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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

チェンジ・ザ・ワールド ディスイズアディストピア、ノットユートピア

作者: ハムカッタ

私は今の世界のあり方、変貌した世界を祝福するつもりなどない。はっきり言って今の世界は、最低や最悪とといった形容詞がつくまではいかなくとも、平穏な暮らしを安穏と享受してばかりはいられないのだから、この状況を喜ぶものなど破綻した快楽殺人鬼や戦闘狂といった異常者か、現実を見ようともしない馬鹿だけだ。


かつては私も2者のうち、馬鹿に含まれる方だった。私は世界が変貌した際、無邪気にも歓喜の叫び声をあげていた。振り返ってみれば愚かなことこの上ない。寧ろ些細な日常生活への鬱屈とした感情から、幼い子供も含めて無数の人々が無残に殺された状況を一時とはいえ喜んでいたなどクズというべきかもしれなかった。


20数年前のあの時、2028年4月13日の金曜日を境に世界はそれまでとは全く異なるものになってしまった。先進国の人間でさえ安楽な人生を送り、安らかな老後と人生の終着点を迎えることができないほどに。世界を変貌させたきっかけは核戦争でもなければ、通常兵器による世界大戦でもなく、致死性の高いウィルスの世界的流行や隕石の衝突を含む天災でもない。


それはあの日を迎えるまでは絵空事や空想として扱われていた存在が出現した事だった。それはファンタジー作品にしか登場しなかった生物―魔物が前触れなく突如として全世界各地に出現するという誰もが予想しえない事態だった。ちなみに魔物というのは正式名称ではなく、通称にすぎない。


政府や学会での正式名称は違っている上に、魔物という通称も数多くある通称の一つだ。ファンタジー作品に登場する敵生物と酷似していることからそう呼ばわれているだけで、怪獣という通称や怪物、モンスターとそのままの通称を使う者もいる。そもそも国ごとに言語やスラングも使うため、魔物という通称も世界共通ではない。


最大では全長数十メートル、最小では人間大サイズのものになる多種多様な従来の生物を上回る身体能力や特殊能力を備えた野生動物。そんな凶暴な生物の群れが2028年の4月13日に予兆もなしに、いきなりふっと出現したのだ。日本も例外ではない。


当然ながら大混乱が発生した。幸いなのはそれらの生物が人間に対して明確な攻撃性を持っていなかったことだが、それでも通常の生物を超越した戦闘能力を持つ生物が出現したのだから騒乱が発生し、大量の死者が生じてしまったのは当然だ。


巨大な魔物の足に踏みつぶされ、内臓をペースト状にされながら死亡した人間や肉食性の魔物に襲われて内臓を生きたまま貪り喰われた人間などこの日何人もの平和な日常を送っていた人が死んだ。死者は累計で数百万人に上るとも言われている。そんな惨禍のただ中にあって私は状況を正確に認識していなかったと言わざるを得ないが、確かな高揚を感じていた。


あの混沌とした一日で世界が変わったのは、何も魔物が出現したことのみではない。人間の身体能力も本来では発揮しえないほどの筋力や瞬発力、生命力や治癒能力を発揮するようになっていたし、攻撃魔法から防御魔法、治癒魔法まで多種多様な魔法を人間が使いこなせるようになっていた。


魔法といってもこれも通称で超能力などの他の呼び名もあるが、私にとっては魔法という通称が最もふさわしいと思っている。ただ単独で国家を転覆できるような、核兵器をも凌駕する魔法を発揮できる人間は出現していないため、個人で一騎当千の実力を誇り無双するような人間はついぞあらわれていない<一応突出した実力者や英雄と称えられる人間はいるが、それでも数や適切な装備を用意すれば倒せる程度だ。>


私は魔物が出現した4月13日、高揚を覚えた原因は体感で身体能力の増大や魔法を使いこなせると実感したためだ。今もそうだが私はサラ―リマンとして働いていた。毎日毎日会社に出勤しては仕事を繰り返しての変りばえのしない日常で、そんな毎日に不満を募らせ、何の変哲もない日常に飽き飽きしていた。


だから私は心底から魔物の出現と魔法を駆使でき、身体能力が増大された肉体になったことによ頃日を感じていた。私は当時アニメや漫画にそれなりにはまっており、その中で主人公が強大な力を得て無双するといった作品のことも把握していた。


変わりばえのしない毎日への嫌気から私は人が大量に死亡しているような事態を嫌な日常からの脱却、危険な魔物を狩りたてる英雄として称賛される日々の始まりだと思っていたのだ。単なる中二病や英雄願望を大人になっても捨てきれていない大人になっていない大人だったのだ、過去の私は。


それともパニックから心を守るために英雄として華々しい活躍をするといった妄想で凄惨な現実から逃避していたのだろうか? 今の私からしてみれば後者であってほしいと切に願う。


私は大勢の人間が死傷し、傷つき、恐怖しているような状況で自らの英雄譚が始まると思うような人間の風上にも置けないゴミだった。過去の自分と出会ったら思いっきり殴ってやりたいところだ。勿論そんな思い上がりや増上慢甚だしい気持ちはすぐに吹き飛んだのだが。


残念ながら世界とは特定の人物にとって常に都合のいいことばかりが起きるようなものではない。ゲームのように栄光が約束されたサクセスストーリーとは程遠いのが現実の世界だ。仮に栄光がつかめるとしてもそれは確固たる目的意識や強靭な意志、勤勉な意欲などがあってのことだろう。私などからは程遠いものだ。


私は結局のところ思い描いた妄想のように英雄になどはなれはしなかった。身体能力が向上したお蔭で魔物に戦いを挑んでも比較的弱い魔物数体を倒せはしたが、強大無比な力を持つ魔物一体に襲われ、腕一本を根元からもぎ取られるという憂き目にあっている。


幸運だったのはその魔物がとどめを刺さずに立ち去ってくれたことと、強化された生命力と治癒能力とに合わせて通りかかった男性が治癒魔法の使い手で一命を辛うじて取り留めることができたということだ。傷は塞がってももぎ取られた腕までは直りはしなかったので、今は義手を使っているが。


腕をもぎ取られた際の灼熱の激痛、ありありと晒された明確な敵意、死の恐怖。それは強大な力を得たことで万能感に浸っていた私の酔いを醒ますには十分だった。私はどこまでいっても凡庸な人間なのだと。


あの日以来私は魔物との戦いに参加したことはない。なんとか倒産した会社に代わって就職できた会社でサラリーマンをまた続けている。それが私にはお似合いだ。私だけではなく、大抵の人間は魔物との戦いに参加することのない日々を送っている。


それでは出現し賜物に対する対応はどうなってるのかと言えば、それは自衛隊や警察が対応してくれている。自衛隊にせよ警察にしても格闘技の訓練などを積んでおり、それら訓練を積んだ人間が強化された身体能力をフルに発揮するればどれほどの戦闘能力を発揮するかはいうまでもないことだ。


4月13日の魔物の大量出現の混乱は警察や自衛隊の手でなんとか収束することもできたし、軍事力が脆弱な国を除けば他の先進国でも同様の対応で魔物を封じ込めることに成功している。何も魔法でなくとも銃火器やそれよりも大型の兵器も魔物には有効だった。


自衛隊や警察の手で魔物が封じられ、私はサラリーマンを続けているのだから魔物が出現してもこれまでと変わりない文明生活が世界各地で続けられているのではないかと思うかも知れないが、残念なことにそうではない。


魔物の被害を封じることには成功したが、全ての魔物を滅ぼしつくしたわけではない。危険な魔物が出没する危険な地域も存在している上に、稀ではあるが都市部に魔物が出現し、殺戮を働くこともある。全長数十メートルサイズの魔物が都市部に向けて移動を開始した時などは悪夢だ。


この日本だろうといつ魔物に殺されて死ぬか分からないリスクをだれもが平等に背負っているし、人間も物騒な存在であることに変わりはない。何と言っても誰もが平等に身体能力が向上したのだ。その力を犯罪に悪用するものもおり、頻繁にというほどではないが凶悪犯罪の発生件数も増加している。


一昔前の日本と比べて今の日本は安心に住める国とは、口が裂けても言えるものではない。魔物の出現、凶悪犯罪の増加への対応から日本警察は武装の強化に踏み込み、全警察官の拳銃を連射性に優れた自動拳銃に急ピッチで更新し、そればかりか一般警官であっても対魔物用に自動小銃の携行を行う措置をとっている。必要とあれば日本の警察官だろと魔物どころか人間に対しても容赦なく発砲する。


20年前の日本を知っていたものなら信じられないだろうが、それが今の日本のリアルだ。魔物が都市部に侵入したならば魔物の撃退のために陸上自衛隊が投入されるし、市街地で実弾を装填した自動小銃を装備した自衛隊員が特別警戒に当たることも普通にある。対テロ特別警戒中の海外の様相だが、日本でもそれと同じ光景を目にする機会はそれなりにある。


徴兵性制こそ課していないが、日本政府は戦闘訓練を定期的に学生や社会人を対象に参加することを義務付けている。戦闘訓練といっても実弾火器を渡さず、実戦的な格闘技術と魔法の訓練だがそれでも戦闘訓練は戦闘訓練だ。恐らく魔物への対抗としていざという時は国民を民兵にする腹積もりなのだろう。


昔ならば政府へのバッシングが起こりそうなものだが、そんな声を上げるものは誰もいない。魔物への対抗から自主的に格闘訓練を学んでいるものも多いし、海外ではテロ対策を理由に本格的な救命処置を学ぶ者も多かったらしいが、日本でも治癒魔法以外にも実践的な救命処置を学ぶものは多い。


日本人は平和ボケしていると揶揄されていたこともあるが、魔物という確たる脅威や凶悪犯罪の増加から今は平和ボケとは程遠い。民間の警備会社の中には、一般人が簡単に銃器所持できるようにはなっていないものの、許可を受けたうえで強力な銃火器を所有し、魔物の駆除にも参加するなど実質PMCといえるものさえ出現している始末だ。


魔物という存在が出現していても、文明生活を維持しているのだからこれを幸運と思うべきなのかもしれない。だが、私はそうは思えない。昔魔物が出現したことで自分は英雄になれるのだと夢想したことがある。それが実現できたのならばユートピアだったのだろうが、今の日本はユートピアではない。


今の日本は言うならばディストピアだ。そう魔物が出現したことで日本はディストピアに変ってしまったのだ。これを思えば魔物の出現で変わった世界のありようを認められるはずはない―変わりばえのしない日常に不満を感じていたといってもいつ死ぬか分からない恐怖に捕われながら死ぬよりはましだ。


今となっては平穏な日常生活への不平不満を抱いていたあの頃の日本が懐かしい。変わりばえのしない平凡な毎日こそが幸せだったと私は完全に理解した。


理解しても昔の当り前だった日常が戻ることはない。これからも魔物の脅威に晒された日々を送っていくしかないのだ・・・・。





















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