30.奪われた夢
工事現場に異変があったと洋子が知らせを受けたのは、朝八時半に病院へと出勤してからだった。
階段の上部に土間の鉄板が何者かによりずらされていたとの事だ。
洋子はカツカツとヒールのかかとをけたたましく鳴らしながら、病院と地下室を繋ぐ通路を歩く。
地下一階へと出ると、階段上部をチラリと仰ぎ見ただけで、構うことなく三階まで駆け降りる。
そして、パソコンへと向かい電源を入れると――、
≪ヨウコセンセイ サヨウナラ オレハモウ ソコニハイマセン≫
画面に表示された〝鉄男〟からのメッセージ。
洋子は慌ててキーボードを叩く。
≪チョット マッテ ドウユウコト?≫
だが、応答はない。
洋子はしばし、唖然とモニター画面に視線を釘付けたままだったが、ハッとして、窓越しにコンピュータ室を見る。そして、扉へと向かいドアノブを握る。すると、閉まっていたはずのドアは開いた。
コンピュータ室へと入り、奥の列にある前から三番目のコンピュータのボタンを押し、トレイを引き出す。
「ない……っ」
鉄男の脳波の記憶装置が入ったケースが取り出されてあった。しかし、それはあの例の〝夢〟のデータが入ったものだった。
コンピュータ室から戻り、再びパソコンのキーボードを強く叩きつける。
≪ドコニ イルノ?≫
鉄男の脳波のデータ自体は残っているのに、パソコンからいなくなった。それは、コピーの鉄男が自らの意思を持って、このパソコンから出て行った事になる。
≪ドウシテ?≫
何故、ここから出て行ってしまったのか。今、どこにいるのか。
「誰が……」
記憶データを盗んだのは誰か。それは、このコンピュータ室の存在を知り、そして三咲鉄男の脳のコピーがあるのを知る者。
門多が工事現場から侵入などは不可能だろう。となれば、
「――鉄男さん」
別荘へ行き門多と会い、応接間で猫と遊んでいたと言っていたが、やはり門多から何か真実を聞かされていた。そして、この犯行に及んだ。
しかし、そうだとすれば、門多は何故、この事を鉄男に話したのか? 何か企みがあるのか?
「あぁっ」
洋子はたまらない苛立ちに心を乱して、デスクの上にある物を払い落した。キーボードやマウスがガシャリと音を立てて落下する。そして、ひときわ大きく重厚な音を立てた物があった。
「あっ」と洋子は床に膝をつく。
それは、ニゲラの鉢植だった。デスクの側にいつも置いていた。花言葉〝夢の中の恋人〟というのを最近知った。
割れてしまった鉢の中のニゲラをそっとすくい上げる。
「私の夢を……奪われた……っ」
洋子はスカートのポケットからスマホを取り出した。
◇
今日も朝から鉄男の自宅付近に黒塗りの乗用車が周囲の風景から浮くように停まっていた。誰が勝手に停めてるのかしらとオバさん連中に思われても、通報する者は一人もいない。こんな地方の田舎に探偵なんているの? と、悲しくも思われているからだ。
佐山は片耳にイヤホンを付け盗聴している。かたわらで本郷が、
「もう、オレら用無しなんじゃねぇか? 具合悪いって、かぁちゃんに言ってたし、今日は家から出そうにねぇし。……昨夜、無理したんだろなぁ」
「体調不良は仮病だろ、バカ。仕事辞めちまったのまだ話せていないからな、言い訳だ。それより、今日か明日には事が起こりそうだな」
「事って、何だ?」
「バカか、おまえは。いや、バカだったな。昨夜の事だよ。今頃、洋子先生は気づいて憤慨していることだろうよ」
その時、佐山の携帯が鳴る。画面を見れば、洋子からだった。
「ほらみろ、早速だ」
佐山は一呼吸してから受話ボタンを押す。「はい」
『あなたたち、昨夜は一体何してたの? 私、あれほど言ったわよね? 三咲鉄男から一時も離れるなって』
挨拶もなく、いきなり受話口の向こうから洋子はつんけんと棘を刺してきた。
「えぇ、もちろん三咲鉄男を見張ってましたよ。寝る間も惜しんで」
半分、皮肉に佐山は返す。
『それじゃあ、何で……っ。まぁ、いいわ。それより、今日午後一時にサンマリーナへ来てちょうだい』
「そりゃまた、どうしてですか? 何かあるんですか?」
『何でもいいからっ、とにかく来てちょうだい』
「……はい、了解しました」
佐山の返事を聞くや否や、プツリと電話は一方的に切れた。佐山はふぅと溜息をつき、
「午後一時にサンマリーナに来いって。かなりご機嫌斜めだぜ」
「やれやれ」
と、本郷もハァーと長い溜息を吐いた。




