4 輪廻転生
その瞬間。
おおおお、と、虚空に人々の驚愕のどよめきが満ち溢れたような感覚があった。
「まさか……しかし」
「いや、でも……そんな」
そんな、何千、何万という人々の困惑した意識が空気に散り、交わって渦巻くのが手に取るように分かる。
マリアはその視線をぴたりと俺の顔に向け、女神の彫像のように生気のない、しかし柔らかな微笑みをうかべたままの顔でそこにいた。
《ご気分を害されたなら、申し訳ありません。しかし、今の自分は魔族です。それも、その長たる魔王なのです。そもそも魔族に創世神信仰はない。このぐらいの暴言は、どうかお許し願いたい》
《……ふふ。そうですわね。確かにそうです》
背筋をすっと伸ばした姿で、マリアは世間話でもするような軽やかな声でそう言った。俺は彼女の顔をまっすぐに見据えた。
《あらためて問います。……あなたは、いったい何者ですか》
《…………》
再び、女は黙り込む。
その時だった。
《埒あかねーな。ちょっといい?》
《真野? なんだ》
見れば、シャオトゥと他の将兵とともにドラゴンにのったマルコ……つまり、今は「真野」である少年が、さも面倒臭そうな目でこちらを見ていた。例によってピックルは、隣のシャオトゥの腕の中だ。
《飽くまでも仮説だから、黙っとこうかと思ってたんだけどさ。これじゃいつまで経っても話がすすまねえみたいだし?》
マルコの姿をした真野は、そこで「よいしょ」と自分の鞍から立ち上がった。胸の前で腕を組み、以前の魔王さながらのふてぶてしい態度でマリアを睨みつける。
《あのさあ。要するにお前らだって、オレらとおんなじなんじゃねえの?》
《なんですか? 侮辱して挑発なさろうと? でしたら、そんなことは無駄ですわよ》
マリアは平然としたものだ。
《ちげえっての》
真野はやっぱり面倒くさそうに、ばりばり後頭部を掻いた。
《違うってんなら、別にいい。けど、言うだけなら構わねえだろ? ……あんたらってさあ、つまり……あっちで生まれ損なった奴ら──ってことじゃねえの? ちがう?》
(なんだって……?)
俺は瞠目して、真野の顔を凝視した。
近くにいる、他の皆も同様である。
これまでほとんど変わらなかったマリアの表情が、そこではじめて一瞬だけ、ぴくりとひきつったように見えた。
《お。当たった? やっぱりそうか。うひゃひゃ、オレって冴えてるな!》
真野ひとりが、けたけたと得意げに哄笑している。
《待て、真野。どういうことだ。ちゃんと説明してくれ》
《わかったわかった。慌てんなって、日向》
真野はひょいと両手を上げて、のんびりと説明を始めた。
◇
もともと、こちらの世界には魔力を持つ者と持たない者が雑多に存在している。
それが、こちらからあちら──つまり、俺たちがもといた世界──へ行くと、ほとんどの者が魔力を失った状態になって生まれてくる。
なぜか。
《つまりこっちでの命が、あっちで改めて人として生まれるから……ってことだろうと思うんだよな》
人が一人生まれてくるには、凄まじいエネルギーが必要だ。母親はもちろんだが、それは赤ん坊だって同じだという。だから赤ん坊は、生まれる前にこちらの世界で何年も魔力を溜める。
「魔力を持つ者と持たない者」と言ったけれども、それは自分の魔力を操作できるかできないかという問題で、この世界にいる限り、それは周囲から自分に吸収されて、個人個人で保持しているものなのではないか、というのが真野の考えだった。つまりライラやレティのような「魔力を持たない」と思われている種族でも、つぎの人生へと移行するために必要な魔力は溜められている。
そうして生まれ落ちるそのとき、赤ん坊は溜めておいた魔力を大いに消費して、あちらの世に生まれ出る……のだろう、と。
《別にさあ。こっちの人間が、死ねば必ずあっち……つまり、オレたちがいた世界に行く、ってわけでもないのかもしれないけどさ》
《え? それは?》
《つまりさあ。世界は、あっちとこっちのふたつだけじゃない可能性が高い、ってこと。ついでに言うと、上級ドラゴンたちに関しては、この輪廻からは外れてるんじゃないかなとも思う。まあ、そう考える方が自然だしな》
《ふむ……》
俺は顎に手をあてて考え込んだ。
言われてみれば、それは色々と理に適っているような気がした。
あちらで事故にまきこまれ、半分死んだような形になってこちらの世界にやって来た俺と真野。聞けば、あのミサキも似たような顛末だったという話だった。
そうして逆に、こちら世界で命を失った者たちは、あちらの世界──真野の仮定が正しいなら、ほかの世界もあるのかも知れないが──へと生まれ変わる。つまり、弟の良介が言うところの「転生」というやつだろうか。
輪廻転生。
人が生まれ変わり、また死に変わって、未来永劫、違う人生を歩み続けること。
確かそれは、特に人になると限ったことでもなく、あるいは虫であったり鳥であったり、花であったり樹木であったりと、様々な形になるのであったはず。
もともとは仏教の教えだけれども、現在では良介の好きなゲームやライトノベルなどでもよく使われるモチーフでもあるようだ。
《まあ、その話はどうでもいいや。今は、あんたの話だからな》
真野が相変わらずの面倒くさそうな顔で、マリアを見ながら指でぐるりと空中に円を描いて見せた。
《生き物の命がそうやって、ぐるぐる循環しているとする。でも、そもそも生まれなかった奴、生まれ損なった奴はそうはならない……。そいつは、めちゃくちゃ中途半端な状態でこっちに戻って来ることになるんじゃね? つまり、生まれるときに消費するはずだった魔力をいっぱい残したまんま、こっちに戻ってくるわけだ》
《待て、真野。つまり、それは──》
俺は愕然として、少年の顔をした真野を見つめた。
それから視線をマリアに戻した。
が、思わず息を呑んだ。
(……!)
マリアは完全な無表情だった。
だが、これまでのような人を食った微笑はそこからは消えている。凍り付いた能面のような顔にあいたガラス玉みたいな双眸が、ひたと真野を見つめていた。
《……それが、何だとおっしゃるのです?》
その声も、平板で冷え切ったものに変貌している。
真野は彼女と反比例するように、にやにや笑いを顔いっぱいに広げていた。
《だからさ。あんたらは、『生まれ損なっちまった奴』なんだよ。もっと言えば、なんか他の、どうしようもない事情があって途中で死んじまった赤ん坊じゃない。要するに、アホ親の勝手な都合で──》
《お黙りなさい!》
唐突に、マリアの思念が爆発した。