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19.じいさんとジャンケン

 海の上では鳥たちが悠々と晴れ間に広がった空を飛んでいた。

 三人は荘内半島(そうないはんとう)からサンマリーナへと帰る途中だ。洋館にいたのは、一時間程度だった。

 そのほんのわずかな時間の内に、鉄男(てつお)は自分の身に置ける衝撃的な事実を知らされる事となった。


「鉄男さん、大丈夫かな?」

「うーん」


 (まもる)とめぐみは、デッキの上で会話する。操舵室には鉄男一人がいた。何となく、後ろ姿が一人にさせてくれと言っているようだったからだ。


「何か大変なことになってきたよな。てっちゃんの、あの夢の話、もっと真剣に聞いてやるべきだったな。まさか、こんな……」

「うん。あたしなら、本人の了承もなくこんな人体実験みたいな……ヒドイ。せめて、ちゃんと説明してくれてたら……あっ」


 めぐみが何かに気づき、守を振り返る。守はめぐみの言わんとすることがすぐにピンときた。


「お母さんが、同意書にサインしてるかもな。息子が目覚めるなら、何でもするって、藁にも縋る思いだったろうからな。上手く言いくるめられた可能性はあり」


 めぐみはハァーと大きく重苦しい溜息を吐く。


洋子(ようこ)先生のこと、このまま信じていいのかな?」

「信じるしかないよな」


 守も詰まる息を吐き出す。

 操舵室では鉄男は陰りを落とした表情で運転していた。


(洋子さん……)


 何となく、予期していた事は本当となった。やはり、あの洋子は夢の中だけの洋子だったという事だ。しかしあの夢をプログラムしたのは門多だ。その時点では洋子は、あの夢のような人だったのか。それが少しずつ今のように変わったのか。だとすれば、何が洋子を変えたのか。その要因とは何か。そして、


(あの門多(もんた)って人は、何だ?)


 何がしたいのか、何を思っているのか、うまく掴めない。捉えどころのない人だった。しかし、門多のおかげで全てを知る事ができた。が、何故、門多が鉄男に事実を打ち明けたのか。その意図が不明だ。

 夢についての実験を謝りたいという風でもなかったし、謝れてもいない。だがここまでしておいて、


(倫理に背く?)


 結局は自分の身の保身を守っているだけではないのか。それならば、最初から黙って消えればよいだけの話だが、しかしこのまま鉄男を見放す感じでもなさそうだった。

 考えれば考えるほど、門多の心中が読めなくなる。


「てっちゃん」


 守が操舵室に顔を出す。その顔は心配そうに無理して鉄男を明るくさせようという気持ちがみてとれた。なので、鉄男はパッと笑顔を作り、


「サンマリーナに戻ったら、めぐみちゃんにアイスクリンだろ?」

「あーっ忘れてた! 殺される!」

「ちょっと、誰が誰に殺されるのよ?」


 すぐ後ろに立つめぐみが、守の首に腕を回す。


「うっ、てっちゃん、助けて!」

「そういや、俺ら昼飯もまだだったな。どうすっかなぁ」

「てっちゃん、無視をやめて、聞いてっ、ヘルプ!」

「あっ、あたし回転寿司食べたーい! 海の幸!」


 守にヘッドロックを決めたまま、めぐみは無邪気にリクエストする。


「じゃ、決まり」


 と、鉄男は見えてきた船着場へと舵取る。「てっちゃーん」守の叫び声が高く青い空にこだました。



   ◇



 佐山(さやま)本郷(ほんごう)は緑色をした家を探し求めていた。


「どれだ? あれか? 屋根が木と擬態化してやがる」チッと舌打ちをした佐山に、「だから屋根は赤色ってんだ」本郷は当たり前とばかりに言う。


 その緑色をした屋根の家は、森を背景に屋根よりも高く生い茂った木々に囲まれていた。

 運転する佐山は、サングラスを片手でずらして「あれだな」確認すると、牛フンのへばりついた軽トラをお構いなしに塀のない敷地内へと突っ込んだ。

 ちょうどそこへ、高校生らしき少女が家から出て来た。佐山は、「ちょっと、お嬢ちゃん」と声を掛ける。すると、


「ゲッ、何っ? ヤクザ?」


 思いっ切り身を引いて怪しまれる。が、怪しまない方がおかしいだろう。こんなド田舎でサングラスを掛けた黒服姿の男二人組はいない、普通であれば、だ。無論、そんな事になど気づいていない本郷は、「ゲッて何だ、このアマァ」という言葉が喉元まで出かかったが、グッと飲み込む。


「俺たちは、君のおじいちゃんになると思うが、借りてたこの軽トラを戻しに来たんだ」


 佐山がビビらせないよう優しさを心がけて話すと、「あぁ、あの車の人」と少女は話の内容には納得したようだが、二人には胡散臭い眼差しを向けたままだ。佐山は少し悲しみながら、


「おじいちゃん、いるか?」

「それなら、ちょっと待ってろって、ばあちゃんを病院に連れてくから、そう言っといてくれって言われたよ」

「それ、すぐ帰って来るのか?」

「さぁ、十分くらい前に出たばかりだから、まだ一時間かに時間はかかるんじゃない?」


 他人事のようにあっさりと少女は答える。


「おいおい、そんなに待ってらんねぇぞ」本郷は、上がって待ってれば? と、お茶を出してくれないかと心底で思ったが、無理な願いだろう。

「お嬢ちゃん、その病院どこか分かるか?」


 最初からそんな期待はしていない佐山は、そう尋ねた。



   ◇



 少女の答えた整形外科は車で十分程の所にあった。佐山と本郷は自分たちの車を駐車場ですぐに見つけると、そこに軽トラを横付けした。


「おい、カギ掛かってるぞ」

「当たり前だろ、バカ」


 佐山は軽トラの運転席へと戻り、上着の内ポケットからスマホを取り出すと、シートに腰をずらして背持たれた。


「おいおい、気長に待つ気かよ」

「ヒマなら、おまえもリハビリでもして来いよ」

「オレはまだ足腰弱っちゃいねぇ。おまえこそ、やって来いよ」

「俺は洋子先生に報告しなきゃいけないんだ、ヒマじゃない」

「ケッ」


 本郷はポケットウィスキーを取り出し、ちびり始める。佐山は報告内容をメールで打ち込む。


『午前十時にサンマリーナから鉄男と男女二名が野崎家の別荘へと向かう。別荘の中に誰かがいて中へと入っていき、約一時間後に出て来る。その後、再び船に乗りサンマリーナの方向へ戻って行った』


「よし、こんなもんだろう」


 佐山は未だに慣れないフリック式入力で打ち込み終えること三十分。ようやく送信ボタンを押した。そうこうしている間に、


「おい、じいさん、出て来たぜ」


 待ちわびていた本郷が、助手席からさっさと降りる。ばあさんを連れたじいさんが、すぐに気づいてやって来る。


「うちで待っとれんで来たんかい」

「俺らもヒマじゃねぇからな」


 と、先程まで暇を持て余していた本郷が偉そうに言うのを、佐山は呆れた顔をする。


「そりゃ、すまなんだな。ほら、鍵だ」


 とじいさんが車の鍵を差し出し、佐山のと交換する。


「おっと、リース代だ。二時間分、二千円でいいか?」


 佐山は財布から千円札を二枚取り出し、人差し指で挟んで見せる。


「おっ、そんじゃあ、わしからはガソリン代を二千円じゃ」


 と、じいさんも巾着袋の財布から四つ折りにされた千円札を二枚、広げながら出す。


「ちょっと待ってくれ。それは困る。もらえない」と佐山が断ると、「ええから、ええから」と、じいさんは佐山の胸元にお札を押し付ける。延々と続きそうな押し問答が続き、


「おじいさん、じゃんけんで決めたらどうです? 勝った方が二千円を受け取りましょう」


 ばあさんが横からそっと知恵を出した。「あぁ、そうだな」と、佐山とじいさんのやり取りを退屈そうに眺めていた本郷が、手の平をポンと打った。佐山も、「それじゃあ」と応じると、じいさんは腕をまくる。


「「じゃーんけーん」」


 と、二人は掛け声を出して、


「「ほいっ」」


 で、佐山が勝った。が、何故かじいさんは嬉しそうに笑う。佐山は仕方なくと言った感じで二千円札を受け取った。

 黒塗りの乗用車へと乗り込むと、本郷は「あぁ」と吐息を漏らしながらシートに沈み込む。やはり乗り心地は格段上だと実感するが、軽トラと比べてもしょうがない。

 佐山がエンジンをかけると、「おっと」とじいさんが運転席の窓に顔を近づけてくる。


「トランクにな、うちのばあさんが作った野菜と、牛肉入れとるからの、忘れずに食えよ」

「おいおいマジかよ。ガソリン代までもらっておいて、困るじゃないか」

「さっき、あんたら野崎先生の別荘に行ってたんじゃろ?」

「あぁ、まぁそうだ」

「わし、先生に頼まれて、あそこの草刈りや何やらやっとるんじゃ。それで、たまに別荘に呼ばれて色々とご馳走してくれるんじゃ、これもな」


 と、じいさんは手でクイッとお猪口を口に持っていく真似をした。


「そのお礼にって事か?」

「それもあるがな、車汚しちまったからの」

「そうか。じゃあ、ありがたくもらっとくよ」佐山はゆっくり車を前進させながら、「ありがとな」。本郷も軽く手を上げた。

「先生によろしくの」


 フロントミラーには手を振るじいさんと、お辞儀をするばあさんが仲良く二人並んでいる姿が写っていた。



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