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1 情報戦


「本当に、あれでよかったのかねえ」


 魔王城に戻るガッシュの背の上で、ギーナは気づかわしげに俺を見ながらため息をついた。例によって俺の前に座り、しっかりと俺の身体に腕を回した姿勢である。背後にはちょこんと、シャオトゥも乗っている。


「ん? 何がだ」

「だって、そうじゃないか」

 やや不満そうに俺を睨んだその目は、ちょっと恨めしげにも見えた。

「本当なら、ルーハンの言った通りなんだ。あのダーホアンの領地だって、本来、ヒュウガのものになるべきだったんじゃないのかい。ルーハン卿はともかく、あのフェイロンがそこまで人望があるとは思えないしさあ──」

「そうかもしれないが、一度あそこまで荒れてしまった領地内の風紀を正すというのは、並大抵のことじゃないだろう。かなりの手腕が必要のはずだ。今の俺に、そこまでの暇も能力もあるとは思えないしな」

「……そうかねえ」

「まあ、フェイロン殿のお手並み拝見というところだろう」


 実際あのあと、フェイロンはかなりよくやっているように見えた。

 まずは、自分の意思に反して集められていた女たちに自由を与え、戻りたい者には早々に暇を出した。道中が危なくないように、きちんと護衛の兵らまでつけて送り届けさせる心遣いまでしてだ。

 とはいえ、女たちの事情はさまざまだ。一度夫や恋人のもとから引き裂かれて連れてこられた女の場合、その相手に元通りに迎え入れられるとは限らない。実際、嫁ぎ先の家から戻ることを拒まれたという、気の毒な女も多かったようである。

 フェイロンはそうした者には邸での女官としての仕事を与えた。かの男は例の(たぐい)なき美貌でふっと笑みを浮かべ、「まあ、これは、ただの魔王陛下の()()()にございますが」と、さらりと言ったものだった。

 彼は次に、あのダーホアンのもとで腐敗しきっていた重臣たちをつぎつぎに罷免した。そうして、身分にかかわらず能力とやる気のある若者たちを大いに引き上げて要職に就かせ始めていた。

 思ったとおり、彼は間違いなく「顔だけ」の青年などではなかったのだ。


(さて。……次だな)


 ガッシュの背中の上で、俺はまた考えを巡らせる。

 実のところ、それもこれも、俺の最終目標のための布石に過ぎない。こんなのは、そのほんの端緒に就いただけのことなのだ。

 と、俺の思考の中に楽しげな思念が入り込んできた。


《やっぱ、あれか? 北東かよ、ヒュウガ》

《ん? ……ああ》


 もちろん、ガッシュだ。

 北東の領主、四天王キリアカイ。

 あの者をまずどうにかせねば、その先の目標には到達できない。

 それについては先日の密談で、ルーハンとゾルカンの意向待ちということになっている。


《そっちは大丈夫なんじゃね? なんかあの獅子顔のおっさん、顔だけ見てるとわかんねーかもだけど、かーなーり、ヒュウガのこと気に入ってるしさー》

《え? そうなのか》


 思わず目を巡らせて、少し後ろからついてきている赤黒いドラゴンを見る。ヒエンのものだ。今は一緒に、マルコとピックルも乗せている。

 いかつい獅子顔の男、ヒエンの表情は、いつもと変わらず無のままだ。ちなみにマルコは、眠っているとき以外は真野が現れることもなく、普通の可愛らしい少年に過ぎない。ピックルが嬉しそうにその腕に抱かれている。


《そーだぜー? あいつ、そりゃあゾルカンのこと、裏切ったりはできねえみてーだけどさあ。子供(ガキ)のころからの借りがいっぱいあるみたいなんだよなー。まっ、そこはしょーがねえだろうけどー》

《そうなのか》

《おー》

 ちゃんと聞いてみたことはないが、ヒエンにはヒエンで、これまでなにかと苦労してきた過去があるのかも知れなかった。

《でも、ここんとこの色々で、あいつ、ヒュウガのことめちゃめちゃ好きになってるみてえよー? 尊敬してるっつうか、一目おいてるっつかさー。うっひひひ。ざまーみろだよなー》

《……なんなんだ、その笑い方は》


 俺はちょっと顔をしかめた。

 そもそもそれは、誰に対する「ざまあ見ろ」なんだ。


《さっすがヒュウガ。オレが見込んだだけのことはあらあ。いよっ、この人タラシ魔王!》

《こら。いい加減にしろ》

 お前は江戸っ子ドラゴンか。

《ほんとだぜ? オレが言うんだから間違いねえよ。だからゾルカンには、あの獅子のおっさんを通じて話を通しとけばいいと思うぜー。あれこれ、うまいこと言ってくれそうだもんなー》

《ああ。そうであってくれることを願ってる》

《モンダイは、『創世神』野郎の情報集めのほうじゃねえ? そっちはうまいこといってんのー?》

《ああ、それなんだが》


 あの後、俺とギーナは自室に引き取り、あらためて南側の人々と水晶球を通じて連絡を取り合った。

 まずは、もと「緑パーティー」のフレイヤ、サンドラの協力を得てレティやライラ、さらには「赤パーティー」のガイアたちと話をしたのだ。

 皆は今回の魔族側の顛末を聞いて驚きを隠せない様子だったが、その後の「創世神討伐作戦」について聞くと、さらに驚愕したようだった。ただし、後半については完全に極秘に進めなくてはならないため、あらかじめ時間を約束しておいた上で、ドラゴンたちを通じての話になった。


 ドラゴン同士は、ドラゴンだけの特殊な<念話>をおこなうことができるらしい。だから俺たちの密談は、主にガッシュとリールーを介して交わされている。

 リールーは今でも自分を「ヒュウガのドラゴン」だと自負しているらしいけれども、今は一応、フレイヤの騎獣ということになっている。それは俺からも、あちらの少年皇帝ヴァルーシャに頼み込んだことだった。


 そんなわけで、今、あちらの仲間たちはマリアとその周辺の情報を秘密裏に集めることに余念がない。マリアの「配属分布」、これまでの歴史、能力、それぞれの王家や政府への食い込み方などなど、細かな情報を集めて記録してはこちらに伝えてくれているのだ。

 なにしろ、マリアはこちら側にはほとんど出没しない。畢竟(ひっきょう)、特に最近の動向については、あちらの情報に頼らざるを得ないのだ。

 南側については以前と同様、あの魔族急襲をおこなって以来、どこにも出没していない。俺という魔王が健在であるにも関わらず、新たな「勇者」が現れたということもない。つまり、一見平穏に見えるのだそうだ。

 とはいえ、あの女のことだ。沈黙していることそのものが、ただただ不気味に思えるのは俺だけだろうか。俺にはそれが、単なる雌伏だとしか思えないのだが。


 ちなみに、ヴァルーシャ帝とその近衛騎士団であるフリーダ、デュカリスに対しては、まだ「創世神討伐」についてまでは話していない。

 早々にこんなことを話してしまえば、あちら側で政治的な思惑が錯綜するのは必至だからだ。ヴァルーシャの隣国である東のレマイオス共和国にしろ、西のティベリエス帝国にしろ、権益が絡むとなれば何を言い出すか知れたものではない。

 こちら魔族側が政治的に混乱しているのに乗じて、それこそ適当な名目をでっちあげて軍事侵攻を掛けてこないとも限らないのだ。俺としても、この際、余計なファクターはなるべく排除しておきたかった。


(……まったく。頭が痛い)


 あちらの世界で、単なる一介の高校生にすぎなかった俺が、今やこんな世界で魔王になり、各国のパワーバランスについて頭を悩ませねばならなくなるとは。ちょっと前なら、想像もしなかった事態である。

 と、そう思ったときだった。

 頭の中で、ガッシュの至って暢気(のんき)な声が響いた。


《ヒュウガー。いま、王宮にいる他のドラゴンから連絡がきた。なんか、あっちから来てくれたみてえだぜー?》

《あっち?》

《だーから。あいつ。北東のキリアカイが、手下どもを引き連れて王宮に来てやがるんだってよ。噂をすればなんとやら、だな。なんか、すげえ鼻息らしいぜー》


(なんだって──)


 俺は思わず、遠方に見えてきた魔王城の尖塔群をぎゅっと見つめた。



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