5 護国のドラゴン
少年は、にこりと笑った。さも「困ったな」というような顔だった。
《ですから。あの者がひと足歩くだけでも、うっかりすると町や村がいっぺんにぺしゃんこになって全滅します。空気をひとかきして空へ舞い上がろうとしますれば、周囲のすべてを嵐が来たがごとくに吹き飛ばしかねません。後には何も残りますまい》
《…………》
なんと、そこまでか。
母ドラゴンでそうならば、古の父ドラゴンならどういうことになるのだろう。下手をすれば、この世界そのものが吹き飛ぶのでは。
呆気にとられて見返していたら、ヴァルーシャはまた笑みを深くしたようだった。
《それゆえ、私が実際に騎乗するドラゴンは、あれよりもっと小さな体のものを使用しているのが現状です。もっともあの者たちは、たとえ巨大な体をしておりましても、周囲を破壊せぬように移動する手段も持っておりますけれどもね》
《そうなのですか》
《ええ。実際、前回の魔王マノン急襲の折もそうでした。リールーをいつでも援助できるよう、あの者はずっと早くから地下を抜け出して、上空で待機していたのですよ》
《なるほど……》
さすがにそれには驚いた。
俺はあの時の、気高くも落ち着いた母ドラゴンの思念の声を思い出した。
《ありがとうございます。よく理解できました》
俺が少し頭を下げると、少年はくすっと少し笑ったようだった。
《ですから、此度はまことに驚いております。あなた様がそちらのドラゴンを介して、あの伝説のドラゴンの助力すら取り付けられたとお聞きして》
《……はあ》
《西のレマイオスも、東のティベリエスも、さぞや戦々恐々としていることでしょう。もしもうっかりとあなた様のお気に障ることをしでかせば、そのまま国ごとドラゴンに踏みつぶされるやもしれぬ。そんな風に、さぞや青くなっておりましょうね。そう考えると、なかなか愉快だ》
《いや、まさか。そのようなこと──》
《いいえ、ヒュウガ陛下》
そんなことをするつもりはない、と言いかけたのを、少年はあっさりと遮った。
《そういうことに、しておかれませ。……さすればあの両国が、うるさい剣突を食らわせてくることもありますまい。特に東のティベリエス帝国は、強力な軍事国家でもあります。余計な横槍は、入れさせぬが吉でありましょう》
《……なるほど。さすがのご明察です》
これはなかなか、恐るべき少年皇帝だ。
これらが周囲の臣下たちからの入れ知恵ばかりだとは、とても思われない。彼が彼なりに、自分の頭で考えてのことなのだろう。
その裏には、どんな血のにじむ努力が隠れていることか。
《実際、わが国がリールーの母親を護国のドラゴン、守り神としているのもそのためなのです。あの者が我が国を鎮護してくれている限り、両国からおいそれと妙なちょっかいは掛けられない。まして北には、あなた様以前の魔王を冠した、魔族の国まで控えていたわけですし》
《ですが、陛下。それでは、ティベリエスやレマイオスには、相応の護国のドラゴンはいないのでしょうか?》
《いや、もちろんおりますよ。ただそれは、我らの所の母ドラゴンの子や孫にあたる存在ばかり。そのあたりは人と同じ。面と向かって、実の母に歯向かう子もおらぬわけです》
《ああ、なるほど……》
聞いてみて初めて分かった。そんなドラゴン同士の事情もあったわけだ。
《でしたらそれこそ、父たる伝説のドラゴンには、どのドラゴンも刃向かうことはありえない、ということですね》
《はい。余程のことでもない限りは。むしろ喜んで協力を申し出るぐらいではないでしょうか》
《そうですか。では、今回の『マリア討伐作戦』上においても、期待が持てるということですね。心強いことです》
《そういうことになりますね》
ゆったりとした表情で少年が笑う。
《しかし、それもこれも、そもそもはあなた様が招き寄せた結果です。それゆえ此度は、まことに驚きを禁じ得ません》
《え……?》
《我が国の臣下らもみな、そう申しております。もとは勇者だったあなた様が、まずはリールーの心を開き、さらに魔王になってからもそちらのドラゴンと近しく交わられ……果ては、あの古のドラゴンにまで手を届かせられたというのですから。これは古今東西、人族にあっても魔族にあっても史上空前の出来事です。それは間違いがありません》
俺はやや訝しい気持ちになり、水晶の中の少年の顔をじっと見つめた。しかし、彼の声と表情には、嘘やお追従らしいものはないように見受けられた。
俺は先ほどよりも深く頭を下げた。
《……恐れ入ります。それもこれも、陛下をはじめ、様々な人々の無私のご尽力があったればこそ。自分としては、感謝の言葉もございません》
そのとき、俺の目線は無意識に、水晶をあやつっているギーナに流れたらしかった。ギーナがふと目を細めて微笑を返してくる。
それを見て、少年皇帝はふふ、と軽く微笑んだ。
《本当に、デュカリスがいつも言うとおりなのですね》
《は……?》
少年の言葉に少しひっかかって、俺は皇帝を見返した。
《どうも無自覚であられるようだが。あなた様は、どうやら国宝級の『人たらし』でいらっしゃいますよ。……まったくもって、羨ましい限りです。そればかりは、凡俗の私などがどう足掻いたところで、そうそう身に着く能力ではありませんのでね》
《いえ、陛下──》
が、少年は軽く片手を上げて笑いながら頷いただけだった。
そして水晶球による通信は、そこでぷつりと途絶えた。
俺はギーナの手を取って椅子から立ち上がらせた。この長丁場を、ずっと魔力を放出して水晶をあやつってくれたのだ。そんな態度は見せないけれども、彼女が相当に魔力を消費しているのは明らかだった。
「今日も世話になった。……大丈夫か、ギーナ」
「ああ、もちろんさ。こんなのは大したことない」
ギーナがにこりと微笑む。立ち上がるとすぐ、彼女は俺の手から自分の手を抜き取った。
このところ、ギーナは自分からは俺に近づいて来ようとしない。レティやライラが合流してからは、一層そうなったようだった。
以前のように、事あるごとに距離を縮めてこられるのは確かに困る。困るが、これはこれで何やら微妙な気持ちになるのはなぜなのだろう。
「魔力を随分消耗しただろう。少し、部屋で休んでいるといい」
その言葉には何の含みもないつもりだったが、ギーナはやや目を細めて俺を見上げてから、ふいと向こうを向いた。
「ありがとね。……そうさせてもらおうかな」
彼女がどんな顔をしているのかは見えなかった。ギーナはそのまま音もなく扉に近づき、するりと外へ出ていった。





