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5 シャオトゥ


「この者が……なんだというのでしょう」


 俺はある程度の返事を予測しつつも、押し殺した声でルーハンにそう訊ねた。

 ルーハンは薄い笑みをくずさないまま、やや困った風に首をかしげた。


「まあ、ご不要とのことでしたら別の物も準備いたしておるのですが。まずは陛下に、こちらの献上品をご覧いただいてからと思いまして」


(献上品……だと?)


 あきらかに生きた人を献上する、そのこと自体、大いに道義上の問題があると思えるのだが。しかしここは、俺がもといた世界ではない。ましてや悪逆非道と言われる魔族の世界だ。こんなことは、日常茶飯事なのかもしれなかった。


「お断りいたします。左様なものを頂くいわれがございません」

「……左様にござりまするか。これは申し訳もなきことを」

 ルーハンはしれっと言ったが、部下たちに少女をあちらへ連れて行けとは命じなかった。

「ですが、残念にございますな。あなた様のお眼鏡に叶いますれば、この者ももう少しは命をつなげたでありましょうものを」

「……どういう意味でしょうか」


 俺は正直、その先を聞きたいとは思わなかった。が、ルーハンは俺の表情を逐一観察するような目をして、相変わらずの微笑をたたえたまま、どうということもない口調で淡々と述べた。


「あなた様からお断りされましたら、かの者はすぐさま、先の戦闘で勲功のあったトロルやオーガどもに下賜(かし)されることが決まっておりますもので。ご存知でございましょうが、なにしろあやつらの本能は恐るべきもの。すでに相当に搾取され尽くしたあとではありますが、もはや骨も残さずに()()()()ことにございましょうから」

「…………」


 俺はぎりっとルーハンを睨みつけた。

 何を言う。彼女をここまで食らい尽くしておきながら、まだこれ以上の残虐をもって死ぬまでしゃぶりつくすつもりなのか。

 ちなみに先の戦闘というのは、南の軍勢が北壁を越えて来たときのものだ。魔族の地の南西をあずかるルーハンは、西側から侵入してきた連合軍をある程度迎え撃ったという話だった。そこで、例の「下級魔族軍」を使ったということなのだろう。

 俺の眼光に動じる様子もなく、ルーハンは軽く咳払いをしただけだった。


「誤解なさっていただいては困りますな。かの者は、我が家に連れてこられました時にはもう、斯様(かよう)な状態にございました」

「なんですって──」

「事実にございまする。その者のいた兎族の村は、奴らによって蹂躙され申した。どうやら北西のダーホアンがトロルやオーガどもの『柵』をゆるめたらしいのです。まあ、いい加減なあの者らしいことです。忌々しい話ですが、こんなことはしょっちゅうでしてな」

「……そうなのですか」

「我ら側の警備隊が到着したときにはもう、生き残っていたのはその者だけになっておりました」

「…………」

「そこから体の傷については<治癒>をほどこし、食事をさせて、手厚い看護をさせ申した。それでようやく、今の状態まで戻ったところにござりまするよ」


 本当だろうか。

 いや、にわかには信じがたい。


「やむを得ませぬよ。いかな<治癒>魔法といえども、心にできた傷までは治療しかねるものにございますれば」

「…………」


 俺は口の中に苦いものが広がるのを覚えながら、目の前にいる兎族の少女を見つめた。彼女は相変わらず、ぼんやりと虚空を見つめているだけだ。そこに理性の光は見えなかった。

 ちらりと隣を見れば、ギーナも俺と似たような顔になっている。彼女にしてみれば、俺などよりもずっと親身にかの兎の少女の身に起こったことを感じられるのだろうと思った。

 ギーナは俺の視線に気づくと、ほんのわずかに頷きかえしてきた。俺はそれに頷いて見せてから、ルーハンに向き直った。


「了解しました。せっかくのお心遣いです。ありがたくお受けいたしましょう」

「それは何よりでした」


 すっと(こうべ)を垂れてルーハンが笑う。

 同じように一度頭を下げてから、脇にいたフェイロンが軽く手を上げて武官たちに合図した。兎の少女の身体に掛けられていた首輪や手枷ががちゃがちゃと外されていく。

 少女は自由の身になっても特段、表情を変えなかった。その場に両膝をついたまま、ぼんやりしているだけだ。

 ギーナがさっと四阿の段を降りて少女に近づき、自分のまとっていた薄紫色のマントを彼女の肩に掛けてやった。ギーナの手がマントごしにわずかにその体に触れたとき、はじめて少女はびくっと体をこわばらせた。が、その目にやっぱり表情らしいものは何もなかった。

 俺は一応、ルーハンに訊ねてみた。


「申し訳ありませんが。彼女の名はなんと申しますか」

「……さて。わかりかねまする。何しろ、ここへ来て以来ひと言も発しないようなので」

「左様ですか」

「どうなのだ? フェイロン」

 そう言った主人に向かって少し頭を下げ、フェイロンが控えめな声で答えた。

「は。さすがに名無しでは不便ですゆえ。こちらで勝手に、『シャオトゥ』と呼んでおりました」

「……そうですか」


 「シャオトゥ」というのは、このあたりでは「小さな兎」ぐらいの意味であるのだという。フェイロンは東洋系の整った美貌をほとんど動かさないまま、淡々とそんなことを説明した。

 と、ルーハンがさりげない口調でそれに続けた。


「まあ、こんな状態の者でございますし。あれこれと手が掛かっても申し訳ございませぬ。ゆえにこちらからも世話係を一人(いちにん)、付けさせて頂きまする。それでもよろしゅうございましょうか、魔王陛下」

「は? 世話係……ですか」


 そこまで言って、俺はハッとした。

 ルーハンの目線の先には、彼の側近である美貌の青年が、意味ありげな光を目に湛えてじっとこちらを見つめていた。


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