第26-1話
目が覚めて時計を見る。5と半刻。枕は変わっても、寸分違わないことに私は満足した。
ここには信徒はいない。いるのは私と、「魔法環」で拘束されているエストラーダだけだ。
残る血はわずか。完成前に彼を解き放ったのは、私らしからぬ失敗だった。
闖入者の存在に気付いた時、私は行動の予定を早めてしまった。メディアと、「女神の雫」を奪われるのを避けるためだ。
しかし……相手の力量は、私の想定を上回っていた。……何たる失態。
しかも、こういう時のために「契約」を結んでいたはずのオーバーバックが寝返ったのは、完全に考えもしていなかった。
……許されない。
許されない許されない。
許されない許されない許されない許されない。
全ては、予定通り、予想通りに行われねばならない。こんなことはあってはならぬ。断じて。そう、断じて。
掌に熱い痛みを感じた。血が一筋、流れている。拳を握りすぎたらしい。
……いけない、怒りを、外に出してはならない。神は、それをお許しにはならない。
そもそも、最初に予定を破ったのは、私だ。その後の一連の「予想外」は、全て戒律を破った私への天罰なのだ。
大きく呼吸をする。大丈夫、全て問題ない。心の在り方も、平時に戻った。
メディアと「女神の雫」は、すぐにでも取り戻せる。オーバーバックにしても、そもそも信頼などしていなかった。
まずは盗人たちを討ち、その上で彼女を殺す。ロックモールの邪教徒どもは、その上で浄化してやればいい。予定は狂ったが、台無しになったわけではない。
私は最後の血の瓶を手に取り、自我を失ったエストラーダに与えた。もう、口で飲ませなくてもよい。ただかけるだけで、植物のように吸収するのだ。
「……………カァァァァ…………!!!」
叫びと共に彼の身体が桃色に輝いた。……よし。これで昨日のようなことはあるまい。
エリック・ベナビデスが退いてくれたのは幸甚だった。
あの時、もうエストラーダは動けなくなっていた。私が戦えば問題なかっただろうが、私が自ら手を下すのは教義に反する。
時計は6の刻に近付いていた。ここには、食事番の信徒はいない。だが、何も問題ない。
私は部屋の片隅にある銀色の大きな箱……「冷蔵庫」を開けた。そこには、蒸し芋の裏ごしとケルの葉のサラダ、そして「トフ」が入っている。
事前に命じておけば、これは必ず望み通りの物を時間通りに作ってくれる。冷えているのは、この際やむを得ない。予定通りの時間に、予定通りのものが食べられることが何より大事だ。
食事の後は説法。聞く者が邪教徒のエストラーダだけであっても、時間通りにこなさねばならぬ。ロックモールの「浄化」と、盗人たる魔王の討伐は……それからだ。
ジリリリリ!!!
「モニター」の近くから音が鳴る。……耳障りな音だ。
しかし、これが……「電話」が鳴ることはほとんどない。誰だ?
私は受話器を手に取った。
「……もしもし」
『やはりいたかよ』
「……!!デイヴィッド・スティーブンソン!!?」
あまりに予想外の声に、私は絶句した。なぜ彼が?
そして……なぜ私がここにいることを知っている?
……気に食わない。心底気に食わない。現状は、あまりに想定を外れている。
そんな私を嘲笑うように、スティーブンソンは「ククッ」と嗤った。
『さぞ腰を抜かしてるだろうなあ、偽善者の司教さんよ。まあ隠す理由もねえから種明かししてやる。『シェリル』の『パランティア』だよ』
「何ですって」
『あんたの戻りが遅いから念のため『見たら』この有り様だ、そうだ。で、俺にお鉢が回ってきたってわけだな』
「……彼女自身が来ればいいでしょう」
『ところがそうも行かねえ。トリスで『本体』がヤバくなりかけてな、『主端末』ごと逃走中だ。まあ、亡命先はうちの国だろうよ。
そんなわけで、俺がそっちに向かうことになったってわけだ』
「貴方自身の任務は?アリス・ローエングリンを追っているんでしょう」
『ああ、『それも兼ねて』だ。モリブスのジャック・オルランドゥのとこを急襲したが、藻抜けの殻でな。どこかに消えやがった。
とすれば、魔王御一行がいるここが目的地と踏んだ。援軍が来て嬉しいか?』
「手出しは無用です。予定にない」
カカカカカと、耳障りな笑いが受話器から響いた。目の前にいたら、躊躇わず「グロンド」を握っていただろう。
『と言うだろうと思ったぜ。まあそっちはそっちでやりな。俺は勝手にやらせてもらう、魔王狩り含めてな』
「……それが言いたかっただけですか」
『いや……ハーベスタ・オーバーバックの件だ。なぜ裏切られた?』
スティーブンソンの声が低くなった。
「私の知ったことじゃない」
『にしてもだ。俺たちは15年も、『契約』であいつを縛り付けてきた。逆に言えば、15年は従順だった。それが何故急に心変わりする?』
「……待たせ過ぎた?」
『それなら不平不満は言ってたはずだ。それに、極力そうならないように、あいつにはでき得る限りの自由を与えていた。
さらに言えば、あいつには多分、普通の時間の概念がない。1年も15年も似たようなものだ。……何かやらかしたな?』
いや、そんなはずはない。むしろ、相当気を遣っていた。だから、魔王は余程の「好条件」を出したはずだ。
強敵と戦う機会?魔王たちと戦うという話なら、こちらもいつだって命じられる。それは決定打じゃない。
……
…………まさか。
「プルミエール・レミュー……」
『…………!!!それか!!!』
「ええ。彼女の『追憶』が、人に対しても使えるなら……人の記憶を思い出させるものならば……寝返りは、あり得る」
そうだ。彼女の魔法は、土地の記憶を呼び起こすものとばかり思っていた。クリス・トンプソンの情報からも、そう判断していた。
しかし、もし人の失われた記憶も取り戻せるなら。「自分が何者かを調べる」ということを契約の対価とする私たちより、遥かに彼女は優位に立つ。
そして、オーバーバックの正体は……
ゾクンッ
凍り付くような悪寒。もし、彼が自分が何者かを思い出せば……世界は破滅へと近付くと、私は確信した。
「サンタヴィラの惨劇」と同じか、あるいはそれ以上に……この真実は「知られてはならない」。
『……まずいな』
「ええ。本当に始末すべきは、彼女だった」
『了解だ。俺も極力急ぐ』
電話がブツリと切れた。時計はもう6の刻。朝食を取るべき時間を過ぎている。
「……忌々しい……!!!!」
私は椅子を蹴り上げた。あらゆることが、予定通りになっていない。心底忌々しい……!!
彼らがどこにいるか、凡その見当は付いている。襲撃予定は朝の9の刻。
予定された、平穏で無駄のない日々を取り戻すのだ。
用語解説
「冷蔵庫」
秘宝の一つ。我々が知る冷蔵庫とかなり近いが、動力源は謎。温度調整は任意でできる。
また、事前に命令した食事を自動で作り、冷蔵庫で保存する機能もある。食材がどこから来ているのかは謎だが、かなり幅広い注文に対応できるらしい。これがロックモールにある理由は現状では不明。
なお、アヴァロンがいる場所は以前六連星のリモート会議が行われた場所でもある。
これがある部屋は、ロックモール市街からやや離れた場所にあるようだ。




