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流星

   ☆1☆


 ゲームにおいて、最も重要な要素とは何だろう? 

 美しいグラフィック。

 魅力的なデザイン。

 それも重要だ。

 他には?

感動的なストーリー。

 快適な操作性。

 それも重要だ。

 が、最も重要な要素は、やはりゲームバランスだ。

 バランスをいちじるしく欠いたゲームは、いわゆるクソゲーといわれ、プレイヤーは怒り心頭のあまり、コントローラーを硬い床に叩きつける。

 逆に、ユルく調整され過ぎた、お子様向けのゲームはユルゲーといわれクリア出来ても、お代に見合った達成感は得られない。

 多くのゲームクリエイターは不眠不休の徹夜作業のすえ、テストプレイやデバッグを繰り返し、ゲームバランスにギリギリまで調整を施す。

 こうした努力が実って最高のゲームが完成する。それらは例外なく名作として人々の記憶に残るだろう。

 遙か昔、レトロゲームといわれる、8ビットゲーム機の時代に、ドットの粗いグラフィックやピコピコ鳴る電子音でありながら、最高にゲームバランスの取れたゲームは、自然にプレイヤーはキャラクターと一体化し、キャラは命を吹き込まれた分身のように仮想世界を縦横無尽に活躍する。

 優れたキャラクターはプレイヤーと痛みを分かち合い、唯一無二の存在となる。

 数値で表されたパラメーターは、ただの数値ではなく、キャラクターの血肉となり……、

 スパーンッ!

 俺の後頭部に小気味良い打撃音が響いた。

 虹祭にじまつり中学、一年白組の出来事だ。

 俺が振り返ると、現国教師、五里勇ごりゆうが丸めた教科書を手に仁王立ちしている。

 五分刈りの頭髪を震わせ、小気味良くコメカミの血管がピクピク動く。

「授業中に何をやっとるんだ! 星月陽太ほしづき・ようた!」

 五里の太い腕が俺のノートを取り上げる。

「ゲーム……バランス……? T……RPG、の……キャラ1、スターリンカー……? 何だ? これは? 随分可愛いらしいイラストと文章が……おっと! いかんいかん、感心しとる場合じゃない! 俺の授業中に、くだらない落書きなんぞ許すわけにはいかあん! 没収だっ!」

「おいおい、マジかよ……!」

 俺の抗議を五里は無視。

 五里が教卓に戻って授業を再開する。

 隣席の諸星巡もろぼし・じゅんが舌打ちする、

「たくっ……何やってんのよ! アンタは……!」

 俺は呆然自失、立ち直る間もなく授業は終わった。

 五里はノートを返さず職員室へ引き返した。

 没収期間は長くて一週間ぐらいか? 

 クソ! どうする? ノート無しで、いったいどうやって、妹の凜火りんかと過ごしたらいい? 俺は残りの授業を上の空で聞き流した。

 放課後。

 黄昏れる俺の目の前に、諸星が一冊のノートを差し出した。

「えっ! マジ! これって俺のノートじゃん! 諸星が取り返してくれたのか? 恩にきる! よく俺のノートを取り返してくれた! 持つべきものは、先生や生徒に信頼される真面目な優等生だな!」

 諸星がジト目で俺を睨みつけた。

 諸星を一言で言うなら、ニセ大和撫子だ。

 腰まで届く闇より濃い黒髪。

 端正な顔立ちに大人びた切れ長の瞳。

 すらりとしたモデル体型。

 身長は俺より少し高いぐらい。

 声は優しく暖かい、一種独特な雰囲気のウィスパーボイス。

 制服はチャイナ服のデザインを取り入れた、黒と真紅の独特な制服。

 ちなみに俺の制服は同じ色合いの味気ない単なる学ラン。

 諸星は表向きこそ物静かな優等生だが、俺に対する言動はいささか容赦がない。

 良く言えば裏表が無い。

 俺が諸星からノートを取り上げようと手を伸ばすと空を切った。

「おいおい」

 諸星が傲然と俺を睨む、

「おいおい……じゃないわよ! いい加減にしてよね! 中学生にもなって! こんなくだらない落書きばっかりして、小学校からの腐れ縁とはいえ……私が恥ずかしい思いをするじゃないの!」

 大和撫子も俺にとっては小言の多い口うるさい女子に過ぎない。

 俺は不機嫌に反発する。

「ただの落書きじゃないんだ。それは……凜火のために作った、大切なノートなんだよ……」

 諸星の目が吊り上がる、

「わかってるわよ! そんなことは! だからって、授業中にこんなものを書くなって、そう言ってるの!」

「わかったわかった。わかったから、いい加減に、それ返せよ」

 諸星は仏頂面をしながらノートを返す。

 俺はノートの中身を素早く確認した。

 五里は時折、不適切な表現、とか言って、生徒のノートや教科書を勝手に添削、無断で削除する。

 うん、よしよし。

 中身は大丈夫だ。

 特に問題はない。

 俺が一息つく。すると、諸星が待ちかねたように口火を切る。

「それで、凜火ちゃんの容態はどうなのよ?」

「う……その……かんばしくない……」

 俺がぼそりと告げる。

 あまり触れてほしくない話題だ。

 諸星的には流れで聞いているだけだろうが……あまりいい気持ちはしない。

 俺が黙っていると、諸星の顔が曇った。

「たまには諸星も見舞いに来ないか? 凜火も喜ぶと思うぞ」

 諸星が戸惑ったように、

「あ、あいにく……今日は、部活があるのよ。そうね、そのうち、暇が出来たら……お見舞いに行くわ」

 諸星の『暇』はアテにならない。

 半年前もそう言った。

「期待しないで待ってるよ。来てくれれば、きっと凜火も喜ぶ。ノートのこと、サンキューな、諸星」

 諸星も昔は凛火の見舞いによく来てくれたのだが、最近はさっぱりだ。

 何か理由があるのか? いや、中学生になると、色々と忙しいのだろう。

 俺は妹の凜火一筋だが。


  ☆2☆


 妹の凛火は重い心臓病を患っている。

 一年前、生死の境を彷徨う危篤状態に陥った。

 が、その時は奇跡的に一命を取りとめた。

 その秋から長い入院生活が始まり、今も入院生活を余儀なくされている。

 いつの間にか俺は中学生になり、凛火は形だけの小学六年生に進級した。

 俺は足早に凛火の入院する虹祭病院へ向かう。

 新宿御苑に近い虹祭中学から十分ほど甲州街道沿いに新宿駅方面に向かって歩く。

 場外馬券売り場やチケットショップ、雑居ビルが建ち並ぶ通りを抜け、新宿駅・南口に出る。

 板敷きに舗装された歩道を代々木方面へ進むと、左手にガラス張りのビルが見えてくる。

 百貨店の高山屋だ。

 俺は高山屋に寄り道した。

 地下デパで凛火のためにアイスを買う。

 秋とはいえ、蒸し暑い日が続く。

 冷たいアイスなら凛火も喜ぶだろう。

 高山屋の二階、正面玄関から線路を横切る形で陸橋を渡る。

 見上げると、高層ビルの谷間に三十階建ての茶色いビルが目に入ってくる。

 そこが、凛火の入院先、虹祭総合病院だ。

 俺の隣を虹祭小学校の児童、数人が元気に走り抜ける。

 無邪気に笑う彼らを見ていると、凛火も病気さえなければ、あの輪の中で楽しく過ごしていたはずなのに……と思わずにいられない。

 凛火が病室の窓から彼らを見るとき、一体どんな気持ちになるのだろうか? 

 俺は少し暗い気持ちになりながら病院へ向かって歩き出す。


  ☆3☆


 七十年代に建てられた虹祭病院は、外観こそ立派だが、中身は酷い老朽化が進んでいる。

 一歩足を踏み入れると一昔前にタイムスリップしたような不思議な感覚に襲われる。

 壁面や柱に刻まれた古めかしい彫刻。

 当時はモダンなデザインと思われる、今となっては古臭い階段の手すり。

 実用一辺倒な無骨な窓枠。

 質実剛健、古風で頑丈なエレベーター。

 などなど、随所に昭和の雰囲気が漂う。

 病院に集まる老人たちが、老朽化を加速させているような気もする。

 病院には年寄りが集まりやすい。

 若いのは看護婦と、時折、すれ違う医者ぐらいだ。

 俺が凛火の入院先、小児病棟に向かおうとすると、突然、若い看護婦が悲鳴を上げる。

 一階の売店近くだ。

「なっ! ねっ! ねずっ! ちょ、超・巨大・ハツカネズミいいいっ!」

 看護婦の足下、純白のタイツの隙間を縫うように、猫ほどもある巨大なハツカネズミが走り去った。

 あまりの大きさに見間違いかと思ったが、ハツカネズミが階段をダッシュで駆け上がる間際にチラッと俺の方を向いた。

 そいつは、まぎれもなくハツカネズミで、口には売店で掠め取ったスナック菓子ポッキンが咥えられている。

 この病院は新薬の研究も盛んだ。

 実験用のマウスやハツカネズミがたくさんいる。

 その一匹が逃げたようだ。

 動揺の醒めやらない看護婦に一人の老人が近づき、

「なんじゃ、なんじゃ! たかがハツカネズミ一匹ぐらいで大騒ぎしおって! 情けないのう! そのデカいケツで踏んづけて、取り押さえれば良かったんじゃ、いいケツしとるからのお! ヒョホホホッ!」

 言いながら、看護婦の腰の辺りに干からびた手を伸ばす。

 とっさに看護婦が悲鳴を上げる。

「なっ! 何をするんですか! 星稜権太せいりょう・ごんたさん! セ、セクハラですよ! もう! いい加減にして下さい!」

「よいではないか、よいではないか! ヒョホホホッ!」

 芯から駄目なセクハラ老人だ。

 指先を怪しく動かしながら、看護婦にスリ寄る。

 次に狙うのは看護婦の豊満な胸だ。

 何を言っても無駄と判断した看護婦が脱兎のごとく逃げ出した。

 素早い状況判断だ。

 看護婦さんの行動は正しい。

 入院中の老人の中には不良老人も少なくない。

 こいつは俺でも噂で聞いている有名なセクハラ不良老人、星稜権太だ。

 俺はくだらない思考を中断し、その場を素早く立ち去る。

 凛火の入院している病室は階段を上がってすぐそこだ。

 貴重な見舞い時間をロスしたくなかった。


  ☆3☆


 階段の踊り場に上がると一人の少女が誰かを待つように立っていた。

 後ろ姿から凛火の同級生、明星雷奈みょうじょう・らいなと分かった。

「おっ、雷奈じゃないか、こんなところで、どうし……!」

 いきなり雷奈が背向け状態から回し蹴りを放つ。

 いつものことなので、俺はとっさによけた。

 さすがに彼女の行動パターンも最近慣れてきた。雷奈が、

「陽太先輩。不用意にわたしのうしろに立たないでください。誰であろうと、怪しい奴が背後から近づけば、身体が勝手に反応しますから」

 つまり攻撃するということだ。

 雷奈が妙に落ち着いた低い声で告げる。

 腰の引けた俺に対し、雷奈が手を差し出した。

 俺がその手をつかもうとすると、サッ! と引かれ、

「わたしは利き腕を他人に預けるほど自信家じゃないんです。臆病者ほど長生きするものですから」

 真顔で言われた。

 俺は苦笑しながら、

「相変わらずのサーティーンJっぷりだね。なんだか最近、ますますイタについてきた感じだよ」

《サーティーンJ》とは、

 超人的・美少女スナイパーが大活躍する大人気ライトノベルの主人公だ。

 雷奈はその主人公に憧れているちょっと痛い少女だ。

「フッ! サーティーンJは、わたしにとって永遠の……魂の師匠! ですからね! それより、一階のほうが騒がしかったようですが、何かあったのですか? たまたま陽太先輩が階段を登ってきたので、わたし流の挨拶を最優先しましたが、結局、何の事件だったのです?」

 雷奈が少年のように薄い胸を張る。やれやれ、

「事件ってほどの事じゃないけど、あとで凛火と一緒になった時に、詳しく話すよ」

「そうですか」

 クールに返事を返す、クールビューティーな雷奈。

 雷奈を一言で言い表すなら、

 健康的に日焼けした、少年のような少女だ。

 南の海を思わせる真っ青な青い髪。

 澄んだ青い瞳。

 スポーツが得意そうな強靱さを秘めた、しなやかな手足。

 引き締まった筋肉質な体躯。

 声は、小川のせせらぎのように心地よく、聞く者の耳に響き渡る。

 服装はTシャツにショートパンツ。

 暑さのせいもあるけど、シンプルなファッションだ。

 二人で階段を上がる途中、偶然、凛火の担当の医者と出会った。

 ヒョロっとした青白い顔の青年だ。

「やあ……二人とも、今日も凛火ちゃんのお見舞いかい? 健気だねぇ」

 どこか含みのある、なんとなく暗い物言い。

 名前は、難しい単漢字の組合せで読めない。 

 担当医で充分だろう。

「凛火ちゃんは、今日は調子が良いようだよ。でも、退院は、まだまだ先かなぁ。でも、あと少しで良くなるからねぇ。もう少しの辛抱だよぉ」

 俺は辟易しながら、

「先生がそう言い続けて、もう一年ですよ。本当に凛火は良くなるんですか?」

 担当医が暗い瞳を俺に投げ付ける。

「それはねぇ……凛火ちゃん、次第かなぁ。ぼくも、最善は尽くすけどぉ。なにしろ……原因不明の心臓病だからねぇ。いつ発作が起きるか分からないしぃ……辛いだろうけど、我慢して入院生活を続けざるをえないねぇ」

 ウナギのようにつかみ所の無い会話に、俺がウンザリしていると、

「けどぉ、ぼくにとって凛火ちゃんはぁ、とおっても大切な患者さんだからねぇ。精一杯、治療するつもりだよぉ。彼女は……ぼくにとって……天使! のような存在だからねぇ。おっと、あんまり患者さんに肩入れするのは良くないんだけど、今の発言は、あくまで、ぼく個人の感想だからねぇ、あまり気にしないでねぇ。ここだけの話、患者さんのなかには、言う事を聞かないワガママな人や、セクハラまがいの事を平気でする老人がいるからねぇ。それに比べると、凛火ちゃんは……天使! って、ことだよぉ」

 俺にはロリコン発言にしか聞こえない。

「ところで先生、よくこの階段で会いますね」

「健康のために階段を利用してるんだよぉ。ぼくが病気になったら、凛火ちゃんと会えなくなるからねぇ。毎日、凛火ちゃんに会うための、必要不可欠な運動ってトコだねぇ」

 運動している割には腹がポッコリ出ている。

「そうですか、俺はこれから凛火の見舞いなので、これで失礼します」

 そう言い残して担当医と別れた。

 雷奈が、

「あの先生……間違いなくロリコンですね」

 俺も同意する。

「ああ、間違いなくロリコンだな」

 雷奈が間髪入れずに、

「陽太先輩はシスコンですけどね」

「え~と……」

 返す言葉が無い。

 誤解を解くのは難しい。誤解じゃないかもしれないが、

 はっきり言われると……少し引くな。


  ☆4☆


 雷奈と一緒に凛火の病室に入る。

 途端に、

 ドンッ! 

 いきなりタックル直撃っ! 

 凛火だった!

「おっと! なんだ、凛火? 今日は、ずいぶん元気そうだな」

「お兄ちゃん遅いよ! 凛火、待ちくたびれちゃったよ~! 雷奈も戻ってこないし! 二人でいったい何してたの! 凛火をノケモノにするなんて! ズル~イ!」

「誤解するな凛火! 雷奈とは、さっきそこで会ったばかりだ。遅れたのは一階でちょっと事件があったからで雷奈とは関係がない。ていうか、小学生の女の子と変な関係があったら、大変だ」

 雷奈が冷然と、

「安心してください凛火。陽太先輩は……隠れロリコンで正真正銘のシスコンです。間違いなく本物の妹好きですから、凛火以外の女の子に対して変な関係は持たないはずです」

 凛火が納得する。

「そうだよね! 雷奈がそう言うんだからその通りだよ! 心配して損しちゃった!」

 あれ、今の発言って?

「待て待て、凛火。今の雷奈の発言には何か変な所があったぞ? 騙されちゃイケナイ! 今の発言には……少なくとも問題点が一つないし二つはあったはずだ! もう一度よく検証してみよう」

 凛火が俺が持ち込んだモノに目を付け、

「お兄ちゃん! アイス買ってきたんだね! 早く食べようよ! 早くしないと溶けちゃうよ!」

 瞳をキラキラさせる凛火。

 俺は、

「それもそうか」

 と言ってアイスを凛火に渡した。

「いやいや、そうじゃなくって!」

「アイス美味しいね~。はむはむ。でも、ちょっと溶けかかってるね~。口から垂れちゃうよ~」

 凛火の薄いピンク色の唇の周辺に、ねっとりとした白いクリームがまとわりつくようにドロ~リと垂れる。

 雷奈の唇も同様で、

「夏はアイスに限りますね。けど、溶けやすいのが難点です……」

 日焼けした肌とドロ~リと垂れる白濁したクリームが好対照をなし、その、なんというか、非常に……先程の雷奈の言葉通りになった自分自身を俺は発見し、不甲斐のない自分自身に対し怒り心頭、カツを入れるべく猛然と猛省した!


  ☆5☆


 凛火を一言で言うなら、

 超絶美少女だっ! と、言いたいところだが、もう少し詳しく説明する。

炎みたいな赤い髪は、両サイドでまとめたツーテール。

 髪の先は、肩の辺りで鳥の羽のように広がっている。

 炎のように煌めく紅い瞳。

 真紅のバラを思わせる形の良い唇。

 入院生活で陽に当たらない生活が長く続いて肌は青白いけど、

 声は春の訪れを告げるヒバリのように楽しげだ。

 華奢な身体は病気のために、同学年の子供より一回り小さく見えるけど、

 病弱な印象はどこにもない、愛らしい可憐な少女だ。

 服は入院中のため……ピンク地にイチゴ柄のパジャマ姿………………という格好だ。

 俺は気持ちを切り替え、さっき起きた事件を二人に話す。

 巨大ハツカネズミに話が及ぶと、凛火の紅い瞳がキラキラと輝く。

「いいな~。おっきなハツカネズミさん! なんか超・モフモフしてそ~! この部屋にも来ないかな~!」

 俺が反対する。

「それは衛生上まずいだろう。どんなバイ菌を持っているか、分かったもんじゃないぞ。早めに駆除してもらったほうが、安心だな」

 凛火が驚きに瞳を見開き、

「え~っ! コロスなんてヤダよ~! ネズちゃんが可哀想だよ~! 凛火、ネズちゃんをモフモフしたいもんっ!」

 自分の枕をギュッと抱きしめる凛火。

 凛火にそう言われて俺の心も折れる。

「モフモフか……確かに、フサフサしていて、毛並みは良さそうだけど……」

 今度は雷奈が反対する。

「陽太先輩、納得しちゃ駄目です。動物の毛はアレルギーを惹き起こす可能性があります。凛火の心臓に、どんな悪影響があるかわからないですよ」

 雷奈の言葉ももっともだ。

 が、凛火は納得しない、

「雷奈までそんなこと言うなんて……凛火、ショックマンキチだよっ!」

 ショックマンキチ? の意味を問いただしたいが、

「よし! それじゃあ凛火、ゲームをしようか! リアルでは無理でも、ゲームの世界なら、巨大ハツカネズミとモフモフ出来るぞ! 今日は、巨大ハツカネズミと対戦だ! 上手く倒したら、モフモフし放題だぞ! イメージの中で……だけどな!」

 凛火が瞳を輝かせ、

「よ~し! 凛火、イメージしちゃうぞ~! モフモフのネズちゃんモフモフのネズちゃんモフ(以下略)」

 俺は学校から持ってきたノートを、ベッドに備え付けられている簡易机の上に広げた。

 ノートにはマス目の枠に太字で地図が書いてある。

 いわゆるマッピングだ。

 マップには丘と平原、廃墟の三つが描かれている。

 凛火と雷奈の二人がマップのスタート地点、丘の上にコインのようなマークを配置する。

 自分自身を示すマークだ。

 凛火、雷奈はプレイヤー。

 俺はゲームマスター。

 つまり、進行役だ。

 だからマークは必要ない。

 ゲームマスターは略してGMとも呼ばれる。

 このノート、一見ボードゲームのように見えるが、実は立派なロールプレイングゲームだ。

 正確にいうと、テーブルトーク・ロール・プレイング・ゲーム。

 略してTRPG。

 テレビゲームが生まれる前からあるRPGの元祖だ。

 俺と凛火はちょっとした事情から、最新の電子ゲームで遊ぶことが出来ない。

 詳しい事情はあとで説明することになるだろう。

 が、今はその時じゃない。

 今は、TRPGで凛火と遊ぶことが最優先事項だ。


  ☆6☆


「コホン。え~と、それでは《ドリーム☆クエスト》」

 ちょっと、ベタなタイトルだけど、俺には中二病的センスが無いので、とりあえず、それっぽい無難なタイトルを付けた。

「第……何回目だっけ?」

 俺が問うと雷奈が、

「七回目ですよ、陽太先輩。ラッキーセブンです。進行役のGMが、ゲームの進行を妨げないでください」

 雷奈が厳しく叱責する。

 目がマジだ。真面目にやらないとキックが飛んできそうだ。

「悪い悪い。じゃあ、第七回目の始まり始まり。最初にクエストの説明をします。今回は村長からの依頼です」

 襟を正して俺は二人に告げる。

 凛火と雷奈が真剣な眼差しで俺の話しに耳を傾ける。

 凄まじい集中力だ。

 TRPGは、いわゆるゴッコ遊びのようなモノ。

 ただの言葉を自分の頭の中でふくらませ、無限にイメージを広げていく。

 想像力豊かな子供ほど有利なゲームだ。

 彼らの想像力は大人のそれを遙かに超えている。

 子供ほどTRPGというゲームに適したプレイヤーはいない。

 俺はGMとして厳かに告げた。

「最近、ラージマウスという巨大ハツカネズミが夜な夜な出没して、村の畑を荒らしまわって困っている。冒険者の力でラージマウスを退治して欲しい。ラージマウスは丘を下った平原の先の廃墟に潜んでいる。という内容です。リンカー、ライナー。この村長の依頼を引き受けますか?」

 凛火はリンカー、雷奈はライナー、とゲーム中で名乗っている。

 オンラインのハンドルネームみたいなものだ。

 リンカーが嬉々として、

「もちろん引き受けるよ! ネズちゃんを倒して、モフモフするんだもんね~!」

 慎重派のライナーが、

「まってください、リンカー。その前に、村長に質問があります。畑を荒らしているのはラージマウスだけですか? 他のモンスターはいないのですか?」

 俺は村長っぽい口調で返事をする。

「そうじゃの~、とりあえず、畑を荒らしているのはラージマウスだけじゃが、それだけじゃないようじゃの~、廃墟付近で黒い影を見かけた。という村人が何人もおるんじゃ。正体はわからんがの~」

 GM口調に戻り、

「平原で雑魚敵と遭遇するけど、これはレベルアップ用だから、村から報酬は出ないよ」 

 説明を追加。

「ドロップアイテム、ゴールドは落とすけどね」

 参考までに、

「ラージマウスは夜間に出没するので、冒険者の行動はすべて夜になります」

 病室の外の景色も陽が暮れかかっていた。

 秋は夜になるのが早い。ライナーが再び質問してきた。

「村人が噂している黒い影が雑魚じゃない敵だった場合、ラージマウス同様に、村から報酬がでますか?」

 俺は村長口調で、

「そうじゃの~。それは当然、出すことになるじゃろうのお~」

 リンカーがお気楽に、

「ライナーは心配性だな~。今までクリアしたクエストの報酬があるから、お金の心配はいらないよ。お金よりネズちゃんをモフモフするのが一番の報酬だよ!」

「ただ働きは性に合いません。ですが、報酬が確定した以上、依頼は引き受けます」

「交渉成立だね。次は移動フェイズになります。二人ともダイスを振ってください」


  ☆7☆


 俺はダイスを一つリンカーに渡す。

《ドリーム☆クエスト》は、ダイスを一つしか使わない。

 子供でもわかりやすいシンプルなゲームを目指した。

 リンカーがダイスをダイスロール。

 目は6。

 リンカーの移動力3+6=9マス移動出来る。

 リンカーがはしゃぐ、

「やった~! いきなり6出た~! 平原を突っ走っちゃうよ~!」

 南の丘に配置した自分のマークを北の平原に向かって9マス進めるリンカー。

 俺がリンカーを制止する。

「はい、4マス目でストップ! デビルアントが出現しました。赤黒い巨大な蟻です。エンカウントしますか?」

 エンカウントとは敵と交戦することだ。

 リンカーが涙目で、

「いきなり地雷踏んだ~! なにここ? 地雷原? 地雷原なの?」

 代わってライナーが、

「デビルアントの詳細情報を求めます」

 俺が答える。

「ダイスの目が2以上なら識別可能だよ」

 ライナーがダイスロール。

 目は4。

 俺はデビルアントの情報を告げる。

「デビルアント、

 LV1、

 HP2、

 MP0、

 能力=攻撃されると仲間を二体呼びます。

 近くに仲間がいると攻撃力が1・5倍になります」

 LVはレベル。

 HPはヒットポイント。

 つまり体力。

 MPはマジックポイント。

 つまり魔法力。

 能力は個別の特殊な力だ。

 リンカーが喜々として、

「雑魚敵じゃん! 楽勝だよ! エンカウントしちゃうよ~!」

 リンカーは、

 LV5、

 HP8、

 MP2、

 バルキリー(乙女戦士)だ。

 俺はリンカーに告げる、

「ダイスロールするまでもなくリンカーの勝利が確定。リンカーがデビルアントを一体撃破」

 はしゃぐリンカー。

 に対して俺は、

「デビルアントが仲間を呼びます。二体同時に出現!」

 焦るリンカー、

「うえっ! まずい! ライナー! あとは任せたよっ!」

 ライナーがこめかみをひくつかせ、

「少々、軽はずみな攻撃をしましたね。GMの説明をよく聞きましたか? 攻撃されたら仲間を呼ぶと、言ってましたよね。まあ、リンカーらしいといえば、らしいのですが」

「ゴメチャ!」

 リンカーが目の前で両手を合わせてライナーに謝る。ゴメチャ?

 ライナーが移動フェイズを終了。

 デビルアントとは戦わずに、東の岩山へとそれていく。

 リンカーが驚く、

「えっ! ライナー戦わないの?」

 ライナーが当然です。

 といった顔つきで、

「仲間を呼ぶので戦いは無意味です。キリがありません。いずれ、敵に囲まれて身動きが取れなくなります。デビルアント戦は避けて、東の岩山を迂回しながら平原を突破します。そのあと、北の廃墟へと向かいます」

「そうか! デビルアントはリンカーたちを足止めする壁ってわけだね!」

「壁です」

 俺が同意する。

「ひどい! お兄ちゃん! ズルイ!」

「ズルくないです。ライナーの識別後、ちゃんとリンカーに説明しました。とにかく、ライナーは攻撃をスキップ。次はデビルアント、B、Cの攻撃です。

 Bがリンカーに向かって体当たり、 

 ダメージ2、

 Cが噛みつき攻撃、

 ダメージ2、

 合計4ダメージ」

「うそ! HP一気に半分減ったよ! 雑魚のくせに、ぐぬぬっ、な、生意気な~!」

「デビルアントは仲間がいると攻撃力が1・5倍にアップします」

「それを先に言ってよ~!」

 リンカー涙目。

 ちなみに、それは最初に説明している。

「次、リンカーのターン。攻撃しますか?」

「逃げるよ! 当然!」

 リンカーがライナーのあとを追って逃げ出した。

 東の岩山に向かう。

 移動フェイズ終了後、体力回復の薬草、キュアリーフを使用。

 HP3回復、

 現在のHPは7。

 まあ、初戦はこんなもんか。


  ☆8☆


 リンカーが岩陰に入ると、

「イベントが発生します」

 と俺が告げる。

 リンカーとライナーが顔を見合わせる。

「二人が岩陰から廃墟を覗くと、入口の門の辺りに、何やら怪しい影が見え隠れします。村人の噂していた黒い影のようです。エンカウントしますか?」

「あわわ! 何か変なの出てきたよ! どうするライナー? どうする、どうする?」

 リンカーが慌てふためく。

 ライナーが冷静に、

「エンカウントはしません。様子を見ます」

 俺が答える、

「うん。どっちにしろエンカウント出来ないけどね」リンカーがズッコケる。「そういうイベントだから」

「だったら質問しないでよ! ショックマンキチだよ!」

「待機イベントですね」

 ライナーは承知済みだ。

 敵が出てきても逃げ回るだけ。

 ひたすら隠れるだけ。

 そうやって数ターン経過を待つ。

 それが待機イベントだ。

「夜空に浮かぶ月を背にしているため、怪しい影はシルエットとなって、その正体が分かりません。しばらく平原を窺いながら、怪しい影は行ったり来たりしていますが、再び廃墟の中へと姿を消します」

「いったい何だろうね! 怪しい影の正体って? 流れからするとボスっぽいね!」

 鋭いなリンカー。

 その通り、ボスだよ。

「今の時点では情報が少なすぎて、何ともいえません」

 ライナーは冷静に分析する。

 ライナーにもリンカーのような発想の飛躍が欲しいところだ。

 リンカーとライナーの待機時間が終了し、早速行動に移る二人。

 警戒しながら廃墟に近づき、入口の門をくぐって廃墟に侵入する。

 俺はマップを次のページ、廃墟内部へと切り替える。


  ☆9☆


「リンカーとライナーは現在、廃墟の南側、入口の門の辺りにいます。そこから廃墟の探索を始めてください」

 リンカーとライナーが移動を開始。

 廃墟内の小物のモンスターと遭遇するが、あっさり撃破。

 リンカーが余裕の表情を浮かべる。

「雑魚敵なら楽勝だね! にしても広い廃墟だね。やっと十字路にたどり着いたよ」

 ライナーは用心深く、

「リンカー、油断大敵ですよ。いつ、強敵があらわれてもおかしくないですから」

 俺はライナーの言葉に合わせ、

「チュウウゥー!」

 と大声でネズミの声を真似る。

「にゃわっ!」

「ツッ!」

 リンカー、ライナーが驚きの声をあげる。 

「神殿の奥、北側の礼拝堂の中から、白色の小型モンスターが出現しました。先程の雄叫びはこのモンスターです」

「び、びっくりしたな~、もう!」

 リンカーはまだビビっている。

「GM、モンスターを識別してください」

 識別のためライナーが冷静にダイスロール。

 俺が答える。

「3以上の目が出たので識別成功です! モンスターの正体はクエストで依頼を受けたラージマウス!  

 LV3、

 HP4、

 MP0」

 移動のためリンカーがダイスロール。

 目は5。

「おお~! ついに出たよ、ラージマウス! 行くよっライナー!」

 移動のためリンカーがダイスロール。

 目は5。

 北側の礼拝堂に突進するリンカー。

「リンカー! 闇雲に突き進んでは危険です!」

 ライナーの言う通りだ。

「南側の入口付近に新たなラージマウスBが出現!」

「くっ、隠れていましたか? 挟み撃ちですね!」

 ライナーがリンカーに合流し加勢するべきか? と一瞬迷う。

 が、結局、反対側の南側、入口付近のラージマウスBへと向かう。

 ライナーはラージマウスBの迎撃を選んだ。

「リンカー、礼拝堂のラージマウスを頼みます! わたしは入口付近のラージマウスに向かいます!」

「まかせて! ライナー!」

 リンカーとライナーが北と南、それぞれ別々にラージマウスと対峙する。

 迷わずエンカウントして交戦状態に突入する二人。

 戦闘は一見すると、2レベル高いリンカー、ライナーが押しているように見える。

 が、俺は密かにほくそ笑む。

 二人は致命的なミスを犯している。

 それは……戦力の分散だ!

 俺は高らかに告げる。

「さらに! 通路の東側から、ラージマウスCが出現! さらにさらに! 通路の西側から、ラージマウスDが出現! Cは北側の礼拝堂のリンカーへ、Dは南側の入口付近のライナーへと向かっています!」

 俺はC、Dのマークをリンカーとライナーへと近づける。

「ええ~! 聞いてないよ~! 援軍が来るなんてっ!」

 リンカーがムクれる。

「ラージマウスは子だくさんなんです! ネズミは繁殖しやすいんです! 安心してください。これ以上の援軍はありません!」

「安心出来ないよ! ていうか、全然、攻撃が当たらないよ! 動きが早すぎるよ! ひどいよラージマウス!」

 ラージマウスの素早さは6。

 リンカーの素早さは3。

 ダイスの目は4以上でないと、リンカーの攻撃は当たらない。

 二回攻撃しても一回当たるかどうかだ。

 逆に、ラージマウスの攻撃は威力こそ低いが、チクチクと当たって、リンカーのHPを徐々に削りつつある。

 ライナーの状況はどうか? 

 ライナーは、

 LV4、

 HP6、

 MP1、

 アーチャーだ。

 弓による四マス離れた場所からの遠距離攻撃が可能。

 リンカーより素早いため、攻撃は良く当たるが、威力が低い。

 戦闘はほぼ互角だ。

 ラージマウスの援軍が北側の礼拝堂、南側の入口付近にそれぞれ到着する。

 一気に戦力バランスが崩れ形勢が逆転する。

 瞬く間にリンカーとライナーのHPが減り、

 俺は高らかに告げる。

「ゲームオーバー! 

 リンカーとライナーはクエストの攻略に失敗しました! 

 装備はそのままですが、お金は半分になります! 

 村の教会に強制的に飛ばされ、礼拝堂で復活します。

 教会では、お決まりの文句が神父の口から流れます!」

 俺は厳かな神父の口調で、

「おおっ、リンカー、ライナーよ、冒険者ともあろう者がっ、情けないっ! しかし、これも神の思し召し、ただちに復活してあげよう! 今度こそ使命を果たすのだぞ!」

「「……」」

 凛火と雷奈、二人がドンヨリした、険悪な沈黙に支配される。

 余程ショックだったのか? 

 俺が少し大人げなかったか? と思っていると、


  ☆10☆


「何をやっているの! あなたたちは! そんなに騒いで! またテレビゲームをやってたの! 凛火の心臓病に悪いからゲームは絶対禁止だって、あれほど口を酸っぱくして何度も言ったのに!」

 いつの間にか母さん、星月火奈子ほしづきかなこが病室に立っていた。

 俺は素早くノートを学習ページに切り替える。

「誤解しないでよ、母さん。凛火に勉強を教えていたんだ。ちょっとはしゃぎ過ぎただけだよ。だいたい、携帯ゲーム機もスマホも全部、母さんが預かってるんだから、ゲームなんて出来るわけがないじゃないか」

 納得したように母さんが、

「そうよね、そうだったわよね。じゃあ陽太、これ、あなたのスマホね……返してあげるわ」

 俺がスマホを受け取る。

 スマホの使用許可がやっとおりた。

 母さんが安心したように、

「それもこれも全部、凛火のためなのよ。凛火の病気を一日でも早く治すには、厳しいことを言うようだけど、とにかく、凛火が安静にしていることが一番なの。ゲームなんて百害あって一利無し。凛火にも分かるわよね、お母さんの言っていること正しいって」

 凛火の瞳が揺らぐ、悲しいほどに動揺している。

 外で遊ぶことも出来ない、病室でじっとしていなければならない。

 遊び盛りの子供にとって、それはあまりに酷な注文だ。

 俺も子供だ。

 凛火の気持ちは痛いほど良く分かる。

 けど、大人にはそれが分からない。

 凛火が唇を震わせる。

「お、お母さんの言う通りだよ、ね。凛火、今日は、ちょっと、はしゃぎ過ぎちゃった、かな? 勉強で分からない所がね、やっと分かったんだよ……だから、ちょっとだけ、はしゃいじゃった、の」

 母さんが仕方ない、といった様子で、

「それは、たまには、はしゃぐのも無理ないけど、これからはもっと安静にしなきゃ駄目よ。海外でゲーム会社のお仕事をしているお父さんだって、凛火が元気になるのを誰よりも望んでいるんだから。凛火が聞き分けのいい、良い娘で良かったわ。お母さん本当に助かる」

 これが、俺と凛火がテレビゲームで遊べない最大の理由だ。

 昔、俺は凛火が退屈しないようにと、携帯ゲーム機を貸したことがある。

 俺が学校に行ってる間に、凛火が雷奈とゲームで対戦した。

 が、ゲームに熱中し過ぎた凛火が突然、心臓発作を起こして倒れた。

 たまたま、その場に居合わせた母さんが、上手く対応したおかげで、一命を取りとめたが、以来、俺と凛火はテレビゲームを禁止にされた。

 無論、スマホのゲームもだ。

 ノートに書き込んだTRPGは俺の苦肉の策だった。

「じゃあ母さん、俺は帰るよ。凛火も、また明日な」

 凛火が頷く。

「あの、わたしもおいとまします。凛火、また来るからね」

 雷奈が言うと、バイバイ。

 と、凛火が力なく手を振った。


  ☆11☆


 病室を出た途端に雷奈が、

「あれで本当にいいんですか? 何でお母さんに本当のことを話さないんですか? コソコソ隠れてゲームをしても、凛火が辛いだけじゃないんですか?」

「はっきり言ったらTRPGも禁止されるだろう。今は……母さんには内緒だ。俺だって、出来ることなら堂々と何でもやりたい。けど、そんなことをしたら、母さんは何もかも禁止にしちまう。それが分かっているからコソコソせざるを得ない。けど、何も出来ないよりは遙かにマシだと思う。そのほうが、凛火のためだと俺は思う」

 雷奈が不満気に、

「果たして本当にそうでしょうか?」

 澄んだ青い瞳を夜空にめぐらす。

「けど、仕方がありませんね。家庭の事情という奴ですものね」

 病院の外は真っ暗闇だ。

 秋の夜長に、夜空にそびえる病院は、まるで巨大な黒い墓標のように見える。

 雷奈が突然、暗い夜道を指差す。

「あの子……いつもあそこに立っていて、病院を見上げていますけど、一体、何を見ているのでしょうか?」

 見ると、雷奈の指さす方向に一人の少女がいた。

 青白い灯影に照らされた少女の姿は、

 上品にウェーブの掛かった銀髪。

 くすんだ灰色の瞳。

 新雪のように白い肌。

 白いワンピースから伸びる華奢な幼い手足。

 白い妖精を思わせる、儚い雰囲気の少女だ。

 俺は少女に声を掛ける。

「ねえ、君、この病院に誰かの見舞いに来たの? 迷っているなら、お兄さんが案内してあげようか?」

 雷奈が目を見開き、

「早っ! やっぱり、蹴倒しておくべきでしょうか? この変態お兄さんは?」

 雷奈の呟きを無視。

 再び少女に話し掛ける。

「どんな病気で入院しているのかな? 教えてくれれば、どこにでも案内してあげるよ。病院ことなら、大概のことは知っているからね」

 俺の満面の笑みに少女が怯む。

 雷奈が嫌そうな顔をする。

 俺はめげずに、

「ほらほら、どこでも、お兄さんが連れてってあげるよ~、一緒に行こうよ~」

 優しく語りかけながら手を引こうとするが、少女が無言で首を振り、

 タタターッ と、夜の闇の中に駈けて行った。

「残念。逃げられた。でも、何だろうね? 今の女の子は? 病院に見舞いに来たのは間違いないと思うけど」

「彼女の判断は、すこぶる正しい判断です。変質者の毒牙から逃がれる方法としては」

 雷奈の毒舌を無視し、

「今度会ったら必ずメル友になってもらおう!」

「死ねっ!」

 雷奈の垂直かかと落としが俺の後頭部に直撃する。


  ☆12☆


 雷奈と別れたあと俺は新宿駅へ向かう。

 歩きながら今日のTRPGドリクエの修正点を考察する。

 もう少し宝箱を増やすべきか? 

 モンスターのドロップアイテムを増やすべきか? 

 敵が弱すぎて歯ごたえが無いのではないか? 

 などなど。

 見直すべき点は多々ある。

 所詮、アマチュアの作ったゲームだから、多少いい加減でもいいじゃないか、という考えは俺にはない。

 たとえ素人だろうと、素人なりにプロに負けないゲームを作るのだ。

 志だけは高く持つ。

 子供は正直だ。

 つまらない物はつまらない。

 と、ハッキリ言う。

 残酷なぐらいに容赦なくクソゲーと言う。

 今まで作ったゲームも、何度ボロクソに言われたか分からない。

 主に雷奈から。

 それでも、俺は諦めずに作り続ける。

 凛火の笑顔を見るために!


  ☆13☆


 俺は線路上の陸橋を歩きながら新宿の夜景を眺める。

 都会の夜空を象徴する高層ビル群は無数の光を地上の星として煌々と輝かせる。

 ふと、電車の発車時刻が気になり右手のNNTビル最上階の大時計を見上げる。

 すると、ビルの向こう側、夜空の一角から一筋の小さな光が流れ星となって俺に向かって飛んで来た。

 スーー……と、金色の尾を引きながら、スーー……と、

 だんだん、だんだん。どんどん、どんどん! 俺に近づいて来る! 

 瞬間、俺の目の前がまっ白に染まった。

 流れ星が俺に直撃したのだ!


  ☆14☆


 どれほどの時間が経ったのだろう?

 俺が奇妙な浮遊感覚と共に、ぼんやり覚醒し、重い瞼を押し上げるまでの間に。

 慌ただしく瞬きしながら、俺は周囲を見渡す。

 何故か? 

 世界は白一色に染まっていた。

 正確には、所々、黒い星のような黒点があり、黒点が重なる箇所は引き裂かれた亀裂のようになっていた。

 俺は手足をバタつかせ、白い世界を必死にもがき、漂った。すると、

『安心したまえ、星月陽太。無闇にもがく必要は無い。落ち着いて我が話を傾聴するがよい』

 何者かが尊大な口調で俺に話しかけてきた。

 声の主はどこにいるのだろうか? 

 上も下も、右も左も分からない、この白い空間で。

 俺は必死になって声の主を探した。

 キラッ と光るモノがあった。

 目の前に、小さな金色のダイスが浮遊していた。

 先程の声は、そこから聞こえたような気がする。

「だ、誰だ? 何で俺はこんな所にいるんだ! 確か……新宿の陸橋の上にいたはずなのに?」

『落ち着きたまえ、星月陽太。君をこの世界へ導いたのは我だ。我は、君の目の前にいる』

「目の前? っても……ダイス以外は……何もないぞ?」

 突然、ダイスの《一の目》がギョロリと開いた。

 人の目のように赤く光る瞳孔が俺を見据える。

『金色のダイス。それこそが我だ……我はスターダイス。初めまして……というべきかな? 星月陽太』

 台詞の後半、というか最初から俺は絶叫していた。

 必死に逃げようと、もがき、あがく。

 が、どんなに暴れても、その場から少しも動けない。

 精も根も尽き果て、俺が逃げ切れない、と諦めてグッタリしていると、

『驚くのも無理はない。が、無理を承知で聞いて欲しい。我が願いを聞き届けてくれるなら、君を元の世界に返してやろう』

 元の世界へ戻れる! 俺は一縷の希望にすがる。

「本当に元の世界に戻れるんだな!」

『君が、我が願いを聞き届けてくれるならば……だ』

「元の世界に戻れるなら何でもする」

 俺は安請け合いした。

 ついでにスターダイスとやらに疑問をぶつける。

「そもそも、この世界は一体何なんだ?」

『ここは……世界中の人々の夢が集まる夢の世界、

《夢世界》だ。

 今でこそ見る影も無いが、かつての《夢世界》は、様々な夢に彩られ、色とりどりの色彩に溢れていた。

 夜、寝ている間に見る夢。

 昼間、なんとはなしに夢想する夢。

 子供が思い浮かべる希望に満ちた夢。

 などなど、千差万別、種々様々な夢で溢れていた。が、

 人々が夢を忘れ、夢を棄て去る。夢の無い、その日暮らしの刹那的な生き方をする。

 すると、《夢世界》は色褪せ、白一色の世界へと成り果てる。

 それがさらに悪化すると、《夢世界》は黒い星じみた黒い黒点に浸食され始める。

 それが重なり、黒い亀裂となり、亀裂は亀裂を呼び、やがて《夢世界》全体が切り刻まれ……』

「ちょっと待った! それと俺と、何の関係があるって言うんだ?」

『陽太……我は、君の夢の力が借りたいのだ』

「俺の夢の力? 何だ、それは?」

『君が凛火のために作った夢、あれは素晴らしい夢世界であった』

「え? もしかして……TRPGのことか? あれはゲームだぞ。別に……夢とかじゃないぞ!」

『いや、あれはとても力強い夢……陽太の夢世界だ。君は、その夢にもっと誇りを持つべきだな』

「そ、そうか? えへへ。じゃなくって! どうして俺の夢世界を借りたいんだよ?」

『君たち人間は、先程、我が話した夢世界消滅の危機を知らない。

 夢世界に生じた黒い星は、誰かの夢が歪み始めた最初の兆候だ。

 放置すれば黒い星は夢世界を引き裂く黒い亀裂となる。

 我はそれらをまとめて、

夢黒絶星むこくぜっせい】と呼ぶ。

【夢黒絶星】は何らかの意思を持っている。

【夢黒絶星】は悩める人々に取り憑き悪夢を見させる。

【夢黒絶星】に憑かれた人々は、自分勝手で自己中心的な悪夢を創り上げる。

 その悪夢がまた【夢黒絶星】へと変わり夢世界の崩壊がまた一歩進む。

 悪循環の連鎖だ。

【夢黒絶星】は人間界にも影響を与える。

【夢黒絶星】は、ただの悪夢とは違うのだ。

【夢黒絶星】がさらに広がり、夢世界が黒い亀裂に覆われ、害虫に蝕まれたリンゴのように跡形もなく崩壊したら……』

「いや、でも、それって、俺とどう関係があるんだ? 夢世界の崩壊とか言われても、ピンとこないぞ」

『君の身近な所で、奇妙な事件が起きていないか? それは、【夢黒絶星】の影響によるものだ』

「い、いや、別に、何も起きてなんか、いない……ぞ、たぶん」

 一瞬、返事を躊躇する。

 スターダイスがすかさず、

『病院の一階、売店の前で起きた巨大ハツカネズミの事件。あれも奇妙でないと言えるか? 巨大ハツカネズミが突然出現する。そんな事件が現実に起こり得るのか?』

「あれは……たまたま、ハツカネズミの発育が良かっただけで、ただの偶然だろう」

『君がどう思おうと、【夢黒絶星】を放置すれば、最悪、現実世界にも消滅の危機が訪れることになる』

「ちょっと待ってくれ! 話が飛躍しすぎだろ! いくら何でも、夢が歪んだからって、現実世界が消滅するわけがない!」

『我は真実しか話さない。信じる信じないは、君の勝手だ』

「ていうか、そもそも、そんな話をされても、俺に何が出来るって言うんだよ」

『別に、特別なことをする必要はない。君は今まで通りにゲームをデザインし、凛火と遊ぶだけで良いのだ』

「それだけかよ!」

 俺はズッコケた。

「それなら、わざわざ俺をこんな所に呼び寄せて、夢世界が消滅するとか何とか、世界もその影響で消滅するとか何とか、話す必要はないじゃん!」

 俺の指摘にスターダイスが、

『一つだけ注文があるのだ。これは君に犠牲を強いることになる。それは、君の夢世界……つまり、君の創りあげたゲームの世界に、【夢黒絶星】に取り憑かれた者を、我が送り込むからだ』

「は?」

 何言ってんだこいつは? 疑問と共に俺に戦慄が走る。

 じっとりと嫌な汗が浮かんだ。

「待てよ。それは、どういうことだ? 

【夢黒絶星】に取り憑かれた奴らを俺の夢世界に送り込んで、どうする気だ? 

 TRPGはゴッコ遊びに過ぎないんだぜ。危険なゲームならお断りだ。凛火を危ない目に遭わせるために、俺はドリクエを作ったわけじゃないんだ」

『【夢黒絶星】の危険に関しては、案ずる必要はない。基本、夢の中の出来事だ。現実世界において傷付く者はいない』

「さっき『【夢黒絶星】は人間界にも影響を与える』とか言ってなかったか?」

「【夢黒絶星】に憑かれた者と、その周囲の者は影響を受ける。が、影響は限定的だ」

「影響があるんじゃねぇか」

『限定的にだ。君は、道を歩く時に、いつも事故に遭う危険に怯えるのか?』

「質問しているのは俺なんだがな」

 俺は胡散臭げに、

「しょうがない、とりあえず、『限定的』で納得する」

 と念押しする。

『夢世界の崩壊と同時に現実世界が崩壊すれば傷つく程度では済まないのだがな。が、もう少し詳しく説明するなら、基本、夢世界は君の思い描いた通りの世界になる。ルールは全て君に順ずる。ゆえに、夢の中で傷付くことは通常ありえない。ただし、多少の不確定要素が存在する。つまり、【夢黒絶星】が君の《夢》を壊すほどの《力》を持っている場合だ。相手の悪夢が君の夢を上回った場合傷付く可能性が出てくる』

「それって多少で済む不確定要素かよ? 不安だらけだな。けど、俺の夢が再現されるって話には興味がある」

『君は、君の創りあげたTRPGという夢世界の、まさしく《神》になる。ただし、真に君が創造した《ルール》においてだ』

「《神》か……そんな風に言われると、やってみたくはなるな」

『我に君の《夢》を貸し与えるなら、我も陽太、君に我の《力》を貸そう』

「もう一つ聞きたい。俺のゲームの世界に【夢黒絶星】に取り憑かれた者を送り込むとして、そいつらを俺はどうすればいい?」

『話し合いで【夢黒絶星】の支配から解放する。それが一番だが、必要なら実力行使もやむを得ない。方法は問わない。君に任せる。大切なことは、夢の歪み、夢を失った原因、それを力尽くでも良いから取り除くことだ。【夢黒絶星】から人間を解放する。それが一番肝心な点だ。【夢黒絶星】から解放され元に戻れば、夢世界の黒い星、亀裂も無くなり、夢世界は自然に修復される。すなわち、【夢黒絶星】の影響を受けた現実世界の歪み、奇妙な事件もまた、修復されるということだ』

「だんだん、ややこしくなってきたな。けど……やってみるしかない、のか? しょうがない、よく分からねぇけど、協力してやるよ、スターダイス。交渉成立だ!」

『感謝する星月陽太。君がいれば、我は百人力、いや、千人力、万人力だ』

「何だそりゃ? でも、本当に俺の《夢》なんかで、その黒い星、黒い亀裂、【夢黒絶星】とやらに取り憑かれた人を、どうにか出来るのか?」

『心配には及ばない。君の夢世界、TRPG・ドリームクエストの世界は……凛火を強く思う気持ちで創造されている。その思いは、計り知れないほど巨大な《力》を秘めている。君はその《力》に気づかなかっただけだ。君の《力》は、この世界の全ての人間、万民を救う力がある。君はもっと、自分に対し自信を持つべきだな、星月陽太』

 スターダイスの話を聞くうちに、俺は猛烈な眠気を感じた。

 舌が上手く回らない、

「そいつ、は、半信……半疑、だな……」

『君が凛火を楽しませたい。と、思うその気持ち。君が凛火の病気が早く治って欲しいと願うその気持ち。その想いは他の誰の夢にも勝る、素敵な夢だとは思わないかね? 星月陽太?』

「そう……なの、かな……」

 俺の瞼が落ちた。世界は再び闇に閉ざされた。

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