2.ふわふわ猫
「離婚が決まって1カ月。もうダメなんだ! 僕は真実の愛に気付いた。もう離れて暮らしているとつらいんだ……」
元夫が涙を流さんばかりに額を床にこすりつける。
「ちょっと、そんなみっともない真似はさすがにやめてくださいませんか?」
私はちょっと気の毒になって声をかけた。
「いやッ! 君が許してくれるまではここにこうしていいる」
元夫は床に手を突いたまま、頑なに立ち上がろうとしなかった。
私はため息をついた。
「マリネットさんは?」
「もうすっかりどうでもよくなって邸から叩き出した。違うんだ。あの邸にいるべきなのはマリネットじゃない」
「いやいや、私には話が全く見えません。その心変わり、何かあったのですか? だって、あんなにマリネットさんにご執心だったではありませんか」
私は困惑を隠せずに聞いた。
だって、まだ元夫は魔王みたいな恰好をしているし。
「それは君が出て行ったからじゃないか」
「それは出ていきましたけど、それが何か? 何かあなたとマリネットさんに問題でも?」
「マリネットのことはもうどうでもいい! 過去の女だ。幸いマリネットとは婚姻前だった。ああ、再婚する前に気付けて良かった!」
「マリネットさんとの再婚、やめるんですか?」
「ああ、やめるとも! 目が覚めたんだ。真実の愛はマリネットじゃない」
「はあ……」
私はなんだか腑に落ちないまま返事した。
「君が大事だということだ。君が出て行って、本当につらかった。こんな虚無感に苛まれたのは初めてだ。俺は今まで愛というものを勘違いしていた」
元夫は必死で訴えかけるように言った。
しかし私はこれまで散々浮気されていたので、今更そんな言葉を信じられるほど乙女でもなかった。
「その言葉、全然信用ならないんですけど。だってあなた、私のこと愛してくださったことなんて全くなかったじゃないですか」
「それは……」
と元夫は言葉を濁した。
そして元夫は顔を伏せたが、顔を苦々しく歪めて唇を噛みしめ、言わなければいけないことを絞り出すように、
「本当は君のことを愛していたんだ!」
と言った。
私は元夫の嫌そうな顔に、余計に不信感が募った。
「その顔で!?」
「あ、いやっ」
元夫が慌てて笑顔を作った。
と、その時。
「にゃ~~~ん」
と猫の鳴き声がした。
私の飼い猫だ。
猫は昼寝していたところ元夫が入ってきたので目が覚めて、こちらを警戒するようにしばらく眺めていたが、眺めていることに飽きたのだろう。
部屋を出ていきたくなったらしい。
「ドア開けろ」と要求しているのだった。
しかし、その猫の声を聞いた途端、元夫の目が潤んだ。
ばっと猫の方へ振り向くと「リリーちゃぁんっ」と声をあげた。
私はピンときた。
「あっ! リリーですわねっ!?」
私は叫んだ。
「いなくなって寂しいのは私じゃなくてリリーなんでしょう!?」
元夫は図星の顔で「しまった」と呟いた。
リリーは私の飼い猫である。もともとは私たち夫婦の飼い猫だ。
まだ結婚中、(元)夫が海外視察に行ったときに、たまたま向こうの商人が希少品として扱っていたのを見かけ、珍しいと思って買って帰ってきた。邸にきたリリーの可愛らしい見た目に私はすっかりメロメロになって、すぐさま(元)夫に譲るようにお願いした。
白色のふわっふわの長毛種。(元)夫は最初はうさぎかと思ったらしい。
くりくりの瞳は緑色。警戒心があまり強くない種であるわりには、ぴんと立った耳がわりかしひょこひょこ動いている。
(元)夫は笑いながら了承した。
日当たりのよい窓辺やクッションの隙間で目を細めて丸まっている姿は生き物の可愛らしさをすべて詰め込んだような完璧な姿で、神々しさまで感じさせるほどだ。
その割には、目覚めると少し性格がきつく、食事の好みもなかなかうるさい。まあそれに関しては私とお抱えシェフで甘やかしまくったせいもあるかもしれないが。肉の味の違いが分かる、なかなかの猫になってしまった。
シェフがリリー用に用意した数品の料理をまずふんふんと嗅ぎ、気に入ったものだけ食べる……。ひどいときは何も口にしないので、シェフも作り直しだ。いやもう、気に入った料理だけ毎日出せばいいじゃないかと思うのだが、それはそれで飽きると一切口を付けないので、まあ結局はレパートリー勝負になる。
部屋で過ごす場所にも好みがうるさい。
日当たりが良くふわふわしたところが大好きだが、そこがベッドのど真ん中であってもお構いなしなので、リリーが寝ていたら私はベッドの端を使うか、そのベッドは使えない。
まあちなみに、ひっくり返って眠っていることもあるが、それを「可愛い」と言って触ろうとすると、機嫌の悪い時はビクッと飛び起きて怒ることもある。
飼い主だよ!と思わず突っ込むけれど、ほぼ無視だ。そんなときはベッドの端で眠ることも許されない。
まあそんな感じで、なかなかリリーには私も振り回されることも多かったのだが、(元)夫の浮気癖で私のうすら寒い心はだいぶリリーに埋めてもらった。
とまあ、リリーにお世話になったのは私ばっかりのような書き方だけど、リリーに関しては、(元)夫の方も徐々に心惹かれていたようだ。
買ってきた当初はそこまで興味を示さなかった(元)夫だったけれど、ある日何かの社交関係で夫婦の会話が必要だった時に、(元)夫は、気まぐれにゴロゴロ私の膝で甘えていたリリーに見つけ、目が釘付けになったのだった。
「こんなに可愛いかったっけ、名前は?」
(元)夫は、必要な事務連絡の前にまず猫について言及した。
その(元)夫の恍惚とした表情を見て、「ああ、この人が女性を気に入るときってこんな感じなのね」ってぼんやり客観的に思った私だったっけ。
その時は「この人、可愛いものは嫌いじゃないのね」くらいにしか思わなかったが、それから私が(元)夫とベッドを共にするときは、必ずと言っていいほどリリーを同衾するようになった。
もちろん大人しく抱かれるようなリリーではない。リリーはすぐに逃げようとする。それを離すまいとする(元)夫。(元)夫はけっこう生傷が絶えなくなった。それでも懲りずにリリーのどこかを触りながら眠ろうとする。
すごい執念だと感心したけれど、執念の相手が猫であることに一抹の寂しさ、というか虚しさを感じずにはいられなかった。
「夫婦と猫っていうのも家族としてはそんなに悪くない組み合わせかしら?」と必死に自分に言い聞かせる日々。
そんなある日、(元)夫がリリーに食べ物をやっている瞬間に出くわした。
「あら、ご飯の時間じゃありませんわよ、食べさせ過ぎでは」
と思わず私が口を出すと、(元)夫はムッとした顔をした。
「私がリリーちゃん用にメニューを考えたんだ。たまにはいいだろう」
そして(元)夫は食べ物で釣りながら、リリーを自室へ連れて行ってしまったのだった。
そしてそのうち、(元)夫が邸にいるときは、よくリリーを借りていくことが増えた。
私と(元)夫は夫婦とは言ってもあまり同じ部屋にいることはなかったから、邸でのくつろぎタイムにリリーと二人っきりの水入らずの時間を過ごしていたようだ。
そのうち(元)夫の居室やら書斎やらにはリリーが遊ぶための台やリリーが過ごしやすそうなふかふかの寝具などが次々とおかれるようになり、もはやその部屋は(元)夫のための部屋なのかリリーのための部屋なのか分からないほどになった。
リリーがリネン類に爪を立てても、(元)夫はへっちゃらだ。
さて、こんな風に聞けば、リリーが私たち夫婦の共通の趣味で、そこには共感も生まれていたように思えるかもしれない。
しかし残念なことに、(元)夫は女遊びの方について「それとこれとは別」といった様子で、それはそれはお盛んにやっていた。
だから、私は帰宅した時だけ都合よくリリーを借りていこうとする(元)夫に苛立ちを感じた。
私の日々の空虚な気持ちを慰めてくれているリリーを、なぜ空虚にさせている張本人にそんなにほいほいと貸し出さなければならない?
「こないだお貸ししましたから今日は我慢なさいませ」
「何だと! 滅多に帰れない夫にそんな扱いをするのか? ふだんおまえがリリーを独占しているのだから帰宅したときくらいいいだろう!?」
「まあ! 滅多に帰れない理由は何なのか説明できるならね」
私たち夫婦はリリーを取り合ってケンカまですることもあった。
やがてマリネットさんの一件で離婚が決まったときもリリーの所有権を巡って結構言い合いをしたっけ。
かなり渋る(元)夫に「慰謝料です。リリーを譲らなければ離婚しません」と言い放った私。
(元)夫はかなり渋りながら、けっきょくマリネットさんに押し切られる形でリリーを手放すことを承諾した。
そう、あの時元夫はリリーではなくマリネットさんを選んだはずなのだ!
それなのに今になって、離婚した元夫が猫を理由によりを戻したいなんて言語道断!
この素晴らしく可愛らしい猫は【ウバクロネ様】のイラストです!
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