第11話 命×十字架
それは、起こり得るはずの無い再会。
理性で感情を押し込め、目的のためだけに生きていた。ところが、三人の姿を目にした事で感情が揺いだ。
揺らぎは轟音を立てながら荒れ狂い出し、ついには濁流となる。感情とは対照的に、時間は遅くなり、ついには止まる。やがて押し寄せる感情に、理性は決壊した。
目まぐるしく変化する感情に溺れる。
「あぁ、その、なんだぁ……、あん時は、悪かったなぁ……」
溺れていた頭と心が、現実に引き揚げられた。
一転して、時が止まったかのような静寂が包む。
胸の奥がせり上がり、息が詰まる。
現実に引き揚げた言葉。
頭は理解した。が、心は理解することができなかった。
凍り付いた心には、言葉を血肉化するだけの力がなかったのだ。
――誰が、誰に……?
心が助けを求めるように、疑問を頭に浮かべた。
頭は心に答えを示すべく、声のした方へ視線を向ける。
目に映ったのは、手で頭を掻きながらばつの悪そうな顔をした大柄の男性の姿。
「なん……で……」
信じられず、目を見開く。
「話は聞いた。俺たちを助けるために死のうとしたんだってな。なのに――」
「違うッ!!」
咄嗟に、俺は大声で叫んだ。それ以上、言わせないために。
「違います! 全部、全部俺が悪いんです! 俺があなたたちを……殺した……」
額を地面に擦り付け、大柄の男性の言葉を否定する。
ようやく、心も理解した。
本来であれば、真っ先に謝罪しなければならなかった。その時間は十分にあった。だが、俺が黙り込んでしまったせいで謝る必要がない方に謝らせてしまった。
殺された者が、殺した者に謝罪。
あり得ない。
また、間違いを犯した。
やはり、生きている資格がない。
死ぬべきだ。
「ッ!? 分かってます! 言われた通り死にます、本当です! でも、あなたたちを埋葬しないとって!必ず死にます! だからッ! だから……時間を……」
この期に及んで、願いを口にしていいわけがない。それがたとえ、どんな理由であったとしても。
そもそもだ。殺された者が、殺した相手に埋葬される事を望むか。
否――。
そんなわけがない。少し考えれば、分かる事だ。ならば何故、今までその事に思い至らなかったのか。
答えは、簡単。
我が身可愛さゆえ。
理由を見つけ、生き永らえようとしたのだ。
生き汚い。虫唾が走るほどに。
ここまでして生にしがみ付く自分に、嫌悪感を抱かずにはいられない。もう、この場で死ぬしかない。
「僕らは、君に死んで欲しいだなんて思ってはいないよ」
穏やかで、温もりを感じさせる声。
思わず、息を呑む。
凍り付いていた心が、暖かな感情に包まれる。
――ふざけるな、
寄り添うようなその温もりに、心が徐々に解けていく。
――ふざけるな、
久しく忘れていた、血が巡る感覚。
――ふざけるな、
心は、ここで死ぬんだ。
頭と心の乖離は、混迷を極めていた。しかし、心は止まらずに顔を上へ向ける。
目の前に立っていたのは、優し気な雰囲気を纏った細身の男性だった。
「彼女から、あの時のことを説明してもらった。君のせいなんかじゃない。だから、そんな風に自分を責めなくていいんだ」
細身の男性は優しい眼差しで、諭すように語りかけてくる。
「俺は……俺は、貴方たちを……殺し……た……。人を、五人も……。俺は生きてちゃダメなんです……」
それでも、俺は細身の男性の言葉を受け入れることができなかった。
「ッ!? 五人……? 五人も……殺した……?」
優しい眼差しをしていた細身の男性が、目を丸くする。
「君は…………」
細身の男性は、口を閉ざして暫く黙った後、優しい口調で語り掛けてきた。
「今すぐには無理かもしれない。だけど、僕は決して君を恨んだり、憎んだりはしない。これだけは、覚えておいて欲しいんだ」
そう言って、微笑みかけてくれる細身の男性。
俺は、何も言葉を返せなかった。
「あの……」
今までの会話とは別に、俺はどうしても確認したいことがあった。再会を果たした時から、沸々と込み上がっていた可能性。
「みなさんは、生き返ったんですか……?」
超常的な力が存在する世界。その力で以って、生き返ったのではないかという一縷の希望。
――しかし、
「死者は生き返らないよ。絶対に……」
問いの答えは、鳥籠の中から告げられた。
視線を、鳥籠に向ける。
「私は死者の声に耳を傾けることしかできない」
鳥籠の中の彼女は俯き、表情は窺えない。ただ、彼女の雰囲気はどこか厳かで、冷たい空気を纏っている。
「私の力は、一時の夢。私の力は、一時の幻想。現実から目を背けるための妄想に過ぎない。それでも私は、夢幻を宿す。現し身から明けた魂を、現世に帰れぬ魄を染まらせないために」
暗く、静謐に包まれた部屋。
鳥籠の中の彼女。
紡がれる言の葉。
彼女の声音は、冷たさと儚さ、そして慈愛に満ちていた。それは独白のようであり、言霊のように思えた。
魔族と同じ黒紫色の肌を持ち、魔族と同じ白い髪を垂らす彼女。それでも、信じるに足る人物だと直感的に理解した。
「ごめんね、期待させちゃって」
語り終えると、鳥籠の彼女の雰囲気は元に戻った。砕けた口調で喋り、両手を顔の前で合わせる。
「いえ、大丈夫です」
期待しなかったと言えば嘘になる。だが、二度と会えないと思っていた三人に会わせてくれたのだ。彼女には、感謝してもしきれなかった。
「でね、三人が君にお願いがあるらしいの」
彼女がそう言うと、優しい顔立ちをした女性が一歩前に出た。思い詰めた顔をするその女性は、意を決し、願望を口にする。
「お願いがあります。娘の面倒を見ていただけませんか?」
女性の言葉を聞いた瞬間、女性の今際の言葉が蘇った。
『……ごめんね、ホリィ……』
体から、血の気が引く。ただ、俺の心の内を見透かしたかのように女性が声かけてきた。
「主人も言った通り、あなたのせいじゃないわ。あなたは、命を差し出そうとしてまで私たちを助けようとしてくれました。今も、私たちに心から謝罪してくれた。私は、あなたを許します。主人が言った通り、憎みも、恨みもしません。だから、お願いします。娘の面倒を見ていただけませんか?」
言い終わると同時に、女性は勢い良く頭を下げた。
「お願いします」
女性に続くように、男性も深々と頭を下げる。
「や、止めてください! 俺なんかに、あなた方が頭を下げないでください!」
大声で叫び、頭を上げさせようする。しかし、二人は黙ったまま一向に頭を戻さない。
人殺しの、ましてや親を殺した張本人の俺が娘の世話などできるわけがない。無理だ。その娘とって俺は、元凶以外の何者でもないのだから。俺は、再び口を開こうとした。が――、
「お願いします。私たちにはもう、あなたしか頼れないの。このままじゃ、娘は一人に……生きていけない! お願い! 娘を助けてッ!」
心の底からの叫び。よく見ると、女性の体は小刻みに震えている。
……ああ、そうか……。これが、俺の……
罰を、三人に委ねた。
罪だと、思考を放棄した。
そうではなかった。
目を背けず、背負っていくこそが俺の歩むべき道だったのだ。直後、バラバラに散らばっていた思いが一斉に同じ方向を向く。途端に、霧が晴れたように五感が冴える。
「分かりました。約束します。娘さんの面倒は必ず見ます。だから、頭を上げてください」
決意を込めて口にした言葉。その決意が伝わったのか、二人はようやく頭を上げた。
「ありがとうございます、ありがとうございます」
女性は目に涙を溜めながら、繰り返し言葉を口にする。
「ありがとう」
男性は微笑みを浮かべながら、感謝を述べてきた。
「娘さんは、どこにいるんですか?」
「娘は家にいる……だけど、すまない。国がどこにあるのか分からないんだ。分かるのは、国の名前と周辺の地形だけ。申し訳ないけど、君には国を探し出してもらうことになる。……大丈夫そうかい?」
「はい、大丈夫です」
表情を曇らせる二人に、力強く答えてみせた。
「ありがとう。娘の事をよろしく頼むよ」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
二人はもう一度頭を下げると、体の輪郭がぼやけ始めた。朧気に光輝くのは、夢から覚める兆候。
瞬き一つせず、最後まで見届ける。二人は託すような目を俺に向けながら、姿を消した。
「……二人はどうなったんですか?」
二人が消えた場所を眺めつつ、鳥籠の彼女に尋ねる。
「大丈夫。二人とも消えたわけじゃないから。今は、私の中で眠ってるよ」
「そうですか……」
目を閉じ、一度深呼吸を行う。気を落ち着かせると、目を開き、大柄の男性に向き直った。
「あなたの願いは何ですか? 俺の命以外なら、何でも言ってください」
もう死ぬことも、立ち止まることも赦されない。今この時より、自分の命は自分のものではなくなったのだから。
「…………」
男性は返事を返さず、獲物を狙うかのような鋭い眼光で俺をまじまじと見つめてくる。
視線を外してはならないと直感で理解し、俺は動じることなく視線を交わす。
暫くして、男性は表情を破顔させた。
「いい面になったなァ、あんちゃん。安心しなぁ。俺はこっちのちっこい嬢ちゃんに頼んだから、あんちゃんに頼むことはねぇよ」
「ちょっとー! レディーに向かってちっこいって失礼でしょー!」
「ん? そんないい女、どこにいるんだぁ?」
「カッチーン。頭きた、泣かしてやる」
大柄の男性は、豪快な笑い声を上げる。彼女の方も口では文句を言いながら、全身から会話を楽しんでいる雰囲気が伝わってきた。
二人の遣り取りを、じっと眺めていた。すると――、
「ふふ」
自然と、笑みが零れた。
「あーッ!」
鳥籠の彼女の弾んだ声が部屋に響く。
「やっと笑ったね」
声に釣られて目をやると、彼女は花が咲いたような笑みを浮かべていた。
「少しは、元気出た?」
彼女は笑みを浮かべたまま、声をかけてくる。
「はい」
赦されたなどとは、思っていない。ただそれでも、気持ちが前を向いたのは事実だった。
「う……」
張り詰めていた緊張の糸が緩んだ。その瞬間、機を窺っていたかのように強い眠気が襲ってきた。
「ちょッ!? 大丈……――」
「おい、どうし……――」
二人の声が、遠のいていく。
瞼が重くなっていき、視界がぼやけ出す。
口を動かそうとしたが、声を出すことができなかった。
体を支えられなくなり、その場に倒れ込む。
そのまま、眠りに落ちた。




