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『観念的思考法』⑻
㈠
路地を眺め遭えば、物事の水準として、観念は降ってくる。まるで、当たり前の様に、であるが、それでも、一端の奇跡という現象も作用しているだろうとは思っては居る。つまり、観念の襲来であり、我々はその世界の混信から、逃げ果せなければならないのだ。
㈡
それでも、観念には、観念的思考法がある訳であって、その思考とは、不可視の襲来を停止させるだけの能力があり、また、実存的に闇から光へと水入するだけの力学があるのだ。これは、誰にでもあること、ではなく、自身で獲得した能力でもある。
㈢
翻って、目の前の人に、観念的思考法を提示すれば、確かに何かの手ごたえはある様だ。換言すれば、未来への疾走書としても、文字に起こせば理解されるだろうとは思う。つまりは、当たり前が、当たり前として機能する時、観念的思考法は、役割を一時停止するのである。