2 交代劇
と、フリーダがマリアの方を向いた。
「ところでシスター。その『魔王マノン』なのだがな」
「はい」
「そやつは一体いつごろから、魔王の座に君臨している? そもそも我らは、今まで魔王の固有の名など知らなかった。それを聞いたこと自体、これがはじめてだぞ。なぜそなた、そんなことを知っているのだ」
「ああ……それは」
言ってマリアはふふっと笑った。
その笑顔は、さも「当然でしょう?」と言うように俺に向けられた。
「何度も申し上げますが。『シスター・マリア』は全員でひとつの人格を共有しております。それは情報も同じこと。北の<防衛機構>のそばにも『マリア』はおります。魔王に関する情報は、そちらが最も早いですし」
「ふむ……?」
フリーダはやや納得しかねる顔だ。
が、マリアは構わず続けている。
「魔王マノンの名前が噂にのぼりはじめたのは、今から大体三か月ほど前でしょうか。そこまでに、あちらでは先代の魔王との交代劇があったはずです。となると、時期的には合いますでしょう?」
その目はやっぱり、俺だけをじっと見ていた。
俺にはすでに、次にマリアが言うことが予測できていた。
じっとりと背中に汗をかいているのを自覚する。
「ちょうど、今から四か月ほど前……つまり、ヒュウガ様がこちら世界へ落ちていらした時期と、ぴたりと合います」
俺は拳を握りしめた。
「待ってくれ。どういうことだ? ……つまり、やはり真野は俺と同時にこちらの世界へ?」
「恐らく、そういうことではないかと」
マリアの笑顔は、周囲をさらさらと吹き抜ける風よりも爽やかだ。
「と、いうよりも。むしろ、あなた様こそがイレギュラーだったのでは? これまでこちらの世界に、二人が同時に落ちていらしたことはないはずです。魔王になる者、勇者になる者という違いはあっても、一度にひとりずつ落ちてくるのが普通だったはず」
「いや、ちょっと待て」
話を遮ったのはフリーダ。
「というと、何か? 勇者どもだけではなく、あちらの魔王までが別世界からの訪問者だというのか? お前は」
「いえ、そうとも限らないのですが」
そこで少し、マリアは言葉を切った。
「まあ、わたくしもこちら側の存在ですので。魔族側の状況まで、詳しく把握しているわけではございません。ですからここからは、ある程度わたくしの想像だと思ってお聞きください」
「わかった。続けろ」
フリーダの声には明らかないら立ちが混ざりこんでいる。
「魔族の中で最も強大な力をもつ者が魔王となる。大体のところは、それがこれまでの常識だったかと思います。ただ最近では、『勇者よりも魔王となって、自分に都合のいい世界で好き放題のことがしたい』と考える異世界の人々も多くなってきた……ということのようですわね。どうやら、マノンもその一人なのではないかと」
「…………」
一同は、沈黙している。
俺は腕を組み、顎に手をあてて考え込んでいた。
なるほど。
こちらの世界で好きな異性やら同性やらにちやほやされて、努力して手に入れたわけでもない凄まじい力を行使し、弱者を虐げてひたすら気分よく生きたい。そういう願いを叶えるのに、別に立場を「勇者」と限る必要もないわけだ。
むしろ悪の化身とでもいうべき「魔王」となってしまえば、下手な道徳観念などからも逃れ放題。良心の呵責にも苦しまずに済む。なんでも思うがまま、好き勝手ができるわけだ。
……少なくとも、そう考える輩は確かにいる、ということだろう。
俺はまったく詳しくないが、良介からの情報では、魔王への転生を扱った若者向けのライトノベルも流行しているということだったし。
情けない話だとは心底思うが、それが事実なのだから仕方がない。
つまり、あの真野は、その「魔王」への転生を望んだということなのだろうか。
そしてどこかの時点で俺がこうしてこちらの世界で「勇者」になっていることを知り、これまでの何らかの不満を昇華させようと、あれこれとちょっかいを掛けてきていたと……?
(いや、だとすれば──)
俺は思わず、背後に立っているギーナのほうを振り返った。
ギーナが「え、なに?」と怪訝な顔で見返してくる。
もし、もしも。
現在「魔王」になっている真野がピンポイントで俺だけを狙っているのだとすれば。むしろ、俺のそばにいてくれている女性がたが、最も危ないということにはならないか。
今回狙われたのは、俺にとって面識のない村人や旅人たちだった。けれども、俺の最も身近にいるのはライラやレティや、このギーナだ。もしもマノンがこれら女性の体内に、その「魔獣の種」を植え付けていたら──。
そこまで考えて、血が冷えた。
全身の血が音をたてて下がっていくのが、はっきりとわかったほどだ。
(だめだ。それだけは、絶対に駄目だ──)
村人の背中を破って現れた、あの禍々しい姿の魔獣。
体の皮を食い破り、中身を食い散らかして、ただの肉片のようにしたあの光景。
あれを、あんなことを。
ライラやレティ、ギーナの身に起こすわけには絶対にいかない。
彼女たちだけではない。緑の勇者から解放したことで必要以上の恩義を感じてくれ、わざわざついてきてくれている三人の女性方も同様だ。
俺は周囲のだれ一人、こんなことに巻き込みたくなかった。
もし、マリアの予想が当たっているなら、これは単なる個人的な私怨にすぎない。それは俺と真野との、ごく個人的な問題なのだ。
こんなことに女性がたを巻き込むなど、もってのほかだと思った。ましてあんな残酷な目に遭わせるなど、とんでもない話だった。
「……まっ。大体、なに考えてるかは分かるんだけどよ、ヒュウガ」
真正面から野太い声がして、俺は我に返った。ガイアだった。