episode2:ロマンチスト・エゴイスト 3
……はい、バトンタッチ。
私は正直後悔していた。なんでこんな会話の流れになったんだろう。
ちょっとした愚痴のつもりだったけど、彼の言うことはあまりにも適当でイライラする。
なにが明日は明日の風が吹く、だ。
他人事にしても、もうちょっと言いようがあるでしょ。
けど、それ以上にこの大切な時間で、昼間よりイライラしてるのが嫌だ。そしてなにより、めんどくさい人間だと思われているのが嫌だ。
彼はしばらく黙っていたけど、唐突に隣の建物の物かげに私を追いやった。腕をぐっと引き寄せたのだ。
えええー!!ちょっとまって、この流れで?私は心臓が口から飛び出るかと思った。
強引なのは怖い。でも大学生ってみんなこうなの?
待って、え、待ってえええええええ!
「あれを見て」
彼は喫煙所から少し離れた建物を指さしてそっとつぶやいた。
ええ?ああ、そういうアレじゃないの?私は自分の乙女回路が真っ赤になっていることにさらに真っ赤になった。
は、恥ずかしい……はい、で、なんでしょうか。もう穴があったら入りたい。ああ、もう既に建物の隅に隠れてるか……。
私はそっと彼の指差す方を見た。
喫煙所から20メートル離れたあたりに、古風なレンガ造りのトイレがある。
私は1度ピンチの時にお世話になったこともある。
そのあたりをじっと見る。
するとなにやら動くものがあることに気がついた。
少なくとも野良猫じゃ無い。あれは人間、しかも……
「な?あれどう見ても男だよな」
彼は私の頭上でそっとつぶやいた。
「うん……なにしてるんだろ」
それは全身真っ黒の男だった。黒いパーカーに黒いズボン。色白な顔だけがぽつんと浮いている。どうやら周りを伺うようにキョロキョロしている。
私は一瞬見つかる、と思ったけど、不審者は気がつかない様子だ。
男は周りを伺うようにした後、あろうことか女子トイレに入っていった。
「え?入ってったよ。あれ女子トイレでしょ!?」
おもわず大声がでかかったが、彼がそっと手を出して「声が大きい」というジェスチャーをする。
「ご、ごめん。あれって変質者ってやつだよね……」
私は声をぎゅっとしぼった。
「うん、たぶんね。」
「警察とかに連絡したほうがいいかな」
「ど、どうだろう。とりあえずこのままでいよう」
彼はなぜか狼狽していた。
というかこの姿勢はどうなんだろう。
2人で物かげに隠れてくっついている。
身長差があるから私の後ろに彼がいて、覆いかぶさるような姿勢だ。ちょうど肩のあたりに彼の手があるし。建物の影から2人が顔を出して覗くにはちょうどいいが、なんというかこの密着感は恥ずかしい。私より大きな手が肩に乗っかっている。肩を掴む手は力がはいっていてこれだけで私はドキドキしてきた。
なにこれーぇ?またも私の乙女回路は暴走している。
3分ほど経っただろうか、この姿勢がすこし辛くなってきた頃、さっきの黒服が出てきた。今度は周りも確認せずに正門のほうへと走り去っていった。
私は首をひねって彼を見上げると、うなずいて肩から手を外した。
「……フーッ、行ったみたいだ」
「……そうみたいね」
私たちは建物の陰から出るとパイプ椅子に腰を下ろした。どっと疲れがでてきたみたい。緊張から手には汗をかいている。彼はあまり緊張していないようだったが、それでもじっと何かを考えているようだった。
「ねえ、トイレを見てみない?」
私は勢いよく立ち上がった。
「うーん、そうだね」
彼はあまり乗り気では無いようだったが、私は調べたくなっていた。さっき気がついたことだけど、私という人間は好奇心と正義の心を足すと恐怖心を超えるらしい。
私たちはさっきの男が戻ってこないか周囲を伺いながらトイレに近づいた。
「俺がここを見張っているから君は中を見てもらっていいかな。俺、男だし」
「任せて。何かあったら大声あげるからね」
「お、おう。任せとけ」
「黒服の男が戻ってきたらどうしよう」
私は一度振り返って尋ねてみた。
「その時は、2人でダッシュしよう」
彼はいたずらっぽく笑った。
「よしきた」
彼はトイレの前で直立している。さあ、ここからは私の出番。
そっと女子トイレに足を踏み入れる。当たり前だけど真っ暗だ。
手探りで照明のスイッチを探していると、洗面台の鏡を見てしまった。
別に怖いという気はしない。ほんとにね。
でも、やっぱり気になるので鏡を視界に入れないようにして電気のスイッチを押す。
怖く無いよ。ほんとにね。