エルフィン・ナイト
ダルリアーダ王国に伝わる妖精の騎士についてのお話です。
「結婚してください」と、わたしは言った。
目の前に現れた、美しい妖精の騎士様に向けての言葉だった。
青々と、爽やかな印象が目に焼き付く。騎士様はそれまでに見た何よりも美しい女性だった。肩口よりも上に切り揃えられた櫛は自然を体現したかのような瑞々しい新緑に染められており、ほんのりと内に宿る生命の色を透かした白い肌、そして、多角的に輝く宝石のような青い瞳――その身体の作りひとつひとつは人間と同じ形をしているはずなのに、それらを纏めて見れば、人間ではないとわかる程に卓越した美を顕示していた。
太陽の光に満ちた空気を吸い込むとき、あるいは木々の間を吹き抜けた風を全身に受けたとき、全身を巡る心地よさに、それが何故だと問うものはいない。それと同じだ。この美しさに見惚れ、心を奪われることに理屈はない。このまま気が済むまでこの花紅柳緑を堪能して生涯を終えてもよいという気さえしてくる。人間には慣れがあって飽きがくるけれど、この美しすぎる姿には――たとえ生涯を尽くしてでも――見慣れることなどないだろう。
しかし、わたしはここに来た目的を思い出した。このまま人生の限りにこの景色を見続けられれば、それは幸せだろうが、そうは出来ない事情がある。
「結婚してください」わたしは言った。
騎士様はあからさまに困ったという表情をしている。
「ええと」騎士様はわたしの全身を見るように視線を動かした。「見た所、君はまだ幼い女の子でしょう?」透き通った細流のような声だった。
確かに、わたしは成人式を控えた子供かもしれないが、幼いと言われるほどの年齢でもなかった。しかし、考えてみれば、一般的に妖精という種は長寿なため、仮にわたしが成人していようが、苗木が大木になるほどの年を重ねていようが、等しく幼いと見えるのかもしれない。それならば、いっそうわたしの年など関係ない。
「愛に年齢は関係ありません!」
騎士様はとても困ったような表情をさらに濃くして、しばらく悩んだ様子になってから、「じゃあ、わたしに服を作ってください」と、いかにもよい事を思いついたように言った。
「縫物は得意です」わたしも答えた。
「ただの服ではありません」騎士様は得意顔になって、指を立てた。「ポプリン生地を使って、ドワーフが着ても、ドラゴンが着ても、身体にぴったりになるようなシャツです」
その内容はあからさまに不可能なものだった。そのような服は、この世界のどこを探したって存在しないだろう。つまり、騎士様はわたしに無理難題を言って諦めさせるつもりなのだ。結婚などするつもりは少しも無いということだ。
「そんな戯言は聞きませんよ」わたしはそれを突っぱねた。「結婚してくれるまで、わたしは帰りません」
騎士様はついに困り果てた表情になった。「ご先祖様は、これで結婚を迫ってくる女性を躱したらしいのですが」そして、大きなため息を吐いた。
その程度であしらえるなんて、きっと物わかりが凄く良い人だったのだろう。けれど、わたしはそれ程に純粋無垢なつもりはなかった。
「結婚してくれますよね?」
「君が何故そんなに結婚にこだわっているのかはわかりませんが、結婚とは、そう焦ってするものではありませんよ」騎士様は諭すように言った。「君がこの先も健やかに生きていけば、君を大切に想い、守ってくれる素敵な人が必ず現れます。その時に、わたしがいては邪魔になってしまうでしょう?」
出来る事ならば、わたしだってそういうふうに生きたかった。けれど――
「今を逃したら、わたしにそんな人は永遠に現れません」言ううちに、言葉に熱が籠る。「今、結婚してくれないと困るんです!」
騎士様はこちらを気遣うような、心配そうな表情になった。「もしかして、今すぐに結婚しなければいけない理由があるのですか?」
半ば諦めかけてはいたが、ここに来て光明を見出した。騎士様はきっと心が清く、不幸な他人を放ってはおけない方なのだ。わたしは出来るだけ同情を誘うように、弱々しい態度をとってみせた。
「わたしはフランシス・グリフィスといいます。あまり家格は高くないのですが、一応、父は爵位を持っていて、貴族の生まれになります――」
それから、わたしは少しずつ、1語1語をゆっくりと話し始めた。わたしが騎士様に求婚をした理由を。
グリフィス家は貴族位を持つとはいえ、決して裕福な家というわけではなかった。それでも、普通に暮らしていく分には困ったことはなく、ある程度は文化的な生活を送ることも出来ていたし、それに何の不満も抱いたことはない。勤勉で優しい両親と、生意気で少し憎らしいけれど可愛い弟たちがいて、時折仲の良い友人たちとお茶会を開いていれば、他に何も必要ではない、満ち足りた日々と言えただろう。
それが一変したのは、フレッドペリー家の嫡子、アーチボルトに目を付けられてからだ。アーチボルトは、粗野という言葉が意思を持って形を取ったような男だった。偶然にも、けだものが貴族の家に生まれたというだけで、高貴さからは最も遠い男だった。彼は今まで4度結婚しているが、その妻となったものは、その生活が始まって2度の秋を迎えないうちに、皆、幽明の境を異にしている――彼自身の手によって。
わたしは彼について、噂から最悪の男を想像していた。わたしの知り得る中で、最も厭な男の像を。怪物のような男の像を。だが、アーチボルトはそれを少しだけ超えてきた。あのような者にも名誉があるというのだから、貴族社会は不思議なものだ。そして、さらに悪いことに、フレッドペリー家はグリフィス家よりも遥かに格の高い家だった。そのような家に圧力をかけられては、グリフィスのような末端の貴族に為す術はない。両親はまだこの婚約について反対の意を表明してくれているが、やはり下級貴族の言い分など聞くつもりはないのだろう、向こうはその意を変えるつもりはないらしく、ついには半ば強硬的に話を進められようとしている。
わたしひとりの犠牲で事が収まるなら、と考えたこともある。それで家族が平穏に暮らせるのなら、わたし個人は全てを諦めても構わない。耐えると言っても、精々1年なのだから。1年の内にわたしは彼に殺されるか、彼を殺そうとして逆に殺されるだろうから。
だが、全てを諦める前に、1度だけ賭けてみようと思ったのだ。どうせ、このまま向こうの言いなりになってフレッドペリー家に行ってもわたしの人生は終わったようなものなのだ。ならば、少しくらい無理をしてでも、生きる望みを繋げたい。アーチボルトとの婚約が成立するよりも前に、婚約者を見つけてしまえばよいのだ。
しかし、それの相手はただの平民や、下級貴族の令息程度では意味がない。フレッドペリー家でも手出しが出来ない程の力を持つ者か、この社会の理から逸脱した者でなければならない。そして、何よりもわたしを護ってくれる、強い人でなければ。
この地方で語り継がれている伝承に。おとぎ話のような妖精の騎士に――
藁にも縋る想いで訪ねたのだ。それがまさか女性だったとは思わなかったが――確かに、語られる噂では美しい騎士としか言われておらず、男性だ、などとは言われていなかった。
しかし、ここまで来てその程度の理由で諦めるつもりもなかった。目的は眼前に迫っているのだから、後は手にするだけなのだ。もっとも、この国の法では同性の結婚は認められていないのだが、それは大きな問題でもない。
「騎士様が女性だったのには驚きましたけれど」
「最初で躓きましたね」
「いいえ、騎士様。いいですか」わたしは言った。「今、大事なのは、わたしたちの性別でもなく、この国の法でもなく――」深く息を吐いて、騎士様を見た。「わたしたちが愛し合っている。その事実だけです」
「そのような事実はありません」騎士様は首を振って言った。
「真実と事実は違います」わたしは言った。「他の人がそうだと思えば、それは事実になり得るのです」
道理の通っていないことを言っている自覚はある。もしわたしが同じことを言われる立場でも、騎士様と同じ反応を示しているだろう。しかし、わたしにはもう、ひたすら騎士様に縋るしか残っていない。
「滅茶苦茶を言わないでください」はぁ、と騎士様がため息を吐く。そして、「しかし、君の状況はわかりました。手助けしましょう」拍子抜けするほどに、それがさも当然であるかのように、あまりにもあっさりと言い切った。
その言葉を聞いて、わたしは自分でも意図せず、双眸から涙が溢れていた。張り詰めていた緊張感という堰を失って、安堵の気持ちがこらえきれなくなって流れ出てきた。それからは、ひたすら涙を嗚咽と共に出せるだけ出した。出し終えて、わたしの心は自分で思っているよりもずっと痛みを負っていたことがわかった。騎士様は何も言わずにただわたしの傍にいてくれた。
「すみません」落ち着いた頃、騎士様に謝罪をした。「みっともない所を見せてしまいました」
「いいですよ」騎士様はわたしの背中を撫でて言った。「君のような年頃の子は、誰かに寄りかかるものです」
「ありがとうございます」
「パセリ、セージ、ローズマリーにタイム」歌うように騎士様が呟いた。
「なんですか、それ?」わたしは首をかしげた。「必要なのでしたら、市場に行きますか?」
「いえ、魔除けのおまじないです」騎士様は朗らかに笑って、言った。「邪悪を退けて、あなたに幸運が訪れますように」
やはり、騎士様はわたしを子供だと思っているのかもしれない。
しかし、不思議と心が落ち着いていくのがわかった。これだけのことで、気持ちが安らいでいく。本当に魔除けの効果があるかのように。いや、おそらく実際にあるのだろう。しかし、それは魔除けのハーブの効果などではなく、騎士様自身が魔を祓ってくれるのだ。この人ならば、と、そう信じさせてくれるだけの魔力が、騎士様からは満ち溢れていた。
そういえば――と、ひとつ思い出したことがあった。まだひとつ大切なことを尋ねていなかった。
「あの、騎士様のお名前は――」
「教えません」こちらが言い終わる前に、ぴしゃり、と言い切られた。
「名前がわからないと、不便なんですけど」わたしは少し不満を込めて言った。
「名を知ってしまえば、繋がりが出来てしまいます」騎士様は言った。「好きなように呼んでいいですから、名前は教えられません」
釈然とはしなかったが、わたしはそれ以上追及することも無かった。しかし、それ程までに拒絶をしなくとも、と、少しだけ寂しくなった。名前を知ったからと言って、地の果てまで追いかけまわすようなことをするつもりもないのだが。
ただ――少しだけ。この口で、この声で、騎士様の名前を呼んでみたかった。
それから、わたしは騎士様と馬車に乗り、見覚えのある道を走った。どれくらいの時間が経ったのだろうか。わたしはずっと騎士様の顔を眺めていた。あまりにも不躾に見すぎたかとも思ったが、騎士様は厭な顔をすることもなく、時折わたしに微笑みを向けてくれることさえあった。そして、馬車が止まり、騎士様に付き添われて降りた先には、王宮があった。
貧乏貴族のわたしにはあまり縁がない場所だ。しかし、騎士様は気にした様子もなく、王宮の方へと歩を進めていく。文字通り門前払いを喰らうのではないかと心配になるが、そのようなことはなく、あっさりと中へと通された。そして、侍女に案内されるままに通されたのは応接室ではなく、執務室だった。そこでは、机に向かって仕事をしている女性が1人いた。
「失礼します。お久しぶりですね、リナーリア」その人に騎士様は気安く話しかけた。
「お前が訪ねてくるとは珍しい」その人は書類から目を上げて言った。
その麗姿には見覚えがある。いや、寧ろ、末席とはいえ、この国で生きる貴族の令嬢として知らないはずがない。透けるようなプラチナブロンドの髪に、高貴さを象徴する深いアメジストの瞳、そして、わたしとそれほど年齢が違わないはずなのに既に老練ささえ感じさせ、威圧的で刺々しくも荘厳な雰囲気を漂わせているこの方は――紛れもない、この国の第一王女殿下だ。
緊張で頭が混乱する。騎士様は王女殿下と知り合いなのだろうか。いつ、どこで、何故――そんな疑問よりも、わたし程度の者がこの場にいて良いのだろうか、という不安のほうが勝っている。
「リナーリア、こちらはフランシス嬢です」騎士様がその人にわたしを紹介する。
「第一王女殿下様にご挨拶申しあげます」わたしは慌てて深く礼の姿勢をとった。「グリフィス家、長女のフランシスと申します」
「ご存じだとは思いますが――」次に騎士様はわたしに向けて言った。「こちらはリナーリア王女です」恬淡とその人を紹介した。
「お会いできて光栄です、王女殿下」礼の姿勢のまま言った。
王女殿下はそれほど興味もなさそうにわたしを一瞥した後、騎士様に視線を戻した。
「それで、何の用だ」
「フレッドペリーという家を知っていますか?」
騎士様の言葉に、王女殿下は顔を顰めた。「近頃、専横が目に余る家だな」そしてため息を吐いた。「無駄に力も付けてきており、下手に手も出せん」
「では、丁度良いかもしれませんね」
騎士様は事の成り行きを説明した。簡潔に、さわりだけだが、わたしの事と、アーチボルトの横暴を。そして――「わたしは彼に決闘を申し込むつもりです」
王女殿下は疑問を挟むこともなく、ただ頷いて応えた。「ならば、わたしが舞台を整えよう」
「助かります」
「貸しひとつだぞ、ラズ」
「それ以上に、君はわたしに貸しがありますね」騎士様は楽しげに言った。
相手は王女殿下だというのに、騎士様は気安く接している。王女殿下もそれに対して気分を害した様子はなく、2人は気心の知れた間柄のようだが、一体、どのような関係なのだろうか。そして、王女殿下の言った「ラズ」というのは、おそらく騎士様の愛称だろう。わたしには教えてくれなかった名前も王女殿下は知っている。その事実が少しだけ胸を苛む。
「ああ、勝手に話を進めて失礼しました、フランシス嬢――フラニーと呼ばせてもらってもいいですか?」
「はい、もちろんです」
「君に相談もなく事を進めてしまいましたが、安心してください。事情はじきに変わります」
確信に満ちている表情だった。見ているだけで不安が霧散していくような、力強い表情だった。視線を交わせば、言葉を交わさずとも全てを委ねて良いと言われたような気さえした。いや、おそらくその通りなのだろう。
「では――リナーリア、お願いします」騎士様は再び王女殿下へと視線を戻して言った。「決闘の、立会人を」
後日、わたしと騎士様、そしてアーチボルトは、王女殿下によって王宮へと召喚された。騎士様とアーチボルトの2人が初めて対面する場でもある。
アーチボルトの無遠慮に舐め回すような視線が、騎士様に纏わりつくのが傍から見ているわたしにもわかった。
「よく呼び出しに応じてくれた」
「そちらの方は?」アーチボルトが王女殿下に尋ねた。騎士様のことだ。
「わたしはフラニーの騎士です」代わりに騎士様自らが答えた。
「フラニー、だと?」アーチボルトは言った。愛称で呼んだことにひっかかりを覚えたようだった。「まぁ、いい。それで、今日はどのような用件があって呼び出されたのですか?」
「フランシス嬢」王女殿下はわたしに説明するよう促した。
「はい」一度、大きく息を吸った。「アーチボルト様、わたくしはこのお方と添い遂げたいのです。なので、貴方様との婚約は、やはりお受け出来ません。今回は王女殿下のお立合いの許、それを認めていただくためにお越しいただきました」
アーチボルトはそれを聞き、鼻先で笑った。「どのような伝手があって殿下に泣きついたのかは知らんが、お前如きがなんと無礼なことを言ったものだ」そして、わたしと騎士様へと視線を移し、さらに侮蔑するように鼻を鳴らし、噛んで吐き出すように続けた。「それに、女同士で添い遂げるだと? 馬鹿らしい」
やはり、アーチボルトの反応はこちらの予想の範疇だった。彼がこの主張を素直に受け入れ、退くような殊勝な人物であれば、そもそもこういった事態には陥っていないのだから。
王女殿下がため息を吐いた。「アーチボルト卿、退く意思はないのか?」
「殿下、こちらの立場も考えていただきたい」アーチボルトが不遜に鼻を鳴らした。「この程度の家の娘に逃げられたとあっては、フレッドペリー家の名誉は地に堕ちます」
「だが、当人が厭がっている以上、この婚約は認められまい」
「では、そう命令したらよいではありませんか」アーチボルトが嘲笑した。「殿下の権力で」
アーチボルトはあからさまに王女殿下を見下していた。騎士様も王女殿下に対して気安く接してはいるが、それは2人にそれだけの信頼関係があってなせるものだと、見ているこちらにも理解できたし、殿下もその態度に不快感を示す素振りはなく自然に受け入れているようだった。しかし、このアーチボルトは――表向きは慇懃な態度こそ見せてはいるが――内心で嘲っているのは明らかだった。その発言の端々には、殿下に対する侮蔑が込められているのがはっきりとわかった。
当然王女殿下にもそれは伝わっているのだろう。殿下は不快そうにアーチボルトを睨んだ。「礼儀を弁えろ、アーチボルト卿」
空気が張り詰めていく。本来であれば立場が下であるはずの者に好き勝手に言われ、それを罰することも出来ない王女殿下の、その歯がゆさが伝わってくるようだった。
「フラニーを諦めてはくれませんか?」その空気を払しょくするように、騎士様が言った。
「たかが騎士風情が人のものに手を出すとはな」アーチボルトは鼻を鳴らしてそう言った後、野卑な視線で騎士様の全身を見回した。「まぁ、貴様が代わりに俺の相手をしてくれるというのなら、考えなくはないが――」そして、彼はさらにその口角を下品に吊り上げた。「それとも、2人でまとめて相手をしてくれるのか?」
そのおぞましい物言いに吐き気を覚えた。やはり、この男の本質は野蛮なのだ。どこまでいっても、それは変わることはないのだろう。仮にここでわたしが逃げおおせても、他の娘が犠牲になるだけだ。ならば、ここでこの野蛮の最たる源は断ち切っておいた方が良い。
「お断りします」わたしはアーチボルトに向けて、はっきりと言った。「あなたに触れられるくらいなら、わたくしはその場で自害いたします!」
それがアーチボルトの背骨を折る最後の藁となったらしい。「貴様!」彼は怒りの度合いをそのまま表したかのような顔の赤さで叫んだ。同時に、わたしに掴みかかろうと迫ってきたが、それは彼の眼前に突き付けられた切っ先によって阻まれた。それは騎士様の抜いた剣だった。
「よせ」王女殿下が静かに騎士様を制した。騎士様は剣を下ろし、それを確認した王女殿下はアーチボルトの方へと視線を移した。「お互い、退くつもりは無いらしいな」
騎士様とアーチボルトの視線が交差する。「では――」
「古来より、女を取り合う時の作法はひとつしかあるまい」王女殿下が不敵に笑った。
王宮の決闘場へと移動すると、どこで話を聞きつけたか、見学人が数名いた。興味本位と思われる者と、騎士の格好をした者も見えた。未届け人として王女殿下が動員したのだろうか。
「では、これより決闘を開始する」王女殿下の厳かな宣言により、ざわついていた決闘場内が俄かに静まり返った。
二人の騎士が向かい合う。体格の大きなアーチボルトに対して、騎士様はしなやかな柳の様に細く、すぐにでも手折られそうでさえあった。
「貴様の死体ははく製にして飾ってやる」アーチボルトが口許を歪めて言った。わざと物々しい言い方をして、威圧して相手を萎縮させるつもりなのだろう。
しかし、それは通じているとはとても思えず、騎士様は動じた様子もなく、そよ風を受けた草木のように飄々と受け流していた。
抜身を携えた2人が向き合うと、アーチボルトが急かすように王女殿下の方へと視線を送った。それを受けて、というわけでは無いが、いよいよ王女殿下による開始の声が響き渡る。アーチボルトはすぐさま距離を詰めて、騎士様に斬りかかった。鉄と鉄がぶつかる音が鳴り響いた。
――神様、どうか、騎士様をお守りください。
わたしは何度も、何度も――心の中で、繰り返し祈りの言葉を唱えた。
目を背けて、耳を塞いでその間に全てが終わっていたら――そんな考えが心を掠めるが、目を逸らすことは出来なかった。わたしにはこの決闘を見届ける義務がある。どのような結果になろうとも、その全てを受け止めなければならない。そして、もし、万が一にでも騎士様が斃れる事があれば、その瞬間にわたしも自刃するつもりだ。
少しの間、2人の討ち合いは続いた。アーチボルトは苛烈に攻めるが、騎士様はそれを泰然と受けていた。その様を見て、昔、お母様が聞かせてくれた話を思い出した。妖精の騎士は、踊るように剣を振るい、自分の剣の名前を歌う。
騎士様の動きは、舞踏会で見たどのような流麗な花よりもずっと美しく、鮮烈に視覚に刻み付けてくる。そう思っているのは何もわたしだけではない。始まる前は怪訝そうにしていた者も、面白半分で見物しに来た者も、誰もが騎士様から視線を外せずにいる。ずっと退屈そうにしていたリナーリア王女殿下でさえ、その瞬間だけは満足そうに瞳を輝かせているのがわかった。
その間にも、また一合、二合して剣がはじける音が鳴る。斬り合ってはいるが、あれはわざとそうしているのだと素人目にも理解できた。決闘という体裁のもと、これを一種の見世物として演出しているのだ。そうして騎士様の身体がしなやかに伸びたと思うと、果たして、振るう剣が陽光に煌めいた。
静まった場内に、アーチボルトの呻き声のようなものが微かな音となって霧散した。矢庭に、その身体は臙脂を吐き出しながら斃れた。数人から出た感嘆と驚嘆の声が、まばらなどよめきとなって響いた。
「決着はついたな」王女殿下が、2度、手を鳴らして言った。「ダルリアーダ第一王女、リナーリア・ヴァイアヴィクティスが見届けた。フランシス・グリフィス及びその代理闘士が勝者だ」
「本当にありがとうございました」深く頭を下げる。
「上手く事が運んでよかったです」騎士様は満足そうに頷いた。
わたしは騎士様をじいっと見つめて、息を呑んだ。先ほど見た、剣を執り、踊るように振るう騎士様の姿が、青空に刻み込まれた日の光よりも鮮烈にわたしの瞳に残り続けている。
――ああ。わたしは、恋をしたのだ。
いつからか、騎士様を好きになっていた。出会った時からか、決闘での麗姿を見てからか、それは定かではない。しかし、この胸を浮かす心地と、頭の中を朦朧とさせる熱が、わたしに恋心を自覚させる。それだけは明瞭だった。
心音に耳を傾けて、気持ちを落ち着かせる。「わたしを、騎士様のお嫁さんにしてください」
「はい?」騎士様が上ずった声を出す。「その件は、解決しましたよね?」
「解決したのは、アーチボルトの件だけです」騎士様の腕に縋りついた。「わたし、騎士様が好きになりました。結婚したいです」
騎士様は困ったように視線を泳がせた後、またわたしに視線を戻した。そして、柔和な笑みを浮かべ、わたしの頭に手を置くと、「君が大人になって、まだ気持ちが変わっていなければ、また同じ言葉を聞かせてください」
子供をあやすような、体の良い断り文句だった。というよりも、この期に及んでまだ子供扱いされていることに腹が立つ。
「そんな戯言は聞きませんよ」胸を張り、言った。「今、わたしは結婚したいんです」
騎士様は頭を抑えて大きなため息を吐いた。困らせているのはわかっている。無理を言っていることも承知だ。わたしのこの想いは騎士様にとって迷惑だろう。それでも、この気持ちを押し込めて、なかったことにはしたくない。
「いきなり結婚なんて、出来るわけがありません」騎士様から返ってきたのは、にべもない、拒絶の言葉だった。
元々成就するとは思っていなかった。半ば、投げやりに言った言葉ではあった。ただ、行き場所を失った想いが、言葉として口を衝いて出てきただけことだった。けれど、やはり、この胸に走るのは針で刺されたような鋭い痛みだった。
恋などと言っても、所詮、わたしのエゴイスティックな押し付けでしかない。きっぱりと諦めて、忘れるのが一番なのだろう。しかし――「グリーングラスです」
「え?」
「わたしの名前はグリーングラスです。ラズと呼ぶ者もいます」軽やかに、歌うような心地よさで、言った。騎士様の微笑みが目に映り、わたしの心臓に活力を与えた。そして、そのしなやかに伸ばされた腕が、こちらに向けられる。「まずは、お互いを知るために――お友達から始めませんか?」
陽の光を帯びてさやさやと流れる風が、やさしくわたしの肌を撫でた。
ありがとうございました。




