4 詐術
「……正気の沙汰とは思えませんな。キリアカイ殿」
言いながら、俺は脳裏で素早く今後の展開を考え始めた。
それと同時に、ガッシュとの回線を開く。つまり思念での交信だ。
「自分の隣にいるこの女性を、いったい何だと心得ておいでです。彼女の前で、左様な女性がたを『献上』なさるというのですか。ご経験の豊かな女性だとおっしゃるのなら、もう少しばかり人の人情の機微について慮っていただきたい」
「……あら。あらあらあら!」
途端、女は喜色満面な顔を取り戻した。
指輪だらけのぷっくりした指で口元をおさえ、ギーナと俺とを楽しげに見比べる。
「これは大変に失礼をいたしました。左様でございますわね。大切なお妃さまの前で、とんでもないことを致してしまいましたわ。どうかどうか、配慮の足らぬ臣をご容赦くださいませ、陛下。お妃さま」
ちっとも反省の意など載せていない態度と声音で、べらべらとまくしたてる。にまにまと笑うその目元が、まことに卑しくて見ていられない。
隣にいるギーナも、もう完全に呆れかえって半眼である。
「分かりましてございます。この者たちは、一旦引き取らせていただきますわ。この者たちの待遇につきましては、また後ほどご連絡させていただきましょう──」
「いえ。左様なことはご無用です」
言って、俺はついと立ち上がった。
同時に、ヒエンも立ち上がる。実はすでに、この会話の間に、ガッシュを介して二人には指示を出してあった。ギーナは卓の下で密かに例の煙管を握っている。
俺は腰の<青藍>に手をかけて言い放った。
「魔王に対して斯様な無礼をはたらいた女人たちには、みずから処断を下しましょう。……ヒエン」
「は」
俺と同様、得物に手を掛けたヒエンが、俺とともにずいと前に出る。
「えっ? 陛下──」
キリアカイがぎょっとなって目を瞠った。と同時に、彼女の周囲に立っていた男たちがさっと彼女を取り囲み、得物に手をかけて身構える。殺気をみなぎらせ、今にも抜刀しそうな構えだ。
「なっ……、何をなさるのです! あ、あたくしは、ただ──」
女が何か言っているうちに、俺とヒエンはどんどんそちらに近づいた。が、キリアカイたちの場所は素通りし、抜刀したままその後ろ、扉近くに立っていた女性がたに大股に近づいていく。
「ひっ……」
「きゃああっ!」
女たちが悲鳴をあげて互いに抱き合うようにした。
俺とギーナがその瞬間、息を合わせて<幻術>を発動させたことに、キリアカイとその従者たちが気づくことはなかっただろう。俺と彼女の魔力を合わせれば、たとえキリアカイの目だとてこれを見破ることは難しいはずだった。ましてや、今は急なことで驚いて、気を集中させる暇もなかったはずだ。
俺とギーナの<イリュージョン>による、目には見えない「霧」が周囲を包む。
そのタイミングで、俺とヒエンは刀を振るった。びゅん、と刀身が空を斬る。
もちろん、女性がたに当てたりはしない。ただの素振りだ。
ただし、それと同時にキリアカイたちには別のものが見え、聞こえているはずだった。
飛び散る血潮。女たちの断末魔。
首が飛び、床が血に染まり、白目をむいて倒れた体──。
まあ、大体はそんなところだ。
「なっ……なな、なにをなさるのですッ、陛下……!」
キリアカイは、どうやら腰を抜かしているらしい。周囲の男たちが両側から彼女を支えてどうにか立たせている。女はもともと青い顔をほの白くさせ、つまり青ざめて、赤い唇を震わせている。
俺が刀身についた血糊を払うようにしてから向き直ると、キリアカイは「ひいっ」と変な悲鳴をあげて男らの後ろに隠れるようにした。
「こっ……こんなことをなさって! あ、あたくしの──」
「なに。無礼を働いたのはこの者らでしょう。貴女を糾弾などは致しませんよ。……片付けろ」
ぱちんと<青藍>を鞘に戻して、部屋の隅から一部始終を見ていた宰相ダーラムに目配せをすると、老人はすっと一礼し、青ざめた顔をしている召し使いらに目だけで命じて、静かに女たちを連れださせた。もちろん、彼女らに「どうかお静かに」と囁くことは忘れない。
女たちは何が起こったのかも分からずに互いに目を見かわしていたのだったが、ダーラムに促され、黙って外へ出て行った。
一連の出来事は、当然ながらキリアカイたちが認識しているものとは異なっているはずだ。キリアカイとその一行には、召使いたちが女たちの躯を取り片づける様が見えているはずだった。
と、ギーナが席から立ち上がった。片手で口を押さえている。
「……気分が悪い。あたし、もういいかい? ヒュウガ」
「ああ。不快なものを見せて悪かったな、ギーナ」
ギーナはそのまま、自分付きの女官を伴って王族用の扉を使って出て行った。実は彼女には、ここから大いに働いてもらう仕事があるからだった。
これからギーナは大急ぎで先ほどの女たちに会う。そしてガッシュと共に、彼女たちの親類縁者を救いに飛ばねばならないのだ。恐らくはこの女たちも、自分だけでなくその家族や大切な人々の命そのほかを盾にされている可能性が大だからである。
「……さて。キリアカイ殿」
俺は意識的に笑顔を作って、男たちに囲まれたまま、まだ震えている女のほうへ振り向いた。それはさぞや、不気味な笑顔にうつったことだろう。
女はびくっと竦みあがった。
「ひいいっ……!」
「せっかくの貴重な献上品を、おのれの一時の感情に負けて勝手に害してしまい、まことに申し訳なきことにございました。若気の至りとお笑いください。代わりといっては何ですが、こちらの宝物庫から代替えになる品をいくつか差し上げますほどに。どうぞお納めくださいませ」
「はっ……? え、いえっ……!」
「さ。どうぞ、こちらへ。せっかくの機会ですし、ご自身で品定めをなさりたいでしょう。自分についていらしてください」
言って先へ立って歩こうとして見せたら、女はぶんぶんと首を横に振った。その目は先ほどから、俺の腰にある<青藍>をギョロギョロと見つめている。相当に恐ろしいのだろう。綺麗に整えられていたはずの髪は崩れ、乱れていく筋も顔に落ちかかっていた。
「けっ……結構ですわ。あ、あたくし、本日はまだ、領地で所用を残しておりますの。魔王陛下には申し訳ないのでございますが、これにて、し、失礼を──」
真っ青な顔でそう言い残すと、女は男たちを従えて、這うほうの体で逃げていった。





