少年期
「ルカ。お前の成長が目覚ましいらしいじゃないか。褒めてつかわそう」
「ありがとう御座います」
俺は、ことさら優雅に見えるように礼をする。俺も今日で、13になる。
領地持ちの貴族達は、次期当主の手腕を見るために領地の一部を与える。だが、それには一年ほど早い。
だが、アルフェーン当主は、自分に従順な優秀が好きだ。自分の自慢話が出来るように、俺に立場を与えるには丁度良い。そのために、色々と下準備はしてきた。
「お前にアルフェーン家の領地の一部をやろう。問題を起こしても、揉み消してやるから、安心しろ」
当主から香る、香水の匂いに顔をしかめないように、笑みを作る。
悪魔が居なくなってからの当主は、完全に当主としての仕事を放り投げている。朝から女に溺れ、酒を浴びるほど呑む。酒池肉林の生活だ。
ブランがこの男をどう、当主の座に座らせているのか、不思議に思う。
「はい、父上のお心遣いに感謝します」
「ふむ。では、戻って良い」
「失礼いたします」
部屋に戻る途中で、ブランに命じて、具体的な資料を持ってくるように伝える。
「さて、これがその資料だ」
「あの男。信用できるのか?お前より悠かに血の匂いがプンプンする」
資料をテーブルに広げる。俺が座っていたソファーに、狼霧がヒラリと着地する。
狼霧は、魔物も驚きの進化を遂げ、人語を話すようになった。魔物の口の形から、どう発音しているのかは疑問だ。
「ブランは、アルフェーン家を優先する。つまり、俺がどうやろうと、家に迷惑をかけなければ問題ないんだ」
「信用を全くしていないということは、分かった」
「そうとも言うな。で、俺に用意された領地は、王都から遠いルシドという街と、そこの周辺の村だ」
「どの辺だ」
「そうだな。アルフェーンは、5つの街を保有している。本邸のある中央ノウウェル、北の他国と山越に繋がりのあるトラウフェン、魔物が住まう森の防衛を担うオータム、南の海と面するセレスティア、その間にあるのがルシドだ」
「ふーん」
狼霧が欠伸をする。
「聞いておいて興味がなさそうだな。お前を放すのは、オータナスだ。基本、魔物からの防衛と間引きといった程度しか森には踏み込まないが、できる限りの奥地に行った方がいいだろう」
「奥地ね···。まぁ、分かった」
狼霧が何か考えるように、呟く。敢えて、聞かぬふりをして、話を進めることにした。
「ルシドは、一番税の取り立てがしやすい場所でもある。穀倉地帯なんだ。一番他国絡みが少ない。新米のペーペーがやるのは丁度良い場所ということだ」
「だから、外国語の授業は成績を落とし気味にしたのか?」
「ああ、念には念を入れて、確実にルシドを任されるようにな」
書類に目を通していく。狼霧の呆れた視線を無視した。書類には事前に調べていたこと以上のものはない
ブランが、俺をお飾りに仕立て上げようとしているのは、よく分かった。
「それにこの地は色々なものの売買取引の中間地点なんだよ。他にも、正規の食料を買い取りに来た商人も居て、裏のある奴らが紛れ込みやすい」
「何処もとんでもないのは気のせいか?」
「さぁな。でも、ここが一番地盤固めには、ピッタリなんだよ。狼霧、生き物が生きていく上で重要なモノはなんだと思う?」
「···食い物か」
「当たりだ。俺は、ここの食料自給率を100パーセント越えにし、一帯を牛耳るように動くつもりだ」
「ブランの息が掛からないようにするってことか。だがそうすれば···」
狼霧が心配そうに俺を覗き込む。俺の身が危険になることは、間違いない。アイツは毒殺が得意だ。確実に一発で殺そうとするだろう。いや、むしろじわじわと苦痛を味あわせて、殺すかもな。
「多分、大丈夫だろう。ルシドへ行っても毒の訓練は行うつもりだ」
2日後。
「「「いってらっしゃいませ」」」
王都の邸宅にいる使用人達に見送られて、馬車が動く。クッションをふんだんに敷き詰めた座席は、揺れを感じにくく、快適だ。
荷物は、道中の着替えぐらいで何も持っていない。異様なまでに少ない荷物を見て、この屋敷での思い出がほとんど無いことに気づく。
勉強三昧で、本を置いてくるとすれば、必要なものなど、下手したら従者よりも小さい鞄で事足りる。
「もう良いぞ」
屋敷が遠目でも見えなくなった頃、貴族街から下町に向かう門を通りすぎた。
馬車に白い靄が立ち込め、次第に形どる。
狼霧は、身体をブルブルと震わせ、伸びをする。これだけ見ると、犬のようだ。
「門の警備も雑なものだな。これなら、私一人でも抜けられそうだ」
興味津々に窓から外を覗こうとするのを、手で押し留める。何処から見られるか分からない。
気をつけすぎぐらいが良い。
「アルフェーン家は、公爵家だ。警備の騎士達もこの中を改めるのは、首を跳ねられる覚悟と、度胸がいるんだよ」
「身分というものも厄介だな。職務を全うできんではないか」
「彼らの仕事は、貴族を取り締まることじゃない。それは、王宮騎士団の第二団の仕事だからな」
「それでも腰抜けなことに代わりはない」
手厳しい狼霧を、宥めるように撫でる。
実際、それの恩恵を被っているのは、アルフェーン家だからな。俺が言える立場ではない。
「ふん!まぁいい。それより、少し眠れ。顔色が悪い」
「そんなに分かりやすいか?」
「ああ、他の者は気付かぬだろう。心配するな」
「そうか」
ホッとして、背中を椅子に預ける。分かりやすいのは、困る。弱みを握られかねないからな。
「一応、準備はしていたが、いざとなれば、欲しい情報が多くてな。次からは気を付けるとしよう。悪いが少し眠る。何かあれば起こせ」
「ああ」
自分が思っていた以上に疲れていたのか。瞬く間もなく眠りに落ちた。
途中休憩を挟んで3日かけてノウウェルに着いた。
小さい頃に一度見た限りの屋敷は暗い印象を受ける。自分の気持ちがそう見させるのかもしれない。
「「「お帰りなさいませ。ルカ様」」」
「ああ、出迎えご苦労」
ここの屋敷の執事、キースが出てくる。背筋を伸ばし、真っ直ぐとこちらを見るキースは、昔から変わらないように見えた。
「久しいな。キース」
「坊ちゃんは、大きくなられましたな」
「ああ、お前も健勝そうで良かった。それで母上はご在宅か?」
キースは、その言葉に顔をこわばらせる。
母上は、時々王都の屋敷に来ては、買い物をし、ノウウェルに引っ込むということを繰り返していった。
俺の記憶では、ほとんど話したことはない。声もおぼろ気だ。
男遊びと美術品、宝飾品を買い集めるのが好きな人だ。キースの様子だと、今日は男遊びらしいが···。急激に心の中が冷え込む。
「言わなくていい。ついでに挨拶できれば良いと思っただけだ」
「はい、坊ちゃんのご到着はお伝えしたのですが」
申し訳無さそうな顔をしているキースがすごく人としてマトモに感じる。向こうだと、俺の方が当主の邪魔をする存在として、扱われていたからな。
「構わない。明日朝にすぐ出るとだけ、伝言を頼む」
キースを置いて、自分の部屋へ向かった。
「あの執事。キースと言ったか?アイツはマトモだな」
「狼霧か。此処書庫だぞ」
「人が居らぬことくらい確認したわ」
暗に部屋以外で姿を見せるなと言ったが、どこ吹く風だ。微塵も気にした様子はない。床に座る俺の横に座った。
偉そうな口調で、その本を取れと狼霧が言うので、書庫全体に結界を張ると、本を開いて置いてやった。
魔物のくせに、狼霧は読書家だ。こうなれば気が済むまで長い。勝手に屋敷に魔物を連れ込んでいるのだ、母親にバレれば面倒くさい。
狼霧が肉球のある手でページを捲っているのが、どことなく可愛らしく感じる。撫でても良いと、尻尾を俺の膝に置く。
片手でフサフサとした尻尾を撫で、本を読む。
開けた窓から優しい風が入ってきた。