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1 雪の村


 数日後。

 シャオトゥの状態が少し落ち着くのを待って、俺たちは四天王・ルーハン卿の領地の北方を目指して飛んだ。

 表向きはともかくも、魔王が四天王の領地に無断で入り込むことは歓迎されない。そのため事前にルーハン卿には、フェイロンを通じてその旨の通達をおこなっている。

 今回の目的地は、先日北西の四天王・ダーホアンの領地からなだれこんだトロルやオーガによって蹂躙されたという、シャオトゥの故郷の村だった。


「あそこです。あの丘と、西側の山との間のあたり……」


 ガッシュの背中の上で、俺とギーナの隣に座ったシャオトゥが指さす先に、その村──いや、村だった場所──は、あった。ルーハンの領地の中では、十分辺境と呼んでいい地域だった。

 今回、俺たちはドラゴン三頭でこちらに来ている。ヒエンとフェイロンが、それぞれ自分の騎獣で来ると言ったからだ。

 ガッシュには俺とギーナ、そしてシャオトゥとその世話係の女官が一人。ヒエンのドラゴンにはマルコとピックル。フェイロンは、本来であればシャオトゥを連れていてしかるべきところなのだが、シャオトゥ本人がこうすることを望んだのだ。

 ちなみに、彼女には自分の父母にもらった本来の名前があるはずだった。だが「どうかそのままお呼びください」と言葉すくなに言ったのみで、本名を教えてくれることはなかったのだ。それで仕方なく、そのままこう呼んでいる。

 俺が下降を指示すると、三頭のドラゴンは滑るようにその村の跡へと降りていった。


 シャオトゥのいた村は、すでに無残に破壊されつくしたあとであり、季節がら降り始めている雪に、半分埋まりかかっている状態だった。いや、むしろシャオトゥには、そのほうが良かったのかも知れなかった。

 ここでつい最近おこった悲惨な阿鼻叫喚のすべてを、雪は冷たく、やさしく包んで、彼女の目から隠してくれているようだった。

 そこには今では、あの事件の時に火をつけられたらしい家や家畜小屋の残骸があるばかりだった。生き物の気配はちらともしない。ましてや、シャオトゥの仲間である兎族の姿はどこにも見えなかった。ルーハンが言ったとおり、彼女の仲間はすべて襲撃者によって殺されてしまったのだろう。

 襲撃者はその恐るべき食欲を満たすため、彼らの亡骸(なきがら)ですらも食い尽くしてしまったのに違いなかった。


 シャオトゥはガッシュから降り立つと、しばらくは呆然と、もと自分の村だったその場所を見つめて立ち尽くしていた。

 やがて、ある方向へふらふらと歩いて行くと、とある場所で立ち止まった。そうしてそのままうなだれて、自分の足元をじいっと見つめていた。


「……ここに、あたしの……家が」


 彼女の足もとには、何もなかった。家の柱だったらしい真っ黒に焦げた大小の木材が、斜めに倒れて雪をかぶっているだけだ。


「ここが……(かまど)。母さんの、雑穀と野菜のスープ……とても美味しくて、大好きで……」

 真っ赤で虚ろな瞳が、ゆるゆると周囲を見つめて動いていく。

「父さんと兄さんはこっちで、いつも夜には縄をなっていて」

「姉さんは針仕事がとっても上手。いつか、ちゃんと教えてもらおうって、あたし……」

 シャオトゥは、まるで夢遊病者にでもなったようなぼんやりした目をして、独り言のように話し続けている。

「リャンリャンは、父さんに作ってもらったお人形で、いつもここで遊んでて」


 それが、だれのことかは分からなかった。

 名前の感じからして、恐らくは妹かなにかだろう。


「父さん……母さん。兄さん、姉さん……小さなリャンリャン──」


 その途端。

 凍り付いていたシャオトゥの表情がくしゃっと歪んだ。


「うわ……ああ……。あああああっ……!」

 

 かと思うと、次にはもう、彼女は絶叫するような声をあげた。血の出るような声だった。彼女の世話係である女官がその細い肩を抱き寄せたが、あまり意味はないようだった。

 何もなくなった白い場所に、彼女の泣き叫ぶ声だけがわあわあと響き、風にまぎれて散りぢりに消えていく。

 俺たちは、雪景色になった村の残骸の真ん中で、黙ってそんなシャオトゥを見つめて立ち尽くしていた。寒風がびゅうびゅうと唸りをあげて吹き付けてきて、細かな雪の粒がぱしぱしとみんなの衣や頬に当たった。


 ひとしきり泣いて、やがて少女は静かになった。

 女官に抱かれたままその場にしゃがみこんだシャオトゥに、俺はなるべく足音をたてないようにして近づいた。彼女のそばに片膝をつく。


「……シャオトゥ。ほかに、何かないか」

「…………」

 涙でぐしゃぐしゃの顔をしたシャオトゥは、しゃくりあげるだけで何も答えられないようだった。細くか弱い肩が、ただぶるぶると震え続けている。

「ここに、連れてくるだけで良かったのか? ……ほかに、して欲しいことはないだろうか」

「…………」

「できることがあるなら、言ってくれ。……俺が、魔王であるうちに」


 あとからあとから(こぼ)れてくるものはそのままに、シャオトゥは大きな目をまんまるにして俺を見た。

 そうして、突然俺の胸元に両手でつかみかかってきた。


「……て、くださいっ……!」


 少女のものとは思えないほど、それは凄まじい力だった。

 シャオトゥは俺の胸にかじりつき、ほとんど睨みつけるような目で俺を見つめている。その目を見るだけでも分かった。彼女の叫びはみんな鋭いナイフに変わって、俺の胸を直接掻きむしるようだった。


 もう二度と、こんなことがないように。

 こんなことで泣く人が、これ以上ひとりも出ないように。

 彼女の望みは、ただただそれだけのはずだった。


「おね……がいです。魔王さまっ……! おねがい……おねがいいいいっ!」


 そのまま俺の胸にうずめるようにされたシャオトゥの頭を、俺は思わず抱きしめた。

 背後にいるギーナの()が、一瞬なんともいえない色になったのを感じたが、今はそうしないわけにはいかなかった。


「わかった……。約束する」


 小さな雪つぶの渦を巻き込んで、周囲をごおお、と冷えた嵐が包み込んだ。



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