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2 四天王キリアカイ


 魔王城に戻ってみると、その女はもうとっくに応接の間で待ち構えていた。各地の四天王とそのお付きの者ら全員を一度にもてなしても十分に余裕のある、天井の高い大広間である。

 女はすでにひと通りの食事を終え、食後の酒杯を手にしていた。すでにここまでで、各種の料理によって十分にもてなされていたらしい。彼女の目の前には様々に趣向をこらし、豪華に盛り付けられた料理の乗った皿がいくつも広げられていた。

 これらはすべて、宰相ダーラムの差配で供されたものだろう。なかなか機転の利くご老人だ。ちらりと目をやれば、当のダーラムが部屋の隅からこちらへ黙礼しているのが見えた。


「これはこれは。お待ち申し上げておりましたわ、魔王陛下」


 入ってきた俺の顔を見ると、彼女は満面の笑みで立ち上がり、慇懃(いんぎん)な一礼で迎えてきた。

 女の周囲には、その側近や従者らしい青年が数名立っている。種族はまちまちで、蜥蜴族(リザードマン)もいれば狼顔をした狼族(ウルフマン)、さらにダークエルフもいた。

 いずれ劣らぬ美丈夫やら偉丈夫ばかりだ。

 俺は彼女に向かって一礼すると、ギーナやヒエンたちとともに卓の上座に着いた。女も再び頭を下げる。すると、豊かな髪とマントがゆらりと揺れた。


「お待たせしました、キリアカイ殿。遠路をわざわざのお越し、感謝します。不在にて失礼を致しました。御用とあらばこちらから出向きましたものを」

「あら。とんでもないことでございますわ、陛下。陛下に左様なご足労をおかけするわけには参りませんもの」


 オッホホホ、と奇妙に高い笑声をたてて、キリアカイは真っ赤な唇を三日月の形にした。

 四天王の一人、キリアカイは、濃いめの青い肌に蜂蜜色の長い髪をもつ妖艶な美女である。幾重にも重ねられた豪奢な絹地の衣に豊満な身を包み、頭も首も手首も、これでもかと大粒の宝石で飾り立てた厚化粧の女だった。

 同じように艶麗とはいっても、これはギーナとはまったく違う種類の女だ。見た通りそのままの、宝飾品や金銀財宝といったものに目のない、まさに強欲の女人である。非常にがめつく、吝嗇(りんしょく)で、領民からの税の搾りとり方たるや、他の三名などはるかに及ばぬほどの苛烈さだと聞く。

 ねっとりと俺を見つめるその瞳の周りには、恐らく実際の大きさよりも何倍にも見えるようにするための凝った化粧がほどこされている。しかし肝心の瞳の色はひどく濁っていて、ちらちらと応接の間の内装やら、調度品を品定めしているのが明らかだ。

 ひと言でいって、品がない。正直、あまり近寄りたくないタイプである。


 ダーホアンの配下には財欲と色欲の魔人が多かったのだが、対するこちらキリアカイの配下にも、やはり主人と同様の趣味嗜好の徒が集まっているらしい。まったく、同じ穴の(ムジナ)とはこのことである。

 俺が魔王になった時、即位の儀を寿(ことほ)ぐためにやってきたときから、この女はずっとこんな調子だった。


「このたびは、あの西のダーホアンをご罷免なさったとの由。汚らわしい淫魔のごときブタ野郎を始末していただきまして、あたくしもこれ以上の喜びはございませんわ。この胸が本当に、スーッといたしましてよ? それでこうして、御礼をお伝えしに参ったのです」

 女は豊満すぎる自分の胸元に、指輪の食い込んだ太い指をあてて目を閉じてみせた。

「……それはそれは。わざわざ(いた)み入ります」

 随分と耳の早いことだ。

 ということは、この訪問の大半の目的は、もうわかったようなものだった。


「ところで、陛下。(ちまた)には、陛下があのブタ男の領地をルーハンの腰巾着に投げ与えておやりになったとの噂がございますけれど。それはまことにございましょうか」

「ええ、はい。ルーハン卿は飽くまでも『一時預かり』とおっしゃいましたが。ただ今はその側近であるフェイロンが、かの地を統治しております。相当な苦労だと思いますが、なかなかしっかりとやってくれているようです」

「んまッ! 陛下!」

 淡々と答えた途端、女の両眼がカッと開いた。

「あたくしに何の相談もなさらずに、左様に大切なことをお決めになって……! なんて情けないことをッ!」

「と、おっしゃいますと?」

「おふざけにならないで下さいまし。ブタ男の領地は、あたくしの領地のすぐ隣でもあるではありませんか? なぜルーハンにはお与えになって、あたくしにはほんの(たなごころ)ほどの土地も、たった一人の領民もお分けくださろうとはなさらなかったのでしょう」


 唾をとばさんばかりに早口でまくしたてているというのに、目の前の酒や料理が同時にどんどんその口の中に消えていくのは、もはや滑稽を通りこして完全な喜劇だった。

 しかも、まったく笑えん喜劇だ。

 俺は半眼でそれを見ていた。


「……陛下は、あたくしがお嫌いなの?」

 じっとりと舐めるような視線が全身に絡みつくのを覚えて、首筋が粟立つ。

 大体、なんだその質問は。まったくもって、気持ちが悪い。

「いえ。そういうわけでは」


 ギーナとヒエンは俺の両隣に座り、さきほどからずっと沈黙したまま、冷ややかな目で女を見ている。

 そもそも、せっかくあのダーホアンの魔の手から解放せしめた土地と領民を、こんな女の手に渡してどうする。

 この女とて、女性を囲いこそしなくとも、重税の納められない貧しい家の子女を平気で色街へ叩き売らせて来た奴だ。見目のいい男であれば、自分の後宮へと引き入れることもあるようだけれども、基本的には花街へやって、その体でできるだけの金子を稼がせることこそ第一。

 領民たちは、そうでなくともこの北の痩せた土地にかじりつき、食うや食わずの毎日の中、必死に農作業や工芸品を作る作業で身を粉にして働いているというのにだ。この女はそんな領民の声を一度でも聞き、その過酷な生活をひと目でも見たことがあるというのだろうか。

 民たちの話では、この百年ばかり、北東の地ではずっとそんな「強欲魔女による統治」が行われて来たという話だった。いやそれは、もはや「統治」という名の搾取だろう。そんな女に、田畑の一枚、領民のひとりたりとて、与えるわけには行かなかった。


「お言葉ではありますが、キリアカイ殿」

 俺は目の前の茶器にひと口だけ口をつけてから言った。

「要は、統治のありようの問題なのですよ。……あのフェイロンという男、なかなかの切れ者でしてね。さすがはあのルーハン卿子飼いの者だけのことはあります。民をいかに統治するかはもちろん、財政の工面等々についても、非常な知恵と知略、さらに決断力と胆力をも持ち合わせているらしく」

「はあ……?」

 とんちんかんな返答を聞いた者そのままの顔をして、キリアカイは綺麗に整えた眉をぴくりと上げた。まったく意味がわからないらしい。これはもはや、霧に向かって話をしているようなものだった。

「若輩の自分も、これから彼の統治のやりようを見て、多くを学ばせてもらおうと考えておりまして。よろしければ、キリアカイ殿もご一緒にいかがでしょうか。彼の手腕を見学に参られるならば、自分も喜んで同行いたしますが」

「なにを──」


 軽く笑ってそう水を向けてみれば、女は急に顔を真っ赤にした。ほんの一瞬沈黙し、ぶふうと太い鼻息を吹き出す。

 激昂したのが明らかだった。



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