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4 失踪


 普通に考えれば、ありえないことだった。

 ハオランの部屋にはもちろんのこと、城全体にも、こうした不埒な行為を寄せ付けぬため、幾重(いくえ)にも魔術による結界が施されている。これを打ち破ろうとするならば、いわばあの(いにしえ)のドラゴン級の超越した魔力が必要になるはずだった。


「どうなってるの。一体全体、どういうことッ……!」


 キリアカイは度を失っていた。

 子供部屋にある赤子用の小さな寝台から忽然とハオランが消えたことで、女官たちは泣き叫び、身を投げ出して彼女に許しを乞うた。しかしキリアカイはその女官たちを大声で非難し、張り飛ばし、蹴りつけた。もはや半狂乱だった。


「どこへやったの。ハオランを、一体どこへっ……!」

「落ち着きなさい! キリアカイ」

 割って入ったのは、駆け付けたユウジンだった。

「いやっ! 返して、あの子を返してっ……!」

 激しく暴れるキリアカイの体を、ユウジンはしっかりと抱きしめた。彼自身、ひどく憔悴した様子だった。

「心配するな。今、兵らと魔導師たちが必死に探してくれている。ハオランには幼いながらも魔力があるんだ。それをたどれば、きっと見つかる」

 

 だが、ことはそううまくは運ばなかった。

 ハオランが行方不明になってから数日は、どうやらその魔力の痕跡のようなものをたどることができたらしい。しかしその後、足跡はぷつりと途絶えた。

 理由はおもに二つ考えられる。

 ひとつは、こちら側の魔力よりもより強力な魔力シールドによって、ハオランの気配を隠されている場合。

 そしてもうひとつは──


(いいえ。いいえ……! それは、それだけは決して、決して……!)


 キリアカイ自身、その先を心の中で言葉にすることさえ憚られた。もしもそんなことが起こってしまったら、自分を正常に保っている自信はまるでなかった。そうでなくてもハオランが失踪してからずっと、彼女は私室に籠って寝台にもぐりこんでいるばかりだった。完全な人事不省だ。

 何をする気も起きない。食欲もない。身づくろいもまったくできない。

 だというのに、与える相手のない乳ばかりが張って、その痛みが嫌が上にも、ここにはいない愛しい存在のことを彼女に思い知らせた。


 ハオランを探し、政務も放っておくわけにはいかず、ユウジンはいつも以上に多忙の身となった。それでも彼は時間をひねり出し、時々キリアカイを見舞ってくれた。その言葉で力づけ、抱きしめて、「決してあきらめるな」と真摯に勇気づけてくれた。けれども、愛する男の声も、キリアカイには何ほども届かなかった。

 むしろ、せっかく来てくれた彼を「疲れているから」とそっけなく追い返してしまうことも多かった。ただそれは、ひたすらに泣き暮らし、やつれてやせ細ったこんな自分を彼に見せたくない一心でのことだったけれど。


 やがて。

 遂にその声がキリアカイの頭に届いたのだ。


《ご心配召されまするな、お嬢様。御子様は、至ってお元気におわしますれば》

《まさかっ……。あなたなの? リュウカイ!》


 思わずがばと起き上がり、キリアカイはそばにいた侍女の目をはばかって、また寝床に潜り込みなおした。


《どういうつもり? ハオランをどうしようというの。すぐに返して! 今すぐにッ!》


 思念がもしも血潮をもつなら、それは滝のごとくに(ほとばし)っていたことだろう。もしも声を出していたなら、キリアカイの喉から赤いものが噴き出したはずだった。

 が、男の思念は憎たらしいほどに淡々としていた。


《先日も申し上げました。とある御方が、此度(こたび)もご協力くださったのです。そちらの厳重な魔力障壁を打ち破り、やすやすと御子様をこちらへ預かることができましたのも、すべてその御方のお陰にござりますれば》

《そんなことはどうでもいい! 返して、ハオランを返してっ……!》

《もちろんにございますとも》

 半狂乱になっているキリアカイを、男は飽くまでも「落ち着いてくださいませ」と宥める姿勢を見せた。その態度は、もはや憎々しいほどだった。

《ただ、お嬢様にはひとつ、我らからのお願いを聞き届けていただきたく──》


 その「お願い」は、恐るべきものだった。

 すでにキリアカイに対して心を許しているユウジンの飲み物か何かに、毒物を混ぜよというのだ。驚くべきかその品は、いつのまにかキリアカイの寝台の、枕の下にひそめられていた。

 そこをまさぐり、錦の小袋に包まれたものを見つけて、キリアカイは戦慄した。

 

(いったい、いつの間に──)


 いや、あのハオランを城内の寝所から連れ出せた連中だ。こんなものをひそませることぐらい、造作もないのかもしれないが。


《お嬢様があやつを始末してさえくださいますれば、すべて問題は解決いたしまする。すぐにもハオラン様はお手元にお戻し致しましょうぞ。お約束いたしまする。どうか、どうか、我らの願いをお聞き届けいただきたく──》


 男の思念は、もはや皮肉なほどに堂々としたものだった。

 自分たちは、自分の国を蹂躙した獣どもを駆逐し、国を取り戻すのだ。もとの地位と権力を、以前どおりに手中にするのだ。その「大義」のためならば、この程度のことは許される。この男がそう考えているのは明らかだった。

 しかし。


(このわたくしが、ユウジン様を……ですって? そんな……!)


 恐ろしくて恐ろしくて、体じゅうがガタガタ震えた。

 結局、キリアカイはなすすべもなく、ただ寝床に潜り込んだまま薬袋を握りしめ、まんじりともせずにその夜を明かした。


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