12 私刑
結局。
マリアはその後、何事もなかったような顔をしてさっさとハナの母親を「治癒」し、俺たちはギーナを連れてそこを出た。
ギーナが何度か「お代」を払おうとしたのだったが、マリアは惚けた顔で「あら。なんのお話だったかしら」と言うだけだった。要するに、あれはギーナの茶番に付き合って、彼女もひと芝居打ったというだけのことらしかった。
ギーナは店の元締めに挨拶をし、身の回り品の入った小さな荷物を持っただけでついてきた。「勇者の奴隷」になるという栄誉に浴すると、その者の所有権は自動的に勇者のものになる。
ギーナはあの店の稼ぎ頭だったようで、主は渋い顔だった。とはいえ、勇者の奴隷所有権は一年間の期限付きだ。それでようやく、主人はギーナを送り出してくれたのだった。
道を行くこの奇妙な一行を、街の人々は物珍しそうにじろじろと見ていた。それはそうだろう。田舎くさい恰好をした男と小柄な少女、美しい修道女にこの街の売れっ子だった踊り子の女。それに、猫の耳と尻尾を持つ元気な少女。一見して「こいつらどういう集団なんだ」と思われるのは当然だ。
それにしても、腑に落ちないことがひとつある。
「ギーナ、……さん。お訊ねしてもいいでしょうか」
「あらいやだ。勇者様にそんな丁寧に話していただく謂れはございませんわ。どうか普通になさってくださいな。『さん』なんてもちろん要りませんわよ」
先ほどの気風のいい下町風の口調はどこへやら、ギーナはしれっと最初の上品ぶったものの言い方に戻っている。俺はさりげなく咳ばらいをして言いなおした。
「……では、ギーナ。<魔術師>としての技術がありながら、なぜあの店に? 北方では、あなたのような能力者を大いに募っているのでは?」
当然の疑問のはずだった。あそこの店での実入りがどれほどだったかは知らないが、従軍した方がずっと報酬はいいはずだ。しかも、酔客の前で露出の多い格好をし、煽情的な踊りを踊ったり、酌をしたり……さらに、夜の相手までするような仕事とは、待遇から何から比べものにならないのでは。
俺は男なので偉そうには言えないけれども、そこには女性の矜持に関わる大きな違いが存在するはずだった。
そんなこちらの思惑を嗅ぎ取ったのか、ギーナの秋波を含んだ瞳がすっとこちらに向けられた。知らず、背筋がぞくりとする。それは色気を湛えた流し目ではあったけれども、底には思ったよりも鋭いものを秘めていた。
「あたし、戦争なんて嫌いだもの。誰かを傷つけるのもイヤだけど、自分が傷つくのはもっとイヤ。だってそうでしょう? こんな綺麗な顔と体、傷ものにされちゃたまらないし。戦場なんて、ろくにお風呂にも入れなきゃあ、爪の手入れもできないでしょうし──」
ほぼ八割がたは嘘だろうと思われるそんな返事を、形よく柔らかそうな唇がさらさらと紡いでいく。
(……まあ、仕方ないか)
出会ってすぐのことなのだし、この女は他人にそうそう本心を見せるような性格でもないだろう。レティほどあけっぴろげな女もそうそういまいし。それはそれで、少し心配になってしまうが。
「ん、にゃに? ご主人サマ」
俺の視線に気が付いたのか、レティが耳をぴくんと立てて首をかしげて来る。俺は苦笑して「いや、いいんだ」と首を横に振った。
「で? あんたたちはこれからどうするの、勇者様。このまますぐに皇帝陛下にお目通りなのかしら」
「『ヒュウガ』でいい。帝都に来たら、まずそうするようにとのお達しらしいからな」
「ふうん……。あ、そう言えば。さっきの話、生きてるわよ? ヒュウガ」
「え?」
「だから、さっきの話。もし筆おろしがしたかったら、いつでも私におっしゃって? 喜んでお手伝いして差し上げるから」
「な──」
ぎょっとして見返すと、ギーナはこれ見よがしにその美しい顔を俺に近づけ、先ほどのように肩に触れようと手を伸ばしてくる。
と、俺と彼女の間に、ぐいと大きな荷物が割り込んだ。
「ちょっと離れてくださいません? ヒュウガ様は、そ、そういうのはお嫌いなので……!」
ライラである。ギーナは小柄な少女を見下ろすと、なぜかその胸元を一瞥してから嫣然と微笑んだ。
「あーら。こんな小便臭いのがお好みなの? 変わった趣味ねえ、『ヒュウガ様』」
「しょっ……、ちょ、ちょっとお! いま、どっ、どこ見て言ったのよおっ!」
真っ赤になって両手で胸元を隠すようにし、ぎゃんぎゃん噛みつき始めたライラにも、ギーナは何ら動じる風がない。相変わらずのしなやかな足取りで、道行く男たちの視線を独占しつつ腰を揺らして歩くだけだ。
マリアがそこで口を挟んだ。
「最初の一日は、宮殿で部屋を提供していただけるはずですわ。その後は北方へ旅立つのが、まあ建前なわけなのですが」
「建前……?」
聞き返したら、シスターは意味深な笑みを浮かべた。
「……まあ、先ほどのような方も、中にはおられる、ということですわ」
「ああ……」
つまり、あの「緑の勇者」の男のような奴が、ということだろう。
何が原因なのかは分からないが、魔王を倒しに出かけることもせず、ただ無為に与えられた時間をこの街で過ごす。いや、「無為に」というのは語弊があるだろうか。ああして自分好みの女(あるいは少女)を物色し、<奴隷徴用>を乱用して一年を面白おかしく過ごすのだから。
だが、その期限が尽きた暁には……?
俺の瞳の色を察したように、隣でギーナが低く笑った。
「心配なさらなくてよろしいのよ。ああいう手合いは『勇者』でなくなった途端、大抵はこの街からいなくなるから」
「いなくなる……?」
「そう。復讐が怖くて自分で消える奴もいるけど、あんまり素人娘に手を出しまくったり、店のものを奪って踏み倒したりがひどい場合は、間違いなく私刑にあうわ。ひどい姿で広場に晒しものになって、カラスや野良犬に食われているのも何度か見たことがあるの」
「…………」
気温は決して低くないのに、俺の体は冷気を覚えた。
魔王に挑むこともせず、「勇者」としての立場を失い、それでもこの世界にとどまることになったなら、どうやらろくな人生は待っていないということらしい。それはそうだろう。あまりにも無軌道に欲望に素直に行動しすぎてしまったら、周囲の人々の怒りを買って当然なのだ。
以前マリアは「魔王を期限内に倒せなかった勇者はこの地で一般の住民になる」と言ってはいたが、それは恨みを買わなかったごく一部の「もと勇者」の話なのだろう。それが証拠に、すぐそばを歩いているマリアがなにひとつ、話に異を唱えていない。
「まあ、あまり傍若無人なことをせずに一年を過ごし、『奴隷』たちとも友好的に過ごすことができた方は、この街を離れ、身分を隠してどこかに隠れ住んでおられますでしょうね。……中には、奴隷だった者の一人を伴侶になさっているかたもいらっしゃいます」
「そうなのですか?」
「ええ。ただまあそれは、もっとも『平和的』な場合です。かなり稀有なことでもありますわね──」
そうこうするうち、次第に大通りがさらに開けてきて、遠目に見えていたヴァルーシャ宮の尖塔が目の前に迫ってきた。
青い空に、人々を圧するように突きたった巨大な建造物。手前にはいかめしい大門と引き回された堀。そこに掛かる跳ね橋の上を商人の馬車や騎馬の兵士たちが行き交っている。
「……さて。参りましょうか」
少し立ち止まってそんな様子を眺めていた俺たちに、マリアが笑ってそう言った。