第1話 終わり×始まり
太陽を覆い隠す暗雲が、空一面に広がっていた。
八月八日。朝の天気予報は雨。
それを知った俺は、普段よりも早めに家を出た。
「おはよう、セツ」
信号待ちをしていると、後ろから声を掛けられる。振り返ると、秋人が立っていた。
サッカーの邪魔にならないよう短めの黒髪をセットしている秋人は、目を引く精悍な顔つきをしていて、背にはいつものように『DAIWA』と刺繍された部活用のバッグを背負っていた。
「おーす」
「今日は早いな」
秋人の問いかけに、俺はイヤフォンとスマホをポケットに仕舞いながら答える。
「ああ、朝から雨らしいから降る前に来た」
しかし、俺はその際にうっかり手を滑らせ、スマホを地面に落としてしまう。スマホはコンクリートの上で跳ね、一瞬宙に浮いた後、パタンと倒れた。
「どうした?」
「最悪……スマホ落としたら、ディスプレイが割れた」
俺は、割れたスマホを秋人に見せる。
「厄日か? レギュラー発表が近いんだから、あんま近づくなよ」
「クソッ、秋人が声さえかけて来なければ……」
「俺のせいかよ!」
俺と秋人は軽口を言い合いながら信号を渡り、学校の正門を通って二階の教室へ向かう。
◇◇◇◇◇
教室の中に入ると、すでに半数ほどの生徒が登校していた。
「おはよう、秋人、土雲君」
「おはよう、舞」
「……あぁ、おはよう、春見」
歩み寄ってきた小柄な女子生が微笑む。茶色みがかったセミロングの髪が揺れ、童顔な容姿と相まって小動物っぽさがある。
俺は春見に挨拶を返すと、トボトボと自分の席に向かう。そして席に座り、動かなくなったスマホを机の上に置き見つめる。ただ画面が割れただけかと思ったスマホは、電源が入らなくなったのだ。
「早く登校しなければ」や「修理にいくらかかるんだ」など、頭で考えてしまい、気が重くなる。そうしていると、秋人と春見が傍にやって来た。
「セツ、元気出せって」
「時間が経てば電源が入るかもしれないよ」
そうして二人が俺のことを励ましてくれていると、廊下からやたらとうるさい足音が聞きえた。
足音を鳴らす人物――男子生徒が教室に入ってくる。その途端、教室内にいた生徒たちは密かに顔を顰めた。
「よぉ~、根暗」
男子生徒は、静かに座っている一人の男子生徒に近寄ると、無駄に大きな濁声を発した。
「高野君ッ!? な、何でこんな早くに……」
「俺が早く来ちゃ悪りいのかよ、あ?」
男子生徒の名は、高野宏器。
がっしりとした体格をしていて、短く刈り上げた金髪など如何にもな問題児。
「暇なんだ、ちょっと付き合えよ」
「いや、ちょっと……く、苦しい……」
高野は、男子生徒の首に腕を回して強引に連れ出そうする。その光景を目の当たりにしたことで、生徒達の心情や行動に変化が生じた。
嫌悪感を抱く者、距離を取る者、同情する者、見て見ぬふりをする者。
生徒たちは、高野の言動に不快感や反感を抱いている。しかし、それを注意する生徒は少ない。なぜなら、自分が標的にされるかもしれないから。
――もしくは、
「セツ」
「おう」
高野を見るや否や、秋人に声をかけられた。俺は気落ちしていたが、あの二人を見過ごすわけにはいかないからだ。
「セツ、手は出すなよ」
「ん? それはアイツ次第な」
俺は秋人に笑って見せた。ああいう輩は、言葉では理解しない。殴り合いをする気はないが、時と場合によっては手を出すのも仕方がないと思う。
「セツお前、鬱憤を晴らそうしてんだろ?」
「それもある。でも、俺たちは必要ないみたいだぞ」
そう言いながら、俺は高野を制止している一人の男子生徒を指差した。
「高野、止すんだ」
「あぁ、てめぇには関係ないだろ、成世!」
高野は首に回していた腕を解き、止めに入った成世に怒声を上げながら詰め寄る。
一触即発の雰囲気に、遠巻きに眺めている生徒たちの緊張感が高まる。
「止せと言っているだろう。深野君が嫌がっているじゃないか」
「嫌がってる? おいおい、俺たちは仲良しだぜ! なぁ、深野?」
成世を睨んでいた高野はそう言うと、深野に声をかける。
「……そ、それは」
しかし、深野は何も答えずに、おどおどとしてしまう。
「おい、根暗!」
高野は怒気は放ちながら、深野に迫ろうとする。だがそのタイミングで、俺と秋人が割って入った。
「嘘をつくにしても、もう少しマシな嘘つけよ、高野」
「いい加減しろ、高野」
俺は呆れた表情を浮かべながら高野の言葉を否定し、秋人は真顔で咎める。
「ちッ」
さすがの高野も三人相手では分が悪いと判断したのか、机を蹴り飛ばし、深野を睨みつけてから離れていった。
「大丈夫かい? 深野君」
「……へ、平気だよ、ありがとう成世君」
乱れた制服を元に戻しながら、深野は小さな声で礼を言う。
「それなら良かった。土雲と秋人も、ありがとう。二人が来てくれて助かったよ」
無事を確認した成世は、俺と秋人に顔を向けると感謝の言葉を口にしてきた。
「俺らはなんもしてないって。ホントはもう少し言い合っても良かったけど……」
俺がボソッと呟くと、秋人に呆れたような顔を向けられる。
「止めに来て、揉め事を大きくしてどうすんだよ」
ともあれ、問題も起こらずに事態が収束した。教室内に漂っていた重苦しく険悪な空気が和らぎ、周りで様子を伺っていた生徒たちは心の中で安堵の声を上げる。
ほとんどの生徒は、自分が標的にされたくないと考える。だが、それでは見捨てたことになってしまう。そのため、成世たちの邪魔をしないためだと、自分を正当化するのだ。
被害者からすれば、傍観者も加害者と同じだと思われているとは知らずに……。
高野が立ち去ると、女子生徒二人が成世に歩み寄ってくる。俺はいつものことかと呆れつつ、二人に目を向けた。すると、二人の視線が深野に向けられていることに気付いた。しかも、その眼差しは明らかに深野を蔑むモノだった。
(ったく、この二人も相変わらずだな)
俺はそれとなく深野に目を向ける。深野は俯きながら指が白くなるほど強く拳を握り締め、微かに体を揺らしていた。
「深野……」
一瞬声をかけようと思ったが、それでは情けをかけることになってしまう。
そんな深野を気に止めず、女子生徒二人は満面の笑みを浮かべて成世を称賛する。
「さっすがヨウくん、かっこいい」
「ええ、とっても素敵」
端正な容姿の成世はクラスの中心人物であり、誰もが羨む存在。
その真逆の位置にいるのが、深野康気。
いつも一人で行動し、本を読んでいる深野。俺にはそれが、深野自身で壁を作っているように感じていた。
荒野康気はクラスの底辺であり、誰もが哀れみを抱く存在。
そんな認識を、ほとんどの生徒がしていた。そして、それはこれからも変わらないだろうと思っていた。
――しかし、日常は終わりを告げる。
教室のちょうど中心の床に突然、光の点が現れたのだ。
「なんだ?」
その存在に気付いた俺が目を凝らすと、光の点が爆発した。
教室内が真っ白に染まる。
俺は咄嗟に目を強く瞑る。光の残像のせいで動きを止める中、周囲の音が止み、世界の時間が止まったような錯覚に見舞われる。
次の瞬間、足元が崩れた。あり得ない。「床に立ってたぞ?」と思った矢先、体はどこまでも下へと落下していく。
どこか遠く、もしくはすぐ傍で誰かの悲鳴が聞こえたような気がした。
分からない。感覚も鈍くなっていたから。
そして俺を含めた二十名の生徒は全員、光の中へ落ちていった。