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22.未来のために退職

 朝、身支度を済ませた鉄男(てつお)がキッチンへと向かうと、食卓の上にはみそ汁と目玉焼きとほうれん草とベーコンのバター炒めが並んであった。


「朝からほうれん草、茹でたんだ? コーンまで入ってる」


 と、鉄男が感心すると、母は「フフフ」と笑った。退院してから、ずっとおかずがいつもより多めが続いている。と言っても、いつもというのは二年前と比べてだ。まだ、母の目には鉄男は病み上がりだった。なにせよ、目覚めてからまだ半月も経っていない。が、鉄男の中では随分と長い抜け道のないトンネルのような時が流れていた。


「母さん」

「なぁに?」


 ほうれん草とベーコンのバター炒めを箸で突っつき回して何やら吟味している母に話し掛ける。


「あの……」

「ほらぁ、早く食べないと会社遅れるわよ」


 みそ汁を一口すすっただけで箸が止まっている鉄男は、一晩考え抜いて会社を辞めると下した。その事を事前に話しておこうとしたのだが、何故? と理由をあれこれ聞かれても何と答えて良いか迷い、結局、口うるさく質問されるのを覚悟で事後報告する事にした。


「ごちそうさま。美味しかったよ、このほうれん草のやつ」

「ホント? よかったぁ。また買ってこよっと」

「買ってくる?」

「これ、冷凍なの。お味噌汁もインスタントだし、今日は目玉焼き作っただけよ、んふふ」


 何に対してか、母は勝ち誇ったように笑う。多分、手間暇の時短とコスパが良かったのだろう。そして、鉄男の舌を騙すことに成功した。


「めぐみさんに教えてあげようかしら?」

「俺は、(まもる)に教えとくよ」

「何をよ? だまされるなって? 自分はだまされたくせに、ホホホ」


 朝からご機嫌に笑う母は、手早く食器を片付けて、パートへ行く準備を始める。母一人くらい養える給料を以前は貰っていたが、今後はどうなるか。でも、じっと大人しく家で一人でいる母でもない。


「いってきます」と鉄男が玄関から声を挨拶すると、「はーい、いってらっしゃい」と、母の声が奥の部屋から返ってきた。


 この日常を壊されぬよう、一日も早く取り戻そうと、鉄男は心に決めた。



   ◇



 鉄男が立花(たちばな)設計事務所に車を停め、社内へと入って行くのを見届けた佐山(さやま)本郷(ほんごう)。真面目に毎朝、八時に家を出るので、尾行せずとも、会社で待機していればいい。だが、今朝は家から会社までの道のりを、黒塗り乗用車でぴったりと後ろに張りついていた佐山だ。


「しっかし、あんたも好きだねぇ。車にまで盗聴器かよ」


 本郷は助手席で遠慮もせず大きなあくびをしながら言う。

 昨日、コンビニへと鉄男が入った隙に、車内の座席のシートに佐山は盗聴器を仕掛けていた。どうやってかと言うと、缶コーヒー一本買うだけのほんの数十秒の買い物の間、佐山の狙い通り、鉄男は油断して車の鍵を閉めていなかったのだった。


「だから言ってるだろ、あいつの部屋、最近静かすぎるから、念のためにだ。食卓はほぼ母親が一人お喋りしてるだけだしな」

「それが、車の中では鼻歌かよ。何か懐かしそうな人形がなんたらって歌詞の歌、歌ってたな。ちょっと淋しそうに。どっかで聞いた覚えがあるんだよなぁ」

「フランスの歌だろ」

「何だ、あれってカバー曲かよ。でも何でそんな人形の歌なんか口ずさんでたんだ?」

「俺が知るか、ボケ。でも、これで盗聴は成功だな」


 ニヤリと口の端を吊り上げた佐山は運転席から降り、後部座席に置いてあるアタッシュケースを開く。


「おいおい、今度は何すんだよ」

「GPS、車に取り付けんだよ」

「マジか」


 二人は道端に停めた車を降りると、低姿勢で猫のようにソソソと事務所を通り過ぎると、裏にある駐車場で鉄男の車を見つける。そして、車の下を覗き込んだ佐山は、小さなGPSを車体に取り付けた。それを側で見ていた本郷は、


「日本人って無防備過ぎるぜ……」


 恐ろしそうにつぶやいた。



   ◇



 倉田(くらた)社長はデスクの上に置かれた辞表を前に「んー」と小さくうなったのち、「向こうで、座って話そうか。と、鉄男に言った。

 面接の時に入った、応接間のソファに、鉄男は落ち着かない様子で腰掛ける。


「だけど、突然だね、三咲(みさき)君」

「すみません」

「まぁ、色々と事情があってのことだろうから詳しくは理由を聞かないけど、一つだけ、いいかい?」

「はい、何でしょうか」

「辞めたいって理由の中に、何かうちの会社に原因や不満があるのかな?」

「いいえ、そんな……何もないです。みなさん、いい人ばかりで、白井(しらい)さんと相田(あいだ)さんには本当に申し訳なく思ってます。辞めたい理由の一つとしては、僕の中での心変わりというか……ホント、突然にすみません」

「いやいや、何も謝ることはないよ。まだ若いしね、転職先はいくらでもあるよ。まぁね、これはとりあえず預かるけどね」


 と、鉄男の辞表をポケットにしまった。


「また、戻ってきたくなったら、うちとしてはいつでも大歓迎だよ。こんな所で良ければだけどね、ハハハ」


 倉田は明るく笑顔で見送ってくれる。玄関から作業場を振り返ると、白井と相田の姿が見えた。こちらに気づいた相田は軽く手を上げ、白井は頭を下げた。鉄男は二人に礼をして、玄関を出た。すると、玄関を掃き終えたさゆりがほうきとちり取りを持って立っていた。まるで待っていてくれたかのように。


「お世話になりました」


 鉄男が礼を述べて立ち去る背中に、


「三咲さん、またでーす! ファーイト!」


 大きな声援を受けた。

 本当は倉田社長に、自分がこの会社へと入るに至った経緯を聞こうかと思っていたが、できなかったし、そんな質問をしなくて良かった。

 おそらく、倉田社長は島村工務店の社長にただ頼まれて何も知らずに自分を受け入れてくれたのだろう。そう、信じることにした。

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