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31.危機の予感

 母に具合が悪いから会社を休むと、子供のような嘘をついた鉄男(てつお)は、母が部屋まで運んできてくれた、はちみつきんかんの温かい茶をバツの悪い気分で飲んでいた。

 その後、母の「行ってくるわねー」という声が玄関から聞こえ、パートへと出勤したのを確認した鉄男は、ベッドから起き上がり、スマホでメールを打つ。


門多(もんた)さん、昨夜、野崎(のざき)病院の地下にあるコンピュータ室へ侵入して、俺の脳のコピーが入った記憶装置を奪い返して来ました。ケースに〝T・M〟と書いてあるやつです。連絡もせずにすみません。頭に余裕がなかったんです。それでこの事は、もうすでに洋子(ようこ)先生たちに知れ渡っていると思います。そうしたら、俺にこの事を教えてくれた門多さんにも身の危険が起こるかもしれません。だから、気をつけて下さい。また何かあれば連絡します』


 送信ボタンを押す。

 本当に、後先考えずに行動を取ってしまったと、鉄男は今更ながらに反省する。

 洋子は研究のために脳のデータを取られているという事実を鉄男は知らないと思っているはずだ。が、もしすでに知っているとなれば、別荘で門多に会った時に聞かされたと疑うだろう。そうなれば、門多の身はどうなるのか。しかし、野崎家と門多がどのような関係なのかは詳しく知らない。とにかく、無事を祈った。



   ◇



 鉄男からのメールを受け取った門多は、ゆっくりとメールの返信をキーボードで打っていく。スマホではなくパソコンからなので、ゆっくり打っても門多の完璧なタイピングならば、スマホよりも速度は断然早い。

 メールを打ち終えた後、門多はピーパーズを呼ぶと、膝の上に乗せて、いつもよりも優しく撫でる。足元にはマックスが座っている。


「ピーパーズ、君は本当にいい子だね」


 そう褒めて声をかけると、ニャーとピーパーズはどこか心細そうに鳴き、ゴロゴロと喉を鳴らし、いっぱい甘えた。


 ――門多は知っていた。


 鉄男の脳をコピーしてある記憶装置は複数ある。その中で鉄男が持ち出したのは、例の夢のプログラムである事を。他の記憶装置に鉄男のイニシャルなどは記載していないからだ。おそらく、洋子が分かりやすく目印にラベルを貼ったのだろう。洋子はあの夢に特別な思い入れがあったようだ。

 そして、例え他の全ての記憶装置を奪い返したところで、すでに手遅れになってしまっている事も。

 洋子がインターネットへと鉄男を繋いですぐに、鉄男は洋子の元から離れて、インターネットの世界へと旅立った。そこには小さな箱から出て自由になりたいという〝願望〟という感情が鉄男の中に芽生えていたからだろう。コピーの鉄男にとっては洋子の存在は絶対ではなかった。その辺は門多にとってはどうでもよく、今現在、鉄男は外国の小さな島国で暮らすハッカーの元にいるとの情報に関心を寄せている。

 これらの事は鉄男に知らす気はなかった。聞かされた本人もショックを受けるだけだ。それに、もう〝鉄男〟とは言えなくなるくらい、あらゆる感情を持ち変化を遂げていた。

 門多は車椅子から立ち上がると、ピーパーズとマックスを引き連れて、エレベーターで一階へと登った。



   ◇



 鉄男は机の椅子に座り、昨夜、奪い返した記憶装置を眺めていた。

 果たして、これで自分は自分を取り戻すことができたのだろうか。と、漠然とした不安な気持ちに駆られていた。同時、何か悪事が起こるのではないかと、門多の事も含めて、胸がざわざわした。

 そこへ、スマホのメール着信音が鳴る。門多からで、レスポンスの速さはいつも通りだったのに、少しホッとする。


『成功したんだね、おめでとう。僕の心配は無用だよ。君が今抱えているだろう心配もね。今回の一件は国も認めていない極秘に行われている研究だからね、下手に君に手出しをして、事が公になる方が問題なんだよ。先程、洋子先生から連絡があったよ。午後一時に会いに来るとね。でももう後の事は気にしないでいいよ。それと、僕からのメールはこれで最後だよ。今後、会うこともないよ。じゃあね、鉄男君』


 内容は簡潔にさっぱりとしたものだった。


「最後って?」


 その意味を知ろうと、門多にメールを送ってみたが、どんなに待っても返事はなかった。

 鉄男は思い立ったように電話する。


「もしもし、(まもる)? 今、仕事中か?」

『てっちゃん? どしたの? 一応、仕事中だけど……早退できなくはないよ?』

「悪いっ、そうしてくれ、頼む!」

『いいよ、てっちゃん。昨夜の事が関係してんでしょ? 最後まで付き合うよ』

「あぁ、恩に着るよ。とりあえず、おまえんち、車で迎えに行くから」


 そう言って電話を切ると、鉄男は家を飛び出して車に乗り込んだ。腕時計を見ると、時刻は午前十時半を指していた。

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