23.最後の診察
ガチャリ――
ノックもなしに、いきなり院長室のドアが開けられる。
「な、なんだっ。入る時はノックぐらいしなさい」
野崎は洋子を子供のように叱ったが、こんな子供のように叱らなければいけないほど、行儀が悪くなったのは最近のことだ。むぅっと眉間にシワを寄せ、老眼鏡をクイッと持ち上げる。そしてフゥと溜息をついた。
「はーい」と聞く耳持たずにぶっきらぼうに返事をした洋子は、
「それより、ねぇパパ」
「パ、パパ? それもないだろう。病院では院長先生と呼びなさい」
「じゃあ、院長先生。鉄男さんが立花設計事務所を辞めたらしいの。今さっき、島村工務店の社長さんから連絡があったの」
「辞めた?」
ピタリとペンを持っていた手を止めると、やや神妙な面持ちをして、「そうか」と一言。
「何か、勘付かれたのかしら?」
「かしら? じゃない。そうに決まっているだろう。大体、おまえは詰めが甘いんだ。別荘で門多君と会ったというのも、何を喋ったかまで分からんぞ。何か重要な事を門多君から聞き出していたらどうするんだ」
「それなら、明日の診察で脳波を測定すれば分かる事よ」
「後から分かってどうするんだ。だからおまえは呑気なんだ。もっとあの探偵二人をうまく使い仕事させなさい」
「はーい」
と、ムスッと返事をしながら、洋子はもう用が済んだとばかりに、スタスタと歩いて院長室を出て行った。
フゥと、野崎の口から重い溜息が吐かれた。
◇
診察日。
鉄男は野崎病院の駐車場に車を停めると時計を見た。
今から洋子の診察がある。
「9時半か」
診察の予約時間は十時からだった。まだ時間には余裕はあったが、心にはあまりなかった。
何をどう切り出すか。
頭の中であれこれシュミレーションをしてみたが、その時にならないと相手がどう出てくるか分からない。考えるだけ無駄だと、やめる。
車から降りて、駐車場の脇にある自販機で缶コーヒーを買って一口飲む。
もう、何がどうなろうと、これが最後の診察だ。洋子と会うのも、最後になるだろう。そうならなければいけない、決着をつけると覚悟した以上。
ふと、四、五十メートル先にある病院の正面玄関に吉田の姿を見つける。退院時も、あそこで落ち葉を掃いていた。
(吉田さん……)
この野崎病院のホームページを調べてみたところ、吉田は驚くことに理事長だった。あの夢の中では、吉田は洋館の使用人だった。鉄男たちに美味しい料理を作ってくれ、そして島を脱出するのを手助けしてくれた。頼もしく優しい人だった。
(理事長か)
そうともなれば、院長である野崎のことをよく知っているはずだ――研究の事も知らないはずはない。直接、関わってはいないとしても。
鉄男は少し淋しくなった。
周りの人達が、どんどん心の中から消えていなくなっていくようだった。
夢なら夢のままであってほしかった。
門多は何故、このような夢を見せたのかと、恨み言の1つも言ってやりたくなった。
◇
佐山は鉄男の車から少し離れた辺りに黒塗り乗用車の愛車を停めた。本当はもう少し近くにしたかったが、
「午前中は混んでるな、駐車場がいっぱいだ」
チッと舌打ちをした佐山に本郷は、
「ジジババは何で朝早くから病院へ行きたがるんだ?」
「俺に聞いてどうする、ボケ」
「しかしよぅ、病院まで後をつけなくてもいいんじゃねぇか?」
「だから言っただろ、昨日、洋子様からメールがあって、三咲鉄男から一時も目を離すなって、ご命令だ」
フンッと佐山は鼻を鳴らす。
「でもそれじゃあ、昨日あんたが三咲の車にGPS付けたのは正解だったじゃねぇか。早速、役に立ったな。あんた、さすが先見の明があるぜ、よぅ親方」ポンッと本郷が佐山の膝を叩くと、「からかうな、酔っ払いが」と、睨まれる。
「ちぇっ、ほめてやってんのに、かわいくねぇな」と、本郷はポケットウィスキーを口に含んだ。
◇
前回と同じく、総合受付で診察券を渡した鉄男は、近くの椅子に座って待つよう言われる。今回は午前中なので、患者が多く椅子が足りていない。
朝はお年寄りでいっぱいだ。
という、本郷と同じ感想を抱きながら、椅子に座るのは遠慮して立っていると、「三咲鉄男さんですね?」と、前回と同じ首からストラップを下げた医療従事者の女性に声を掛けられる。そして、「こちらへ」と洋子の元へと案内される。
コンコンと、部屋をノックした女性は、「先生、三咲鉄男さん、お連れしました」声を掛けると、中から「どうぞ、入って」と返事がある。女性が扉を開けて鉄男が中へと入ると、女性は軽く頭を下げて退室していった。
やはり今回も前回と同じく、中では洋子がデスクに向かっていた。姿勢良く椅子から立ち上がると、
「こんにちは。どうぞ、こちらへ」
手招かれ、「よろしくお願いします」と鉄男はソファへと座った。洋子もテーブルを挟んで向かい側に座った。
「体調はどうですか?」
「えぇ、まぁまぁですね。いい方だとは思います」
「お仕事の方はどうなの? 慣れてきた?」
聞きながら洋子は立ち上がる。
「えぇ、どうにかですね」
適当に相槌を打つように言葉を返しながら、どこまで知っているのか? と鉄男は注意を張り巡らす。別荘に行った事は例の探偵二人組から報告を受けているとして、昨日会社を辞めた事はどうなのか。ちゃんと逐一報告をしているのだろうかと、変な心配をしてしまった鉄男だ。その間に、
「どうぞ」
と、テーブルの上にティーカップが置かれる。部屋の棚の上には電気ポットが備えられている。それで淹れていた。
「……紅茶ですか」
「あら、嫌いだった?」
「いえ、そうじゃなくて……こんな診察もあるんですね」
「あぁ、そうね。でも心療内科のカウンセリングとかじゃ、珍しくもないわよ。ゆっくりとリラックスしながら症状を診るのも大事なの」
「あの、俺ってまだ病気なんですか?」
「三咲さんの場合、二年間も眠ってたから、もうしばらく様子見させてもらおうと思っているの」
「……そうですか」
紅茶に手つかずのまま、下を向く鉄男の様子に、洋子はカップを持つ手を止める。
「もしかして、診察、受けたくないの?」
鉄男はこの時だ! と思い、話に踏み込んだ。
「はい、そうしたいと思ってます。特に、脳波の検査とか好きじゃないんです」
ハッキリと断言した鉄男に洋子は少し眉を曇らせ考える素振りをみせる。
「脳波の測定は必要な検査なの。私はあなたの脳の中までは直接診られないから。脳波でデータを分析して、あなたの今の健康状態を診ているの」
「はい、それは分かっています」
怖いから、痛いから、だから嫌いとかじゃない、俺の脳で一体何を見て、何をしているんだ! と、鉄男は心中で叫びたくなった。
◇
佐山と本郷は、耳にイヤホンを差し、洋子による鉄男の診察を聞いていた。盗聴器は洋子の部屋にもしっかり付けていた。病院の各部屋は基本、鍵は掛かっていない。院長室ともなれば、長期不在時には鍵が掛かっている時があるが、院長の娘の部屋だからと言って、鍵まで掛けるのは不自然だ。
「おいおい、マジか。病院の診察で紅茶って、ずるいぞ」
「うるさい、黙ってろ、バカ」
「バカバカ言うな」
「バカバカ言わせてるのは、バカなおまえのせいだろ。気づけよ、バカ」
「あ、そっか」




