8 悔恨
結局、俺がミサキとゆっくり話せたのはその夜のことだった。
山間を流れる清らかな川辺に天幕を張り、いつも通りに夕餉の支度やら剣術の稽古やらが終了した、遅い時間のことである。
天幕というのは、こうした野営の時などに利用されるこちらの世界のテントである。とはいえ、俺たちの世界で使うようなものとはまったく違う。水よけの獣脂を塗った帆布のようなものをつなぎ合わせた、ごく素朴な形のものだ。
見たところはちょうど、モンゴルの遊牧民族が使う移動式の住居、ゲルのような感じである。ただ、それよりはずっと小さい。人が四名ほど寝ると、もういっぱいになるぐらいのものだった。
かれらはそれを、いつも魔法の革袋で携帯している。
「ヒュウガ。……ちょっといい?」
夕食が終わったあと、背後から小さな声でそう呼ばれて、俺はミサキと一緒に皆のいる焚火のそばから離れた。いつもなら黙ってついてくるガイアが何も言わないところを見ると、すでに話はつけているということらしい。
ギーナは一度だけちらりとこちらを見たようだったが、俺がそちらを見たときにはもう、まるで何ごともなかったかのように焚火の方を向いていた。ほかの女性がたも同様である。
「朝、言ってたことなんだけどさ」
皆の場所から十数メートルばかり離れた木立のところで、ミサキは早速きりだした。今のミサキは、俺と同じでいつもの普段着姿だ。
「一応、ウソじゃないから。あんたのことを面白がって、ちょっと観察したくてついてきたってのは本当だけど、それだけでもなかったのよ。一応、信じてほしくてさ」
「はい。……それは」
そのあたりの一連の流れは、この女の性格からしてなんとなく理解できなくもない。
基本的に男ぎらいなこの女にしてみれば、あの大人の女、ギーナが俺についてくることを選んだというのがまず不思議だったのだろう。それについては俺自身も不思議に思っているぐらいなのだ。当然といえば当然だった。
「あんたより、あたしは三か月も早くこっちにやってきた。それでもまだ半年弱は残ってるわけなんだけどさ。でもいい加減、『システム・マリア』がしびれを切らすタイミングでもあるかなって。……ま、そういう打算もあったりなかったり?」
「……はい」
「これまでだって一応、それは警戒してたわけよ。で、『闇落ち』認定されないように、なんとなーく北を目指して旅してたんだけどね。それで、あっちこっちで<テイム>して。……今じゃ、『バカだったな』って思わなくもないわけなんだけど」
「そうなのですか」
俺の声に、微妙に驚きの色が混ざったのに気づいたのだろう。ミサキはいつものように、またぷくっと頬を膨らませた。
「あんたねえ。人をなんだと思ってんのよ。あたしだって、これでもレッキとした大人なんですからね。そのっくらいのことは分かるわよ。中学生じゃあるまいし」
「……はあ」
いや、本当に「歴然とした大人」だったら、もっと早くに気付くべきだったのでは。
この世界の歪さに。そして、思った以上の残酷さにだ。
この世界は、まことにもって残酷だ。「勇者」あるいは「魔王」が、「チート」だの「ハーレム」だのという都合のいい状況に甘んじているぶんには幸せと言えるのかもしれないが。しかし、それだって勇者や魔王に限ったことにすぎない。
そもそも庶民の暮らしは厳しいものだし、歴然とした身分差、つまりヒエラルキーによって、みんながんじがらめにされている。俺たちの目には見えにくいが、彼らは王族や貴族の生活を支えるために、毎年重い税を負担させられている。
本当は法に触れることではあっても、生活に困って人買いに子供を売るなどということだって、あちこちで行われているというのだ。売られた子供の行く末は、まことに悲惨なもののはずだった。
さすがに今の日本でそこまでのことがおおっぴらにおこなわれることはないだろうけれども、世界に目を広げてみれば、そうした事実は厳然として存在する。そう考えれば、あちらとこちらにさほどの違いはないとも言えるのだ。
まあ、隣国レマイオス共和国は共和制という話だったので、もしかするとこちらよりはマシなのかも知れないが。
ともかくも。
それらのことすべてに目をつぶって、ただただ自分が面白おかしく生きることだけを見つめて生きられる人間なら、この世界で「勇者」として何の疑問もなくやっていけるのかもしれない。
いや、もちろん俺はそんな人間になるのは御免だが。
今夜の夜空は、少し雲が多くなっている。いくつもの月の光がそれを照らして、星の光をあちらこちらで遮っていた。
木々の枝をすかして見えるそれをなんとなく見上げながら、ミサキはひとつ吐息をもらした。
「そりゃあ、最初はさ。『これがあの有名なハーレム世界! ラッキー!』な~んて、あたしも舞い上がっちゃってさあ。人間のことだって、せいぜいゲームのNPCぐらいかなって、ちょっと軽く考えちゃって」
「だからイイ男がいたら手当たり次第に<テイム>して、『姫さま』だの『姫殿下』だの言われてちやほやされてさ」
「美味しいものも綺麗な服も、手当たり次第にもらえるし。……しょうがないでしょ? あっちの世界でのこれまでが、これまですぎたんだから。それは前も言ったけどさ」
俺は少し考えてから口を開いた。
「お訊ねしてもよろしいでしょうか。……なぜ、ご自分をみなに『姫殿下』と呼ばせたのですか」
「あ~。あれは、ね」
ミサキの顔が、また自嘲ぎみの笑みに歪んだ。





