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9.動き出す

「ちょっと一服してくるわ」


 十時になり、相田(あいだ)がそう言って作業場を出て行く。一服とはタバコだろう。鉄男(てつお)は吸わなかったし、白井(しらい)もさゆりが運んで来たコーヒーをすすっていた。


「三咲さん、休憩しませんか?」


 熱心にパソコンに向かう鉄男に白井が声をかける。が、鉄男はパソコンのモニター画面に目を釘付けたまま、険しい顔つきをしていた。


「あの、すみません。ちょっといいですか。この図面なんですけど……」


 白井がコーヒーカップを手に持ったまま、のそのそと立ち上がると、鉄男のデスクまで回り込み、パソコン画面を覗き込んだ。


「この図面て、野崎家別荘て書いてあるんですけど、もしかして、あの野崎(のざき)病院の?」

「えぇ、そうですね。確か相田君が設計した野崎院長の別荘の図面ですね。この設計がご縁で今回の仕事がきたんですよ」

「そう……なんですか。この別荘ってどこにあるんですか? 住所がない……」


 鉄男は眉間を寄せたまま、マウスを動かす。


「確か、荘内半島(そうないはんとう)の先っぽの方だったと思いますよ」

「荘内半島?」


 パッと顔を上げて、白井を見上げる。


「えぇ、そうだったと思います」

「どっかの島じゃなくてですか?」

「んーそれはないですねぇ」


 その図面とは、あの夢の中に出てくる洋館と間取りが同じものだった。


「……ないな」

「何がです?」

「ここ、地下室への入り口のはずなんですけど、このドアの中、物置みたいだなぁ……」

「なんか、ヘンですね」

「え?」

「三咲さん、まるでその別荘に行ったことがあるみたいな言い方ですね。いや、もしかして?」

「な、ないですよ。いや、ちょっと似た図面見たことあって……でも気のせいでした」

「そうですか。まだ気になるようでしたら、相田君に詳しく聞くといいですよ」

「あっ、そうですね」


 鉄男はコーヒーカップを手に持ち、すすりながら、ごまかすように苦笑した。

 しかし、ここまで一致するとは、どう考えてもあり得ないくらいに不可思議だった。

 やはり、あの夢の記憶からは逃れることができないのか。忘れようとしても、意図するかのように次々と繋がりが出てくる。

 ならば、とことん突き止めてやろうかと鉄男は思った。


   ◇


 鉄男と白井は野崎病院の増設建屋の計画について、打ち合わせのため野崎病院へとやって来た。

 事務員に会議室まで案内されると、中には三名の関係者がすでに集まっていた。その三名の内、一人は――、


(洋子(ようこ)さん)


 退院時に見かけた時と同じく、ワンレングスの長い黒髪に目鼻立ちの整った美しい顔立ちをしている。思わず見とれてしまいそうだ。夢の中の人形の洋子はまだ幼さがあったが、今の洋子はそのまま成長した大人の女性だった。時を経て再会した気分になった。


「おはようございます」


 凛とした洋子のよどみのない声が室内に響く。


「まず、紹介します。こちらが今回、工事担当責任者の近藤さんです。それで、あちらの方が林建設の森川さんです。あとそちらは山中さんです」


 洋子から紹介された三人はそれぞれ「よろしくお願いします」と口々に挨拶した。それに対して、

「わたしくし、立花設計事務所の白井と、こちらは三咲です。よろしくお願いします」白井に紹介され、鉄男は頭を下げる。そして、チラリと洋子を盗み見る。が、伏し目がちに軽く会釈したのみで、特に反応はない。まだ、じっくりと顔を合わせていないからか。鉄男はモヤモヤした気持ちを落ち着かせる。

 自己紹介を終えた五人は、テーブルに向かい合わせに座る。

 室内は白い壁に白い床で、ブラインドカーテンも白色に近いオフホワイトだった。シンプルで簡素な、ちょっとした会議室といった感じだった。


「それでは、始めましょうか」


 テーブルの端にホワイトボードを背にして座っている洋子が口を開く。


「……とは言っても、今日はほんの顔合わせ程度なの。白井さん、何かありますか?」

「えーと、それじゃあ今回も地下三階の施工に続き、林建設さんて事なんですか?」


 白井が質問する。


「えぇ、入札を考えていたんですけど、林建設さんになったの」

「そうですか。分かりました。じゃあ、改めて、よろしくお願いします」


 と、双方は軽く頭を下げた。

 その後、会議は洋子の言うように、ほんの雑談程度で三十分もたたないうちに終わった。


「それじゃあ、今日はこれくらいで。皆さん、お疲れさまです」

 洋子はそう締めくくると、席を立ちドアを開けて、皆を見送る。それぞれがドアの向こうへと出て行く中、


「三咲さん、ちょっといいですか?」


 突然、洋子が鉄男を呼び止めた。


「あっ、はい」


 鉄男はドキリと心臓が止まりそうになる。先程の反応からして、諦めにも近い思いでいたが、予想外の展開に慌てる。一体、何の用か。白井の方を見ると、先に行っておくよといった風に廊下を歩いて行った。

 部屋の中ではないが、扉を挟んで二人だけになると、鉄男はゴクリと生唾を飲む。こちらから聞きたい事なら山ほどあったが、まず洋子の言葉を待つ。すると、


「三咲鉄男さん。今度、野崎院長に代わり、私があなたの新しい主治医になる事になりました。よろしくね」

「えっ、あ、はい」

「それじゃあ、そういうことで。また明日」

「あっ、明日! そうでした」


 明日、退院後の診察日だったのを、すっかり忘れてしまうところだった。


「じゃあ、今日はお疲れさまでした」


 最後に部屋から出た洋子は、ドアを閉めると鉄男たちとは逆方向へ廊下を歩いて行った。その姿が消えて見えなくなるまで、鉄男は呆然と眺めていた。


(洋子さんが主治医だって?)


 戸惑いと驚きに軽く頭がパニックになりかけ、息を大きく吸って吐く。しかし、これで洋子との接点ができた。またも鉄男に起こった偶然。いや、これは必然なのか。徐々に鉄男は核心していく。何かが自分の周りで動いていると。


   ◇


 白井の待つ駐車場へ早足で戻ると、


「何を話していたんですか?」


 白井が珍しく、人の事情に立ち入ってきた。あながち、白井も相田と同じく洋子が気になるのではないかと思った鉄男だが、白井の頭髪からして、もう結婚しているかもしれなかったので、それはないだろうと訂正した。


「俺、明日ここへ診察に来るんですけど、主治医が洋子さんに代わったそうで、その報告です」

「え、診察ですか? まだ悪いんですか?」


 主治医が洋子になった事よりも、まだ通院が必要だという事を心配した白井に、「ただの経過観察です」と鉄男は安心させるよう答えた。


「そうですか、経過良いといいですね。ところで、せっかくなので現場を見ておきましょうか」

「あ、そうですね、はい」


 二人は向かいの建物の裏へと回った。

 すでに地下三階の建屋は完成していた。次に始まる工事のためか、周囲にバリケードが立っていた。そして、関係者が出入りする通用門の横にガードマンが警備員用ボックスの中に二人いた。


「すみません」


 白井がガードマンの一人に声を掛けると、


「はい」


 三十代くらいの小太りの男性が窓から顔を出した。


「今度始まる工事の関係者の者ですが、中に入ることできますか?」

「んー、今はちょっと難しいですね。何か身分証明書や会社名が確認できる物、お持ちですか? それでしたら、入れるのですが」


 そうこう会話をやり取りしていると、もう一人の浅黒く中肉中背の五十代の男性が、


「よっちゃん、その人たち、入ってもらっていいよ。立花(たちばな)設計事務所の方でしょ?」

「あ、そうです。先程、こちらで打ち合わせがありまして、ちょっと帰りにと思いまして」

「いーよ、いーよ。よっちゃん、門開けてあげて」

「あ、はい」


 よっちゃんとやらは、ベテランのガードマンの根拠なき勘に従い、通用門を開けた。「よっちゃんも一緒に行くんだよ」と言いつけられ、鉄男と白井に注意を払いながら、後ろをついて歩く。

 通用口の奥の方には縦五十メートル、横三十メートルのコンクリートのスラブが見える。そのスラブの至る所に、今回建つ鉄骨を繋ぐための鉄骨が付けられていた。そして、一番奥に五メートル四方で高さ十メートルの建造物があった。

 鉄男は少し離れて後方を歩いているよっちゃんを気にして声をひそめて白井に問いかける。


「この広さで地下三階って、何なんですか?」

「そこは、私も知りたいところです。上の建屋を設計した時、社長に聞いたんですが、『地下の事は何も考えるな』って言われて。それでこのスラブの鉄骨部分だけ渡されて……これで図面引けって、何かあるのかと勘ぐりますね」

「じゃあ、白井さん、地下に入ったことは一度もないんですか?」

「地下には、ないです。ボルトを確認しに行こうとしたのですが、警備が堅くて。地下の入り口も別の建物からしか入れない上、立ち入り禁止なんですよ」


 白井は眉を八の字にして、訳が分からないとばかりに溜息をつきながら肩をすくめてみせた。

 鉄男も、間違いなく地下に何かがあると考えた。理由の一つとして、通常、建物全体の重さを計算して基礎の設計をするのだが、土台となる地下の構造が知らされていないまま上階部を設計しろなど、無理難題だからだ。

 今、見えない何かが動いているのは、全てこの野崎病院が中心となり関係しているのではないかと鉄男は推測した。



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