……闘技場でエノディアさんが口にした名前……)
その「ジニア」という人物は知らないが、エノディアさんを見れば大切な人物であるということが容易に想像できた。
「ジニアは、壁の外で仕事してたって言ってた。大変だけど、家族のみんなは仲が良いって……弟が死んじゃったって悲しいって……それでも、一生懸命で……ジニアは壁の中に入るのが夢だって……」
少し考えれば分かることだ。あの人たちも生きている。しかも、人間と同じ社会構造をしている中でだ。であれば、それはもう人間ではないのか。エノディアさんの言葉に心が傾いている中、アルシェさんが再び口を開く。
「エノディア様の御友人がいたことは不幸でした。ですが、誰かがやらなければならないことです。そうしなければ、人類は滅びる。ならば、適材適所で割り振るしかないのです」
そう言うと、アルシェさんはラルフさんに顔を向けた。
「例えば、国を維持するために必要な物資を守る警守は、死傷者が多い業種です。実際、年間の死者数は外民よりも多い。そんな警守にも当然、家族や伴侶、友人がいます。ですが、力を授かった者としての責務を全うしているのです」
「お嬢の言う通りだ。それにな、アイツ等は受け入れてんだよ」
アルシェさんに加勢するように、ラルフさんが言葉を引き継ぐ。
「いいか、アイツ等は拘束されてねぇし、檻の中に閉じ込められてるわけでもねぇ。つまりな、その気になれば、アイツ等はいつでも逃げ出せるんだ。けどな、アイツ等は逃げ出さねぇ。分かってんだよ。自分たちがいる場所が安全で、食うモンにも困らねぇってことをよ」
「…………」
エノディアさんは、口を固く結んだまま何も喋らない。ただその間、ずっと涙は頬を伝い、床へと落ち続ける。その最中、思わぬところから声が上がった。
「詭弁だな」
声がした方へ顔を向けると、一夜さんが鋭い目つきで立っていた。
「お、お兄ちゃん……」
小夜ちゃんが、一夜さんの事を見つめながら不安そうに呟く。
「今言ったことはすべて、人族の価値観を他の人種に押し付けているだけに過ぎない。そもそも、自らの意志で決めたのと、生まれた時から決められているのとでは話が違う。本当に傲慢だな。まるで、サンバスにいた醜く太った人族のようだ」
「あぁ?」
ラルフさんがドスの利いた低い声を出すと、おもむろに立ち上がる。そして、ガシャガシャと鎧に垂れる鎖を鳴らしながら一夜さんに歩み寄っていく。一方で、一夜さんはラルフさんのことをじっと見据えていた。
「一夜てめぇ、いい度胸だな。いいぜ、買ってやるよ」
「野蛮人がッ」
ラルフさんが全身から電気を放電しながら殺気を放つと、一夜さんも全身を影に染め、朧げな殺気を放つ。二人の殺気が談話室で満たされていき、調度品がガタガタと小刻みに震え出す。
「二人とも落ち着いてください!」
慌てて二人の間に割って入るが、感情が昂っている二人は止まらない。もう、いつ殺し合いが起こってもおかしくないほど緊張感が高まってしまった。
――そんな時だった。
「お静かに」
「「「ッ!?」」」
瞬きするよりも刹那の時、気が付くと深海に立っていた。
突然のことに理解が追い付かないが、本能は反射的に口を塞いだ。
(何が起こった……?)
瞬時に思考を切り替え、状況を把握する。完全な闇が広がる無音の世界。体にかかる水圧は凄まじく、気を抜くと潰されてしまいそうになる。浮上を試みるが、一切体が動かない。さらに、凍るような冷水が体温を奪っていき、心音が弱まっていく。
恐怖を抱かずにはいられない状況下。だがそれよりも、体内に灯る火が共鳴していることに違和感を覚えてしまった。
(これって……)
実験施設で、アルシェさんの火に共鳴した時とまったく同じだった。そうして思考が深海から共鳴に逸れると同時、水圧が軽くなり、闇に光が差し込んだ。
「大変失礼しました。ですが、お二人とも冷静になって下さい」
冷たい深青に響き渡る、アルシェさんの声。ここで完全に理解した。錯覚を魅せられていたのだ。そのことに行きついた途端、談話室に戻った。
「…………」
アルシェさんは、静かに佇んでいる。だが、彼女の火光は激しく揺らいでいた。おそらく、アルシェさんの視界内にいたせいで自分も巻き込まれたのだろう。その証拠に、彼女の後方にいるエノディアさんや小夜ちゃんには影響が見られない。
あの深海は、アルシェさんの殺気。それを強制的に魅せられたのだ。想像の中――心象風景に囚われたと言ってもいい。もし、気付かないまま心象風景に囚われ続けていたら、溺れ死んでいただろう。そう確信が持てるほどに現実的だった。
思わぬ形で、アルシェさんの力の片鱗を垣間見た。そして、ハッキリした。自分とアルシェさんには何かしらの繋がりがあるのだ、と。
「ラルフさん、一夜さん」
アルシェさんのことは一先ず置いておき、二人に声をかける。二人は固まったまま微動だにしていない。ただ、ラルフさんは微かに声を漏らし、一夜さんは肩で息をしている。命に別状はないようだった。
「んだ、今の……」
「はァ……はァ……」
「二人とも、大丈夫ですか?」
もう一度声をかけると、二人はゆっくりとこちらに顔を向けてきた。
「キ、キルト……お、おお……」
「キルト様……一体……今のは……」
二人はまだ意識がはっきりしていないのか、気の抜けた返事を返してくる。
「今日はもう休みましょう」
この状況では、話し合いを行うことはできない。ラルフさんは鎧のため分からないが、一夜さんの顔は真っ青だった。それに、頭を冷やす時間が必要だ。全員暗い顔をしたまま一言も喋らず、談話室を後にした。
館には、各々に専用の個室が割り振られていた。そして、考慮して男女の階も分けている。だが、エノディアさんだけは呪いがあるため自分の部屋の隣だった。
「それじゃあ、お休みない」
「…………」
鳥籠の中で、膝を抱えながら俯き座っている彼女からの返事はない。エノディアさんが倒れないようそっと鳥籠をテーブルの上に置き、部屋から出て行こうとした。
「ねぇ、キルト?」
明かりの付いていない部屋の中、静寂に紛れてしまいそうなか細い声だった。ゆっくりと振り返ると、エノディアさんは僅かに顔を上げていた。
「キルトはどう思う?」
何を問うているのか、直ぐに分かった。
「ジニアは、友達だったの……」
外民は人か否か。髪の隙間から覗く泣きはらした彼女の顔を見て、心が「人です」と叫ぼうとした。しかし、言葉に出来なかった。喉元まで上がっていた言葉を飲み込んでしまった。自分の中で、人とは一体何なのか分からなくなっていたからだ。
「…………ごめんね、おやすみ」
エノディアさんは弱弱しく呟くと、また顔を伏せてしまった。そんな彼女の姿に、痛みを感じなくなった筈の体に鋭い痛みが走った。
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