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10.脳波

 鉄男(てつお)野崎(のざき)病院へと診察を受けにやって来ていた。平日なので、会社は入社早々に休みを取る羽目になってしまったが、電話口に申し訳なく話す鉄男に対して事務のさゆりは「大丈夫ですよー」と、あっけらかんとした口調だった。

 会社に謝っておけばいいだけの話だが、この診察はそうはいかない。鬼が出るか蛇が出るか、予測不可能な状況に立たされ、鉄男は緊張に両手をギュッと握る。

 総合受付で診察券を渡すと、近くに座って待つようにと指示された。他の患者再来機に診察券を入れると、番号札が書かれた用紙を受け取り、外来受付へとそそくさと足を向けているというのに、何故か。入院していたので、初診という訳でもないはずだ。

 妙な焦りと共に、握り締めた手に汗をかき始めた時。


三咲(みさき)鉄男さんですね?」


 ナース服ではなく、私服らしき姿をした上品な年配女性に声を掛けられる。首から氏名の書かれたストラップを下げていたので、医療従事者だという事は分かった。


「はい、そうです」

「今から診察室までご案内します。こちらへ」


 女性に言われるがままついて行くが、外来を通り越してエレベーターへと乗り込んだ。上がった階は四階。エレベーターの扉が開くと、人気の少ない廊下へと出た。

 さすがに鉄男は不審がったが、女性は通路の一番奥にある部屋の前で足を止め、扉をノックした。


 ――トントン


 二回、ノックすると、すぐに中から「どうぞ」と声が掛かり、女性が扉を開く。

 中では洋子(ようこ)が机の前に座り、パソコンのモニター画面を見ていた。洋子が視線をこちらに向けてくると、案内してくれた女性は静かに退室していった。

 洋子は椅子からノートPCを片手に立ち上がり、


「どうぞ、お掛けになって」


 と、診察室ではあり得ない、ふかふかと座り心地の良さそうなソファに座るよう言われる。その三人掛けくらいのソファが二つあり、真ん中にテーブルがあった。鉄男はキョロリと目だけを動かし室内を窺うと、デスク周りには大きな本棚があり、ぎっしりと専門書のような本が並んでいる。壁には絵画が掛けてあり、部屋の出窓には観葉植物が置かれてあった。

 やはり診察室には思えず、強いて言うならばカウンセリング室だ。


「よろしくお願いします」


 鉄男は診察のつもりでソファに浅く腰掛ける。すると、洋子も向かい側に座り、ノートPCをテーブルへと置いた。


「あの、診察室って外来じゃないんですね」

「えぇ、時と場合によるわね」

「はぁ、そうなんですか」


 理解できたようなできないようなまま、ポカンと返事をしていると、洋子が姿勢を正して、


「三咲さん、私はあなたに謝りたいの」


 真剣な眼差しを向けてきた。


「え、何をですか?」

「事故の事です」

「俺のボートと衝突した……」

「えぇ、そうです。この二年間、あなたは意識をなくしてました。二年間というのは、あなたにとって、とても大切な時間だったと思います。いえ、誰にとっても二年という時は大きいでしょう。それを、私たちはあなたから奪ってしまいました。本当に申し訳ありません」

 洋子に向けられた真っ直ぐな瞳。鉄男は目覚めてから初めて洋子の顔を真正面から見た。

 この目の前にいる洋子は、間違いなくあの夢の洋子――人形だ。艶やかに光るワンレングスの黒髪も、長いまつ毛に覆われた漆黒の大きな瞳も、あの人形そのものだった。


「三咲さん? どうしました?」

「はっ」

「やっぱり、謝って許されるものじゃないわよね……勝手よね。でも、ごめんなさい」

「あ、いやっ、あの事はもういいんです。色々と保障もしてもらって……何より、ちゃんと目覚めてますから」


 お金で解決できるものではないし、確かに若い二十代の二年間を失ったのは残念だ。しかし、それよりも今の鉄男は洋子のことで頭がいっぱいだった。

 ――人形と一緒だという事は、洋子さんは〝脳〟だけになっているはずだ。

 辻褄の合わない話だった。が、鉄男も自分の記憶に自信がない部分もある。周りに理解を困難にさせてしまっても無理がない。

 何を信じるべきか。


「そうね、目覚めてくれて、私たちも安堵しました」

「……あの、それより診察の方は? 時間、大丈夫なんですか?」

「あぁ、そうだったわね。時間なら大丈夫よ。今日は三咲さんだけだから」

「そうなんですか」


 またしても、よく分からない病院に鉄男は疑い掛かったが、外来担当の医師と病棟だけ診ている医師がいるらしいので、洋子は後者なのかもしれない。


「じゃあ、ちょっと隣の部屋へ、移動お願いします」


 そう言って、洋子はドアを開けて出て行く。鉄男は訳が分からないままついて行くしかなかった。

 部屋を出て真向かいの部屋へと鉄男は案内される。中は左の方に診察台と何か機械のような物があり、真ん中をガラス窓で仕切られていた。そのガラス窓の向こう側にはパソコンのモニター画面がいくつかあった。


「今日は脳波を測らせてほしいの」

「脳波、ですか?」

「えぇ、眠っている時のデータはあるけれど、起きている時のデータがなくて。両方のデータがないと、検査できない病気もあるの」

「あぁ、それはそうですね」


 鉄男は納得し、洋子に指示され診察台へと腰掛けると、洋子が慣れた手つきで鉄男の頭部と首に皿電極を二十四個取り付けた。そして、診察台へと横たわる。


「ほんの二十分程で終わるわ。私は向こうで座ってるので、何かあれば言って下さい」


 洋子はガラス窓の向こうへとパソコンが置かれたデスクの前へと座る。


(やっぱり、ただの検査か)


 わざわざ、先程の部屋へと通されたのは、事故の件を謝罪するためだったのかもしれない。きちんとした場所でなければ、誠意は伝わらないからだ。


(でも……)


 洋子の外見はあの夢の人形と同じだが、性格は今のところ分からない。とはいえ、人形の洋子とも少し話しただけだ。どこか儚げで守りたくなるような弱弱しさがある反面、全ての悟りを得た達観したところがあった。一方、今の洋子は、医師の姿のせいか、少し勝気で、素っ気なさがあった。

 そんなことを思っている内に、


「三咲さん、終わりましたよ」


 パチッと鉄男は目を開く。


「俺、寝てました? ちゃんと起きてる脳波、撮れました?」

「えぇ、大丈夫よ」


 クスリと、ほんの小さく洋子が笑った。洋子の笑うところを見たのは、あの夢でもこの現実でも初めてだった。笑うと少女のあどけなさが一気に現れ、あの夢の洋子にますます似ていた。


(ここで騙されるな)


 自制心を持って警戒する。洋子に特別な感情を持ちつつあるのは自覚していた。故に、何が本当で嘘かを慎重に見極める冷静さが必要だった。


(聞けば早いけどな)


 直接、あなたはあの夢の島の人形と関係ありますか? と。だが、ただの夢だと一蹴されて終わりどころが、変な目で見られて、さらに脳波を調べられかねない。


「今日は、以上です」

「え、はい。あ、お会計は一階……?」

「いえ、会計はいりません。今後も、事故と関係のある診察については治療費は全て頂きませんので」言いながら、メモ用紙一枚、差し出し渡される。


「次の診察日です。検査結果は一週間程で出ますので。その説明をさせていただきます」

「あ、はい」

「それじゃあ、お大事に」


 くるりと身をひるがえして、窓ガラス越しのデスクへと座った洋子に、鉄男は会釈して検査室を出た。

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