プロローグ
「あの……あの。大丈夫ですか? 勇者さま」
頭の上から、かぼそく可愛らしい少女の声がする。
(ユウシャ、様……?)
どうも聞きなれない単語が耳に入って来たことを、やっと脳が理解した。それから初めて目をうすく開く。まぶたを開く前から気づいていたが、周囲は明るい日差しがいっぱいの草原だ。
頭の側には、広葉樹らしい幹の太い木が生えている。
「あの……大丈夫ですか?」
もう一度、同じ声がしてそちらを見ると、声にふさわしいような可愛らしい顔をした少女がこっちを覗き込んでいた。
いや、おかしい。
よく考えてみれば、あれもこれもおかしかった。
少女は栗色の少し癖のある髪をおさげにして、日本ではめったに見ないような薄い灰色の瞳をしていた。着ているものも、ときどき弟が見ているような深夜帯のアニメに出てくる村娘そのままだ。
「ここは……」
言いながら身を起こそうとしたら、「あっ、あっ。無理をしないでください」と、少女が困ったように手で止めようとした。
確かに頭が少しふらつく気はする。が、気分が悪いというほどのことはなかった。
「いや、大丈夫だ。……済まない、ここはどこだろうか」
「え、ええっと……」
少女はさらに困った顔になり、大きな瞳に不安を乗せながらじっとこちらを見つめて来た。
「ハ、ハイド村のはずれです……けど」
「ハイド村?」
そんな村は聞いたことがない。「ハイド」がもしも英語なら、それは「隠れた」という意味なのかもしれないが。
「はい。……あの、あなたは勇者様なのでしょう……?」
「勇者? いや、違う。俺はそんなもんじゃ──」
言いかけて、身体がぎしりと変な音を立てたのに気づき、俺は自分の体を見下ろした。
(なんだ、これは──)
愕然とする。
俺は全身、見慣れない鎧に包まれていた。いや、それは正しくないかも知れない。なぜならそれは、俺がこれまで、ごくたまにやったことのあるRPGに出てくる西洋風の戦士のいでたちそのものだったからだ。
背中にはご丁寧に、大きな剣までかついでいる。どうも背中がごりごりすると思ったら、そのままでぶっ倒れていたかららしい。
濃紺に染められた金属らしい鎧は、思ったほど重くはなかった。俺は上半身を起こして座り込み、身体のあちこちを調べ始めた。ここに至る経緯をじわじわと思い出し、怪我の有無を調べようと思ったからだ。
「あ……の」
「ああ、うん。済まない。どうやら怪我はしていないようだ」
よくもあれで、無事に済んだもんだと思う。
(あいつは……?)
思わず周囲を見回したが、それらしい奴はいなかった。ここにいるのは、俺とこの少女の二人だけだ。
「済まない。ほかに、誰かいなかったか。俺以外の……男なんだが」
「えっ?」
少女が灰色の目をきょとんと丸くする。
「い、……いえ。私がここに来たときには、あなただけでした……けど」
もじもじと困った顔になった少女に、俺は片手を上げた。
「いや。それならいいんだ。……で? 『ハイド村』は分かったが、つまりここはどこなんだ」
「え? ええっと……」
少女が困り切っておろおろしだしたので、俺は質問を変えることにした。
「つまり、その。……どうも記憶があいまいなんだ。ここはなんという国だろう。少なくとも、俺が生まれ育った場所とは違う」
目線を上げて周囲の様子がわかってくるにつれ、その確信は深まった。
ここは小さな丘のようだった。ゆるやかな傾斜の向こうに、彼女の言う「ハイド村」らしい集落が見えている。どの家も屋根が低くて、ごく貧しいたたずまいだ。その周囲にちらほら見えるのは、牛や羊といった家畜の姿のようだった。さらにその向こうには、雪をいただいた高い山の峰々が雄大な姿でつらなっている。
夕刻が迫る時刻なのか、日は傾きかけている。オレンジに染まりだした空を背景に、なにか大きな鳥のようなものが数羽、羽根をひろげて悠々と飛んでいた。
こんな景色、俺の住んでいたコンクリートばかりの街には決してなかったものだ。
「今は何年、何月だろう。……俺はなぜ、こんな所にいるんだろうか」
そこで急に、少女はまっすぐに俺を見た。その灰色の瞳がきらきらと輝きを増す。そこにまぎれもない「希望の光」のようなものを見た気がして、俺は嫌な予感がした。
「あなたは、勇者様ですもの。そのお姿、お顔だち。今はディメトリオ歴308年、青の月、その朔日。お告げのとおり、今日のこの日にこの丘に降りてこられた。……本当に、修道女マリア様のおっしゃったとおりだったわ」
「マリア?」
だれだそれは。
そしてディメトリなんとかいう暦らしいものは一体──。
「誰も信じなかったけれど、私は信じていました。どうか、勇者さま──」
「いや、待ってくれ。何度も言うが、俺はそんなわけの分からんもんじゃない。ただの人間だ。名前はヒュウガ。日向継道」
「えっ。でも……」
「『ヒュウガ』でいい。そう呼んでくれ」
「ひゅ、ひゅうが……様」
「『様』はいらない」
「ええっ? でも──」
三度困った顔になった少女に向き直り、俺はその場であぐらをかいた。
「で? あんたの名は」
「わ、わたし……ですか」
「ほかに誰がいるんだ。名前も知らないのでは話がしにくい。良かったら教えてもらえないか」
そう言ったら、少女はさあっと首まで赤くなった。
なぜそんなことになるのか、皆目わからない。
わからないが、ともかく彼女はこう言った。
「ライラ……です。ハイド村のライラ」と。
そうして、さらにこう言ったのだ。
「わたし……わ、わたくしは、あなた様の奴隷です」
「……はあ?」
今度こそ、俺は完全に呆気にとられた。
できるだけ毎日更新していきます。
どうぞよろしくお願いします。