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『観念的思考法』⑽
『観念的思考法』⑽
㈠
思考が止まる時は、確かに何かが止まる時だろう。しかしまた、思考が止まらないと、何かが破滅するのは目に見えている。つまり、観念に知識を蓄えておかないと、観念が麻痺して、頭痛が起こるのである。いっそのこと、観念など消失していて、思考だけが残存するほうが、適しているかもしれない。
㈡
観念が在る内は、観念的思考法は有効的だし、何かに対峙する時、咄嗟に、これはこういうことだ、という風に、理解が出来るのである。その理解は、果て無い世界を自身に与えてくれる。まさに、観念的思考法の成功ということなのだ。
㈢
同時に、理解とは、また、観念に知識が蓄積されることであって、何時になれば、観念から離れるだろうと思った。しかし、日常生活をしていれば、観念は必要だし、それによって思考する訳だから、当然と言えば、まるで当然の様に、観念は日常に根差したのである。




