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『観念的思考法』⑿
『観念的思考法』⑿
㈠
思考を敷衍して、観念的作業に取り掛かる時、決まって自分には、一種の振幅の様な、時間的執筆が観念になる。観念が観念にならずに、観念的作業が観念になるということは、自身の観念は、脳髄だけでなく、行動においても、観念的だということだろう。
㈡
また、思想集的な物事の考え方から、現実へと逸脱することによって、果て無い空間の中で、言葉を残す作業が行われる。この、言葉の残存とは、在位とも関連し、何かが長期間続いて白昼を染めていく様に、思考法を齎してくれることに、絶えず感謝すべきだろうと思うことが多々ある。
㈢
結局の所、観念的思考法の一部は、こう言った、上記した様な、とりとめのない作業によって支えられているのである。だからこそ、集中して対峙するし、畢竟、天の作法の部類を、自身に感じさせることになると、言えるのだと思う訳である。




